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 風解凍  ルカゼコオリヲトク

ふ、と目を覚ましたアイリーンは、耳を済ます。
ほんの微かだが、音が聞こえる。
よくよく耳を澄ますと、音の正体は声だとわかる。
泣き声だ。
ゆっくリと、体を起こす。
しばらく耳を澄ますが、泣き声はやまない。
テントで寝ているリフたちが、夜中に泣くなんてあり得ない。
と、いうことは、この泣き声の主がいるのは、一箇所だけだ。
明日の朝まで近付くなと言われている、フィンハート城。
そっと、幌を閉ざしている布を持ち上げる。
月は天頂へと登り、城はますます冴え冴えとそびえている。
美しいはずなのに、どこか孤独で寂しいと思うのは、とても寂しい子供が主だと知っているからだけだろうか。
泣き声は、押し殺したような声で、まだ続いている。
寂しくて寂しくて、どうにもならないというのがにじむ声。
誰が来たかくらいのことは、見ているだろうとニールが言っていた。アイリーンも、そう思う。
きっと、城にいるリリーは兄が来たことに気付いているに違いない。そして、とても寂しい子供となった自分とは対極とも言える、寂しい子供を天に送り出すことを仕事としていることにも気付いているだろう。
知ったからこそ、この城を造りあげたのかもしれない。
だとすれば、この泣き声は誘い出そうとしているのかもしれない。
語り人と、笛吹きと、人形師と。
三組も飲み込んでいるのだ。
それは、力ずくだけでは、出来ないこと。
勝手なことをすれば、困るのは自分だけではない、と言い聞かせる。
でも、まだ、泣き声は止まない。
耳をふさぐことは簡単だけれど。
もう一度、幌の中へと戻って手早く靴を履く。
そして、身軽に飛び降りる。
城門の、前まで。
言い聞かせながら、歩き出す。
ひやり、と空気が肌を刺すのは、季節のせいだけではない。城から流れ来る風のせいだ。
流れを感じるほどの強さは無いけれど、確実に。
いつも、終わりの無い死の町に入った後に感じる冷たさよりも、ずっと強い。痛みを感じるほどだ。
何人の子供たちが、とアイリーンは思う。
リフが、リリーが寂しい子供となったのだと情報を得た時には、すでに数人が連れて行かれていたと言っていた。
それから、アヴァーカーンで四人もの子供を連れて行くまで、誰も連れ去っていないわけがない。
今までの旅先にだって、何箇所も立ち寄っている。
人が移動するよりも、はるかな速さで駆けることが出来る彼女は、もっとたくさんの場所を回ってきたはずだ。
リリーが、行く先々で、寂しい子供たちにとって辛いことを思い出させようとしたのは、より寂しい子供を増やそうとしていたからに違いない。
寂しさが増せば、それだけ力は強くなる。
小さい人を連れた者であっても、連れ出されてしまった子を連れ戻すのは難しくなっていく。
でも、その行為とて、リリーが寂しいことのなによりの証だ。
大好きな人に、側にいてもらえない。
大好きな人に、ついて行くことも許されない。
身動きが取れないということは、それだけ孤独を増すということ。
それではなくても寂しがりであったリリーにとっては、耐え難いことだったのだろう。
だからといって、寂しい子供を増やしていいわけがない。
ましてや、事故を故意に起こして連れ去るなど、許されていいことではない。
まっすぐに、視線を上げる。
城門は、しっかりと閉ざされて反対側の景色をうかがうことは出来ない。
確実なことは、誰かが泣いているということだけだ。
泣いている声は、アイリーンの足音が近付いた途端に、ぴたり、と止まる。
代わりに、か細い声が聞こえてくる。
「だぁれ?」
「あなたは?」
アイリーンは問い返す。
「あたし?あたしはクリスティンよ」
ごく素直に返事が返る。
「クリスティン、泣いてたみたいだけど、なにかあったの?」
「ううん、お月さま見てたら、悲しくなっちゃったの」
幼い声には似合わない感傷的な答えは、寂しい子供だという証拠。
どこから、連れてこられてしまったのだろう?
