13 □ 心の色 side Friend
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これから築き上げられる新たな帝国のための宮殿は、偉容を誇っている。
が、その玉座は座する者の趣味を反映してか、実に質素だ。
金の飾りか、せめても螺鈿を、との上奏に、ケツが痛くなるからまっぴら、とすげなく却下を食らわせた新たなる皇帝となった男は、今、実に面倒そうに眉を寄せている。
「で、そのクソ長ったらしい文章の要旨は何ですか」
「ですから、それは」
言葉に詰まった老官の前で、皇帝は玉座に膝を立て、ひじを乗せて冠の玉を払う。
あらわになった大きな目にはっきりとした不快を見て取り、老官は身を縮める。
「内容も把握せんで持ってきたのですか」
「いえっ、そのような」
「ならば、とっとと述べて下さいよ」
これ以上迷えば、このまま無かったことになるのは必定だ。老官は、意を決した顔つきで口を開く。
「大将軍に、謀反の疑いでございます」
「ほう」
皇帝は面白そうに目を細める。
「これで何度目だったかな」
半ば独り言のように呟きながら、袖の中を探る。
「ところで老師に質問があるのですが、謀反の上奏文には何か厳格な定めでもありますか」
「火急の件にそのようなものがあろうはずが」
素直に返しかかった老官は、いくらか不信そうに眉を寄せる。
対称的に、皇帝は顔に笑みが浮かべ、手にした書状を軽く振る。
「ここ最近、大将軍謀反の疑いを上奏するのが流行なんですが、実に個性に欠けるんですよ。ついでに火急とも思い難い」
「恐れながら、拝見してもよろしいか」
「無論」
差し出された書状の束を手にし、読み下していく顔つきは官のものでは無い。皇帝となった男を始めとする勉強嫌い共を一手に引き受け、見事一通り以上の教養を仕込んで見せた師のものだ。
当然、手を抜いて他人の文章を引き写すなどという所行は見逃さない。こめかみのあたりが、数回ひくつく。怒り出す寸前という印だ。
「儂が持参したものが元、これが二番目、これとこれは姑息に字体を変えておるが同じ人間の手、これは二番目からの写しじゃ」
皇帝は楽しそうに手を打つ。
「さすが老師、そこまではっきりとはわからなかったですよ。衛長!」
「お呼びで」
人払いをされていた玉座の間に、もう一人が加わる。
「老師も上奏文持参仲間に入られたぞ、訊きたいことはないか」
「ございます」
歯切れ良く返した若き青年官吏は、皇帝へと頭を下げてから老官へと向き直る。彼もまた教え子であるので、師への礼を取りつつ頭を下げる。
「老師には、二年から三年ほど前に征西将軍より紹介された者を雇われませんでしたか。それなりに使えるはずだ、などという触れ込みがあったりは」
視線を上げた老官は、苦々しげに付け加える。
「そして、なかなか小利口で使える男」
少しずつ人の懐へと入り込み、信頼を得たと見てから動きを取り始める。
「埋伏の毒には、うってつけの人材じゃな」
「腰を据え方やら、老師には写しを持っていかないとかという細かさは学ぶべきですがね、写しがバレバレな上奏文はいただけない」
玉座に膝を立てたまま、皇帝は、ふん、と鼻を鳴らす。
「その時間ですが、諸刃だったのではと存じます」
真面目くさった表情で皇帝へと向き直ったのは、衛長と呼ばれた青年官吏だ。再度紙面へと目を落とした老官も頷く。
「積極的に追い落とそうという意思が感じられんな」
「おおよそ、家族を質に取られているなどといったところだろうよ」
なあ、と役職名でなく、名を呼ばれた青年官吏も、に、と笑みを浮かべる。
すでに、詳細な情報を握っているのに違いない。そういう男だ。
「裁量は任せる」
「お任せを」
わざとらしいくらいに大仰に頭を下げてから、同窓の悪友の顔で首を傾げる。
「ご信頼ついでに伺いますが、なぜ最初から気付かれたんです?」
「最初、とは?」
首を傾げた師へと、衛長は肩をすくめてみせる。
「今回の一連の最初って意味です。上奏の一回目ってことですね」
「二通目でなく?」
ほぼ同一の文章が来る前に、誰かの陰謀と気付いていた。二人の視線を受けて、皇帝は闊達に笑う。
「簡単だ、アイツが謀反ってのがありえない」
あまりにあっさりと言い切るものだから、自然と老官と衛長の顔にも笑みが浮かぶ。



