□ 霧の音待ち □ glim-12 □
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-11月09日 08時33分
すっかり疲れ果てた顔つきで、それでも規則正しい寝息を立てている駿紀を、扇谷は手早く診察していく。
「微熱も無いし、脈も安定しているね。もう、大丈夫、完全に抜けた」
はっきりとした確定に、透弥は小さく息を吐く。
「そうですか、ありがとうございます。お手数をお掛けしました」
頭を下げる透弥に、扇谷は苦笑気味に尋ねる。
「しかし、そうとう食らったんじゃないのか?」
「さすがに、数発くらいは。顔はやられていませんから、大丈夫です」
平静な声に、苦笑は大きくなる。
「湿布しておいた方が、いいんじゃないか?駿紀くんの足は強そうだ」
「まともに食らったのは一発です」
いたって平静に大丈夫だということ言ってのける透弥に、扇谷の顔はいくらか疑わしそうになる。
「本当?さすがの駿紀くんだって、眠ってしまえば自制するのは無理だ。メルティが幻覚が酷いタイプではないにせよ、そうとうに暴れもしただろう」
木崎班の韋駄天と言われたくらいな足の持ち主だし、運動神経が関わる武勇伝も多い。それなりに鍛えているとはいえ、と思うのは当然だろう。
なぜ食らわなかったのかを、言わなければ納得しないに違いない。
「暴れなかったとは言いません。ですが、怪我をすると気付かれます」
きっぱりと言い切ると、扇谷はいくらか目を見開いてから、笑み崩れる。
「なるほど、それは食らえないな。大丈夫ならかまわない」
使った道具をしまってから、再度、扇谷は透弥へと向き直る。
「透弥くんも、お疲れ様。二人ともしっかり休息を取るんだよ」
「残念ながら、まだそういう訳にはいきませんが」
警察官としての仕事は、犯人逮捕まででは無い。その後の書類提出まで完了して事件が終わったという扱いになる。
葉山班の応援とはいえ、合成したてのメルティを入手しているし、被疑者とはいえ動きを抑える為に発砲もしているとなれば、ある程度の書類は片付けなければならない。
「透弥くんのことだから、お手の物だろう。早く済ませて早く休みなさい。じゃないと駿紀くんが心配するよ」
扇谷の言う通り、目覚めたら駿紀は自分のことを棚にあげて透弥のことを心配するに違いない。言われなくとも予測がつくコトなので、素直に頷き返す。
「そうなる前に、済ませます」
「じゃ、何かあったらいつでも協力するから」
柔らかな笑みを残して、扇谷は屋敷を後にする。
見送って、振り返る。
ぐっすりと眠っているのだろう。扉の閉まる音にすら反応は無い。
確かに、他のヤクをやった人間と同様に抜ける時の混乱で、暴れはした。だが、多分、どこかで透弥がいることをわかっていた。
ほとんどは、避けるまでも無く宙をきっていたのだから。
だからこそ、外し損ねたのをまともに食らう訳にはいかなかったのだ。
もう一度、息を吐くと透弥も部屋は後にする。



-11月09日 14時28分
ゆっくりと意識が浮上していく。
見覚えの無い天井だ、と駿紀は思う。ヤクを打たれたからといって、記憶が無い訳では無い。
ただ、いくらかおぼろになっているだけで。
造りがどう見ても病院では無い天井を見上げながら、考える。
透弥が、助けに来てくれた。
コレは確かな事実だ。
どこかに移動して、扇谷と正岡がいた。
その時点で、自分が連れてこられたのは国立病院の警察病院部だと思っていたのだが。
違う。
どこだ、と素早く身を起して、思わず目を見開く。
調度から何から何まで、とてもイイモノだ。それにこの趣味は知っている。
まさか、と思いながら視線を巡らせて、メモに気付く。
手にしてみると、透弥の几帳面な字が並んでいる。
部屋を出るのが起きた合図。後は家人に聞くこと。