アヴァーカーンの子たちのように、無理矢理な事故に巻き込まれたのではないことを祈るばかりだ。
「そうだったの。でも、お月さまは優しいのよ?」
「ほんとう?」
先ほどより、ほんの少しだけ声の位置が高くなる。
顔を上げたのだろう。
「そうよ。クリスティンが泣いていたら、元気になってって思うわ」
言葉と同時に、柔らかなレースのハンカチが高い門の向こう側へと投げられる。
「あ!」
いくらか、戸惑った声と、走る足音と。
そして弾んだ声が飛び込む。
「すごい、キレイなハンカチ!」
「お月さまが涙を拭いてって言っているのよ」
アイリーンの口元にも、笑みが浮かぶ。どうやら、ひとまずは元気が出てきたらしい。
今晩は、もう泣くこともないだろう。
「じゃあ、また明日ね」
中に入れば、クリスティンにも会うことになる。
そうしたら今度は、目前で花を出してあげたらどうかな、などと思いながら、背を向ける。
「ねぇ、お名前、聞いてないよ!」
離れていく足音に、寂しそうな声が追いかける。
顔だけ、振り返る。
「アイリーンよ」
ごくあっさりと告げ、また歩き出す。このままおしゃべりに付き合ってもいいが、それでは徹夜になってしまう。
だいたい、夜中に目が覚めること自体が、アイリーンにとっては珍しいことなのだ。徹夜はあまりに明日に響きそうだ。
「アイリーン?」
不可思議な語調に、足が止まる。
「ねぇ、お兄ちゃんがいるでしょう?」
もう一度、城門を振り返る。その顔に、笑みは無い。
なぜ知っている、という問いは、喉の奥で止まる。
「……ええ、いるわ」
先ほどと口調が変わらぬよう気をつけながら、静かに返す。
城門の向こうの声は、嬉しそうに弾む。
「やっぱり!サイラスから聞いてるのよ。マジックが得意なんでしょう?神様に祝福された手なんでしょう?」
なぜ、という問いは正しくない。
彼女に問うべきなのは。
「どこで、聞いたの?」
「お城よ?サイラスは、奥の部屋にいるの」
寂しい子供になったはずなのに、今までの旅のどこにもサイラスはいなかった。
だからといって、クリスティンの言うことを鵜呑みにするのは愚かだ。
どちらにしろ、明日の朝にはフィンハート城へと入ることになる。
わかっている。
わかっているけれど。
「……中に兄さんがいるの?」
「やっぱり、サイラスはお兄ちゃんなんだね!うん、中にいるよ!」
普通ならば、八分二分の割りの悪い賭けといっていい。
でも、相手はとても寂しい子供であるリリーだ。
掛け率は、五分。
「私を、入れてくれる?」
「うん、開けたげる!サイラスもぜーったい喜ぶよ!」
クリスティンは、我がことのように嬉しそうな声を上げる。
ややしばしの後、城門は低いきしむ音を立てながら、ゆっくりと開く。
その真ん中に、月明かりに照らし出されるように一人の少女が立っている。
ブルネットに、氷のような青い瞳。
アイリーンは、賭けの結果をその瞳で知る。
だが、もう、彼女の手の中だ。下手に動けば、自分もあっという間に語り人たちと同じ運命を辿ることになる。
ならば、彼女が完全にハメるところまでは、大人しく付いていった方がいい。
にこり、と笑って、クリスティンと名乗った少女が手を差し出す。
「アイリーン、ようこそフィンハート城へ!」
氷のような瞳を煌かせながら見上げている。
アイリーンも、笑顔で手を握り返す。

器用にからくりを避けながら、ニールが笑う。
「いやぁ、凝った造りになってるねぇ。俺の腕がこれほど試される場所も珍しいよ」
「内装はぁ、オモチャの兵隊が出てきそうなかわいさなのにねぇ」
アクロバットそのものの動きで振り回されているのを全く気にしてない口調で、ニールの首筋にしがみついているポリアンサスも相槌をうつ。
城門をあっさり開け放ったのと同じように、フィンハート城の中への扉もリフがあっさりと開け放った。
