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 乃発声  ミナリスナワチコエヲハッス

リフが、軽く手綱を引く。
「ポー」
細い山道でも通れるように、変則的に繋がれた馬たちの先頭にいる葦毛の馬は、リフの発した警告の意味を正確に察して足元の石を避ける。
ポーが避けたのにならって、続く馬たちもその大きな石を避けて通る。
リフの肩の上で、ポリアンサスが軽く肩をすくめる。
「なっかなか気が抜けないわねぇ」
目の前に広がっているのは、うっそうと茂った木々と、その間を縫うように続く細々とした道だ。材木切り出し場とは反対方向なので、キレイに整備されてはおらず、石や折れた小枝などがいくつも落ちている。
「でもさ、こんなゆっくりじゃ、間に合わなくなるよ」
幌から顔を出したニールの肩の上で、ベックが口を尖らせる。
とても寂しい子供の存在を皆に告げる為の『笛』が吹かれるまでの猶予は四日も無いのだ。
早く辿りついて、どうにかせねば、手出しすることさえ許されなくなってしまう。
なのに、今の速度は、歩いているのとそうは大きく変わらない。
「急がば回れって言うだろ?この道で事故ったら、俺らが天に行っちゃうよ」
ニールが、にやり、と笑う。
「そうね、それにラルフの言う通りに、この先に待つのがとても寂しい子供なのだとしたら、知っておかなくてはならないと思うわ」
はっきりとした声に、リフ以外の誰もが振り返る。
「アイリーン、起きてたの?」
ポリアンサスが珍しく、ぽかん、とした顔つきになる。
くすり、と笑ったのはニールだ。
「もう起きたの?が正しい」
「どっちにしろ、珍しいよ」
ニールとベックへと、いくらか細くなった視線を見せてから、リフの背中へと向き直る。
「リフは知っているのよね?……というよりも、探しているのよね?」
返事は、返らない。
無視しているわけでなく、言葉を捜している眼だ、と肩のポリアンサスは思う。
ニールの顔からも、笑みが消える。
「金のふわふわの髪と、氷のような目をした女の子って、誰なのかな?」
「…………」
いくらか、リフの眉が寄せられる。
が、誰もが答えを待って、静かにその背を見つめる。
ポリアンサスが、いくらか身を乗り出そうとした時、だ。絞り出すような声が、ぽつり、と告げる。
「妹だよ」
返ってきた声に、いや、言葉に、四人ともが眼を見開く。
ベックが、ごくん、と喉を鳴らす。上手く、声が出なくなるほどに驚いたのだ。
「リフの妹を、連れてかれた?」
いくらか上ずった声で尋ね返す。
「違う。彼女が、俺の妹だ」
今度は、はっきりとした声が返る。
リフが、彼女のことを知っていることは、誰にも確信があった。
当然だろう、いつも、寂しい子供たちに問うて回っていたのだから。
身近な誰かを奪った張本人なのだろう、などという予測はしていたけれど。
まさか。
「まさか……そんな……」
言葉が見つからず、そんな単語が口をつく。
苦笑のように見える笑みが、リフの口元に浮かぶ。
「彼女の名前は、リリー・バーネット。俺が知る限りでは、唯一の自ら望んで寂しい子供になった者、だよ」
「自分から?!」
肩にいることを忘れて、思わずポリアンサスが大声で返す。
すぐに気が付いて、自分で自分の口元を押さえる。
それから、ニールの視線での問いに答える。
「聞いたこと無いわ」
「僕もだ」
ベックも首を横に振る。
リフの顔に、苦渋の表情が浮かぶ。
「滅多にはいないさ、『森』の長老も伝説にだけ聞いたことがあると言っていた」
視線だけが、まっすぐに馬たちが進む先を見据えている。
少しの間の後、いつもよりもいくらか低い声で話し始める。
「俺が住んでいたのはリアントサントっていう、小さな町だ。農業を営むのには不向きな土地で、働き手になれる人間はたいてい手に職つけて旅して稼いでいる」



「やだー!わたしもパパと一緒に行く!一人で行っちゃやだ!」
また、リリーのお決まりのだ。
泣き叫ぶだけならまだしも、手当たり次第にモノを投げるのだから始末が悪かった。
「リリー、ちゃんと話を聞いて頂戴」
母親がなだめるのも、全く耳に入っていく様子がなかった。
