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邦人の
 の岩泉

一瞬、目があったかどうか。
次の瞬間には、男は旅人の胸ぐらを掴んでいた。
「てめぇ、俺が必死で走ってるのが、そんなにおかしいか?!」
「あなたのことを笑っていたのかどうか、確認もせずにそれでは、進む話も進みますまい」
静かに切り返されて、男は虚をつかれたらしい。
男がこんなことをすれば、怯えてひたすらに頭を下げるか、食ってかかって男の怒りに油を注ぐかのどちらかしか、今まで無かったからだ。
格好と同様、旅人は男が知る者たちとは、一線を隔しているらしい。
そう思ってよくよく見れば、旅人は変わったモノを手にしている。
男は、思い直して、旅人から手を放す。
そして、男にして初めて、軽く頭を下げた。
「少し気が立って、乱暴なことをした」
本当のところは、乱暴の方が常日頃の彼を支配しているモノなのだが、いまはそうも言っていられない状況だ。
それから、旅人の左手へと視線をやる。
「その中には、何が入る?」
形は鳥かごにそっくりだが、その柵の間隔はひどく広い。
小鳥だけではなく、たいがいの動物は逃げ出すことができるだろう。
「あなたの望むモノを、なんでも」
男は、少し面食らったように、問い返す。
「俺が望むもんを、なんでも?」
「例えば、届かぬ相手の想い、やり直したい時の流れ、あなたにそういうモノがあるでしょうか?」
旅人は、高くも低くもない、それでいて音楽のような響きの声で言う。
男は、じっと旅人の瞳を見つめる。
いままで男が、こうして生き延びてこられたのは、人の瞳にこそ真実があると知っていたからだ。
自分をたばかろうとしているのか、そうでないか。
全ては、瞳の中にある。
やや、しばしして、男はもう一度、尋ねる。
「本当に、なんでもだな?」
「それが、私の仕事ですから」
男は、少し目を細める。
「カゴの中に入ったモノは、どうなる?」
「消し去るも、あなたの手に渡すも、あなたの望むままに」
「…………」
男が、こうして走り回っているのには、理由がある。
たった一人、男がなにをして戻っても、責めぬ女がいた。
己を産み落とした母親でさえ、罪を犯すのはやめてくれと泣いてばかりであったのに。
彼女の元へと行くと、彼女はいつも言った。
おかえりなさい。
泣かぬばかりか、彼女は微笑んでくれたのだ。
今日も、生きて帰ってくれて嬉しい、と。
そして、男と女の間には、一人の子が生まれた。
奇妙な気がした。
多くの人間を、この手で殺めた自分に、命を授かるとは。
それでも、男は自分がしてきたことを止めることは出来なかった。
人を殺し、その財を奪うということを。
それでも、女はなにも言わなかった。
子も、自分が帰るたびに笑いかけてきた。
その、もみじの手をいっぱいに広げて抱いてくれとせがんだ。
涙しながらも、迎えてくれる母を失った男にとっては、たった一箇所の帰る場所となった。
その帰る場所が、奪われようとしている。
突如、この国に覆いかぶさるようにして襲った流行り病。
患者が多すぎて、薬の数が無い。
男が帰った時には、すでに女は虫の息であった。
それでも、必死の力で祈ったのだ。
子供だけは、助けて欲しい。
ただの一度も、男になにも願ったことの無い女の、たった一つの願い。
子供も、流行り病におかされていた。
それでも、子供は男を見て、そのもみじの手を伸ばしてきた。
抱いてくれ、と言うように。
男は、走った。
だが、どこを巡っても、薬は無い。
日に日に、子供は弱っていく。
もう、この国で薬を待っていては、間に合わぬことを男は知っている。
「俺の命を」
男は、叫ぶように言った。
「俺の命を、そのカゴに捕らえてくれ。そして、あの家で寝込んでいる子供に……頼む!」
我知らず、男は土下座していた。
「俺は、いままで何人もの人間を殺してきた男だ。それが、こんなことを願うのはお門違いと重々知っていて頼む。お願いだ、あの子の命を、助けてやってくれ」
肺腑から、搾り出すような声。
だが、旅人からの返事は無い。
男が、嘆願する瞳で見上げる。
旅人は静かに首を横に振った。
「申し訳ありませんが、それは、出来ません」
「なんでだ?俺の望むモノなんでもと、言ったじゃないか?!」
旅人は、男をまっすぐに見つめながら、静かに告げる。
「なぜなら、あなたの命は、あなたのモノではないからです」
「な……に……?」
「納得いただけますまいから、お見せいたしましょう」
さっと、右手が動く。
ごう、と風が吹く。
思わず目を閉ざしそうになるが、なにか映像が見えて、男は必死で目を開けた。
声が、微かに聞こえる。
「この年寄りの命を、あそこで寝てる男に上げて欲しいんだよ」
びくり、とする。
必死で声を上げているのは、母ではないか。
あの光景は知っている。
仲間に裏切られて、虫の息で倒れこんだ日だ。
「確かにあの子は、この国中を上げて追っている強盗だよ、何人もの人を殺してもいる……だけど、だけど、私の息子なんだ、生きて欲しいんだよ」
そして、風は止まり、映像も止まる。
だが、男は大きく目を見開いたままだった。
あの日、自分が助かったのは。
母が、自らの命を分け与えたからだったのだ。
なのに、自分がしたことといったら。
男は、笑い出す。
「俺は、人の命でくだらねぇことやり続けてきたってわけか!」
なるほど、女も子供も死んでいくわけだ。
まさに、お似合いではないか。
男の笑いは止まらない。
その目から、とめどなく涙がこぼれ続けた。