無駄が無いどころか、相変わらず微妙に説明が足りない。これでは、謎かけのようだ。
駿紀の記憶が正しいなら、ここは天宮家の屋敷だ。家人とひとからげにしたのは、目覚めた時にいるのが紗耶香なのか榊なのか予測出来ないからだろう。
部屋を出るのが起きる合図、ということはココで好きなだけ寝かせとくという約束でも取り付けたのに違いない。
そもそも、どうして天宮家にいるのか、助けられてから再び移動でもしたのか、考え出したらキリが無い。ようは、ここから出てみるしか、答えを得る方法は無い、ということだ。
いつの間にか、寝やすい格好に着替えもしていたらしいことにも遅ればせながら気付く。
丁寧に畳まれた自分のスーツを手早く身につけ、覚悟を決めて扉を開ける。
「あら、お目覚めね」
聞き慣れた柔らかな声が、階段上から聞こえる。ちょうど、といった調子で覗き込んでいるのは紗耶香だ。
「あ、こんにちは。ええと、お世話になっています」
ぺこり、と頭を下げると、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「ここにいる理由もわからないのに、そんなお礼していいのかしら」
「いや、ここで寝こけていたのは事実ですし」
「隆南さんらしいわね、でも、まだ終わって無いのよ」
楽しそうな笑顔のまま階段を下りてきた紗耶香は、駿紀の前に立って見上げ、にっこりと笑みを深める。
「今回の件は、神宮司さんからお願いされていて、私は全部引き受けることにしたんです。だから隆南さん、ちゃんとお付き合い下さいね」
「そう言われると、少々怖いような?」
また、楽しそうに紗耶香は声を立てる。
「大丈夫、取って食う訳ではないから。最初はね、そう、食事を食べてもらうわ。榊、用意はいいわね」
いつの間に来ていたのか、榊が頭を下げる。
「ええ、いつでも。食堂になさいますか、それとも別の部屋に」
「食堂でいいんじゃないかしら、何度かいらしてもらってる部屋だから、落ちつきやすいでしょうし。私にもお茶をお願いね」
榊は、深く頭を下げてから、食堂への扉を開く。
「どうぞ、こちらへ」
当たり前のように歩き出す紗耶香の後ろについていく。彼女の趣向に付き合う以外は、答えはわからないらしい。
席へと落ちつくと、言葉通り、すぐに飲みモノが運ばれてくる。
「一日以上食べないこともあるんでしょうけど、先ずはそれからよ」
香りからして、野菜系のスープだろう。
しかも、温度もすぐに口に出来る程度になっている。
「いただきます」
ありがたく、口をつける。
少しゆっくり目に飲むのを、紗耶香はじっと見つめている。
いくらか照れ臭くて視線を逸らすと、紗耶香も我に返ったように瞬きをする。
「あら、ぶしつけすぎたわね、ごめんなさい。本当に大丈夫か確認して欲しいって頼まれていたモノですから」
くす、と笑うのに、駿紀はスプーンを下ろして瞬きをする。
「扇谷さんですか」
「まさか、私はドクターが誰だったのかも知らないわ」
あっさりと紗耶香は肩をすくめる。と、なると。
「神宮司が?」
「他に誰がいるのかしら?さ、スープは飲めたようね」
その言葉を合図にしたように、次々と駿紀の前に運ばれてくる。
よくよく見ると、全て消化の良く調理されているようだ。
「スープだけで、ずいぶんと顔色が戻ったから、これだけ食べれば、知らない人はただの事件明けと判断するでしょう」
意図を知って、駿紀はもう一度瞬く。
これも神宮司が、と尋ねようとして喉元で止める。よくよく見たら駿紀が好むモノが多く入っている。飲んだ時にでも、何を食べているのか観察していたに違いない。
調理法まで指定したかはともかく、明らかにココには透弥の意思が含まれている。
事前に告げられていたら、遠慮して帰宅するということまで読まれていた訳だ。