元々、体があまり丈夫でなかったせいで、家の中で過ごすことが多かったリリーは、感受性が強い子だった。絵本を書くことを生業としている母とばかり過ごすことが多かったせいも、あったかもしれない。
その上ひどく寂しがりで、父親も一人旅だと寂しいのだと堅く信じて疑ってないらしかった。
家で待つ家族を三人も養う為には、それなりの稼ぎを貯めこまなくてはならない。自然と、父親の旅の期間は長くなった。
それも、リリーから見れば、父にとっては辛いことだと映っていたらしい。
「もう少し大きくなって、手に職をつけるたと認められたら、性別に関係無く旅立つことが出来るようになるよ」
前回までの旅立ちの時までは、そう言いきかせることも出来たが、もう、そういうわけにもいかなかった。
というのも、前回も同じダダをこね、聞いてもらえないと知ったリリーは、こっそりと馬車にひそんでしまったのだ。
代償は、下半身付随。
父親が、気付かず走り出してしまった為に、馬車から振り落とされた上に踏みつけられたのだ。
彼女を医者に見せ、痛みが少ないようにしてもらい、更に薬代も、となると、家族を養うどころではない、とてつもない金額が消えていった。
出来るだけ多くの稼ぎを、と無理を重ねた上に、ひどく旅路を急いだのに違い無い。
やっとのことでリリーに留守番を納得させて旅立った父親は、二度とバーネット家に戻ることは無かった。
いつも以上の稼ぎを得て、リアントサントへと戻る途中に、がけ崩れに巻き込まれたのだ。
無論、家族は悲嘆にくれた。
母親などは、リフにしがみついて、泣き叫んだ。
リリーも、何日も食事が喉を通らなかった。
だが、現実は容赦なく突きつけられた。
生き残った者は、生き延びねばならなかった。
不幸中の幸いだったのは、母親も絵本を書くことで稼ぎを得ていたこと、それから、類まれな器用さと謳われて認められたリフが、すぐに父の跡をついで旅に出ることが許されたことだった。
だが、いくら類まれな器用さとはいえ、年季も買われる仕事だから、父親と同じように働いても稼ぎは同じにならない。
若さに任せて、父以上に長く旅に出るようになった。
母親の描く絵本が、少しずつ周囲に知れ渡って売れ始めたくらいでは、とてもとても足りなかった。
リフの稼ぎは、絶対に必要だったのだ。
元々寂しがり屋だったのが、十重二十重の輪をかけて寂しがりになったリリーは、その留守が耐えられなかった。
いつもいつも、リフがいなくなると、母親に
「いつ帰ってくるの?あと何日?」
そう問いかけては困らせた。
そして、リフが帰る日には、何時になろうと待ち続けていた。
陶磁器のような肌に、ふわりと広がる柔らかな金髪、ガラスのような瞳。
腕の立つ人形師でも、これほどの造形は出来ないと言われるほどの可憐な頬に血の気がさすのだ。
「お兄ちゃん!おかえりなさい!」
「ただいま」
荷物を下すのもそこそこに顔を出したリフへと、リリーは手を伸ばした。
細くて小さな手が触れられるところまで行き、リフは膝をついた。
視線の高さを揃え、首を傾げた。
「こんな遅くまで起きてたのか」
その言葉に、リリーの頬はぱんぱんに膨らんだ。
「ママもいいって言ったもの!だって、何ヶ月も会えなかったのよ?他の人は、みーんな帰って来たし、また行っちゃったのよ?たくさんたくさん、一人だけ帰ってこなかったのよ?」
「悪かったよ、無事に帰って来たので、良しとしてくれ」
まさか、リリーの為に働きつめているのだと言う訳にはいかない。
苦笑を浮かべつつ頭を撫でた。
その手で、いくらか安心したらしい。
「お兄ちゃんは、私を置いてどこか行っちゃったりしないわね?」
大好きだった父親は、手の届かないところへと旅立ってしまった。
そのことが、ひどくリリーを不安定にさせていた。
にこり、とリフは笑った。
「ああ、置いていったりしないよ」
もう一度、くしゃり、と撫でてやると、やっと本当に安心したらしい。
「さ、今日はもう寝なさい。明日はいるんだから」
「うん、お休みなさい。朝一番に、来てくれるよね?」
上目遣いにのぞいてくる妹の頭を、軽くこづいた。
「はいはい」
「ホントよ、ホントにホントよ」
