[ Back | Index | Next ]


ニ宮
 女宮  羯宮

その足音を耳にした宵藍(シャオラン)は、眉をかすかにしかめた。
が、そのまま『全てを記す本』に視線を落としたままいる。
ページをめくる手を、緩めることもない。
ほどなく、足音の主は姿を現す。
「わざとらしいのよ」
という不機嫌な声と共に『全てを記す本』の上に、手を出した。
宵藍の視界を遮ったのだ。
「私が来るって、わかってたんでしょ」
らしくなくイライラしている玖瑰(クンメイ)の声に、諦めたのか宵藍は肩をすくめて顔を上げる。
「わかってたよ」
必要以上に短い服で立膝をした上に、こちらに身を乗り出している格好は、相手を誘っているようにすら見えるが。
玖瑰の顔に、いつもの妖艶な微笑はない。
睨みつけているほどに強い視線が、まっすぐに宵藍を見つめている。
彼女のこの姿は、誘うためなどではない。
視線の高さを宵藍に合わせているのだ。
「私の用事も、わかってるでしょ」
「それが自分で判断できなくなったんなら、乙女座守護司、引退しろよ」
宵藍は、いつも通りの無表情で、辛辣な言葉をあびせる。
だが、玖瑰の用件を知っていなければ言えない言葉だ。
まったく堪えていない顔つきで、玖瑰は言う。
「そう見えてんの?」
「だったら、俺のところに来る必要ない」
かわらず辛辣な言葉しか返さない宵藍に、はじめて玖瑰は笑みを浮かべる。
「ありがと」
相変わらず宵藍に視線をあわせたまま、玖瑰は礼を言う。
「礼を言われる筋合いはない」
宵藍は言いながら、『全てを記す本』に視線を下ろしてしまう。
今度は、玖瑰もその邪魔はしなかった。
身軽に、立ち上がる。
立ち去ろうと背を向けて、宵藍の声に立ち止まる。
「あの時、間違ったからといって、もう一度、二人とも間違うわけじゃない」
遠い昔、玖瑰の笑みを心から愛した男がいた。
そして玖瑰も、彼を好もしく思った。
だが、玖瑰は彼に勝利を与えすぎたのだ。
彼は、奢った。
そして、天下を手中に収めるはずだった彼は、消えた。
玖瑰が、黒い服を纏いつづける、『理由』。
いまだに、彼の喪に服しつづけてる。
そして、彼が再び、地に生を受ける度に。
彼を奢り高ぶらせるようなことがないように、祈るばかりに。
必要以上に、彼に試練を与えすぎていないかと。
間違っていないと思っていても、不安になる。
そして、ヤツあたりのように宵藍に尋ねる。
間違っていないか、と。
たった一人、真実を知る者に。
辛辣な返答は、肯定だ。
だが、いままで、こんなことを口にしたことは、ない。
振り返るが、宵藍は相変わらず『全てを記す本』に視線を下ろしたままだ。
玖瑰の顔には、満面の笑みが浮かぶ。
「宵藍」
「あん?」
視線が上がらないまま、面倒くさそうな返事が返ってくる。
「あんたって、少しあの人に似てるわ」
面食らってバランスを崩した宵藍が、姿勢を立て直したころには玖瑰の姿は消えていた。
-- 2001/01/13

[ Back | Index | Next ]



□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang. All Right Reserved. □