当人は、駿紀が完全に大丈夫だということが判断出来た時点で、本庁に戻ったのだろう。
そこまで考えて、はた、とする。
「あの、電話を貸していただけませんか?」
にこり、と紗耶香は笑う。
「余計なコトは一切しなくていい。一通りこなしたら家に帰れ、だそうよ」
どちらかといえば可愛らしい声で透弥の口調を再現されると、実にタチが悪い。
駿紀は、食い下がっても確実に無理だと悟って、素直に引き下がる。
「了解です」
大人しく食事に専念した方が良さそうだ、と皿に向き直って、ややしばし。
「天宮の名を使って権力行使するのに、理由を聞かないということはあり得ないわ」
ぽつり、と言われた言葉に、駿紀は弾かれるように視線を上げる。
「少々面倒な上司がいるのだそうね。今の状態で戻ったら、いいように付け込まれるだけじゃないのかしら」
今回の件も、木崎に嗅ぎ付けられたのだ、と気付く。だから、国立病院ではなくココだったのだ。
絶対に乗り込めない、いや、それどころか知られることもない場所。
ここに来てからの経緯を考えると、正解としか言いようが無い。紗耶香がドクターすら知らない、と言った意味も理解する。
ようは、彼女も屋敷の人間も、駿紀の醜態は目にしていないと宣言したということだ、と。
最善の選択をしてみせた透弥に、敬意を表すべきだろう。
「そうですね」
微苦笑を返す。紗耶香は、駿紀の箸が進み出したのを見つつ、お茶を口にする。
「個人的な意見を付けくわえさせてもらうと」
あっさりと面倒な上司の話から離れてくれたのは、駿紀の表情からおおよそを察したからだろう。
一人では味気なかろうと付き合ってくれる人を邪険にする気はないのもあるが、それより、何を言い出すのかという興味で視線を上げる。
「一通り付き合っていただいた後なら、連絡を取るのもいいと思うわ」
「え、でも」
透弥の意図は、最後まで無言で家に帰れ、ということだろう。そういうあたり、徹底しているのは駿紀がイチバン良く知っている。
「神宮司さんの意図はそうね。だから、あくまで個人的な意見よ」
ほんの小さく肩をすくめてみせる。
「連絡をしたら、きっと安心するわ」
「嫌味しか言われなさそうですが」
「いつもの調子で出るなら、安心したということでしょう」
見事なくらいにあっさりと返される。思わず、駿紀は目を見開いて、それからつい、笑ってしまう。
「それは、そうかもしれない」
「ね?」
小さな相槌と共に、紗耶香の顔には実に柔らかい笑みが浮かぶ。
ああ、そうか、と気付く。
駿紀も、いつも通りの顔をしていなかったのだろう。透弥の嫌味がいつも通りの証拠、なんて言われてその通りだと思って、つい笑って。
「ご心配おかけしました」
ぺこり、と頭を下げると、紗耶香はにっこりといつもの笑みをみせる。
「いいえ、頼ってもらえて嬉しかったから、いいわ、と済ませてもいいけれど、また夕飯にでも付き合ってもらおうかしら」
「神宮司にも伝えときます」
食べやすいよう気を使ってくれたメニューは、ごく自然に駿紀の腹に収まる。
ごちそうさまでした、と手を合わせるのを見届けた紗耶香は、にこりと告げる。
「また、お部屋で一休みが次の指示よ。多分、眠くなるから、だそうね。今度目が覚めたら、後はお帰り自由よ。ただし、我が家では電話はお貸し出来ないわ」
「了解です」
確かに、そのくらいは身体を休めておかないと、しづには何かあったと確実に悟られる。どこまで対策を打っても悟られはするだろうが、さほど心配無い、というところまでは持っていっておくべきだ。
透弥たちの気遣いに、大人しく従うのがイチバンなのはわかっている。
素直に頷く駿紀に、紗耶香はもう一度笑う。



-11月09日 17時37分
透弥が葉山班へと必要な書類を手渡しに行くと、そこにいたのは葉山と船戸、須川、松倉、浜村の五人だけだった。
「今村が、ケガをした」