必死で食い下がるのに、もう一度頷き返した。
「ちゃんと行くよ、大丈夫」
明かりを暗くして、もう一度声をかけた。
「お休み」
「お休みなさい、お兄ちゃん」
まだ興奮気味の声は、しばらく眠れないだろう。
苦笑を大きくしつつ、リフは扉を閉めた。
扉の向こうでやり取りをうかがっていた母親は、不安そうな顔つきだった。
「大丈夫?無理はしすぎないでちょうだい、疲れているでしょう?」
長旅から帰ったばかりなのだ、疲れていないわけが無かった。
リフは、軽く肩をすくめた。
「朝、ひとまずは顔を見に来るよ。その後で寝る分には、さすがに許してくれるだろ」
確かに、最初はそうだった。
でも、じきにずっと側にいないと拗ねるようになった。癇癪を起こすので、母親にも手がつけられない。
旅の疲れも癒さずにリリーの相手をしているのでは、さすがにリフの身が持たない。
リリーの気を紛らわせる為に、母親が一計を案じた。
「リフがいない間が楽しいと思えればいいのよ」
「なにか、いい考えが?」
首を傾げるリフに、母親は珍しく笑顔を見せた。
「特別な物語をつくるわ」
リフがいない間にだけ、聞ける物語だ。
しかも、リリーの為だけの。
この世で、その話を知っているのは母親とリリー、そして帰って着た時に聞かされるリフだけ。
たちまち、リリーはその話に夢中になった。
長い長いその話の舞台は、大きな城。
人里離れた場所に、ひっそりと佇み、時の流れに忘れ去られている。
城で起こる様々な出来事に、リリーは顔を輝かせた。
ねだられるままに、リフはその城の模型を作った。随所に仕掛けがほどこされていて、中の部屋まで見られるという凝った作りのモノだ。
話がひとつ増えると、舞台となった部屋の内装が整えられた。
話と共に、リリーはこの城の模型にも夢中になった。
だんだんと知られるようになり、仕事のための時間が必要になった母親にとっても、ありがたいことだった。
書きとめられた物語と城で、一人遊びしていてくれるのだから。
いつからか、母親の綴る話だけではなく、本を読むようにもなった。
一人で部屋にいることがずっと増えたが、癇癪を起こすことも無かった。いくらか、分別がつき始めたのかもしれない。
リフからの土産に本が入ると、頬を真っ赤にして喜んだ。
「嬉しい!」
そうたくさんは買えなかったせいもあるだろうが、リリーは本を繰り返し読んだ。
元々、感受性が強かったのもあるだろうが、空想癖のようなものが出てきたのもこの頃だったかもしれない。
とにかくも、家の方は落ち着いてきたので、リフも安心して仕事へと旅立つことが出来るようになった。
安心して、余裕が出たのかもしれない。
ひょんなことから、仕事でリリーの為の城を作った腕を発揮することになった。その出来を見て、依頼主は驚くと同時にひどく喜んだ。
その縁でサーカスとも知りあった。
半ばボランティアでの舞台の仕掛けが、かつてない最高の賛辞につながったことがわかると、今まで手にしたことがないほどの収入が転がり込んできた。
旅する者たちが広げる噂は、風のように速い。
すばらしい腕を持つ人間がいると知られ、各地のサーカスがこぞってリフに仕掛けを作って欲しいと依頼した。
いつの間にか、本業がそちらへと変わっていた。
リフの手にかかった仕掛けを入れたサーカスは、必ず成功する、とまで言われた。
そんな中のひとつのサーカス団長が、こんなことを言い出した。
「リアントサントで公演しようと思うが、どうかね?」
リフは、いくらか眼を見開く。故郷には、あまり住人がいない。
「旅をしていって公演するのは、採算が合わないのでは?」
首を傾げるリフに、団長は笑顔を見せる。
「もちろん、リアントサントでの公演に限れば、金額的な採算は合わんかもしれん。だが、君たちの町の人が目前で眼にすれば、リアントサントの職人技術はこんなところにも応用出来るのだと知る人も多いだろう。無論、サーカスへやって来てくれる人ばかりじゃあなかろうが、そんな人間もいるかもしれない」
ぽんぽん、とリフの肩を叩きながら、団長は笑った。
「これは、投資ってヤツだよ」
わかったようなわからないような気分でいるリフへと、更に団長は告げた。