翌日。
領主の城は、大きなざわめきに包まれた。
いままで、どのような捕り手を差し向けても、見事すり抜け、捕えられることのなかった大強盗が、自ら出頭してきたのだ。
いますぐ切り捨てろ、といきり立つ民衆の中で、男は声を張り上げる。
「領主に会わせろ!自首した者には、その権利があるはずだ!」
この一帯で、最も賢きと名高き領主の配下は、その通りと頷いて領主へと取り次いだ。
自ら現れた領主へと、男は怒鳴る。
「自首すれば、罪一等を減じられるはずだな?!」
「まさに、その通りだ」
頷いてから、領主は首を傾げる。
「だが、そなたの場合は、死を一等減じれば一生涯の労働が待っているぞ?死を望むほどの」
「構わねぇ、俺は、死にさえしなきゃ、構わねぇ!」
吠えるように、男は言い返す。
「わかった、では法の通り、罪を一等減じよう。そして、自らの罪を省みた者には、ひとつ望みを言うことを許しておる。なにかあるか?」
男は、女の家の場所を告げる。
「そこに、女と子供が一人ずつ死んでる。手厚く、弔ってくれ」
「承知した、すぐに行け」
配下を送り出し、そして、改めて男へと向き直る。
「そなたへと与える労働は、岩盤の下の井戸掘りだ。これが出来れば、もうこの土地は他から水を分けてもらわぬでも生きていくことが出来る……流行り病の薬にも、困ることはなくなろう」
「力なら、自信があらぁ」
男は、にやり、と笑う。

言葉通りに、男は黙々と井戸を掘り続けた。
爪が割れ、指の形が変形しても、なお。
時折、領主自ら、様子を見に現れた。
「問うても、よいか?」
「ダメだといっても、問うんだろう」
その手を休めることなく、男は答える。日の当たらぬ場所で、休むことなく働き続ける男は、往時の姿を想像が出来ぬほどに老け込んでいる。
そうなってもなお、まったく弱音を吐くことなく岩を崩し続ける男に、領主は興味を持ったのだ。
「なぜ、自ら縄を受ける気になったのだ?」
「……こんな人間でも、無償に想ってくれる人間が、いたってだけだ」
「……そうか」
領主は、それ以上は問わなかった。
聡い領主には、それで充分にわかったのだ。
「私は、この井戸をそなたが掘ったのだということを、忘れまい」
そして、領主は去った。

領主の城へと足を向けてから、何ヶ月が経ったのか、何年が経ったのか、男は知らない。
それを考えることも、出来ない。
なぜなら、男は倒れ付していたから。
その頬に、しんしんと湧き出てくる水を感じながら。
自らが削り続けた岩の上で息を引き取った男の顔には、笑みが浮かんでいた。
それを見届けて、旅人は歩き出す。
城から、もう充分離れた頃に。
ふわり、と肩に空に溶けそうなくらいに青い鳥が舞い降りる。
その羽といい、翼といい、美しいという表現が相応しいが、その足にある爪は細くはあるが鋭い。
鋭利な刃物のように。
鳥は、少し爪に力を入れる。
「愛情を伝えたね?」
そうでなければ、なぜ、殺すことしか知らぬ男が、助けることを望むのか。
「私がそんなことをするように見えるのか?」
本来の彼が、少し、顔を出す。
人を見届ける為に、鳥と旅することを決めた彼。
だが、揶揄するように鳥は言う。
「さて、どうだろう?」
「天藍」
静かだが、厳然とした声。
誰が主人であるのかを、はっきりと告げる。
鳥は、びくり、と肩をすくめる。
「ああ、そうだったな……そんなことはしないね」
「己の命を削って、あの男にやったんだよ」
「愛情が、こもっていないわけがない……か」
鳥は翼を大きく広げる。
「あの井戸は、いつまでも残るのだろうね?」
「そうだな、彼女たちの愛情も、彼の想いも消え果た後も」
空に舞い上がった鳥を見上げ、旅人は静かに告げる。
「次は、どんな依頼人がくるやら」
鳥は羽ばたき、また、旅人は歩き出す。


2003.02.23 A stranger with a cage 〜A gray rock well〜

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