入るのが、あまりに簡単だった反動なのかどうか、内部は凝りに凝ったからくりだらけなのだ。
侵入者避けであるらしい。
リフの服のポケットに収まっているベックがぼやく。
「でもさぁ、せっかくアイリーンが道しるべ作っといてくれたにしてもさ、これじゃいつまで経っても追いつけないよ」
先行するニールがからくりを全て発動させきってしまうので、リフ自身の運動量はたいしたことはないのだが、その顔はかなり難しい。
リフを会話に参加させるのは難しいと思ったのだろう、ベックがまたぼやく。
「アイリーンもアイリーンだよ、ワナに気付いて道しるべつくってくれるくらいに冷静なのに、なんでついてっちゃったかなぁ」
「お兄さんの名前を出されたからよ」
ポリアンサスが、ニールに捕まり直しながら言う。
「ワナかもしれないって思っても、確認しに行きたくなるにきまってるもの」
たった一人、アイリーンが楽しませたいと思った人。
寂しい子供になってしまったかもしれないとて、ずっと気にかけていたのだ。
「急所をつかれたってことかぁ」
その点は、ベックも諦めることにしたらしい。
ここまできて、ぼやいても仕方ないことでもある。
もう、コトは始まってしまった。
引き返せはしないのだから。
「うっわー、またからくりだ」
ベックのぼやきに、飛び出して来た槍を器用に避けながらニールが笑う。
「仕方ないよ、なんてったって、こういう細工やらせたら右に出る者無しとまで言われてるリフ・バーネットの処女作なんだからね」
難しい顔のまま、リフが口を開く。
「この先もう少し行ったところで二手に分かれよう」
「どうする気さ?」
ベックの問いの答えに気付いたのは、ポリアンサスの方だ。
「からくりを止めに行くのね?」
その言葉は、落ちた床から戻る為に、ニールが器用に回転するのとあいまって、リフたちの耳には音量がふわふわと変化しながら聞こえてくる。
さすがに、いくらか可笑しくなってきたのか、リフの口元にも薄い笑みが浮かぶ。
「そうだ、ここまで様子を見てきたが、からくりに関しては自分でどうこうすることは出来てない。俺が作ったままが、実物大に変化している」
「そりゃあ助かるねぇ」
ニールが、大きく穴が空いた廊下の向こう側から、落ちた板をロープで引っ張り上げつつ笑顔を向ける。
それをリフは身軽に渡って、アイリーンの残した道しるべを指す。
「ここから先は、そう派手なからくりは仕掛けられてない」
「了解、出来るだけ急ぐよ」
ニールが笑みを大きくする。ポリアンサスも、大きく頷く。
「だぁいじょおぶ、あたしだって付いてるんだから」
ふ、とリフの口元に笑みが戻る。
「頼む」
頭を下げると、すぐにきびすを返す。
その後姿を見送って、ニールとポリアンサスは顔を見合わせる。
「さて、もう少しみたいだね?」
「そぉね、あっちの方に光が見えてるわ」
ポリアンサスが指す方に、ニールも視線をやる。
「ああ、あの扉の向こうか。開いてるってコトは、どうにか間に合いそうかな?」
「やろうとしてることにもよると思うけど」
いくらか、ニールの笑みが大きくなる。
「そうだねぇ。ポリー、悪いけどここからは自分の足で行ってくれないかな?この距離くらいなら、一緒に走れるだろ?」
「そりゃ、出来るけど」
下されたポリアンサスは、不信そうに眉を寄せる。
「いい?入る時には、俺の後ろにいて欲しいんだ」
「ちょっとぉ、それは無いわよ」
珍しく、険しい顔つきになる。
「あたしは、守られるような趣味は」
「わかってる、そうじゃないよ。お願いしたいことがあるんだよ。後ろから、とてつもなく明るくして」
立ったまま、見下ろしてはいるが、ニールの視線はまっすぐだ。
「明るく?」
「部屋の中よりも明るくだよ、一瞬でいい」
険しさから、いくらかの疑問をたたえた表情になりつつ、ポリアンサスは首を傾げる。
