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 始降  モハジメテフル

マントを羽織って馬を御しているリフの傍らに、毛布に包まったニールが顔を出す。
「うーわー、確かに言ってたとおり、だいぶ冷えてきたねぇ」
「ニールは寒がり過ぎだろ?こんなにくるまってさ」
毛布の端から顔を出したのは、ベックだ。
リフの肩の上で、呆れたようにポリアンサスが肩をすくめる。
「人のこと言えないでしょお?一緒になってくるまっちゃってるんだから」
「ポリーもね。マントなんて新調してるし」
言われて、ちらり、とポリアンサスはベックへと視線をやる。
「あぁら、人の体温頼りの人よりは、ずっといいんじゃないかしら?」
「言ってくれるじゃないか」
無言で馬車を進めるリフと寒そうに身を縮めているニールをよそに、小さな二人の間の空気は険悪だ。
さらにベックがなにやら言おうと口を開いた瞬間。
「くしゅっ」
可愛らしいくしゃみとともに、奥の方から起き出す気配がする。
「さすがに、そろそろなにかかけないとダメね……」
あくび交じりの声のする方へと、リフ以外の誰もが注目している。
視線に気付いたのだろう、アイリーンは眠そうな目を三人へと向ける。
「なぁに?」
ニールが、ぼそり、と答える。
「……いや、ここまで冷えるまで目覚めないってのは、さすがだと思って」
「ふもとからここまで、よく同じ格好で眠れると思って」
「ちょっと、アイリーンのこと見直したなぁって思ってぇ」
先ほどまでの険悪さはどこへやら、ベックとポリアンサスも口々に言う。
アイリーンは欠伸をしつつ、薄い毛布を引っ張り出しながら頷く。
「あ、そう」
そのまま、またくるまって眠ってしまう。
「風邪、ひかないか?」
さすがに少々心配そうになったベックの問いへの答えは、気持ち良さそうな寝息だ。
くすり、と笑ったのはニール。
「ま、大丈夫だろ。寒いのには強いし」
「ニールと反対ねぇ」
ポリアンサスも、くす、と笑うとまた、前へと視線をやる。
「まぁ、寒いのは高度のせいだけじゃないけどねぇ」
「だね、まだ距離がありそうなのに、こんなに冷えてくるのはスゴイや」
ベックも、毛布を掴んで軽く震え上がる動作をしてみせる。
「それだけ、溜まりに溜まっているということだろう」
軽く手綱を動かしながら、リフが口を挟む。
「ホントにねぇ、ここまでスゴイと、迷いようが無いよねぇ」
さすがのポリアンサスも、少々苦笑気味だ。
「ま、良く寝とくのがいいんだろうな」
あまりに気持ちよく寝ているアイリーンを見ているうちに、なにやらニールも眠気をもようしてきたらしい。幌の中へと入り直して、大欠伸をしながらの声は、かなりマヌケな響きだ。
「今回は、またけっこう体力消耗しそうだし……」
語尾がよれて、そのまま眠りに落ちていったようだ。
ついで、ニールの欠伸がうつったかのようにベックも欠伸をする。
「ほーんとほんと、よく寝とこう」
勝手な理論を呟いて、彼も眠ってしまったようだ。
それを見届けて、ポリアンサスは再びリフの肩へと戻る。
「まーったくもぉ、二人共勝手なんだからぁ」
ほんの微かに、リフが首を傾げる。
「アイリーンはいいのか?」
「だぁって、寝てなかったら、アイリーンじゃないもの」
ポリアンサスの言葉に、リフの口の端が持ち上がる。
「そりゃあ、正しい理屈だな」
「でしょぉ?」
満足気に、ポリアンサスは頷いてみせる。
馬車は、まだまだ続きそうな山道を馬の足取りだけは軽快に進んでいく。

いくらか、上り坂よりも下り坂が多くなり始めた頃。
ぺしぺし、とポリアンサスはニールの頬を叩く。
