□ 駆けて聞くは遠雷 □ blank-2 □
[ Back | Index | Next ]

師走を迎えた外の空気は、かなり冷たい。
が、本気で走るなら、防寒具は邪魔でしかない。駿紀はコートと上着を脱ぎながら、出発地点と決めた大名小路三丁目駅を見やる。
「ホントは、コートどころかマフラーくらいはしてただろうけど」
「最短でどの程度かを知りたいだけだから、問題無い」
苦笑気味に手にした防寒具へと視線を落とす駿紀へと、透弥はきっぱりと返す。
「ココからなら、地下鉄のホームから現場の会議室までで14分ってコトだろ。目立ちすぎない程度には最短ルート選びはするけど」
「東大名小路駅なら、出口まで三階分の階段だ。コチラなら二階分、まだ可能性はある」
返す透弥の視線は、中央公園の地図に落ちている。
通常のモノに、小池班の面々が抜け道でもないかと探しまわり、見つけた小道を加えてある。中にはけもの道としか言いようのないモノまであるらしく、どれほどに追い詰まっているか知れようというものだ。
「通勤の時間帯だと、ココもかなり混むよな?」
軽く体をほぐしながら駿紀が訊くと、相変わらず地図から視線を上げないまま、透弥が返す。
「自分の通勤と変わらないだろう」
「ま、な。犯行時は通勤時間にしちゃ、随分と早めだから大分マシなんだろうけど」
だが、完璧にスムーズという訳にもいかないだろう。首をひねる駿紀へと、透弥がやっと視線を上げる。
「現況で最大限にやってみればいい」
「了解」
ホームから改札、ひいては駅の出口までスムーズだったとしても、というコトになれば、小池班の面々も浅野も納得するだろう。
「神宮司は、現場に行くんだよな?」
「ああ、だが10分もすればスタートして構わない」
「10分?ってことは、ええと」
「600秒だ」
軽く首をひねった駿紀へと、あっさりと返した透弥は、少し後ろに立っていた小池班の刑事へと視線を動かしながら続ける。
「今回はそこまでする必要は無い」
視線を受けた堀田、と紹介された刑事が、慌てたように寄ってくる。
「はい、あの」
「隆南の出発時間確認を、お願い出来ますか」
透弥にきびきびと言われ、姿勢を正しながら返す。
「はい、ええと」
「10分後でお願いします」
自分の時計を確認した堀田は、なぜか緊張したような顔つきになりつつ、再度頷く。
「わかりました。隆南さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「後は、途中に配置する」
口を挟んだのは、その道しるべ役になる担当の確認を終えた小池だ。
「現場には、土肥がいる。受付で待っているはずだ」
「わかりました」
透弥は頷いた後、駿紀の方へと腕を伸ばす。
「え?」
「預かる」
コートと上着のことだ、とすぐに理解して、駿紀はに、と口の端を上げる。
「ありがとう」
受け取った透弥は、器用にたたむと手にして背を向ける。
「一度で終わらせる」
「了解」
先々で待つ担当の刑事たちが去ってから、駿紀が振り返ると。
なぜか、堀田が緊張しまくった顔で時計を覗き込んでいる。
「堀田さん?」
「はいぃ?!」
裏返った声に、周辺を歩く人らが数人振り返る。駿紀もいくらか目を見開いてしまう。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。すみません。ええと、なんでしょう」
「スタートするのに、改札の中入らないと」
駿紀が改札を指してみせると、堀田は、はっとした顔つきになる。
「あ、そうですよね、入場券買ってきます」
言い終わるや、慌てて走っていく。なぜかはわからないが、妙に緊張しているらしい。
後ろ姿を見送っていると、微妙な段差に足をひっかけてよろめいていたりもしている。さすがに転びはしなかったようだが、こんな調子で大丈夫なのか、駿紀は内心で首を傾げてしまう。
戻ってくる時も、同じような場所でコケそうになりながら、どうにか駿紀の前に来る。
「入場券です。よろしくお願いします」
ごく短距離なのに、ぎっちりと握りしめられていたせいで温まった入場券を受け取り、深々とバカ丁寧に頭を下げられて、そういうことか、と合点する。
駿紀が今日、走るというコト。
ソレは小池班にとって、最後の藁にすがっているような状況なのだ、と。
入場券を駅員に渡しながら、身分証を見せる。
「捜査で、移動速度の確認をしたいと思っています。少々あわただしく走りますが、ご了承いただければ幸いです」
「お疲れ様です」
と、慰労されつつ入場して、駅舎に設置された時計を見やる。
まだ、走り出すには早い。
ホームを見回して、人の邪魔にならなそうな場所で、軽く体をほぐす。
堀田は、少しだけ離れたところに突っ立っているが、その視線が痛いくらいだ。
「あ、あの、あと2分です」
言われて、振り返って頷く。
結果がどうなるにしろ、駿紀の出来る精一杯をやるだけだ。