「それにだな、待っている家族だって、君の仕事を目前で眼にしたら嬉しいだろう?」
オマケのように付け加えたけれど、それをよくよく考えてくれていたのは眼を見ればわかることだ。
リフは、深々と頭を下げた。
「お心遣い、ありがとうございます」
「だから、私にとっては投資なんだよ。リアントサントの職人は真面目で器用な人が多いからね」
笑って、もう一度肩を叩き、そして話は決まった。
滅多にないサーカスの来訪に、リアントサントの街は沸いた。
ちょうど、働き手たちの多くが帰郷している時期を選んだのも良かったのだろう、テントの中は連日親子連れでいっぱいになった。
職人がほとんどである働き手たちは、リフの仕掛けに感嘆するだけでなく、興味を隠さなかった。
「なるほど、こんなことも」
と言う者がいれば、
「いやいや、もっと出来る」
と胸を張る者もいた。
お祭り気分と同時に、町は新たな活気に満ち始めていた。
リリーも、特別な席を用意してもらい、毎日のようにサーカスに通った。
初日前など、興奮しすぎてあまり眠らなかったほどだ。
「お兄ちゃんの作ったのが動くの?お兄ちゃんのが?」
前日の準備を終え、家へと帰ったリフの腕を掴んで、ずっと繰り返していた。
そして、初日を目にして、更に興奮した。
「すごいよ、お兄ちゃん、ホントに凄い!」
母親も、いくらか潤んだ目を向けた。
「本当に、こんなに素晴らしい仕事をしてくれて」
故郷に錦を飾る、という言葉通りに、リフはリアントサントの英雄となったのだ。
数日間の興行の間、町はどんどんと活気に満ち溢れていったが、まるでそれと逆行したのがリリーの機嫌だ。
機嫌が悪くなる、というよりは、どこか落ち込んでいく、と言った方が合っていた。
最終日には、行かない、の一点張りだった。
体調が悪くなったわけでもない。
なのに、ともかく行きたくない、と言い張り続けて家に残った。
部屋を出る瞬間、リリーがぽつり、と呟く声がした。
「私が、お金たくさんもってたら、お兄ちゃん、私だけのお仕事してればよくなるのに」
次の仕事へとリフが旅立つ時も、リリーはいくらか沈んだままだった。
だが、わがままを言って止めるような真似もしなかった。
いつも通りに城の模型の前で、母親が綴った物語を読みながら静かに過ごしていた。
数日経って、リリーが手にしているのは母親の綴った物語ではなくなった。
それは、いつものことだった。
リフが持ち帰った様々な本を、繰り返し読む習慣になっていたのだから。
忙しくなっていた母親は、気付かなかった。
手にしている本が、どこか取り付かれたかのように読みふけっている本が、たった一冊であることに。
ある晩、おやすみの挨拶をしてから明かりを消した母親の耳に、リリーの呟きが聞こえてきた。
「みんな、寂しい子供になっちゃえばいいのよ」
「リリー?」
問い返したが、返事は無かった。
翌日。
リリーの心は、リフの作った城と母親の綴った物語を持って、消えてしまった。
冷えた躰だけを残して。



「手掛かりはすぐに見つかった。読んでいた本の方は残されていたから」
静かな声で、リフは言う。ニールが、軽く肩をすくめる。
「それに、サーカスは地方に伝わる話の宝庫だしね」
「寂しい子供のことは、いろいろと知ったよ。共に旅をしていた人とも出会えたし」
アイリーンが、そっと言う。
「キャヴェンディッシュ先生ね」
「ああ」
リフは、頷いてみせる。
「キャヴェンディッシュ氏のおかげで、『森』へのつながりを持つことも出来た」
眼鏡の奥の視線が、一瞬だけだが、いくらか落ちる。
「一通りの情報が出揃った頃には……その中には金髪の女の子に連れて行かれた子供の話が、いくつもあった」
「それで、リリーが自分から寂しい子供になった、とわかったんだね」
ベックが俯きながら、ぽつり、と言う。
ポリアンサスが、リフを見上げる。
「みぃんな寂しい子供になっちゃえば、自分だけが寂しくないって思ったのね」
「それだけじゃないよ、ポリー。元気な人はいつでもリフの仕事の成果を目にすることが出来るけれど、リリーのような子はそういうわけにはいかない」
ニールの言葉に、ポリアンサスは振り返って頷く。