「ほぉら、いつまでも寝てないの、起きてぇ」
「んー?」
薄く開いたまぶたは、すぐに持ち上がる。
浮かんだのは微苦笑だ。
「これは……」
「濃縮済って感じだね」
ベックも毛布の間から顔を出す。
「もぉ見えて来てるもの」
ポリアンサスの言葉に、ニールはまだ寝息をたてている方へと振り返る。
「ま、起こさなくても大丈夫だろ」
「そぉね」
ポリアンサスが頷いたところで、リフが呼ぶ。
「ポリー」
「はぁい」
幌から顔を出したのは、ベックの方が先だ。
「ああ、ネルは慣れてないもんな」
呟く間に、ポリアンサスが栗毛の馬の鼻先へと身軽に行く。
「大丈夫、ね?」
軽く手を置きながら言い、小さく首を傾げる。
進むのをためらい気味だった一頭が歩き出したので、山道とは思えぬ速度で馬車は動き出す。
「ポリー、振り落とされるなよ」
「しっつれいねぇ、誰に言ってるのよ」
言葉どおり、山道を早足で行く馬の振動など無いかのごとくリフの肩へと戻る。
「こんな状態じゃ、入るも入らないも無いけど」
ニールの肩の上で、ベックが苦笑を浮かべる。
「そろそろ『入る』ぞ」
「はぁい」
にっこり、といつもの笑みをポリアンサスが浮かべ、ニールとベックも口元に笑みを浮かべたまま前を見やる。
いつの間に起きたのか、薄手のローブをまとったアイリーンも、まっすぐに馬車の進む先を見つめる。
「やりがいありそうだね?」
ニールの言葉に、アイリーンは軽く肩をすくめる。
「やれる限りをやるだけだわ」
に、とニールの笑みが大きくなる。
「そりゃ頼もしいね」
全くスピードを落とすことなく、馬車は目的地へと進む。

入り口となる場所で、長い棒を手にした男に止められる。
「旅のお方、このカーフィリーにお寄りになられるのか?」
リフが、軽く首を傾げて告げる。
「今日中にこの山を越えることは難しそうです。一晩過ごすことをお許しいただけるとありがたいが」
男はいくらか考えるように首を傾げてから、リフを見上げる。
「今晩、この町ではフェスティバルがあるのだが、来てもらえるサーカスが見つかっておらん。あなた方に心当たりはあるか?」
す、とそこら中の空気が凍てついたように止まる。
まるで、町全体がリフの答えを待っているかのように。
同時に、気温も一気にぐっと冷え込みを増す。
幌の中で、ニールは思い切り毛布をかき寄せる。ベックも、その隙間のより深いところへと身を沈める。
皮肉っぽい笑みを浮かべたのは、ポリアンサスだ。
声を潜めてアイリーンの耳元に囁く。
「何百年分かの思いが積もり積もってるねぇ」
じっとリフの背の方を見つめていたアイリーンは、視線だけをポリアンサスへと戻す。
そして、ほんの微かな笑みを浮かべる。
ポリアンサスの顔に浮かんでいた皮肉な笑みは、花のような笑みへと変化する。
棒を横に構えたまま、リフの目を覗き込むようにして見つめている男へと、リフは笑みを向ける。
「サーカスをお探しですか?それは私たちにとっても良いところへ来たようです」
「良いところへ?」
いくらか怪訝そうな表情で男は尋ね返す。
「ええ、ほんの小さくはありますが、私どもはマジック・サーカスを生業としております。ささやかではありますが、今晩のフェスティバルに色を添えることが出来るのならば幸いです」
男は喜ぶどころか、その顔に不信を浮かべる。
「あなた方が?本当に?」
「嘘をつくような連中と共に旅してると思われるのは業腹だな」
リフの肩の上にいきなり現れた者に、男の目は見開かれる。
「小さい人……」
「へぇ、俺らのこと、知ってるんだ?」
にやり、とベックは笑みを浮かべる。