「タイミングは?さすがに、明るい部屋より明るく出来るのはホントに一瞬だわ」
「合図するよ、必ずわかるから」
ニールの視線は揺らがない。
「なにか、考えがあるのね?」
「唯一確実なのがね。任せてもらえないかな?」
ポリアンサスは、にこり、と笑う。
「りょおーかい」
「よし、行こう!」
言ったなり、ニールは走り出す。
すぐに、ポリアンサスも続く。
リフが言った通り、派手に動かなくてはならないからくりは無いようだ。ポリアンサスの足でも、充分に避けられる。
全力疾走で、明かりが漏れている扉まで走りついた二人の視界に入ったのは。
半分から向こうの床が無い、そのぎりぎりのところに立っているアイリーンと、その背を押そうと手を伸ばしかかっているブルネットの少女。
「アイリーン!」
ポリアンサスが、鋭い声を上げる。
なにかが弾け飛ぶ音がして、アイリーンが振り返る。と、同時に、己の立っている場所がどういう場所なのかも気付いたようだ。
突き飛ばそうとしていた少女も、そのままではいない。ブルネットは見事な金髪になる。
ストレートだった髪は、美しいカールを描いて煌く。
クリスティンからリリーへと、戻ったのだ。
人形の如くに美しい少女が、まなじりを吊り上げる。
「思い通りになると思わないことね!」
鈴を振るような声で物騒なことを言ってのけたかと思うと、思い切りアイリーンを突き飛ばす。
遠慮仮借なく押されて、アイリーンの足元がよろめく。
部屋へと飛び込みながら、ニールが叫ぶ。
「サイラス!」
思わず、リリーでさえ目をそむけるようなまばゆい光が射す。
背後の低い位置からの光で、ニールの影が、ぐん、と伸びる。
同時に、意思を持ったかのように立ち上がり、手らしきモノを伸ばす。
「アイリーン!」
その声は、ニールのものではない。影が、アイリーンを呼んだ。
名を綴ると同時に、伸ばした手が、しっかりと伸ばし返された手のひらを掴む。
握り返しながら、アイリーンの目が大きく見開かれる。
「兄さん?!」
呼ばれると、人型を模した影のようだったのが、はっきりとした人を形作る。
アイリーンより少し薄い色の髪に、少し深い色の瞳。
男性にしては、いくらか華奢な肩。
骨ばった手が、しっかりとアイリーンを抱きしめる。
ポリアンサスも、ぽかん、と眼を見開いているが、それはリリーもだ。驚愕しきったような顔つきだったのが、はっと我に返ったらしい。
「よくも!」
ふわり、とその躰が浮く。
「許さない!」
言葉と同時に、床全てが抜ける。
「いなくなっちゃえばいいのよ!」
言い捨ててリリーの姿は掻き消えるが、彼女の行方どころではない。
一気に奈落の底へと引き込まれるような感覚だ。
なんせ、視界に見えるのは漆黒の闇。
「うわっ!」
「きゃっ!」
思わず悲鳴を上げつつも、同じく悲鳴を上げたポリアンサスを器用に自分の肩に乗せ、ニールはベルトとなっていたモノを器用に壁の微かな隙間へと引っ掛ける。
が、それはぐん、と勢い良く伸びていく。
「ひゅーっ、迫力あるねぇ」
ご機嫌そうな顔つきに、ポリアンサスが眉を寄せる。
「アイリーンはどうしたのよ?!」
「大丈夫だよ、サイラスがいるんだから」
にっと口の端を持ち上げつつ、伸びる勢いが緩んだ紐を掴み直し、急激な勢いで近付いて来た壁へと足をついて激突を避ける。
ぶらん、と宙ぶらりんになったまま、暢気な声で下へと呼びかける。
「アイリーン!」
「大丈夫!怪我はないわ!」
そう遠くないところから、アイリーンの声が返る。
ぱっと顔を輝かせて、ポリアンサスが自分の服のポケットから、小さな球のようなモノを取り出して投げ上げる。
柔らかな光によって、ニールたちがぶらさがっているところから石で出来た床までは、そんなに高さが無いことがはっきりとする。
その真ん中付近で、アイリーンとサイラスが見上げている。
「ニールたちは、大丈夫?」