「寂しい子供だけだったら、はなからその子たちの為のモノしか出来ないわね」
「本気で、皆を寂しい子供にする気なのね」
アイリーンが、首を横に振る。
「その為に、大人しい馬さえ操ったのね」
事故を起こし、動けなくなった子供を無理矢理に連れ去った。
そうでなければ、アヴァーカーンでの事故とそれに引き続く一連の出来事を説明出来ない。
「なんてことを……」
四人もの子供が犠牲になったのだ。アイリーンは、口元を覆う。
リフの視線は、景色の向こうを見据えるようにまっすぐに前を見つめる。
「だから、俺は絶対に止めなくてはならない」
色付の眼鏡の奥の瞳には、強い意志がある。
にこり、と笑い返したのはポリアンサスだ。
「あたしたちは、いつでもリフと一緒よ。だって、団長だもの」
「そうそう、団長あっての俺らだからねぇ」
ニールの調子の良い口調に、くすり、とアイリーンが笑う。
「こんな時だけ、団長連呼しちゃって」
「アイリーンは、違うの?」
ベックが、にっと口の端を持ち上げながら問いかける。
「ううん、私も同じよ」
四人のやり取りに、リフの口元にも薄い笑みが浮かぶ。
「でも、これは難しいねぇ」
と、首を傾げたのはニール。
「自分から、それもとても寂しい子供になっちゃうくらいの思い込みの激しさを持ってるリリーちゃんは、どうしたら納得してくれるのかな」
「皆、寂しい子供にしてリフ独り占めってのは、絶対に無理だもんな」
ベックも、腕を組んで首を傾げる。
「なにか、あるはずだわ」
まっすぐに視線を上げたのはアイリーンだ。
「今まで、私たちが会ってきた寂しい子供たちだって、けして本当の望みを叶えられたわけではないもの」
「確かにね」
頷き返してから、ニールはもう一度肩をすくめる。
「かといって、俺らがただ公演して納得してくれるっていう相手でもなさそうだよ」
「だから、まずは情報収集!」
ベックが、拳を振り上げる。
「どんな子が待ってるのかはわかったし、後は当たってみるのみ!」
リフの口元に浮かんでいた薄い笑みが、はっきりとしたものになる。
「お説ごもっともだな、もう少し早く進むか」
「そうこなきゃ!」
リフの手綱に反応して、馬たちの速度が上がる。
馬たちの足を痛めないよう細心の注意を払いつつも、出来うる限りの速度で山を登っていく。
軽く身震いをしたのは、リフの肩の上の定位置に座っていたポリアンサスだ。
「すごぉい、近付いてきたわ」
幌から、ニールとアイリーンが顔を出す。
ポリアンサスが指差してみせる方には、うっそうとした森が広がっている。
その木々の合間から、ちらほらと巨大な建物の影が見え隠れしているのがわかる。
ニールが目を凝らしながら、感心する。
「あれだね。なるほど、壮観だなぁ」
「あんなの、僕見たことないよ」
ベックの感嘆の声に、アイリーンも頷く。
「絵本でも見たことがないくらいに大きいわね」
「そりゃそぉよ、だってリフが作ったお城なんだもの」
ポリアンサスの言葉に、三人の視線が集中する。
「リフが作ったのは、模型だろ?」
口を尖らせたのはベック。
「だぁって、とても寂しい子供なのよ?その力は絶大なんだわ。寂しい子供として旅立つ時に一緒に持っていくほどに思い入れてるものなんだもの、これっくらいは出来ちゃうのよ。そぉでしょ?」
首を傾げられて、手綱を操りながらリフは頷く。
「メルサムにあるフィンハート城、まさに母が書いた話そのものだ。感心するほどに忠実に拡大されているようだな」
言葉と共に、視界にははっきりと城が見え始める。
静かに、だが、はっきりとリフが告げる。
「そろそろ『入る』ぞ」
「はぁい、リフ団長」
いつも通りに、ポリアンサスが返す。
ニールとアイリーンの視線が、まっすぐに城を見上げる。
周囲の景色は、針葉樹林の街道に、整然とした石畳。
城下へと続く、申し分の無い光景だ。
城門から、いくばくか離れた場所にリフは馬車を止める。
「もう、夕暮れだ。今晩はここで過ごして、明日の朝から仕事を始めよう」
「なるほど、朝の光でとても寂しい子供の力が、少しでも弱くなるのを待つんだね」
ニールの言葉に、怪訝そうだったベックも頷く。
「だね、あちらさんは、公演を待ってるわけでもないし」