「じゃ、わかってるよね?ラオシア・マジック・サーカスは、俺らが信用する立派なサーカスさ」
ぽかん、とした顔つきになっていた男は、米搗きバッタの如く何度も何度も頷く。
「知ってるとも、知っているとも……ああ、本当に……」
目尻に涙を浮かべながら、棒を取り除け振り返る。
「おおい!サーカスが来たぞ!」
ざわ、と町の空気が揺れる。
「どうぞ、お通りあれ」
リフが手綱を操り、馬車は動き出す。
幌の中で、誰からとも無く顔を見合わせる。
毛布から、すっかり顔を出したニールが、口の端に笑みを浮かべる。
声を出さず、唇の動きだけで言う。
「第一関門突破ってわけだ」
ポリアンサスとアイリーンは、力強く頷く。

町の大人たちに導かれるようにして広場に案内され、馬を離してテントを作り始めても、表立って寄ってくる子供はいない。
そこかしこで物陰からそっと覗いている視線はあるのだが、近寄る勇気が無いらしい。
だが、何が始まるのかという好奇心は空気で伝わってくる。
幌の中で様子を見ていたポリアンサスとベックは、どちらからともなく顔を見合わせる。
に、とどちらからとも無く笑みを浮かべると、幌から飛び出してアイリーンの肩へと乗る。
「ねぇねぇ、アイリーン」
「アレやって、アレ」
満面の笑みで両肩から覗き込む二人に、馬に水をやっていたアイリーンは目を丸くする。
が、自分にしか見えぬように走らせる視線に、なにを言いたいのかを察したらしい。
軽く肩をすくめる。
「ダメよ、まだ夜が来ていないもの」
子供たちの方は、現れた小さい人に興味津々らしい。
空気が、さわさわと揺れる。
ベックは頬を思い切り膨らませる。
「いいじゃないか、余興だよ余興。たまには予告編があってもいいじゃんか」
アイリーンは、いくらか考えるように首を傾げる。
「でも、リフには本番以外は見せるなってキツク言われてるわ」
「見えなきゃいいだろ、ほら、ここなら馬車の影だしさ?」
無論、アイリーンとて本気でごねているわけではない。もったいぶっているふりをしているだけだ。
ちら、と本当に影になっているかを確かめるように視線を走らせてから、いくらか困ったように微笑む。
「仕方ないわね、ヒトツだけよ」
「わーい」
ベックがはしゃいで拍手すると、つられるように周囲からも拍手が聞こえてくる。
目を丸くして、慌てたように唇に指を立てて見回すベックに、周囲は一気に静まり返る。
だが、それは嫌な空気を醸しているわけではない。
これで、ベックと隠れている子供たちは共犯だ。
アイリーンのアレを、今か今かと待っている。
「あそこの子、いっちばん奥に隠れてる」
反対側の肩にいるポリアンサスが、一人を指してみせる。
視線だけで確認したアイリーンは、ほんの微かにだけ頷く。
そして、両方の手のひらを思い切り広げて、ベックを見やる。
「さ、私の手にはなにもないわね?」
ひらひらと表裏にしてみせるのに、ベックが大きく頷く。周囲の空気も、頷いている。
ぱん、と音を立てて、アイリーンは両の手を打ち鳴らす。
離れた手のひらの間から、鮮やかなオレンジ色のハンカチがふわり、と現れる。
隠れている子供たちが息を飲むのがわかる。
ハンカチは、なにかに導かれるように、ふわり、と持ち上がる。
それを追いかけるように伸ばしたアイリーンの指先が届きそうに鳴った瞬間。
ハンカチは、消えてしまう。
子供たちが、固唾を飲む。
アイリーンは、不思議そうに首を傾げる。
「あら、嫌だわ。どこに飛んで行っちゃったかしら?」
「うーん、どこだろ?あっちかなぁ?」
ベックが、ポリアンサスが指した方を指す。
「あっち?」
「うん、そんな気がするな」
アイリーンが確認するのに、ベックは大きく頷く。
