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 風払葉  タカゼコノハヲハラウ

街の門へとつけた馬車に、番人は大きな笑みを向ける。
「シェディントンのフェスティバルへようこそ!」
「フェスティバル?」
御者台で手綱を握っているリフは、いくらか不思議そうに片眉を上げる。
番人の声が聞こえたのだろう、幌の中からニールが顔を出す。
「今ってフェスティバルの季節じゃあないですよね?」
「ああ、今回は特別さ!」
番人は嬉しそうに胸を張る。
「長老のとこの孫息子が帰ってきた祝いだよ」
「孫息子さんっていうと、寂しい子供に連れ去られた?」
ニールの問いに、番人は大きく頷く。
「旅のお方もご存知か。そうさ、その孫息子を、返してもらえたんだよ!こんなめでたいことはそうは無いからな、フェスティバルで祝うことになったのさ」
「そりゃメデタイですねぇ」
浮かれている番人にには、ニールの口調に含まれる微妙な冷めたモノには気付かなかったらしい。
大げさなくらいの仕草で、街へと手を差し出す。
「さあ、楽しんでくれ!」
薄い笑みを浮かべて、リフは軽く頭を下げる。
馬車はゆっくりとシェディントンへと入っていく。
幌の中へと戻ったニールの顔からは笑みは消えている。
やり取りを聞いていたアイリーンと両肩のポリアンサスとベックも奇妙な顔つきだ。
ニールが、首を傾げる。
「あり得るのかな?」
「あたしは、聞いたことないわ」
肩をすくめたのはポリアンサスだ。ベックも頷く。
「連れて行った子供が何事も無く無事に帰るなんて、知らないな」
「ひとまずは戻ったのだから、こちらの仕事は無いということだ」
リフが、静かに口を挟む。
聞いて、ぱっと顔を輝かせたのは三人。ベックとニール、そしてポリアンサスだ。
「ってことは」
「カーニバルを楽しめるってことだね」
「ステキ、久しぶりよ!ねっ!」
氷ついたような顔つきになっていたアイリーンも、笑みを浮かべる。
「そうね、楽しまなきゃ損よね」
「そういうこった」
さっそく、街中がどうなっているのかと、アイリーンとニールが顔を出す。
「へーえ、さすがおっきな街のフェスティバルは違うねぇ」
感嘆の声を上げたのは、ニールの服の隙間に隠れて覗いているベックだ。
「お菓子の甘い香りが誘うわぁ」
とは、こちらもアイリーンの服の隙間に隠れているポリアンサス。
「美味しそうな香りねぇ」
頷いたアイリーンに、ニールが笑みを向ける。
「お菓子だけじゃなくて、なんでもありだな。ほら、あっちは焼きたてのパンだ。ソーセージもあるな」
「美味いビールもあるといいが」
ぼそり、とリフ。
「そうだねぇ、今日は宿をとってぇ、ゆっくりしようよ」
ポリアンサスの言葉に、皆が頷く。
街の華やぎの中で、五人もだんだんとわくわくとしてきている。
「あ、サーカスだってさ」
と、大きく貼り出されているポスターを指したのはニール。
皆の視線が、一挙にそちらへと移る。
「ディアマンテ・サーカス」
ベックが名前を読み上げると、リフが頷く。
「ああ、最大かつ最も有名なサーカスのヒトツだな。猛獣使いや曲芸のほかに、あそこも手品をやるはずだ」
「んとー」
何枚も何枚もはり出されてるところをみると、今回のフェスティバルの目玉らしい。ベックが目を凝らす。
「ディアマンテのヒーロー、アール・ヘストンの空中ブランコ!」
「猛獣使いリックとライオンのバーナードの華麗なショーってのもあるらしいよ」
ニールの言葉に、ポリアンサスが目を輝かせる。
「火の輪くぐり、ある?!」
「あるだろ、そりゃ」
すぐにベックが返す。ライオンの曲芸に火の輪くぐりはつき物だ。ニールも頷く。
「華麗って銘打つくらいだしね」
「マジックはグレン・デンジルだって」
ベックが読み上げると、続きをポリアンサスが読み上げる。
「天下の奇才、ブライアン・キャヴェンディッシュの一番弟子、ですってぇ。なんかスゴそうねぇ」
小首を傾げたのは、いかにも可笑しそうにニールが肩をすくめたからだ。
「どうかしたのぉ?」
「いや、なんでもないよ」
明らかに苦笑しているのだが、首を横に振る。
こういう時のニールに、いくら尋ねても答えが返らないのはわかっているので、ポリアンサスもベックも、それ以上は尋ねようとしない。
ベックは、いくらか無表情にポスターを眺めているアイリーンに問いかける。
「アイリーンは、ブライアン・キャヴェンディッシュって知ってる?」
「ええ、知っているわよ。マジックを志す人なら、この人を知らなかったらもぐりね」
アイリーンの口から、もぐり、などという単語が飛び出したので、ポリアンサスもベックも目を丸くする。
「へーえ、それっくらいスゴイ人なんだ」
「あらぁ、じゃあ、キャヴェンディッシュ氏のマジックを見てみたいわね」
どこか不可思議な笑みを浮かべたのはニールで、軽く肩をすくめたのはアイリーンだ。
リフが、ぼそりと口を挟む。
「で、アレを見に行きたいのか?」
「うん!」
「はぁい!」
ベックとポリアンサスが、異口同音に言う。
微妙な表情で首を傾げたのは、ニールだ。
「そうだなぁ、なんか勉強になることはあるだろうけど」
「けどってなんだよ?」
ニールの服の中から、ベックが口を尖らせる。
「うん、ものすごく有名なサーカスだろ?この街の人口も多そうだしさ、当日にチケットを入手するのは難しいかなってさ」
「それなら大丈夫よ、リフがなんとかしてくれるでしょう」
口を挟んだのは、黙りがちだったアイリーンだ。薄い笑みが口元に浮かぶ。
「ね?」
首を傾げる。身を乗り出したのは、小さな二人。
「ホントぉ?!」
「なんとかして!」
微苦笑が、リフの口元に浮かぶ。
「では、宿を見つける前にダン・ウォルシュに挨拶しておくか」
「ダン・ウォルシュって、だぁれ?」
ポリアンサスが、また首を傾げる。
「ディアマンテ・サーカスの団長だね」
「知り合いなんだ?」
ベックの問いかけに、リフは薄い笑みを浮かべる。
「そうだな」
答えてから、軽く手綱をさばく。
馬車は、シェディントンで最も大きな広場へと向かう。

たまたま入り口付近でタバコをふかしていた細身で長身の男へとリフが近付いて名を告げると、いくらか不信そうに首を傾げたが、背後に一緒に立っているアイリーンを見たなり、顔色を変える。
「あ、あの一番弟子ってのは、その方が箔がつくからって、団長が勝手に仕立てただけでっ!」
いきなり言い訳をはじめた男に、アイリーンは苦笑を浮かべる。
「別に、文句をつけに来たわけじゃないのよ」
「や、それなら、うん」
間違いなく、背中に冷や汗が流れ落ちて行ってるに違いない顔つきだ。
我慢できずに、ひそり、とベックがニールに尋ねる。
「あれ、もしかしてグレン・ジンデル?」
「のようだね」
あっさりと肯定されて、片眉を上げる。肩をすくめたのは、もう片方のポケットに潜んでいるポリアンサスだ。
「顔は悪くないけどぉ、性格の方はどってことないみたい」
ベックの方は不信そのものの顔つきだ。
「で、アイリーンと知り合いなわけ?」
「のようだね」
言われて、頬を膨らませる。
「ニール」
「それより大事なのはさ」
まるでニールの声に反応したかのように、ジンデルが大きく頷く。
「あのリフ・バーネット氏ですね、すぐに団長に取り次ぎます」
アイリーンを見て、リフが何者か思い当たるものがあったらしい。勢い良く、テント内へと駆け込んでいく。
ほどなくして、がっしりとした重厚感のある体格の人物が、嬉しそうな笑みと共に現れる。
「ミスタ・バーネット!」
大きな手のひらで、男にしては細長めのつくりのリフの手をがっしりと握る。
「また会えるとは実に喜ばしいよ」
「ご無沙汰しております」
柔らかな笑みを浮かべて、リフも手を握り返す。
「良い風向きかね?」
もちろん、リフ率いるサーカスのことだ。リフは笑みを消さずに頷いてみせる。
「ええ、おかげさまで。貴方の方は、問うまでもなさそうですね」
「ああ、おかげさんでな。しかし本当に珍しいところで会ったもんだ」
ウィルシュはしきりと首を傾げる。
「次の町に行く途中でたまたま寄ったんですよ。そうしたら、ディアマンテ・サーカスの公演があると聞いたので」
リフの言葉に、ウィルシュの顔が輝く。
「ほう、このディアマンテ・サーカスを見て行ってくれるかね?」
「お許しいただけるようでしたら」
返事よりも先に、何度も頷いてみせてからウィルシュは笑みを大きくする。
「許すもなにも、こちらからお願いしたいほどだ」
胸ポケットから、華やかな色のチケットを取り出し、慣れた調子で裏書をする。
「これを出してくれたまえよ」
「特別席ですか?他に招くべき人がいらっしゃるのでは?」
差し出されたものを見て、リフは軽く眉を上げる。
「いやいや、ミスタ・バーネットがここから見ていると思うだけで、団員たちの張りが違うっていうもんだよ。ぜひ、使ってくれたまえ」
「では、ありがたく」
リフは、素直に礼を言って受け取る。
ニールの胸元で、ベックとポリアンサスがひっそりと喝采する。
「空中ブランコに綱渡り、ライオンもいるようですし、楽しみにしております」
「ああ、アールもリックも私の自慢だが、もう一人、このグレン・デンジルにもぜひ注目してもらいたい。なんと言ってもかのブライアン・キャヴェンディッシュの」
「無論、精一杯やらせていただきますとも!」
ウィルシュに背を押し出されるようにして、皆の前に出されたデンジルは精一杯の笑顔で慌てて口を挟む。
リフが、にこり、と微笑む。
「ええ、楽しみにしております」
不可思議そうな顔つきのウィルシュと、必死の笑顔のデンジルへと皆で頭を下げる。
「準備もあるでしょうから、後ほど」
「ああ、また後で」
団長らしい笑みを取り戻したウィルシュも、鷹揚に頭を下げる。

宿を決め、この先の旅路に必要な物を買い揃えてリフとニールが部屋へと戻ると、アイリーンが本を広げて熱心に読みふけっている。
顔を上げたのは、一緒に覗き込んでいたポリアンサスだ。
「おかえりなさぁい」
その声に、やっとアイリーンも顔を上げる。
「おかえりなさい。買い物、済んだの?」
「ああ」
簡潔に頷いたのはリフで、に、と笑みを浮かべたのはニール。
「ちょっと物価もお高いけど、種類は申し分ないね」
ポリアンサスもアイリーンも、いくらか小首を傾げたままだ。
ベックが、ニールのポケットから顔を出す。
「ニール、もったいぶるなよ」
「そういうつもりでもないんだけどさ、ひとまずお茶でもいれない?歩き回ったから喉渇いちゃって」
こくり、と頷いてアイリーンが立ち上がる。
「お湯とお茶葉なら、もらってあるわ」
「わーい、お茶!」
ベックが、喜んで机へと飛び降りる。ポリアンサスもにっこりと微笑む。
ほどなく、やわらかい香りのお茶が入る。
「はい、どうぞ。ここらへんで名産のお茶なんですって」
それぞれ椅子におさまって、カップを手にする。
「いい香りだね」
にっこり笑ったのはニールで、ベックとポリアンサスも頷く。不可思議そうな顔つきで覗き込んだ後、いくらか恐る恐る口にしたのはリフだ。
「どう?」
アイリーンが、首を傾げる。
「悪くない」
いつもより、いくらかぼそり、と返事が返り、また一口。どうやら、口に合ったらしい。
「そっか、口に合っちゃったか」
苦笑を浮かべたのはニールだ。自分も、ゆっくりと口にする。
「うん、確かに美味しいね」
「アイリーンは、お茶煎れるのの天才だよねぇ」
体に合った小さなサイズのカップを手に、ポリアンサスが微笑む。
ベックも大きく頷く。
「うん、いつでもどこでも、どんなお茶も美味しく煎れられるもんな」
そうこうやり取りしてる間に、カップの半分くらいまで飲んだリフは、椅子に腰掛けたまま腕を組み、舟を漕ぎはじめている。
「あ、やっぱりねぇ」
ポリアンサスが、くすり、と笑う。しみじみと言うのはベックだ。
「不思議だよなぁ、夜通し馬車操るのだって平気なくせにさ、お茶飲むと寝ちゃうなんて」
「美味しいお茶を飲むと、だよ」
ニールがにっこり笑う。
「聞くことは聞いているだろうから、始めようか」
「ええ」
顔から笑みを消して、アイリーンが頷く。ポリアンサスも、興味深そうな顔つきでニールを見上げる。
「寂しい子供に連れ去られたのは、番人やってた人も言ってた通り、シェディントンでも長老の部類に入る人のお孫さんで、パーシヴァル・オールディスって子だよ。消えてしまった日、いつもの如くどこの窓も扉も内側から鍵がかけられていて、どこにも誰かが通ったような形跡は無かった」
「まず、寂しい子供に連れてかれたってのに、間違いないね」
ずっとニールと一緒にいたベックが付け加えたのに、ポリアンサスが唇を尖らせる。
「そんなことはぁ、わかってるの、それよりもねぇ」
「帰ってきたのは僕らがメアリちゃんを連れて帰ってきたのと同じ日らしいよ。先に連れてかれてた子達と一緒に、寂しい子供たちを説得してきたってことらしい」
ニールの言葉に、アイリーンが首を傾げる。
「何人も集められていたってこと?」
「らしいね。それも、けっこう長いことらしいよ。本人たちは、自分の名前や故郷がわからなくなってるらしいし」
ベックもポリアンサスも納得出来ないらしく、しきりと首を傾げる。
「なぁんか、全部変わったことばぁっかり」
「賑わせたいってのはわからないでもないけど、でもなぁ」
ニールへと、まっすぐな視線をアイリーンが向ける。
「じゃ、その子達も今?」
「ああ、名前や家がわかるまでは長老のところにいるんだってさ。今日はその子達にも特別席が用意されるらしいよ」
さり気なく、お代わりを注ぎながら答える。
「あ、ずるい!」
声を上げるベックにも、アイリーンが器用に注いでやる。
カップを手にしながら、今度はニールが首を傾げる。
「そっちはどうさ?」
「ええ、いくらかは。古い史書によれば、シェディントンといつも競う立場の街があったみたい。なにかっていうと、争いになるようなね」
意味ありげな笑みを浮かべたのは、ポリアンサスだ。
「今はぁ、そんな街はどこにもないみたいだけど」
「なるほどね、でも、疑わしきは罰せず、だな」
と、ニール。
それで話は終わりらしいと察して、ベックはつまらなそうに口を尖らせる。
「で、それはなんの本?」
「これは、シェディントンの伝奇を集めた本」
あっさりとアイリーンが答える。意味ありげなポリアンサスの笑みが、大きくなる。
「おもしろいんだよぉ、ほとんどがねぇ、焼け爛れたお化けばーっかり」
「まぁともかく、疑わしきは罰せず、だよ」
もう一度言うと、ニールはお茶を口にする。

夜。
観客で一杯のテント内は、歓声と拍手の渦だ。
華麗な空中ブランコ、息詰まる綱渡り、ライオンが果敢に飛んでみせた火の輪くぐり。
どれもが、最高といわれるのにふさわしい出来だった。
その中で、つまらそうに欠伸をしたのはニールの胸元に隠れているベックだ。
「確かにさぁ、空中ブランコとか綱渡りはすごかったけどさー」
歓声が大きくて、自分たちにしか聞こえないことをいいことに、堂々と言う。
「動物の曲芸は障害物が単純だしさぁ、今の手品師は、投げるボールはアイリーンより二つも少ないし、カードは小さいのだしさ、つまんないよ」
ニールが低く笑う。
「まぁまぁ、演出の華やかさとか照明効果とか、学ぶべきこともそれなりにあるじゃないか」
「それにぃ、いつもよりはいいのを見せて貰ってるような気がするわ」
「どういう意味さ、ポリー?」
アイリーンの胸元付近から、ポリアンサスがそっと顔を出す。
「見てみてよぉ、ほら、皆、そうとう真剣な顔してるじゃない。いっつもあんな緊張してたら、毎日の公演なんかとってもじゃないけどぉ、出来ないわよ」
「そうかなー」
ベックが眉を寄せて、マジックを演じるデンジルへと視線を戻す。
手にした帽子の中から、器用に花を取り出したところだ。
が、その花束の小ささに、また口を尖らせる。
観客たちの方は、紙吹雪に変じて舞う花に、大喝采だ。
それで、彼の演目は終わりらしい。
ライトの調子が変わり、昼間にリフたちにチケットをくれた団長が現れる。
「ディアマンテ・サーカスへようこそ!」
こうして舞台に立つと、昼間よりも一回り大きく見えるから不思議だ。
「本日は、特別なお客様をお迎えすることが出来、われら一同感激と感謝を込めて演じさせていただいております」
言葉と共に、あつらえられた特別な席に着いている子供たちへと視線をやる。
そのまま、ウィルシュは言葉を失う。
席からウィルシュを、いや、観客席全体を見つめて、にやりと笑ったのは全身に火傷を負った子供たちだったのだ。
「感激と感謝だってさ」
「バカらしい、金さえ入ればなんでもいいのさ」
「それはこの街の連中も一緒だよ、自分たちが幸せなら、なんでもいいのさ」
歓声は、悲鳴へと変じる。
中で、冷静にその様子を見つめているのはリフたちの一団だ。
「やっぱり、寂しい子供たちだったね」
「史書に残らないのだから、おそらくは騙まし討ちだろ。そりゃあの子らも浮かばれない」
「だからって、同じ方法で復讐っていうのはあーんまりいただけないけどぉ」
遠慮なくそんな会話が出来るのも、すさまじい悲鳴にテント内が包まれているからだ。
凄惨な姿の子供たちの口元に笑みが浮かぶ。
「無駄だよ、だーれも、ここからは出られない」
「だーれも、この街からは出られない」
席にいたはずのない、子供たちの声が加わる。次々と、子供たちが増えていく。
「出してやるものか」
「みんなみんな殺したくせに!」
「取り囲んで火をかけて!」
「助けてって言ったのに!」
だが、観客席にいる者も、今まで演じていた者も、誰も彼らの言葉など聞いてはいない。
我先に、開かない出入り口を必死に押し開けようともがいている。
その中で一人、立ち上がった人間がいる。
それを、押し留めるように立ち上がったのはリフだ。
テントの中だというのに、マントを着、深く帽子を被った上に色付の眼鏡をかけているらしい人は、リフと視線が合うと、深く頷いて再び席へと腰を下す。
「ニール」
リフの声に、ニールは笑みを浮かべる。
身軽に飛び出すと、あっという間に空中ブランコの為の台へと登る。
勝手にブランコを止めてあるロープを外すと、それを掴んで台の際へと向う。さすがに、少々の間があったのに、誰も気付いていない。
「小さなお客様方、ただ今からラオシア・マジック・サーカスが、この場をお借りして、正真正銘貴方方だけの為に舞台を捧げさせていただきます」
突然響いた朗々と通る声に、焼け爛れた子供たちも驚いた視線を上げる。
「なんだ、お前?」
一人が、にらみ付けながら問う。
「だから、ラオシア・マジック・サーカスさ。みーんな壁際寄っちゃって席もがら空きだしさ、ひとまず座らない?どうせ全部出入り口閉じちゃってるんだろ?復讐するのは、僕らの演技見てからでも遅くないとは思わない?」
にこやかに言われて、いくらか毒気を抜かれたらしい。
が、相変わらず不信さは抜けない顔つきで問う。
「どういう意味さ?僕らの為ってさ」
「言葉通りだよ、君たちだけのための演技ってこと。どっちにしろ、今、落ち着いて見られる観客って、君らくらいしかいないでしょ?」
あまりにニールの口調がのんびりしてるのが観客たちへの皮肉に聞こえたのか、数人がくすくすと笑う。
最初に問いかけた子供が、その笑い声で調子を取り戻したのか、皮肉な笑みを口元に戻す。
「へぇぇ、あんたたちは、こんな姿の僕たちの前でも、りーっぱに演じられるって言うの?」
「もちろんさ、ただし、僕らは小さな小さなマジックサーカスだからさ、こじんまりしてるのはカンベンしてもらうよ」
言ったなり、勢い良く空中ブランコが飛び出す。
真ん中付近で、見事にブランコを軸に一回転してみせ、そして返す時には片足だ。
半信半疑の顔つきで見上げていた子供たちの眼が、丸くなる。
片手だけで回ってみせたり、すさまじい高さの上で立ち、両手を離してみせたり。
先ほど、華麗としかいいようのない演技をしてみせたアール・ヘストンよりも、よほど難易度の高いことをやすやすとやってみせている。
思わず漏れた、焼け爛れた子供たちの拍手に、逃げることしかなかった観客たちが、何事かと振り返る。
そして、全く予想だにしなかった見事な演技に、眼を丸くする。
観客席が静まり返ったことに気付いたディアマンテ・サーカスの団員たちも、振り返って驚愕の表情を浮かべる。
最高と自負する自分たちが、及びもつかないような演技を、見たこともない青年がにこやかに演じているではないか。
「こ、こりゃ一体……」
呆然と呟くウィルシュの目前に、リフが立つ。
にこり、と笑みを浮かべて頭を下げる。
「申し訳ありませんが、少々機材をお借りしますよ」
返事を待たずに、さっさとそちらへと歩き出す。軽く見上げると、綱の上で踊ってみせながら渡っていくニールが、にやり、と笑みを向ける。
こくり、と頷くと、アイリーンが立ち上がる。
隠し持ってきた、シルクハットをしっかりと被る。
ニールが、綱の上で一回転をしてみせ、焼け爛れた子供たちから、釣られたように壁際に寄ったまま眼を離せないでいる観客たちから、そして最後に舞台袖で呆然と見上げる団員たちから盛大な拍手を受け、見事に綱を渡りきった後。
にこり、と綱の上でニールが微笑む。
「次は、魔法の手を持つ奇術の姫の登場です!」
照明が、綱の上から、一気に地上へと移る。
そこには、シルクハットを目深に被った一人の少女が凍りついたように立っている。
口元だけに、にこり、と笑みが浮かぶのと同時に。
ジンデルが操ったのの倍のボールが、空中に綺麗に投げ上げられる。
散ったと思った瞬間、アイリーンが指差したそれは、ぱっと紙吹雪へと姿を返る。
わっという歓声が、皆から同時に上がる。
華やかな音楽が流れ出して。
アイリーンは帽子を被り直し、宙から現れたステッキを握る。
バトンのようにくるくると回るステッキから、次々と大きなカードが飛び出してくる。
ごく側にいる、焼け爛れた子供は、差し出されたカードを見て、慌てて首を横に振る。
「だって、血が付いちゃうから」
「大丈夫」
にっこりと微笑まれ、申し訳無さそうな顔つきながらも、その子供が引いたカードには、言葉通りにべったりと血がこびりつく。
そのカードを、アイリーンはにこやかに子供たち、観客、団員たちへも見せ、もう一度子供の手に戻して、カードたちの中へと戻してもらう。
器用にシャッフルして、カードの対角を持ったアイリーンは、にこり、と子供達にもう一度笑いかける。
くしゃ、と見事な音をたて、カード全てが彼女の手の中から消える。
全てが消えた両手を広げ、皆に見せてから、もう一度両手を合わせて握り締める。
ぱっと開くと。
「あ!」
思わず、カードを引いた子供が声を上げる。
両手の中から現れたのは、血の痕もきちんと残っているカード。
微笑んだまま、アイリーンはそのカードを子供に差し出す。
「い、いいの?」
訊き返した子供の顔は、先ほどよりも火傷の酷さが消えている。いくらか残った頬の皮膚が、うっすらと桃色に染まっているのがわかる。
「ええ、記念にもらってくれたら嬉しいわ」
「ありがとう」
答えて受け取った子供の姿は、最初に席についた時と寸分変わらない。
次に現れたハンカチの中の一枚は、また別の子供に。
「ずるいよ!」
誰かが声を上げる。
にこり、と微笑んで、アイリーンはまた、シルクハットの中からハンカチを引っ張り出す。
一枚、もう少しで全部出る、という時に、笑みがいくらか大きくなる。
そして。
わ、と声が子供たちから上がる。それは、観客席にいた子供たちもだ。
何枚も何枚も、色とりどりのハンカチが繋がって出てくる。
出てきては、ふわり、と散って、誰かの手に収まっていく。
いつの間にか、アイリーンの周りは観客席にいたはずのシェディントンの街の子供たちも混じっている。
誰が誰なのか見分けがつかない中で、取り合ったり分け合ったり、笑い声が響き渡る。
いったい、いくつあるのか誰にも数え切れないほどの花が舞う中で。
一人の少年が、一人の少年へとどこか物悲しい笑みを向ける。
「ねぇ、パーシー、君も僕らの本当の姿を見ても怖がらないでいてくれたね。それどころか、話を聞いて、僕らに協力してくれた」
「だって、君らは僕の友達だもん」
パーシーと呼ばれた少年、パーシヴァル・オールディスは眼にいっぱいの涙を浮かべて少年の手を握る。
少年も、しっかりとパーシヴァルの手を握り返す。
「僕らは、この街の人間なんか、嫌いだよ。でも、パーシー、君のことは大好きなんだ。だって、友達だからさ。だから、僕らは君の大事な人たちを殺せない……僕らの為に演じてくれるような人たちを、殺せないよ」
少年は、パーシヴァルをまっすぐに見つめる。
「僕らのこと、君だけは忘れないでいてくれる?」
「忘れないよ、忘れるもんか!」
見詰め合う二人の少年の瞳から、涙が溢れ出す。
「僕、絶対に、ずっとずっと忘れない。ちゃんと、記録してもらえるよう、調べるから、絶対に、そうするから」
「ありがとう……」
すう、と少年の姿が薄れる。
それを引き金にしたように、次々と子供たちの姿が薄れていく。
「ありがとう、パーシー」
「パーシー、忘れないでね」
「ずっと、友達だよ」
アイリーンの周囲にいる子供たちの数が、半分になった頃。
スポットライトが消え、ゆっくりとテント全体が明るくなっていく。
通れなくなっていたはずの出入り口が、風に吹かれて揺れる。


Vespertin Masic 〜shuo feng fu xie〜

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