「急がば回れ、ね、了解よ」
ポリアンサスが言うと、アイリーンも頷く。
「まだ、『笛』が吹かれるまでには時間があるわ」
「ま、『笛』が吹かれる前に入り込んじゃえばこっちのものだけどね」
ベックの言葉に、リフとニールが不可思議そうに見やると、肩をすくめてみせる。
「だって、入っちゃったら『笛』聞こえようがないもん」
納得して頷きつつも、ニールは言う。
「外部からの干渉もわからなくなるっていうことだね」
「そぉ、だから、『笛』が吹かれる前にケリつけるのがオススメね」
もう一度、リフが言う。
「さっきポリーが言ったとおりだ。対策を練らずに入れば、今までと同じ様に飲まれる」
「しかも、俺ら飲む気満々だろうしね」
ニールが、城を見上げる。
「どぉいうこと?」
眉を寄せたポリアンサスに、ニールは笑顔を向ける。
「あちらだって、誰が来たかくらいは見てるだろ?」
「大好きなお兄さんを、見間違えるわけはないわ」
アイリーンの言葉に、リフも城を見上げる。
「こちらも、見間違えようが無い」
眼鏡を取り、もう一度見上げ直す。
「この城のことを別の意味で最も良く知っているのは俺だ」

夜。
ニールは、人の気配に目を覚ます。
どうやら、リフが外へと出て行ったらしい。
明日の朝まで待つ、と決めた当人ではあるけれども、やはり落ち着かないのだろう。どうやら、同じく落ち着かなかったのか、ベックも一緒のようだ。
城の様子をうかがうだけならば別に悪いこともあるまいし、自制心の強いリフのことだし、ベックもいる。
問題は無いだろう、ともう一度目を閉じる。
中に入ったら、どういうことになるのか想像もつかない状況だ。体力を温存しておいて、損になることはない。
もう一度、眠りに落ちそうになった瞬間。
思い切り、ほっぺたを叩かれる。
「起きて!ニール、起きてったら!」
ポリアンサスの声なのは、すぐにわかる。
ただ、こんなに慌てているのは初めてだ。
跳ねるように起き上がったニールの腕を、ポリアンサスはしっかりと掴む。
「大変、大変なのよ」
「リフが、どうかした?」
出て行ったのを、知っている。もしかしたら、リリーと出会ったのかもしれない。
「違うわ、アイリーンが!」
「アイリーン?」
幌の中で五人が寝るのは無理だ。だから、女の子だけを残して、小さなテントに移っていた。
さすがに、幌の様子まではわからない。
上着をはおりながら問い返す。
「アイリーンが、どうしたって?」
「いなくなっちゃったの、城の周りの、どこにもいないの」
その言葉の意味するところは、はっきりとしている。
手早く上着のボタンを留めながら、テントの外へと出る。
ちょうど、リフたちも戻ってきたようだ。
「リフ!」
ニールが服をきちんと着ていることとポリアンサスのただならぬ声とで、異変を感じ取ったのだろう、走り戻ってくる。
「ポリー、アイリーンがどうした?」
「いないの、幌にも、城の周りにも、どこにもいないのよ」
ニールに告げた言葉を、もう一度繰り返す。
たった一人で、山を降りるわけは無い。
城の周りにいないのだとしたら。
誰からとも無く、城を見上げる。
満月の光の下、幻想的なまでに白くそそり立つ美しいフィンハート城を。
「ニール、『入る』ぞ。荷の用意を」
「了解」
ポリアンサスを肩に乗せたまま、ニールは幌の方へと走る。
ベックが、リフの肩で首を傾げる。
「どうやって入るの?」
鍵を開ける器用さをもったアイリーンがいない。
リフが、うっすらと笑みを浮かべる。
「言ったろう?この城のことは、別の意味で誰よりも良く知っている、と」
城門の鍵へと、手をかける。複雑な合わせ錠を、苦も無く外していく。
「この城を作った当人だからなぁ」
小ぶりにまとめた荷物を手にニールが笑ってから、城を見上げる。
「さて、と」
ポリアンサスとベックも、一緒に見上げる。
「行くぞ」
言ったなり、リフが歩き出す。
ニールも、すぐに続く。
背後で、音高く門が閉まる。


Vespertin Masic 〜lei nai fa sheng〜

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