葉山の言葉に、皆一様に心配そうな表情を浮かべる。
「無茶苦茶な逃走をしようとした男を取り押さえてね。命には別条ないが」
そこまでで途切れてしまった言葉の続きは、簡単に察しがつく。
何らかの後遺症が残り、刑事としてやっていくには少々難しくなる、ということだ。
「ったく、無茶しやがって」
松倉の腹立たしそうな声は、心底のモノだ。
船戸も、大きく頷く。
「次はブルーの組織を潰す番だってのに」
誰が情報を漏らしていたのか。
二人もの刑事が、相手方の手に落ちてヤクを打たれる羽目になったのか。
葉山も、透弥もはっきりと口にすることは、けしてしなかった。が、仮にも刑事である彼らとて、ここまでの情報が揃ってしまえば、断定するのは簡単なことだ。
が、誰も恨みがましい顔はしていない。
可能なら、普通に戻ってきて欲しかったと思っている。
「リハビリ次第なのでは、ないですか?」
透弥が静かに言うと、再び、誰からとも無く顔を見合わせる。葉山が、笑みを浮かべる。
「そうだな、復帰の可能性がある限り、頑張ってもらわないと」
「落ち着いたら、ハッパかけに行きましょう」
「ああ、当然だよ」
本当に戻ってくるかどうかは、今村の判断もあるだろう。いや、恐らくは戻っては来まい。
皆が、変わらずにいればいるほど。
それでも、葉山班は存続することは、確定だ。
心弱い情報提供者がいたことなど、誰にも漏らされず、埋もれていく。
その判断をすべきは、透弥では無い。
特別捜査課は、メルティ密造密売組織の摘発協力を依頼され、無事してのけた。
必要な書類も、用意し終えた。
「こちらの用意分です。確認をお願いします」
手渡された書類のページを繰り始めた葉山は、いくらか目を見開く。
「これは、すべて神宮司くんが?」
「そうですが、何か問題点がありますか?」
「いや、それどころか」
視線を上げた葉山は、素直に驚いたという顔つきだ。
「この短時間で、これだけ良く書けたものだと思って」
「では、これでよろしいでしょうか?」
「ああ、本当にありがとう。隆南くんは」
透弥は無表情のまま、葉山を見つめ返す。
「中和剤の投与も終わってますので、問題ありません。早めに警察病院部に行かれることをお勧めします」
船戸と須川が、目を見開く。
「もう、出来たんですか」
「合成直後のメルティを入手しましたので、薬学研究所の方で作成完了しています」
二人は、顔を見合わせる。
いくらか息を吐いたように見えたのは気のせいではあるまいが、見ぬふりをする。
「では、私はこれで」
軽く頭を下げた透弥へと、五人が一斉に敬礼を返す。
大げさだ、と無視するのは簡単だが、そんなことをすれば後から駿紀に何を言われるかわかったものではない。
葉山班にとっては、それだけの価値があることだったのだ、と言い聞かせて敬礼を返す。
部屋を後にして、歩き出してから。
疲れていないと言ったら嘘になる、と思う。
中和剤が効いたことを確認し、屋敷を後にしようとしたところで紗耶香に会った。
頼んだことの再確認をした後で、珍しく彼女は気忙しげな表情になったのだ。
「貴方の方が、お疲れに見えます」
「まさか」
透弥は、当然のこととして否定した。
メルティをうたれても、余計なことヒトツ言わず踏ん張り続けた駿紀の方がシンドいに決まっているではないか。
だが、自分が疲れていないかと問われたのなら、今は否定は出来そうに無い。
やるべきことは、全てやった。
紗耶香に任せておけば、駿紀も大人しく帰宅する。
今は誰にも会いたく無い気分なので、裏手の階段を上がりだしたというのに。
最も会いたく無い気配に気付き、思わず足を止める。
気のせいではなく、階段上には仁王立ちの木崎がいる。

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