「じゃ、探してみましょう」
言葉どおりに歩き出したのに、向かってくる先の子供は凍りついたように動けないでいる。
にっこりと微笑んだまま、アイリーンは手を伸ばす。
「ごめんなさいね」
小さな少年の帽子を持ち上げるのに、誰もが注目している。
「あら、ここだったのね」
ふわり、と先ほどのオレンジ色のハンカチが揺れる。
「ええ?!」
少年は、ごく側に知らぬ人がいることよりも、自分の帽子からハンカチが出てきたことの方に驚いてしまい、目がまん丸だ。
「このハンカチ、アナタのことが好きなのね、きっと。もらってくれるかしら?」
アイリーンに小首を傾げられて、少年は目を見開いたまま、かすれた声で問う。
「え?ホント?いいの?」
「ええ、だってハンカチがあなたのことが好きって言ってるんですもの」
にこり、と頷かれて、少年の頬がふわりと染まる。
「だ、だいじにする」
「嬉しいわ」
差し出されたハンカチを、少年はそっと受け取る。手品用に出来たソレはひどく薄いが、ほんわりと柔らかい。
こわばった顔のまま、ぎゅっと握り締める少年の頭に帽子を戻すと、アイリーンは背を向ける。
アイリーンが離れた、となった途端に、わっと子供たちが少年の側に集まるのがわかる。
「すごい、お日様色だ」
「あったかいなぁ」
「いいなぁ」
さざめく子供たちの声を背後に、ベックがそっと尋ねる。
「いつも赤なのに?」
「馬鹿ねぇ、赤はダメよ」
答えたのはポリアンサスだ。ベックが、軽く頬を膨らませる。
「なんでさ、ポリー」
「あの子達にとって、赤は血の色だからよ」
ぽつり、とアイリーンが呟くように言う。
「あ……」
「そういうこと、よぉく考えてから言いなさいよね」
ポリアンサスが、肩をすくめる。
馬たちの側に戻ったアイリーンたちを、リフが呼ぶ声がする。
「テントが仕上がったぞ」
「はぁい!」
答えて、アイリーンは走り出す。

空には夜の帳が降りるが、地上は光に包まれる。
フェスティバルの始まりだ。
たくさんの店が立ち並び、人々が笑いさざめきながら行き来する。
色とりどりの光の正体は、小さな灯かりの周りに薄い布を巻きつけて作ったもの。
数々の店が売るのも、手作りのオモチャやお菓子たちだ。
それでも、親に手を取られた幼い子は目を輝かせて周囲を見回し、数人のグループで走り回る子供たちは思い思いのお菓子を手にしてはしゃいでいる。
たくさんの寄り道をしながらも、皆が向かう先にあるのは大きなテントだ。
昼間に忽然と現れたマジック・サーカスがなにを見せてくれるかと、大人たちは半信半疑、子供たちはちらりと見たお日様色のハンカチのマジックに期待で胸を膨らませながら。
子供たちはただで、大人たちは形ばかりのお金を払い、席はどんどんと埋まっていく。
自由に歩き回っていた人々がテントへと消えると、店も次々としまわれはじめ、やがて町は明るいながら誰の姿も見えなくなる。
皆、テントの席に収まったのだ。
この町に住む人が、それだけ少ないということでもある。
「おっきな街じゃなくて良かったねぇ」
とは、ポリアンサスの弁。
リフは薄い笑みを浮かべる。
「それでも、どうにかなるさ」
「それはそうなんだけどぉ、でもやっぱり、ゆっくり見てもらいたいじゃない」
いくらか小さくなった声での言葉に、リフは笑みを浮かべる。
「そうだな、確かに」
頷いたのを見て、ポリアンサスも笑みを浮かべる。
「さぁ、はじめるぞ」
リフの低い声と共に、テント内はゆっくりと闇に包まれ始める。
漆黒に包まれた瞬間、ライトがヒトツ。
凛々しい衣装に身を包んでいるのに、顔はピエロの青年が、にっと笑う。
「ようこそ、ラオシア・マジック・サーカスへ!」