アイリーンの問いに、にっこりとニールが笑い返す。
「もちろん」
言ったなり、今度は大きく壁を蹴って、空中回転のオマケ付で降り立つ。ぶら下がっていた紐もベルトに戻る。
「この高さから落ちて、よく怪我しなかったわねぇ」
感心した顔つきでポリアンサスが首を傾げると、にこり、とサイラスが笑い返す。
「ここは、終わり無い死の世界に住まう者たちとっては夢の城なんだよ」
穏やかに耳に馴染む声だ。
「よぉは想像力次第ってことね」
「そうだね」
頷くサイラスの隣で、困惑した顔つきで立ち尽くしているのはアイリーンだ。
そちらに、ちら、と視線をやってからポリアンサスが尋ねる。
「ねぇ、急いで行動しなきゃいけないっていうのはわかってるんだけど、教えてくれない?いったい、なにがどうなってるわけ?」
「見た通りだよ」
肩をすくめて、ニールが言う。
「サイラスは、亡くなってからこのかた、俺の影に棲んでたのさ。で、この想像力が大いにモノを言うフィンハート城で姿形を作ることが出来たってこと」
「そして、影から離れて自由に行動することもね」
穏やかにサイラスが付け加える。なるほど、ニールの足元にも、普通に影がある。
それにしても、だ。
「影に住むって……」
ポリアンサスも、アイリーンも、ひどく不思議そうな顔つきだ。
ニールが、苦笑気味に肩をすくめる。
「理由は訊かないでくれよ、俺にもわかんないんだから。ただ、生まれつき俺の影は、天に行ききれないワケありの人が棲んじゃう場所で、今回はサイラスだったってこと。影に棲んじゃうと姿はなくなっちゃうし、声が聞こえるのは俺だけだしで、言っても人は信じてくれないんだよねぇ」
「私は」
ぽつり、と言ったアイリーンを、サイラスが覗き込む。
「うん、アイリーンなら信じてくれたね。教えないって決めたのは僕だ」
うつむいてしまったアイリーンの髪をそっと撫でる。
「どんなことがあったにせよ、僕は命を失った者だ。それに、アイリーンほどの腕があるのに、僕だけの手品師で終わって欲しくないのは、本当なんだよ」
透明なモノをいっぱいにして、アイリーンは顔を上げる。
にこり、とサイラスが微笑む。
「ニールの影から、ずっとアイリーンのマジックを見ていたよ。街の皆が言ってくれてた通り、アイリーンは確かに神に祝福された手の持ち主だよ」
笑みが、大きくなる。
「アイリーンなら、どんな人だって見惚れるマジックが出来るよ、絶対に」
もう一度、さらり、とアイリーンに髪を撫でる。
「たとえ、とても寂しい子供であったとしても」
に、と笑みを浮かべたのはニールだ。
「その意見には大いに賛成だね」
「あたしもよ!」
アイリーンの肩へと飛び乗って、ポリアンサスもにっこりと微笑む。
少し眼を見開いて、アイリーンはニールを、ポリアンサスを、そして、サイラスを見つめる。
それから、はっきりとした笑みを口元に浮かべて、大きく頷く。
「さぁて、言いだしっぺがこれ言うのもなんだとは思うんだけどぉ、長居は無用みたい」
腕をさすりながら、ポリアンサスが言う。
ニールも軽く肩を震わせる。
「だね、異様に寒いや、ココ」
「寒いというより、寒くなって来てるんだよ」
と、サイラスが部屋の片隅を指す。
「あ!」
サイラスの指先へと視線をやったアイリーンが、思わず声を上げる。
床が、白く染まっている。
正体は、氷だ。
温度が急激に下がって、部屋自体が凍りつこうとしている。
氷はじわじわと広がってきている。
「とっとと退散しよう」
言いながら、ニールは壁を叩く。軽く反響する。隣に、空洞があるという証拠だ。
「さて、どちらに進もう?」
と、上と横とを指してみせる。
「上行っても、からくりだらけだわ」
ポリアンサスの言葉に、ニールは肩をすくめる。
「たしかに、なかなかの障害物だったねぇ」
