□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-1 □
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コール音が二回鳴ったところで、駿紀は受話器を手に、すっかり口になじんだ部署名を告げる。
「はい、特別捜査課」
「隆南だな?東署の小池だ」
「あ、ご無沙汰してます」
ひょこん、と反射的に頭が下がる。小池は駿紀が東署捜査一課に所属していた時の直属上司、ようするに東署捜査一課の班長だ。
「元気そうだな。活躍、聞いてるぞ」
言われて、駿紀の顔に苦笑が浮かんでしまったのは仕方ない。噂というカタチで伝わるのだから、さぞかし大げさになっているのだろう。木崎班の韋駄天と呼ばれるようになってからというモノの、何かというとソレに振り回されてきた身としては、素直に礼を言う気にはなれない。
「そうですか?」
いくらかあいまいな口調で返してから、そんな話の為に電話をしてきたのではなかろうと尋ね返す。
「今日は、何か?」
「ああ、なんというか、捜査中の事件のことでな」
先ほどまでのキレの良さとは打って変わってしまった声に、駿紀は数回瞬きをする。
「はい」
「そのアレだ、相談したいことがあるんだ」
「協力依頼ですか?」
駿紀の問いに返って来た答えは、微妙に噛み合わない言葉だ。
「ひとまず事件の状況だけでも、聞くだけ聞いてもらえないか」
しかも、らしくなく歯切れ悪く重い口調なコトに、内心で首を微かに傾げつつ駿紀は返す。
「捜査中なんですよね?電話がマズいようでしたら、お伺いしますが?」
駿紀にとって、無駄足かどうかというのは些細なコトだ。自分たちが役立つ可能性があるというなら、動くべきだと思う。
その点は、透弥にも確認するまでも無いコトも確信出来る。
駿紀より効率良い方法を探し出すのが上手なだけで、警察官としての責任感は人一倍だ。それに、駿紀の勘を疑わない。
ようするに、行った方がイイと駿紀の勘が告げたのだ。
視線を上げた透弥は、話の成り行きを尋ねるように、ほんの少しだけ首を傾げてみせる。
が、電話口の小池の方は、相変わらずはっきりしない。
「いや、その」
そんな中途半端な言いかけをしたまま、もごもごと口を閉ざしてしまったらしい。
待っていても続きが無いので、駿紀は少しだけ受話器から顔を離して、思わず軽く見つめる。
が、そんなコトをしたところで、無言の時間が過ぎるばかりで話は進まない。もう一度持ち直して、尋ねる。
「どうしたんですか?」
問われて、やっとのことで言い辛そうに言い出したことといえば。
「ええと、ほら、この前書類で依頼した時に、凶器を教えてくれた……」
それこそ、駿紀は目をいくらか見開いてしまう。
木崎の差し金で山のように飛び込んできた無茶ブリな協力依頼の中に、東署一課長浅野経由の殺人事件があったのはよく覚えている。確か、九月だった。
凶器が判明しないというモノだったが、透弥があっさりと山岳地帯の国特有のモノと言い当てた。駿紀は、アレで透弥の広範な知識の一端を知ったのだ。
それはともかく、やっと小池が何を躊躇っているのかがわかってきた。
前回の協力依頼は、どう考えても嫌がらせだったので、呼び寄せたら元部下である駿紀しか来ないのではないかと危惧しているらしい。
その点は、特別捜査課に協力依頼をしてきている以上は、杞憂でしかない。
「神宮司ですね。もちろん、一緒にうかがいます」
透弥に視線をやりながら言うと、首の角度を戻した透弥は、一瞬だけ眉を寄せる。
駿紀の口ぶりから、相手がなにやら逡巡しているコトは察しただろうし、叩き上げがキャリアをどんな目で見るのかも身をもって知っているはずだ。大げさなウワサに駿紀がうんざりとしているのと同様に、透弥もキャリアへの色眼鏡に辟易しているのだろう。
だが、その点について透弥は一言も口にしたことが無い。今回も、すぐに頷いてみせる。
普段の小池が、いちいちこんな逡巡をするタイプではないことを知っている駿紀は、なんとなく透弥に申し訳ない気分になりつつ頷き返す。
「では、後ほど」
受話器を下ろすと、透弥は立ち上る。
が、駿紀が微妙な表情をしているのを見て、小さく肩をすくめてみせる。
「いつものことだ。やるべきことをやればいい」
「だな」
少々口はキツいが、着実な捜査をすることを知れば、小池たちは透弥をすぐに認めるだろう。駿紀も頷くと、立ち上がる。



東署へと入ると、あ、という顔つきがこちらを見る。
駿紀が見知った受付担当の婦警は、視線が合うとすぐに笑顔になる。
「隆南さん、お久しぶりです」
「ご無沙汰してます。小池さんの班は、今はどこになりますか?」