乾いた北風が、足元までもある青の外套をはためかせ、大きな音を立てる。
が、その中にまぎれたはずの足音を聞き逃さなかった彼は、切れ長の視線を巡らせる。
「何だ」
思っていたより早くに気付かれ、萎縮したように壮年将校は身をすくめつつも口を開く。
「大将軍にお尋ねいたします。本日の軍議での件は確定でありましょうか」
大将軍と呼ばれた青い外套の青年は、無表情のまま尋ね返す。
「どの件だ」
確かに軍議で評議される議題は一つではないが、今日に限れば意地の悪い質問だ。将校は困ったように顔をこわばらせて、視線を落としてしまう。
が、ここで黙っては元も子もないと思い直したのだろう、いくらか小さな声で言う。
「その、北東へと更に進む件であります」
「戯言でそんなことが決まると思うのか」
北で踏ん張っていた抵抗勢力制圧の為の出陣だ。目的は達せられ、今日の軍議では誰もが凱旋を宣言されると信じきっていた。
が、これまでの戦の疲れをねぎらった大将軍は、このまま北東の征伐に向かうと言い切ったのだ。
それは、相談ではなく決定だった。
士気も兵糧も充分に足りている、という言葉に異議を差し挟む者は無い。実に鮮やかな指揮の下、大将軍の戦には慣れている者でさえ瞠目するほど見事な勝ち戦の連続だった。
それでもまだ、兵たちには緊迫感が保たれている。これもまた、大将軍の統率力の表れだろう。
勝ち戦の余勢をもって、北東も制圧する。
都への往復の労力と兵糧の消費を思えば、実に順当な作戦と言える。
一点の、大きな懸念事項を除けば、だ。
「北東へと向かえば、陛下とのお約束に間に合わなくなります」
「約束?」
「宮殿の落成式典で共に杯を上げると」
不信そうに眉根を寄せた大将軍へと、将校は必死の視線を向ける。
北征の断が下された時に、皇帝が尋ねた。
「どれほどかかりそうか」
「およそ三百日」
響くように返したのは大将軍。
「その頃には、都の再建も目処がついてるな。よし、落成と凱旋の祝いを一緒にするぞ」
決まったとばかりに手を打った皇帝は、にやりとして付け加えた。
「遅れるなよ」
「承知」
大将軍は、滅多に見せない笑みと共に返した。
多くの人間の前でなされたそれは、すでに友人同士のたわいない会話では無い。帰還期限を公式に宣言したも同然だ。
無論、戦に不測の事態はつきものだ。何らかの事情で北方征伐が長びいたのなら、都側からも文句は出るまいが。
「お約束を違えれば、大将軍が長く都を離れているのをいいことに、陛下に余計なことを吹き込む輩が出ましょう」
確信の口調で言う将校へと、大将軍は無表情に返す。
「お前、妻か子か、長患いをしているだろう?」
進言とはかけ離れるもいいところの問いなのに、将校はひどく狼狽した顔つきになる。
その表情を見ているのかいないのか、飄々と大将軍は続ける。
「不安はもっともだ、他にも同じことを思う者もあろう。お前、都へ使者と立て」
「お使者に、私がですか?」
「長距離の移動で苦労はかけるが、家族の見舞いが出来るということで許せ。伝言は口頭で構わん。いいか、言うぞ」
皇帝への使者といえば、それなりの信頼がおけなくてはならないはずで、自分のような人間であってはならない。が、口を挟む隙も無く、将校はおろおろとした顔になる。
「予定通り、北東も抑えて帰る。ただし、帰るのは百日遅れる」