引き返す方向に進めば新たに発動するからくりはないだろうが、道が平坦ということではない。それに、どこかで結局はからくりが発動していない新しい道にいかなくてはならなくなる。
「新しい道の方が、新しい発見があるかもしれないよ」
サイラスの言葉に、皆が頷く。
「横を開通させなきゃダメね」
アイリーンはニールが持ってきた荷の中から小瓶を取り出す。
ニールが、手早く氷が広がってきているのと反対方向の壁を叩いて回る。
「ここなら、側壁までは壊さなくて済みそうだよ」
こくり、と深めに頷くと、そこに多めの黒い粉を撒き、その塊から細い線を描く。
「ポリー」
アイリーンに呼ばれたポリアンサスの口の端が、にっと持ち上がる。
「はぁい、いっくよー!」
景気のいい声と共に、線の端に点火する。
「耳、ふさいで!伏せて!」
その言葉が終わると同時に、狭い部屋で聞くには大き過ぎる音が響き渡る。
四方の壁が、一斉に震える。吹き飛んだ壁のカケラたちが、一気に反対側へとぶつかってそちらにも風穴を開ける。
真っ先に体を起こし、進行方向と定めた方を覗き込んだニールが大げさなくらいに肩をすくめる。
「うっひゃー、こっちも寒いねぇ」
「でもぉ、長居しないって決めたのはいい考えだったみたいよぉ」
反対側を覗いたポリアンサスが、目にしたモノから視線を逸らしながら言う。
アイリーンも、いくらか血の気の引いた顔で振り返る。
「凍りついて……」
ニールとサイラスも覗いてみて、眉を寄せる。
そこには、人形師と一緒に来たのだろう小さい人二人が、まるで氷の彫刻のような透明な輝きで動きを止めていた。
「ともかく今はどうしようもないな」
ニールの言葉に、頷いたのはポリアンサスだ。
「ともかく進まなきゃ」
「どこにどう進むのかは決めていった方がいいよ」
止めたのはサイラスだ。
「それじゃなくても、ここはリリーの想像の世界なんだ、彼女の意思が強く反映する場所だろう?やみ雲に進むのは、思うツボなんじゃないかな?」
もっともなのだが、かといって、どこに行けばいいのか皆目検討もつかない。
ニールとポリアンサスが、困惑気に視線を見交わす。
サイラスの言葉に、小首を傾げていたアイリーンが、ぽつり、と言う。
「ねぇ、本はどこに行ったのかしら?」
「本?」
三人の声が揃ってしまい、誰からとも無く顔を見合わせて苦笑する。が、すぐにアイリーンへと視線を戻す。
「リリーは、リフが作ったフィンハート城の模型と、お母様が書いてくださった本を持って消えてしまったってリフは言っていたわ。二つとも、迷わず持っていくほどに思い入れているモノってことでしょう?」
「なぁるほど、わかったわ!フィンハート城が実物大になるほどなんだもの、もちろん本だって後生大事に持ってるはずよね」
ポリアンサスの笑顔に、サイラスも頷く。
「そうか、その本を読めば、リリーが何を望んでいるか、最低でもヒントが隠れてるって可能性が高いね」
「ものすごくいい考えなんだけどさ、城の中はとてつもなく広いよ?」
ニールが、至極もっともな意見を述べると、サイラスが軽く首を横に振る。
「いや、予測は可能だよ。お母さんが書いたこの城は、古来の築城に従ってるって思って間違い無いと思う。僕が見た限りでは、資料に基づいた造りになってる」
「なるほどね、となると、くだんの本が隠されているのはどこだろう?」
首を傾げたニールに、サイラスは明確に答える。
「城には、たいてい宝物室と図書室がある。昔は本も貴重品だったから、厳重に管理されていたんだよ。その中でも特に貴重なモノは、銀細工の華麗で微細な細工をほどこした特別な箱を作って収めたりしていたそうだ」
「でもぉ、図書室がどこかまでは、わからないわよね?」
おそるおそる、ポリアンサスが口を挟む。
が、アイリーンの口元には笑みが浮かぶ。兄がなにを思ったのか、正確に覚ったのだ。
「フィンハート城には、モデルがあるんじゃないかしら?」
サイラスの顔にも、笑みが浮かぶ。
「図版付きの本は好きだったから、よく覚えているよ。フィンハート城は、バーデン城を模してるんだ」
「すごぉい」
サイラスが、ニールの影としてあちらこちらへと振り回されていたはずなのに、はっきりとどの城がモデルなのかを見極められるほどに、この城の中に目を配っていたことに、ポリアンサスは感嘆の声を上げる。
「ともかく、目的は決まっただし、動こう。このまんまじゃ、俺らも二の舞になるよ」
と、反対の穴をニールが指す。
別にそちらを見なくとも、すでにこの部屋も半分が白く染まっている。
気温も、先程よりぐっと下がっている。
アイリーンが、頷き返す。
「そうね、急ぎましょう」
視線が、サイラスへと集まる。
「バーデン城と一緒なら、まずはこの廊下をまっすぐに行って、階段に突き当たったら四階まで上がる」
「りょおかいよ、その先は走りながら教えて!」
ポリアンサスの声と同時に、三人の足音が高く響く。
どこまで続くのかというほど長い廊下の、天井や床が次々と白く染まっていく。
「僕らが抜け出したってリリーちゃんも気付いたみたいだねぇ」
全力疾走しているとは思えない、のんきな声で言ってニールが笑う。
「どんな風にくるかしら?からくり総動員?」
ポリアンサスが、アイリーンの肩から振り落とされないようつかまりながら、口の端を持ち上げる。
「それならニールがどうにかしてくれるわよ」
と、アイリーン。
ニールの笑みが大きくなる。
「承りましたっと」
大きく跳躍して、飛び出してきた槍を避けて一本を叩き落とす。そして、それで他の槍を避けていく。
「こういう時って、ニールよりも体小さくってよかったぁって思うわよね」
ポリアンサスが、楽しそうに言うのに、アイリーンも頷き返してから、ちら、と背後の兄を振り返る。
「大丈夫だよ、いくらでも走れるし」
からくりを過ぎて、サイラスはアイリーンの隣へと並ぶ。
「こうして走ってみたくなかったかって言われたら、やっぱり嘘になるしね」
ふ、とアイリーンの顔に複雑な表情がよぎり、すぐに笑顔になる。
「兄さん、行こう」
差し出された手を、サイラスもしっかりと握り返して笑う。
ポリアンサスが、まっすぐに指差す。
「階段、見えてきたよ!」
階段には、これといったからくりは仕掛けられていないらしく、息を切らしつつも三人は一気に駆け上がる。
「四階!」
ポリアンサスの声に、サイラスが応える。
「おそらくは、三つ目の大部屋だよ。鍵がかかっているかもしれない」
「さーて、なにが待っているやら」
楽しそうな声のまま、ニールが目前の扉を開け放つ。
一つ目の部屋は、絵画の部屋だ。
四季折々の農村の生活を描いた見上げるような大判の絵の周囲にも、細密画、水彩画、油絵、様々な美術品が壁いっぱいにかけられている。
「すっごーい、天井画もあるんだわ」
ポリアンサスの言葉に、早足で進みつつも皆の視線が上へと向く。
どれもこれも、素晴らしい出来のものばかりだ。
「これ、絶対にミニチュアが飾ってあったよね、元々」
くすり、とニールが笑う。
「さぁ、二つ目の部屋だ」
ここも、すんなりと開く。が、皆の視線は見事な調度品よりも、その先の扉の前に立つ少年たちへと集中する。
どこか凍てついたような、寂しそうな視線が、四つ。
アイリーンが、一歩、部屋へと入る。
「ユーイン?」
左端に立っている少年が、目を見開く。
「お姉ちゃん、僕の名前を知っているの?」
ニールとサイラスが、どちらからともなく、顔を見合わせる。
間違いなく、リリーが最も大事にしている本はこの先にある。
その部屋に入る為には、まず、彼らが納得しなくてはダメだ、ということだ。


Vespertin Masic 〜dong feng jie dong〜

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