ぱっと広げた両手が、と行きたいが、またも、というか今度は両手共に上がらない。
「れれれれ?」
慌てた様子で衣装に縫い付けられてしまった手を外すピエロに、テント内は笑いに包まれる。
やっとのことで手を自由にしたピエロは、もう一度、にっこりと観客へと笑いかける。
「大変に失礼いたしました、今晩は我らと共に夢の世界へといざ参りましょう!」
今度はポーズも決まり、彼の広げた両手の先から二頭の馬が現れる。
どういう作りになっているのか、刻一刻とカタチを変えていく障害物を乗り越えたり、潜り抜けたり。
ピエロは走りゆく馬の背に器用に飛び乗ったかと思うと、逆立ちしたり片足で立ってみせたり。
大喝采に包まれると、ピエロは、に、と笑う。
その途端に、馬の背から転げる。
驚いた顔に、悲鳴も上がった瞬間。
見事に、後から走りきた馬へと飛び移る。
またも、大喝采。
空中で見事な一回転を決めて降り立ったピエロが、得意気にポーズを取る。
が、その瞬間、手にした棒がするり、と抜ける。
一頭が器用に取り上げたのだ。
馬たちに指示する棒を取り上げられて、必死に追いかけるピエロと馬にやんやの声援が上がる。
二頭の馬の見事なチームワークに、歓声もだ。
最初以上に複雑な変化を見せる障害物たちを飛んだり跳ねたりで必死で越えるピエロにも、応援の声が上がる。
やっとのことで取り戻したピエロに拍手が起こり、ポーズを取ったところで、今度は帽子を取り上げられる。
「ああっ!」
観客そっちのけで慌て出すピエロに、またも笑い。
「ああ、もう!」
追いかけきらない、というように肩をすくめたピエロが、観客に向かい直したところで馬の方から帽子を返される。
完全に馬鹿にされて、ぽかん、した顔つきになるピエロと、してやったりという仕草の馬たちに観客は笑いながらも大喝采を送る。
その喝采に、いくらか機嫌を直した風のピエロは、に、と笑みを浮かべる。
「次は、魔法の手を持つ奇術の姫の登場です!」
台詞が終わると、またテント内は闇に包まれる。
しばしの静寂の後。
どこか物悲しげな音楽が聞こえ出すのと同時に、細いスポットが一本、落ちる。
その下には、胸に両手を交差させて佇む少女が一人。
ほんの微かにさえ動かない少女に、誰もが本当に人形か、と思い始めた頃。
ふ、と音楽が止まる。
交差した両手の、片手が頭上に、片手が空中へと差し出された瞬間。
頭にはシルクハットが、右手にはステッキが握り締められる。
そして、はっきりと瞼を開いた瞳と口元に、明るい笑みが浮かぶ。
まるで、命が吹き込まれたかのように。
わ、と歓声が上がるのと同時に、小気味いい音楽が流れ始める。
音楽と一緒に、ステッキは自由に宙を舞い、シルクハットの中からはとめどなく花があふれ出す。
あふれ出した花々は、高く舞い上がり、そして観客席へと舞い落ちる。
子供たちが、我先にと手を伸ばす。
次々と様々な色の花が舞い、子供たちが思い思いに手にした頃。
アイリーンの手からはステッキが消え、代わりに大きなカードが現れる。
「手伝ってくれる子、いるかしら?」
微笑んで首を傾げると、子供たちはまた、わっと手を上げる。
怖い人ではないことは、昼間の一事でもうわかっている。せっかくなら、アイリーンの手品を間近で見てみたい。
じゃんけんしたり、譲り合ったりで三人が彼女の側へと立つ。
一人が目隠しをされたら本当に見えなくなることを確認し、もう一人がアイリーンに目隠しをし、さらに一人が大きなカードたちの中から、一枚を選ぶ。
観客席の皆にハートのエースを見せた後、目隠しをしたままのアイリーンが持つカードの山へと戻される。