あっさりと紡がれた言葉に、今度は目が見開かれる。
「百面相もいいが、覚えたか。簡単だろう」
「は、はい、ですが」
予定通りとはどういうことか、と訊き返しかけた言葉は、喉元で霧散する。
皇帝と大将軍は、主従である以前に同窓に学んだ親友だ。幾多の苦楽を共にしてきた仲間は多いが、中でも最も信頼しあっている。というより、仲がいいという表現が、最も合っている。
後宮へと赴くよりも、親友と飲み明かしている方が多いとさえ言われる皇帝だ。二人だけで交わした話は、数知れまい。
北東制圧まで行うことも、はなから予定に組み込まれていたのだろう。帰還が百日遅れることも、折込済みに違いない。
一見矛盾するが、伝言さえ伝われば、皆、公に納得するというだけだ。
少なくとも、大将軍はそう思っている。
「ですが……」
切ないくらいの思いがこみ上げてきて、将校は言葉を途切れさせる。
もう、都での工作はかなり進んでいるに違いない。そこに、こんな伝言を持ち帰ろうものなら。
大将軍は、将校の思いつめた表情を見ても、一向に無表情を崩さない。
「どうした、あんなに短い伝言が覚えられないか」
「いえ、けしてそのようなことは。予定通り北東も抑えて帰るので、帰還は百日遅れる」
「覚えているなら問題ない。明朝には出立しろ」
出立の準備を整えに行け、という意味だと正確に察した瞬間、将校は土下座をしていた。皇帝を信じきっているこの人を、どんな理由があろうと陥れることなど、到底出来ないと悟ったのだ。
「今回だけは都にご帰還下さい!どうか、この通りでございます!」
小さなため息に、将校は弾かれるように視線を上げる。
大将軍は、苦笑を浮かべて将校を見つめている。
「どこぞの誰かが、姑息な策謀をこらしておるようだな」
どういう状況なのか、わかっているのだと告げられたも同然だ。怜悧と評される男なのだから、当然といえば当然だろう。
「ですから」
「心配するな。アイツが俺を疑うことなど、あり得ない」
将校は一瞬返事を忘れる。
あまりに鮮やかな笑みに飲まれたのだ。
同時に、確信する。
ちょっとやそっとの小細工程度で、揺らぐ二人では無いのだ、と。
「だから、安心して行って来い。いつものと違うと言われたら、正直に長患いの家族がいると告げることだ。まともな医師を紹介されるだろうよ」
まともな、という単語に、再び目を見開く。
「おおかた、いい医師がいるとかと誰やらに紹介されたのだろう。借金せねば追いつかぬほどの法外な金子を要求する医師とやら、本物か怪しいものだな」
何もかもを知り、その上で責めることなく助けの手を差し伸べてくれている。
そうとわかり、こみあげる嗚えつを堪えて平伏する将校へと、冷静な声が続く。
「地面にはいつくばってる暇は無い。明朝、早くに発ってもらわねばならん」
「はっ、必ずや、お預かりしたお言葉を陛下にお伝えいたします」
涙声になりそうなのを必死に堪え、将校は立ち上がる。
将校が立ち去ったのを見届けてから、大将軍は再び視線をめぐらせる。
空には、満天の星。
愚かな者たちは、実際の距離があれば、心の距離も離せると思っているらしいが。
心底愚かだ、と彼は思う。
星がある限り、どんな言葉もどんな策も、二人を引き裂くことなど出来ないのだから。
再び、風が外套をはためかせる。