時間に追われながら犯罪を犯すのなら、出来るだけ改札に近い車両に乗っていたに違いない。
当然、ドアもだろう。実際はともかく、最短で到達した場合を想定するしかない。
ここらへん、と見極めを付けて、視線を改札、それから駅の公園出口へと向かう通路へと走らせる。
おおよそのルートは打ち合わせ済みだし、要所には小池班の面々が立っている。迷いなく走ればいいだけだ。
「隆南さん」
「はい、って言ってください」
「わ、わかりました」
硬直するように姿勢をただした堀田を横目に、靴の紐を確認する。
大丈夫、走れる。
「用意、はい!」
同時に、駿紀は大きく足を踏み出す。
一気にホームの階段を駆け下り、昼間でいくらかまばらな乗降客の間をすり抜け、先ほど話を通した駅員に半ば投げるように入場券を手渡し、中央公園に最も近い出口へと迷い無く向かう。
コートどころか上着も着ず、猛スピードで走り抜けていく青年に、次々と視線が向けられる。
が、もう慣れたコトだ。
公園へと入り、植え込みや花壇に目もくれずに走り、先ずは最初に立っていた寺内の脇をすり抜けるように通る。
夏場は木陰が涼しくなる歩道へと入り、すっかり葉の落ちた木々へは目もやらずに走り続けて、本郷を見つける。
こんな速度で堂々と公園の真ん中を行き過ぎれば、きちんとこの季節のサラリーマンらしい服装をしていたとしても目撃者が出そうなものだが、そういったモノ言いは後のことだ。
ともかく、ひたすらに走り続ける。
辻村を見つけてしまえば、公園内を走るのも最後だ。
出来るだけ早く、が目的なので、息はあがるがヘバってられない。
呼吸を乱しすぎないよう気をつけながらオフィス街を走り、目的のビル前にいる小池を見つける。
警備員に話は通っているらしく、駿紀が横断歩道を渡った勢いのまま一気に入っても、何も言われない。
階段下では土肥が立っていて、三階上がってすぐ左、と確認の声を上げてくれる。
一段抜かしに階段を駆け上がり、言われたとおりに左に曲がってヒトツだけ開きっぱなしになっている戸口へと駆け込む。
透弥が立っていることを確認して、大きく息をつきながら駿紀は膝に手をつく。
「16分32秒」
透弥の冷静な声が、平坦に告げる。
「だ、よ、なぁ」
走っている時から予測はついていたのだが、駿紀は思わず、切れ切れの息の合間から返してしまう。さすがに完全に息が上がってしまって、大きく肩が上下するのを止められない。
膝に手をつけたまま、荒い息を整えようと頑張る駿紀の目前に、何か差し出される。
飲み物の入ったコップとタオルだ、と気付いたのは、一瞬してからだ。
視線を上げると、透弥はほんの少しだけ眉を寄せている。
「大丈夫」
その表情へと、まだ、いくらかかすれた声で返してから、ありがたく水を受け取って一気に飲み下す。
「あー、生き返った。戻るまで無理かと思ってたから、助かった」
駿紀が息を大きくつくと、透弥は微かに苦笑する。
「喉が渇いたと、ボヤかれ続けたらたまらない」
「うわ、そっちの心配か」
返しながら、タオルもありがたく使わせてもらう。可能ならシャワーを浴びたいくらいだが、仕方が無い。
まだ、小池たちが来る気配が無いことを確認してから、ワイシャツのボタンをもう少し開けて背中の汗をぬぐう。
駿紀を待つ間、会議室の机上に広げた地図を確認していたらしい透弥は、その一点をつ、と指さす。
「隆南が走ったルートは、小池班が検討に検討を重ねた最短コースだそうだ」
ワイシャツをきちんとしてから丁寧にたたまれていた上着を羽織り、透弥へと向き直った駿紀は、真顔に戻って地図を覗き込む。
「中央公園ど真ん中つっきれば、どうにかなるかもしれないけど。シーネ川があるもんな」
リスティアを代表するといっていいシーネ川は、中央公園を見事に分断して流れていく。今回のコース取りも、この点で苦心した形跡があった。
他にコースは無いものか、と首をひねる駿紀へと、透弥はきっぱりと言い切る。
「あと少し早く走れたところで、犯行は無理だ」
言葉が終らぬうちに、小池班の面々が入ってくる。
間がある程度空いたのは、スタートを確認した堀田を待っていたかららしい。息をのむような表情の面々に、透弥が先ほどと変わらない無表情で告げる。
「16分32秒です」
各所にいた時よりも悲壮な顔つきになった面々は、半ばすがるように駿紀の顔を覗き込む。
「本当に」
聴取でもされるのかというくらいな眼差しに、駿紀はいくらか目を見開いてしまう。
「本当に、神宮司警視が予定した通りの時間に、スタートしたのか?」
視線の端に、困惑顔の堀田が見える。ウソを言っても仕方が無いので、はっきりと返す。
「はい、予定通りです。堀田さんが、とても丁寧に時間を見て下さいましたし」
小池班の面々六人が、誰からともなく顔を見合わせる。
そして、目に見えてはっきりと肩を落とす。