挨拶を返してから小池の居場所を尋ねると、あっさりと答えは返る。
「変わってないですよ」
ありがとうと頭を下げると同時に、透弥も脊髄反射フェミニストの笑みを浮かべる。
婦警が勢い良く頬を染めるのを横目に、コレで東署からの嫌がらせな依頼が減るのなら、透弥には脊髄反射フェミニストの笑みの大盤振舞をして欲しいところだ、と、つい現金なコトを考えつつ、駿紀は記憶している通路を歩いていく。
ややして、小池班の部屋へと到着すると、なんと、課長である浅野までがいた。
真っ先に手を上げたのは、その浅野だ。
状況に恐縮するように、小池が軽く頭を下げる。
「悪いな、呼び立ててしまって」
「まだ、来ただけですよ。お役に立てるかどうかはこれからですから」
返すしてから、視線をボートへとやる。
何枚かの写真と、書きつけと。日付は、10月19日とある。
すでに、事件から一ヶ月半が過ぎようとしているらしい。今になっての相談というコトは、捜査が行き詰っているということだ。浅野も、あまり落ちついた気分ではいられないのだろう。
視線が合うと浅野は無言のまま、つ、とボードへと視線を移す。ソレを見て、小池はヒトツ息を吐く。
「紹介は後にするとして、先ずは現況を聞いてくれるか?」
「はい」
駿紀の返事に、小池は一人の方を見やる。視線を受けて頷き返した辻村は、駿紀が在籍した時にすでにいたベテラン刑事だ。
「現場は大名小路の端、中央公園前の商業系オフィス集合ビル、坂上ビルの二階から六階に入居してるタキグチコーポレーションの三階、304会議室。10月19日7時から11分の間に発生。被害者生存が最終的に確認されたのが7時、後ろに仰け反りながら倒れてきたのを目撃されたのが11分」
何度この情報を繰り返したのか、要所の確認以外手元のメモを見ず、ソラで告げていく。
「被害者は佐野長太郎、34歳、タキグチコーポレーションの営業担当で成績優秀」
「営業成績は毎月ほぼ一位だったそうで、この点は直属部署の人間だけでなく、他部署からもウラは取れています」
と、脇から一人が補足する。
「性格は、誰へも人当たりが良く、恨みを買うようなタイプではない、ということで一致。少なくともプライベートでのトラブルの形跡は無し」
「取引先とも、いたって上手にやっていました。むしろ、ガイシャに担当して欲しいという希望が多かったそうです」
更に他の一人が言うと、辻村は頷く。
「現在のところ、恨みを持っていると思われるのはガイシャの隣の課に所属している杉本治久、35歳。こちらも成績優秀ですが、ほぼ二位に甘んじるしか無かったようです。その点を上司からかなりせっつかれていたと同僚と部下から証言が取れています」
「一ヵ月半の捜査で、動機があると思われるのは杉本しかいないのか」
浅野が、すでに何度か確認したであろうことを口にする。
「現状、見つかっていません。先ほども報告しましたが、プライベートでのトラブルは気配すら見つかっていません。社内でもかなり良い評判しかなく、杉本は唯一と言っていい線です」
辻村の言葉に、さきほど口をそえた一人も頷く。
「家族も友人も、捜査にかなり協力的です。積極的と言ってもいいくらいですし、口を揃えて早く犯人を捕らえて欲しいと言っています。被害者を失っての落胆といいますか、愁嘆ぶりからも嘘は無いかと」
「現場が職場であることからも、職場でのトラブルの線が濃厚でしょう」
小池が言葉を添えると、浅野は息を吐く。
「まあ、そうだろうな。会議室の扉からのけぞりながら倒れてきたんだったか」
「はい、打ち合わせがあるから、と後輩である前田道則と会話をしたのが7時で、その後、打ち合わせに一緒に参加することになっていた被害者の同僚の三浦直太郎が会議室の扉を開けたのが、およそ7時11分です。寄りかかるようになっていたと思われる被害者が、のけぞって倒れてきました」
なかなかに衝撃の瞬間だっただろう、一緒に打ち合わせに出るはずだった同僚の死体が転がり出てきたのだから。
「商社という職柄から、外部の人間の出入りは多いようですが、さすがに7時という時間帯にはほぼ無いのが通常だそうです。また、ビルの警備員二人からも10月19日の早朝から7時過ぎにかけて、見慣れない人間の出入りは無かったと証言が得られています」
「当日の警備員、鎌田正彦と阿部譲吉ですが、23時の交代から翌朝8時までの勤務で、この間に不審人物は見なかった、と言っています」
もう一度、浅野は息を吐く。
「その証言が間違いなければ、外部の人間が潜んでいたとしたら、とてつもなく気長な訳か」
「前日の侵入なら、夜のうちに犯行に及んだかと。前日、被害者が職場を後にしたのは、23時30分過ぎです」
「死因は何ですか」