「また、星を見てるのか?」
男の声に、切れ長の目が振り返る。
「ああ、都はまた一荒れする」
「またか、今度も誰が裏切るとやらか」
陰謀やら策謀やらというのが苦手と言ってはばからない男は、面倒そうに肩をすくめる。
切れ長の彼の目が、いくらかおかしそうに緩む。
「そう、北の空の、あの星だ」
面倒そうなのに、彼の指す方向を素直に男は見上げる。
「アレか?嫌な色だな」
「将軍に疑われていると信じきっている色だ」
「で、殺られる前にってわけか」
うんざりだ、と男はもう一度肩をすくめる。
「苦労を共にして、死なばもろともと誓い合ったんだろ。俺でも知ってる美談だぞ」
「権力と金、それが絡めば人は猜疑心が強くなる。間に余計なことを言う人間が増えるから、尚更だ」
それが普通だと言わんぱかりの彼に、男は眉を寄せてみせる。
「そんなことになるなら、天下なぞ取っても意味が無い」
「それは駄目だ、お前は皇帝の器なのだから」
きっぱりと言い切って、彼は男へと向き直る。
「間違った者が皇帝として立てば悲劇だと、身を持って知っているだろう。逃げることは許されん」
「だからってなぁ、お前、こんなのばっかり毎晩毎晩見せられてみろよ」
唇をとがらせて、男は空を指す。
「ほら、アレだって、危ない色がかかってるぞ。あんなんに囲まれる立場になぞ、誰がなりたいもんか」
「ほう、アレが見分けられるようになったか」
彼は目を細める。
「ところで、お前自身の星を知っているか」
「知らないよ、前に訊いたらはぐらかしたじゃないか」
男は、更に唇をとがらせる。彼は笑みを浮かべたまま、今度はあっさりと空を指す。
「アレだ」
それは、見事なくらいに澄んだ色の星。
「アレが?」
「ああ」
思わず問い返したのに、彼は頷き返す。
男は、いくらか不審そうな顔つきのまま、更に問う。
「じゃ、お前のは?」
「その、隣の」
つい、と指が動く。
そちらもまた、澄んだ色だ。
いつもいつも、彼が指し示していたどの星とも違う、美しい色にしばし見入る。
「星は讒言など、映さない。ただ、心の奥底を色にするだけだ」
彼の言葉に、思わず隣を見やる。彼は、視線を受けても空を見上げたままだ。
男は、やっと気付く。
反吐が出そうな話ばかりを、空を見上げながら、なぜ、彼が続けていたのかを。
「皇帝を目指せば、権力と金がついて回って、ついでに距離も開くこともあるだろうな」
「当然だ」
「引き裂こうと画策する人間も」
「それこそ、うんざりするほど現れるだろう。力がつけばつくほどに」
彼は、残酷な予測を淡淡と告げる。
が、男は不快になった様子も無く、同じように空を見上げる。
「都の連中は、自分じゃ星見はしないのか」
「専門官がいるから、詳細を知る者は少ないだろう」
「師も必須とは言わないもんな」
寝る間も惜しまねばならぬほどに学まねばならぬことは多いのに、それでも彼は毎晩のように空を見上げる。
魑魅魍魎達の化かし合いを、愉快ではないと言い切る男に指し示しながら。
「人に策を弄せても星には手を出せない。星を見ればいつでも心はわかるってわけか」
言ってから、に、と笑って隣を見やる。
「まだ一兵卒すら率いてないのに対策か」
「星見は実践しなくては身につかない。覚えるべきことも多い」
日夜語り合う話は、夢想や理想ではない、させないと彼は決めている。
いつも無表情な切れ長の瞳に、これほどの熱情が宿っていることを、何人が知っているだろう。
「皇帝に相応しいのはお前しかいない。お前が俺を信じる限り、剣となり盾となる」
「剣でも盾でもその他でも、好きなの選んでくれて構わないけどさ。俺の最も大事な友ってのだけは変わらないからな」
男がきっぱりと返すのに、彼は笑みを返す。



何年もが過ぎ去り、今は、こんなにも距離は離れているけれど。
都で見上げる星も、北の陣営で見上げる星も、変わらず澄んだ色で煌いている。





2008.11.11 Sworn F 13 -Color of the nucleus. side Friend-

■ postscript

都と、遠く離れた北の地と、「距離があるゆえ」讒言をする小人も数多く現れる。
けれど、それに揺さぶられぬ心を確かめられさえすれば。

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