やっと目隠しを外されたアイリーンは、笑みを浮かべながら器用に大きなカードたちをシャッフルしていく。
「さぁ、どれかしらね?」
言いながら、ばらばらと広げていくと。
「あっ!」
思わず、子供たちが声を上げる。観客席からも、どよめきが起こる。
きちんと山の中に入れたはずなのに、ハートのエースだけが後ろ向きに入っているではないか。
「コレね?」
尋ねられて、皆、こくこくと目を見開いたままで頷く。
「すごい、すごい!」
「どうやってやるの?」
無邪気に尋ねる子供たちに、アイリーンは笑みをみせる。
「じゃ、もう一回やってみようか」
今度は、四人の子供がステージに並ぶ。
先ほどと同じ様に、目隠しを確認して、目隠しして、スペードのキングのカードを選んで山に戻して。
今回は念を入れて、彼女の目隠しを外す前に、子供たちの手でよく混ぜる。
それから、彼女の目隠しをはずす。
「さぁ、どれかしら?」
言いながらカードを混ぜ、広げたアイリーンはいくらか困った顔になる。
「あら?」
わからなくなったのか、と側の子供も観客席も息を飲む。
だが、アイリーンはそれに構う様子は無く、首を傾げる。
「不思議ね、この中に無いわ」
言いながら、四人目の子供のズボンのポケットへと手を伸ばす。
「ちょっとごめんなさいね」
大きく眼を見開く子供たちの目前で、小さくたたまれたカードを取り出す。
広げていくと。
そこには、スペードのキング。
しかも、しわくちゃだったソレは、アイリーンがどこからともなく取り出したステッキで叩くと、ぴしっとした元のカードに戻ってしまう。
目を大きく大きく見開いて見入る子供たちに、にっこりと笑いかける。
「お手伝いしてくれて、ありがとう」
席に戻ってからも、子供たちはわが目を疑うかのように、何度か目をこすったりしてみている。
その間に、カードはボールへと姿を変える。
自在に数を変えながら宙を舞うボールに、観客席は割れんばかりの拍手だ。
ひときわ高く上がったボールたちが、紙吹雪へと姿を変えて観客席へと舞い降りると、灯かりはゆっくりと暗くなり始める。
アイリーンがシルクハットを手に深く頭を下げると、観客席からは一際大きな拍手と歓声が起こる。
それが収まって、静かな声が響く。
「本日は、ラオシア・マジック・サーカスをご覧いただき、まことにありがとうございました」
終わりを告げる声。
そして、全ては闇へと包まれる。
もう一度、薄く灯かりが灯った時。
観客席には、もう誰もいない。

翌朝。
全く人気の無くなった町から、一台の馬車が動き出す。
朝日の中、昨日通った入り口へと向かっていくと、一人佇む人がいる。
昨日、サーカスを知らないかと尋ねた男だ。
彼の前で、リフが馬車を止めると、男は深々と頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました。皆、やっと天へと向かうことが出来ました」
にこり、とリフの顔に笑みが浮かぶ。
「貴方は、ご存知でしたね」
その正確な意味をとらえて、男は微笑む。
「知っていました。小さい人は二人一組で動くもの。一人しか見えぬのは、死の世界の中にいる生ある者、もしくは……終わらぬ死の世界にいる者ということ。貴方方が、我らを導いてくれるとわかりました」
「もう、見えるでしょ?」
にこり、と笑みを浮かべて、リフの肩の上にポリアンサスが乗る。反対側にはベックが。
男は、笑んだまま頷く。
「見えますとも。本当に、なんとお礼を言ったら良いのか。我等の町はフェスティバルの前夜に夜盗たちに襲われました。残虐な彼らに町中の人間が殺されることになった」
男は、いくらか視線を落としたまま続ける。