走る前から察してはいたが、やはり駿紀の走破時間を頼りにしきっていたらしい。
視線がコチラに向いていないのをイイことに、小さく肩をすくめてから透弥を見やる。
「な、も少し考える余地とか無いのかな?」
「少なくとも、自分の足を使うかどうかの点について、再度、考慮してみる必要性はあるだろう」
当然のこととして透弥は返したのだが。
かぶりつくような勢いで小池班が二人へと乗り出してくる。
「それは、ぜひ」
「意見を聞かせて下さい」
うっかりしたら、手を握り締めんばかりな勢いに、さすがの透弥もいくらか戸惑った表情になる。
ああ、そうか、と駿紀は、やっと理解する。
なぜ、最初の電話で小池が、透弥が来るか確認したのか、を。
ただ走るだけでは、容疑者の言うアリバイは成立しそうだと彼らも薄々は感じていたのだ。だが、このまま他の容疑者も上がらない状況では、八方ふさがりになってしまう。
考慮する必要がある、と透弥が口にしたからには、詳細の確認はともかくとしていくつかの可能性は考えているということだろう。
ちら、と視線をやると、透弥も察しはつけていたのだろう、小池班の面々に向かって頷いてみせる。
「すでに捜査済みかもしれませんが」
それでもいいから、という言葉が、小池たちの口からはっきりと出たわけではなかったが、頷き返した表情はまさにソレだ。

東署の小池班居室に戻り、一ヶ月半前の日付が消えないホワイトボードの前へと透弥が立つ。
「事件の状況について、再度ご説明いただけますか?」
容疑者が、ガイシャである佐野長太郎のライバルとされている杉本治久かどうかはわからない、という前提で事実を見直したい、というのは駿紀も正直なところだ。
「通報があったのは、10月19日7時13分。刑事事件としてというより、被害者を病院へ搬送したいという方のモノで、救急でした」
透弥と駿紀の視線が、ホワイトボードへと走る。
「通報者は?電話をかけたのは三階からですか?」
社内で刃傷沙汰などということになれば、あのくらいな規模の会社ならすぐに全員に広まって騒ぎになるはずだ。それに、どこから伝播したかは把握しておいていい情報だ。
透弥の平坦な声での問いに、すぐに土肥が返す。
「ガイシャ所属部署の事務担当だ。部署があるのは、四階で現場近くの階段を上がってすぐになる」
「救急と警察の到着は同時で7時18分、すでにガイシャの意識は混濁、意思疎通は不能でした」
堀田が続けると、土肥が頷いて引き取る。
「搬送後、すぐに死亡が確認された。死因は、腹部にハサミを刺されたことによる、失血性ショック」
「凶器は、刺した後、意図的に動かされていたんですね?」
駿紀の確認に、本郷が頷く。
「検視報告書に、はっきりと記載されているよ」
明確な、殺意の証拠。
「凶器を引きぬかなかったり、ホシはかなり冷静な行動をしている」
一ヶ月半経って、全くシッポを掴ませていない点からも、そう言えるだろう。落ち着きがなければ、それだけボロが出る。
犯人は、誰であれ、佐野長太郎という人間の命を奪うことを計画し、実行に移した。
そして、堂々と坂上ビルに入り、ガイシャを刺した。
「抵抗の痕跡は?」
「正面から刺されてるが、不意打ちを食らったのか抵抗痕は全く」
「7時前後というと、会社員としても早朝の部類に入ると思うんですが、出入りはどの程度だったんですか」
駿紀が尋ねると、小池があっさりと返してくる。
「かなり少なかった、だよな?」
「はい、営業担当部署は会議があったので軒並み出社しつつあったようですが、他部署や他社はほぼ出入りが無いと言える状態でした。具体的な人数が必要ですか?」
手帳を開きながら寺内が言うのへと、透弥が視線をやる。
「証言は、誰から?」
「警備員の鎌田と阿部です。社員の出入りは全て覚えているくらいに少なく、全員確認が取れています」
はっきりと本郷が言うと、土肥も頷く。
「いつもと様子の違う社員は、いましたか?」
「いいえ、皆いつもと変わらなかった、と」
全く語調が変わらないままの透弥の問いに、あっさりと本郷が返す。
無意識に首の後ろに手をやりつつ、駿紀は少々済まない口調になる。
「だとしたら、被疑者は走って移動したといことは、先ずないと思います。あの距離で無いにしろ、全力疾走して違和感の無い状態というのはありえないでしょう」
その事実に気付いていない訳では無かったらしく、小池班の面々は渋い顔を見合わせている。
「他の移動手段も考慮に入れるべきでは無いですか?例えば、自転車とか」
「その前に」
ぽつり、と挟まれた透弥の声に、皆の視線が一気に移る。
透弥は、無表情に彼らを見つめ返しつつ、さらりと言う。
「被疑者を杉本に絞るのなら、犯行時にどうやって出入りしたのかを明らかにすべきでしょう」
それは明らかに、冷水と変わらぬ効果を小池班に与える。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □