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 沢腹堅  ワミズコオリツメル

もう、大分前の話になるけれど、とパドセイの人々は言っていた。
その上、パドセイからアヴァーカーンまで辿りつくのにも、それなりの日数がかかっている。
わかっては、いるのだけれど。
「風が泣いてる」
ぽつり、と幌の中でベックが呟く。
街に入る時に、間に合わなかったことはわかっている。
寂しい子供に連れ去られた子供が、とリフが言いかかったところで、番をしていた男は肩をがっくりと落としたのだ。
「ああ、ユーイン・クィルターなら……永遠に連れて行かれてしまったよ」
それから、街の代表をしているトム・ティンダルの家と、クィルター家の場所を教えてくれた。
驚きもしなかったところを見ると、アヴァーカーンの街の人々にとっては寂しい子供に関わる仕事をしている者は、珍しくないらしい。
そんなことよりも、だ。
やはり、間に合わなかった、という事実は重い。
アイリーンは、膝を抱え込んだまま黙りこくっている。
「気になるんだけど」
いくらか遠慮がちに、だが、はっきりと声を出したのはポリアンサス。
視線をよこしたニールと、視線を落としたままのアイリーンを交互に見つめながら言う。
「ちょぉっと、不思議な街じゃない?寂しい子供に連れ去られた子供って話もごく普通にしてたし、あたしたちの仕事にも驚いてなかったし、なんていうか……」
「寂しい子供に連れ去られて帰ってこないことを、諦めているように見える」
ぽつり、とリフが口を挟む。
「そぉ、そぉなの。どこの街の人も、怯えることや怒ることはあっても、諦めてるって人はいなかったわよね?」
大きく頷きながら言うポリアンサスに、ニールが軽く目を見開く。アイリーンも、視線を上げてポリアンサスを見やる。
「諦めるには、それなりの理由がなくちゃならないね」
「諦めるって、簡単なよぉで難しいことだわ。少なくとも、たまの出来事なら諦められるわけがないと思うの」
ここぞ、とばかりにポリアンサスの声には力が入る。
アイリーンが、微かに眉をひそめる。
「アヴァーカーンでは、たまの出来事ではない、ということになってしまうわ」
「でも、それなら納得はいくかも」
ベックが、腕を組みながら首を傾げる。
「しょちゅうそんなことが起きてるなら、僕たちみたいなのがたくさん来てもおかしくないもんな」
誰からともなく、顔を見合わせる。
確かに、ベックの言う通り、話のつじつまという点では納得が出来る。
「でも……」
「推論だけではどうにもならない。ともかく、話を聞かせてもらうしかないだろう」
リフがもう一度口を挟み、皆、頷きあう。
今、手元にある情報だけで推論を組み立てたら、アヴァーカーンはとてつもなく呪われた街に思えてしまいそうだ。
話をしている間に、紹介してもらったトム・ティンダルの家の前へと到着する。
呼び鈴を鳴らし、出て来た家政婦らしい女性に来意を告げる。
ティンダル本人がわざわざ玄関まで現れ、いくらか困ったような顔つきになりつつも
「外では寒いだろうから」
と、中へ招き入れられる。
ベックとポリアンサスにも、ちょうどの大きさのカップで暖かな飲み物が供された後、さて、というようにティンダル自身も腰を下す。
「話を聞きたい、とのことでしたが」
来意を聞いた時と同じ、いくらか困ったような顔つきでティンダルは切り出す。
リフは、軽く身を乗り出してから頷く。
「残念ながら、ユーインくんのお役には立てませんでしたが、状況等を教えていただくわけにはいかないでしょうか」
「今後の為のご参考になされるのでしょうが……」
いくらか視線が落ちて、表情にはさらに困惑が深まる。
「お辛いことを、また思い出させるのは、こちらとしても心苦しく思います」
「いえ、それは私の仕事ですから、構わないのです。ですが……」
リフの言葉に、首を横に振ってからティンダルは困惑顔でさし俯く。だが、黙っていても意味がわからないと思い直したのだろう、意を決した顔を上げる。
「そのですね、子供を取り戻してくださると言って旅立って行った方で、戻られた方がおらぬのですよ」
どういうことか、とリフたちが聞き返す前に、ティンダルは言葉を重ねる。
「この件に関わった者全てが呪われてしまう運命にある、としか思えぬのです」
ベックとポリアンサスが、思わず顔を見合わせる。
それは、この街に入った時に、口にはしなかったが五人ともが思ったことそのものだったからだ。
まさか、街の代表から「呪われる」などという言葉が出てくるとは。
状況は、思っていた以上に深刻らしい。
だが、リフの顔には笑みが浮かぶ。
「私どもも、もう、何かが起こったのだということを知ってしまいました。全てを知るも一部を知るも、関わったことには代わりがないでしょう。なんらかの行動に移るかどうかは、お話を伺ってから熟考させていただく、ということではいかがでしょうか?」
落ち着いた笑みと、それなりの覚悟と慎重さに、ティンダルも心を決めたらしい。
「わかりました、では、お話しましょう」
椅子に、腰掛け直す。
「そもそもの始まりは、不幸な事故からでした……」



それは、三ヶ月ほど前のことだ。
山に囲まれたアヴァーカーンでは、いつものように材木を運ぶ馬たちが行き交っていた。
その中の一頭が、何に驚いたのか、急に暴れたのだ。
すぐに収まったが、荷馬車にくくりつけられていた材木は転がり落ちた。
不幸な事故、と呼ばれるようになったのは、そこには子供たちが何人もいたからだ。
暴れた馬に蹴り上げられた子供と、材木の下敷きになった子供と。
あわせて四人。
命こそ失わなかったものの、怪我は重く、しばらくは動けない日々が続くだろう、と医者は言った。
街中に、そのニュースは衝撃と共に広がった。
子供たちが馬車の側で遊んでいたということは、誰もが安全だと思っていたからだ。
実際、この街始まって以来、ずっと馬たちが材木を運ぶ役目を担っており、大人しい習性の彼らと誰もが愛情を持って付き合ってきた。
我慢強い彼らは、少々のことがあっても、暴れることは先ず無かったのだ。
しかも、奇妙なことには、何度調べてみても、どれほど調べてみても、馬が何に驚いて暴れたのかがわからない。
その馬は、アヴァーカーンの生まれだったし、親も、その親も、ずっとこの街で材木を運んでいた。
特に大人しい家系だ、とさえ言われていた。
これほどに大きい事故だったのに、どの親も「よほどのことがあったのだろう」と、馬を始末しろとは言わなかった。
それほどの馬だったのに。
なにに、驚いたのか。
なぜ、暴れたのか。
皆が一様に首をひねっている時に、次の事件は起きた。
怪我をして寝込んでいた子供の失踪。
扉も窓も鍵までしっかりとしまったままでの失踪に、最初は街中が半ばパニックに陥った。
ちょうどやってきた語り人と二人の小さい人が、
「それは寂しい子供のせいですよ」
と教えてくれた。
誰もが、首を傾げた。
初めて耳にしたからだ。
今まで、アヴァーカーンで子供が密室から失踪したことなど、一度も無い。
そんなことが起こっていれば、間違いなく記録に残るはずだ。あまりに奇妙に過ぎる。
そう言われた語り人たちも、いくらか驚いたふうだった。
「では、寂しい子供のいる場所の心当たりもありませんか?」
問われて、誰かが首をひねった。
「そういや、材木切り出し場所とは反対に行ったところの奥に、なんか建物があったなぁ」
彼は、街で有名な方向音痴で、なにかというと迷ってしまうのだ。
材木切り出し場所へ行こうとして山の中をさ迷ったのは数知れず。
だから、彼がそんな場所に行ってしまったのも驚くにはあたらない。
ともかく、こんな外れた場所にある街からそう離れていないのは、その建物しかなさそうだった。
語り人は頷いた。
「では、そこへ行ってみましょう。そして、子供が帰って来られるよう力をつくしてみましょう」
翌朝、旅立っていった語り人たちは、だが、帰って来なかった。
何日経っても、帰って来なかった。
誰もが、騙られたのだろうかと首をひねり始めた頃。
子供が、帰って来た。
窓も扉も鍵がかかっていた部屋に、変わり果てた姿となって。
街中が悲嘆にくれたのは言うまでもない。
同時に、首も傾げた。
帰ってこない語り人はどうなったのだろう、と。
小さい人と共にありながら、担がれたのだろうか、と。
確かに金は出していないが、旅の装備程度は皆で用意した。ただ、山を越えたいというのならば、あり得ないことではない。
いくらか腑に落ちないものの、皆がそれで納得しようとしてた時に、二度目が起こった。
また、あの事故で動けなくなっていた子供が、窓も扉も閉まっていた部屋から失踪した。
パニックというよりは、寒気が走った。
また、小さい人を連れた者が現れた。
今度は笛吹きだ。
半ば不審に思いながらも、事情を尋ねた笛吹きに人々は今まで起こったことを語って聞かせた。
笛吹きは、いくらか難しい顔つきになった。
「子供さんは、寂しい子供に永遠に連れて行かれてしまったのです」
鍵のかかった部屋へと戻った変わり果てた子のことを、そう表現した。
街の者は、一人目の子の時に現れた語り人のことも話してみた。
笛吹きの顔は、ますます難しくなった。
「それは、戻りたくとも戻れないのかもしれません」
婉曲な表現をしたが、それに最悪の可能性が含まれていることに、誰もが顔を曇らせた。
笛吹きは、街の人に教えられた山を見上げた。
小さい人も一緒に。
やがて頷きあってから、告げた。
「行ってみましょう。二人も連れて行かれるわけには、いきますまい」
翌朝、語り人と同じように山へ行き、戻るだけの準備を街の人から受け取り、笛吹きは山へと向かった。
だが、笛吹きも戻らず、子供も寂しい子供に連れていかれてしまった。
戻って来たのは、冷たい骸だったのだ。
何が起こっているのかはわからないが、あの事故にあった子供たちが狙われているらしいことはわかった。
さすがに、街の人々も寂しい子供の情報を集め始めた。
語り人も笛吹きも、騙ったわけではないと察しがついた。
寂しい子供に連れていかれた子を取り戻せるのは、小さい人を連れた彼らだけであることもわかった。
更にわかったことがある。
小さい人を連れ、寂しい子供に関わる旅をする者は、とても数少ない、ということ。
しかも、様々な場所を旅する為、近い場所に同じような時期に訪れることなど、まずないということ。
それに、だ。
最初も、二回目も、誰も他の町で子供の失踪の話はしていない。
寂しい子供の存在すら、この事件が起こるまで知らなかった。
ということは、アヴァーカーンの街に寂しい子供に関わる人間が旅してくること自体が、不自然だ。
まるで、吸い寄せられてきてしまったかのようではないか。
アヴァーカーンの街を、得体の知れないなにかが覆っているような、そんな気持ちにさせられた。
人々に出来るのは、祈りだけだ。
後の二人の子供が、連れ去られることが無いように、と。
その願いは、嘲笑われたかのように裏切られた。
三人目の子供も、全てが閉ざされた部屋から姿を消した。
数日後には、永遠に寂しい子供に連れ去られてしまった。
行方知れずになってすぐに現れた、小さい人を連れた人形師も、帰ることは無かった。
出来うる限り努力すると約束してくれたのに。
四人目の子供、ユーイン・クィルターだけになってしまった時、人々は、もう二度と寂しい子供が現れぬよう祈るのと同時に、どこか諦めたような気持ちになったのだった。
そして、悲しいくらいに予測通りに、ユーインの姿も消えてしまった。
ユーインの両親が、必死の努力で十重八重にし、部屋で番していたのに。
また、呼ばれたかのように、小さい人をつれた道化師が現れた。
もう、近い町には知れ渡っていたし、道化師も話を聞いて訪れた、と言った。
人々は、いつもと同じく事情を話した。
自分の前に、三組の同業者たちが帰って来なかったと聞き、さすがに首を傾げてみせた。
しばし考えた後、道化師は言った。
「では、私だけで行ってみましょう」
それは、小さい人だけこの街に残る、という意味だ。
「そうすれば、私はただの旅人です。ただ、寂しい子供についての幾ばくかの知識もありますから、何かわかるかもしれません。私の手でもどうにか出来そうだとわかったのなら、取って返してユーインを連れ帰りましょう」
数日後に、道化師は街へ戻って来た。
真っ青な顔つきで、よろめきながら。
深く深く頭を下げ、詫びた。
「申し訳ないが、あれは私の手にはおえません」
そのまま倒れ、病みついてしまった。
翌日、ユーインは永遠に寂しい子供に連れ去られてしまった。
今までと同じく、命を失った躰だけが、戻ったのだ。



「これで終わりなのかどうか、私共には想像もつきません」
ティンダルの口調も表情も、このまま終わるとは思っていない。
それはそうだろう。
確かに事故に巻き込まれた子供たちは皆連れ去られてしまったが、またあのように不幸な事故が起こらないという保証は、どこにもないのだから。
「その、道化師の方はその後のお加減はいかがでしょうか?」
リフが、首を傾げる。
道化師が旅立った、とはティンダルは言っていない。それから、この件に関わった者は皆呪われてしまうようだ、とも。
だとしたら、まだ道化師は病みついているのだ。
ティンダルの表情が、さらに曇る。
「あまり、良くは無いのですよ。食も進みませんし……」
「一緒に来た小さい人は?」
ベックが、カップを置いて尋ねる。
「それが……契約がどうとかとチャンバーズさんと、ああ、道化師の方ですが……ケンカして以来、姿が見えないのですよ」
「二人とも?」
困惑顔のまま、ティンダルは頷いてみせる。
「ええ」
「…………」
ベックとポリアンサスは、無言で顔を見合わせる。
二人の表情を、ちら、と見やってから、リフはもう一度口を開く。
「チャンバーズ氏に、お会いすることは出来ないでしょうか?」
ティンダルは、すぐに頷いて立ち上がる。
「聞いてきましょう、私共が又聞きでお話しするよりは、ずっと良いでしょうから」
もう、ここまで話してしまったので、割り切れたのだろう。
ティンダルの後ろ姿を見送り、部屋に五人しかいなくなったところで、ニールの視線にポリアンサスが答える。
「コトはかなり深刻ね」
「契約解消じゃ、無いってことだね?」
確認に、大きく頷いたのはベック。
「ブライアンも言ってたけどさ、時に命がけになんなきゃいけないこと、そうそうは出来ないだろ?それに、本気でダメだって思ったのか、へたれてんのかくらいの見分けはつくよ」
「契約解消してないのに離れるというのは、どういう時?」
アイリーンの表情には、緊張感が宿っている。
「そぉね、まず間違い無く、『笛』を吹きに向かってるんだわ」
「『笛』って?」
ニールにもポリアンサスの言う『笛』が特別なのは想像がついているが、何とするものなのかまではわからない。
「とても寂しい子供がいるって、皆に知らせるのよ。皆を呼び集めるの」
「とても寂しい子供って……?」
アイリーンの声は、半ば答えを予測しているモノだ。
「何らかの事情でとてつもない力を持ってしまった子のことを、そぉ言うって聞いたことがあるの。でも、ウチの長老でも話にしか聞いたことないけど」
「ようは、伝説レベルなわけだ」
ニールの口元に、複雑な笑みが浮かぶ。
「三組も飲み込まれたとなると、僕らもちょっと考えないとマズいかも」
ベックが難しい顔つきで腕を組む。
「決めるのは、チャンバース氏の話を聞いてからだ」
静かにリフが言い、皆が頷いたところで、扉が開く。
顔を出したティンダルが告げる。
「チャンバースさんが、お会いになりたい、と」
誰からともなく頷き合って立ち上がる。
突き当たりの、道化師が臥せっている部屋へと先立って案内したティンダルは、扉を開けて五人を招き入れる。
ぞろぞろと現れたのに、少し驚いた顔つきになったが、すぐに笑みを浮かべて頭を下げる。
「ベッドの上から失礼します」
「いえ、こちらの方こそ押しかけるような真似をお許しいただいてありがとうございます」
リフが、礼を返す。
「椅子は、適当に寄せてください」
お茶の入ったポットをサイドテーブルに置くと、ティンダルは頭を下げ、扉を閉める。
同業者同士、余計な人間がいない方が良かろうと気を使ってくれたものらしい。
言葉に甘えて、椅子を適当に寄せて道化師の話が聞きやすいように集まる。
「私はリフ・バーネット、彼がニール・ラーセン、彼女がアイリーン・ガードナー」
腰掛けて、まずは自己紹介を始めたリフの後を、ポリアンサスが引き取る。
「あたしはポリアンサス、皆はポリーって呼ぶわ。こっちは、ベックよ」
「こっちってなにさ」
ぷう、と頬を膨らませたのに、道化師は笑みをいくらか大きくする。
「僕はラルフ・チャンバースと言います。ラルフと呼んでください」
「こちらも、名前で」
軽く頷いてみせるチャンバースに、アイリーンがお茶を注いだカップを差し出す。
「ティンダルさんに限らず、この街の人はとてもいい人たちばかりですよ」
チャンバースは、軽く礼をしつつ受け取りながら言う。
色付き眼鏡の奥のリフの目が、軽く細まる。
「なにか、街ぐるみの禍根がある様子も?」
「ええ、それならば、うっすらとにせよ感じられるはずでしょう?」
問いは、ニールの肩の上からチャンバースを覗き込んでいるポリアンサスとベックへと向けたものだ。二人共、すぐに頷く。
「そうねぇ、寂しいって空気はあったけど、そういう臭いは無いわねぇ」
「うん、むしろ、滅多に無いほど澄んだ空気だよ」
真面目な顔つきで頷き返し、チャンバースはリフへと視線を戻す。
「僕と一緒に旅をしているフェーンとミルラも同じように言いました。四人の意見が一致するのですから、間違いないでしょう」
リフも、頷き返す。
「念のために、伝承などの本もあたってみたのですが、らしいものは見当たりません。まるで……」
口をつぐんでしまったチャンバースの代わりに、リフが続ける。
「寂しい子供を知らず、また他の街からも離れたアヴァーカーンが、狙われた。寂しい子供が増えれば、それだけ力も増大する」
「ここに来るまでに、随分と力を溜め込んできたみだいだけどね」
ニールが軽く肩をすくめる。
チャンバースは、視線を落としながら頷いてみせる。
「ええ、あれは相当な力がなくては無理でしょう」
「ラルフは、とても寂しい子供だと思ったのね?」
ポリアンサスが、首を傾げながら覗き込む。
「なにも自分の思いが残っていない街へ現れる、ということ自体が普通はあり得ないことはご存知でしょう?」
問い返したチャンバースの声は、微かに震えている。
「その上、私たちよりも先に向かった人々が追い返されること無く囚われている上に、無理矢理に事故に遭わされ、寂しい子供のようにされた子供たちが強引に連れ去られている。どれも、異常な現象といっていい」
リフの口調は、事実を述べるだけのものだ。
ポリアンサスは頷きつつも、首を横に振る。
「確かにそうね、でもそれだけじゃ足りないわ」
いくらか早口にチャンバースが口を挟む。
「架空の町と城が出来上がっていました。町の名はメルサム、城はフィンハート城。まるで、絵本から抜け出たような巨大な城です。」
「城?」
思わず、ニールがおうむ返しにする。
「そうです、ですが、歴史にも伝承にも、この付近にそんな城がある、もしくはあったという記述はありませんでした」
チャンバースの視線を受けて、ニールは、また肩をすくめる。
「だろうねぇ、ここらへんに城築いたところで、要所になるとは思えないよ」
「想像だけで造り上げられたお城なのね?」
アイリーンの問いに、チャンバースはまたも頷く。
「そうとしか思えません。ですが、現実と変わらぬ存在感があります」
「なのに、絵本を連想したんだね」
首を傾げたニールの言葉に、チャンバースの顔から血の気が引く。
「ええ、たちの悪い絵本ですよ……死の世界にははっきりと踏み込みませんでしたが、はっきりと見ました」
情景を思い出したのだろう、ますます血の気が引いていく。
「あの城の主は、女の子なんですよ」
「どんな姿を?」
いつもより低くなった声で、リフが素早く問う。
「金色の髪なんです。夜の闇でも光り輝くような見事な金髪が、ふわふわと広がっています。日の光のように明るいのに、その瞳は氷のように青いんです」
その言葉に、ニールの眉が軽く上がる。アイリーンは、膝の上に置いた手を、きゅ、と握り締める。
ポリアンサスは、まっすぐな視線をあげ、ベックは眼を見開く。
視線を静かに落としたリフが、平坦な声で問い返す。
「それは、間違いありませんね?」
「間違いようがありません」
チャンバースは、首を大きく横に振る。
「見間違えられるような姿ではありません。はっきりとまっすぐに、この目で見ました。そして、確信したのです」
悲痛な視線が、リフを見上げる。
「あの子は信念をもって寂しい子供を引き入れているのだと。いつものものは、なにも通じないと」
「それで、フェーンとミルラは『笛』を吹きに行ったのね」
「皆を、集める為に」
チャンバースは、唇を噛み締めながら頷く。
「そう、それしかない、と」
ポリアンサスは、ちら、と視線を横にやってから頷き返す。
「そぉね、とても寂しい子供を天へと導くには、たくさんの力が必要だと言われてる。でも、もうヒトツ方法があるわ」
ベックの声が合わさる。
「とても寂しい子供の望みを、見抜くこと」
はっとした顔つきになったのは、アイリーンだ。
「関係のない街に現れるということは、少なくともその街に思いがあるわけじゃない。でも、寂しい子供になるからには、なにか思いを残しているはずだわ」
「……なるほど、望みを叶えられるかどうかはともかく、理解すること、か」
ニールが後を引き取ったのに、ポリアンサスとベックがそれぞれに頷いてみせる。
「そぉ」
「結局のところ、いつもと変わらないっていや、そうなんだけど」
「ですが、それは、とてつもなく難しいことです」
チャンバースは、首を横に振る。
「あの力に飲まれずに冷静に考えることは、まず出来ません。……それに、もう『笛』を吹きに行ってしまいました」
ポリアンサスは、軽く肩をすくめる。
「『笛』が吹かれた後の勝手な行動はご法度ね」
「でもま、ここから『森』に行くのは『風』に乗っても十日はかかるけど」
ベックの言葉に、に、と笑いを浮かべたのはニール。
「じゃ、それまではやってみるもみないも、自由ってわけだ」
「まだ、四日はあるわね?」
アイリーンが、立ち上がる。ニールも続く。
「山を登って城にたどり着くまでに丸一日とられたとしても、三日の猶予か。悪くないな」
ニールの肩にいたポリアンサスとベックが、身軽にリフの肩へと乗り移る。
「リフ、行こう」
「やるだけやってみましょ」
が、両肩を見比べたリフの目には、いくらかの困惑の色が浮かんでいる。
鮮やかな笑みを浮かべたのは、ポリアンサスだ。
「あたしねぇ、その絵本から出て来たみたいなお城、見てみたいの」
「僕、ここでじりじり待ってるのなんて、性に合わないよ」
口々に言われて、リフは眉を軽く寄せたままで顔を上げる。
「城での公演っていうのは、経験ないしねぇ」
ニールの笑みが、ますます大きくなる。アイリーンは、まっすぐな視線で頷く。
「やれる限りのことをやりたいわ」
一瞬、視線が落ちる。
が、すぐに、視線は上がり、立ち上がる。
「わかった、行こう」
その口調には、他人に口を挟ませないなにかがある。チャンバースは、伸ばしかかった手をシーツの上に戻してしまう。
きゅ、と握り締め、だが、彼もまっすぐに視線を上げる。
「貴方方の旅路に、幸が溢れていますよう」
「貴方方の旅路にも」
五人の声がそろい、そして扉が開く。


Vespertin Masic 〜shui ze fu jian〜

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