「子供たちのサーカスを見たいという思いと、親たちの子供たちにサーカスを見せてやりたいという思いが強すぎて、ずっとサーカスを待ったままでいたのです。そのせいで、何人の旅人の方にご迷惑をおかけしたことか」
苦渋の表情が浮かぶ。
「この町に入ってしまうと、町の人々の思いに食われてしまうのです。ですから、泊めることはならぬと申し上げました。だが、思いが追いかけて捕まえてしまった」
決然とした顔が、上がる。
「ここから山を下っていくと、切り立った崖が出てきます。どうか、この花を投げてくださいませんか?私どもの、せめての手向けです。昨晩、思い叶って幸せに天へと向かう皆の気持ちを少しずつ集めました。彼らが、さ迷うことなく天に向かえますよう」
やわらかな色合いの色とりどりの花を、顔を出したニールが受け取る。
「確かに、受け取りました」
それから、首を傾げる。
「おや、これは」
視線は、花々をまとめあげているリボンへと注がれている。男は笑みを浮かべる。
「そのお日様色のハンカチは、子供たちにとってなによりの贈り物であったそうです。我らがせいでさ迷う彼らにも、お日様を、と子供たちから」
「そうですか」
にこり、とニールも笑みを返す。
「ヒトツだけ、伺ってもよろしいですか?」
リフが首を傾げたのへ、男は頷き返す。
「なんなりと」
「ふわふわの金の髪で、青い氷のような瞳をした女の子が来たことはありませんでしたか?」
記憶を辿るように目を細めた男は、ややしばらくして頷いてみせる。
「ええ、ありましたとも。女の子が一人でこの山を越えることは無理だから、同じ類の者と思いましたが、サーカスでは無いので入ることはお断りしました」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえ」
返してから男は、皆へ深々と頭を下げる。
「貴方方の旅路に、幸が溢れておりますよう」
「貴方の旅路にも」
ニールの言葉に、男は微かな笑みを浮かべるとかき消すように消える。
再び動き出した馬車の幌へと、ニールは入る。
「はい、これ」
差し出されたそれを、膝を抱えるようにして座り込んでいたアイリーンは横目で見やる。
「ニールが受け取ったんでしょう?」
「旅人たちは男ばっかだってさ、どうせなら、女の子に投げてもらった方が嬉しいだろ」
「…………」
無言で見上げたアイリーンへと、ニールはにっこりと笑う。
「少なくとも、俺だったらそうだなぁ」
「ああ、そう。貴重なご意見をありがとう」
微苦笑を浮かべて、アイリーンは立ち上がる。
両肩にポリアンサスとベックを乗せているリフへと、尋ねる。
「崖は見えてきた?」
「そろそろよ」
ポリアンサスが、笑顔で振り返る。ベックもにやりと笑う。
「やっぱ、女の子からもらったら嬉しいよなぁ、リフ」
「ヤロウからもらうよりは、ずっとな」
リフがぼそりと答えるものだから、アイリーンの口元に笑みが浮かぶ。
「まったく、しょうがないわね」
「ねぇ」
ポリアンサスと二人、頷き合う。
そんなアイリーンの後ろ姿に、ニールは背後に薄く落ちた影へと笑みを向ける。
「ね?」
影が何と答えたのか、笑みが大きくなる。
「見えてきたぞ」
リフの声に、アイリーンは大きく身を乗り出す。
カーフィリーの町の人々がまとめた花束と、アイリーンの手からあふれ出した色とりどりの花は、ゆっくりと崖へと吸い込まれていく。
さらり、と風が吹く。


Vespertin Masic 〜shuang shi jiang〜

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