ぽつり、とだが、はっきりとした問いに、皆の視線が透弥へと集まる。
「刺殺です。凶器はタキグチコーポレーションの共通文房具のハサミで、胸部をあばらの間を通して突いています。遺体に刺さったままで、返り血を浴びるのを避けたと思われます。が、切っ先は中で動かされていました。明確な殺意があると判断します」
刃物の切っ先を体内で動かされれば、それだけ内臓が傷つき、状況は悪化する。
「検死報告は後で見せていただくとして、発見時に意識は混濁していたのは確実ですか」
「はい、発見当時、言葉を発することは不可能で、呼びかけにも応答はありませんでした。これは、次に駆けつけたという上司も確認しています」
「薬物反応は?」
「ありません」
睡眠薬を飲まされたなどは無いようだが、犯人を示すような行動や発言も無かった、ということだ。
「その、唯一の線っていう杉本には、どんなアリバイが?」
駿紀が本題を切り出す。
唯一の線、と、言い切るからには、問題はソレだろう。落とせないというのなら、駿紀たちに声をかけるより他に適任がいる。
「杉本は、出勤時に乗車していた電車の到着が犯行時間には間に合わない、と主張している」
ため息混じりの小池の言葉に、辻村が頷く。
「7時7分に会社最寄の三河屋通り駅に到着したと証言していて、確かにその電車に乗車したことは確認が取れている。乗車前に顔見知りの売店の店員に声をかけていた。そして、先ほどのビルの警備担当が、7時15分頃、挨拶をしながら通って行ったことも確認済みだ」
駿紀と透弥は、どちらからともなく顔を見合わせる。
最寄が三河屋通り駅、ということは、容疑者である杉本が乗車したのは地下鉄大名小路線だ。
「大名小路線なら」
「もちろん、中央公園を迂回することはわかっている。途中下車をして、一度外に出て何食わぬ顔で戻ってくることが出来ない訳でも無さそうではあるんだが」
なんとなく、話が見えてきた。
なぜ、小池が特別捜査課に連絡してきたのか。
「杉本は運動神経がいい方ですか?」
「スポーツが好きだという証言は取れているが、特定のモノに入れ込んでいる様子は無い」
「まあ、ともかく動ける訳ですね」
駿紀は、透弥を見やる。いつもの無表情が返ってくる。
「距離の確認は、した方がいい」
実に冷静な一言に、小池がため息混じりに言う。
「それなら、ある程度まではやってある」
ぱちり、と音を立てて、ボードに紙が貼られる。
杉本の乗車した電車到着時刻、と表題をつけられたその下には、文字通り到着時刻が書かれている。
無表情のまま紙の前にたった透弥は、無言のまま二行加え、さらに駅名の隣に数字を入れていく。
06:57 大名小路三丁目駅(14分)
07:00 東大名小路駅(11分)
07:00 被害者生存目撃
07:04 公園東駅(7分)
07:07 三河屋通り東駅(4分)
07:11 被害者、発見
07:15 杉本、会社着
仕上がった七行を、駿紀はまじまじと見やる。
透弥が書き込んだ分数は、電車が駅に到着してから被害者が発見されるまでの時間だ。
容疑者と目されている杉本は、最寄駅から会社の三階まで、たったの四分ではとでもではないが辿りつけない、と証言している訳だ。
だが、中央公園を迂回するカタチのルートで走行している大名小路線は、途中駅で降りた方が目的地まで早い場合がある。
小池班が三駅前までの到着時刻まで書き上げたのは、この程度なら先回りの可能性がある、と読んだからに他ならない。
透弥が口を開こうとしないところをみると、その点を疑問視する気はないのだろう。駿紀も、小池たちの考えそのものには異議は無い。
しかし、だ。
「この距離をこの時間となると、いくらなんでも足では」
自分の能力について、駿紀はけして過信はしていない。足を頼りにされればされるほどに、だ。
過信すれば、見誤れば、取り押さえるべき犯人を逃すコトになるどころか、誰かを危うくする可能性もある。
過小に評価するつもりも、手を抜くつもりもないが。
「順当だな」
平静な声で、肯定したのは透弥だ。
視線が合うと、更に続ける。
「ただ、実地で証明されないと、納得出来ない人間の方が多いようだが」
確かに、浅野をはじめとした東署の面々は、期待に満ちた視線だ。
小池班には、そこそこの期間所属していたのだから、おおよその実力は知っていそうなモノなのだが。木崎班の韋駄天というあだ名は、思っている以上に期待を抱かせるモノとなっているらしい。
となれば、やるしか無い。
「では、走ってみますか」
駿紀の一言で、浅野たちの表情は、先ほどまでの追い詰まり具合が嘘のように明るくなる。

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