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ニ宮
 羯宮  馬宮・瓶宮

珍しく、山羊座守護司の湖はにぎわっている。
とはいうものの、水辺にいるのは二人。
射手座守護司の湖緑(フーリュー)と水瓶座守護司の辰沙(チェンシャ)。
そして、『全てを記す本』を閉じた山羊座守護司、宵藍(シャオラン)の手には細い笛がある。
笛に負けずと細い指でそれを玩びながら、辰沙と湖緑のやり取りを見るとはなしに見つめている。
「やはり、時間は考慮しなくちゃな」
大仰に胸を張りながら、辰沙が言う。
「陽の位置は、南よりも西へと傾きつつあるのは明らかだろう?これはもう、『宵闇を迎える曲』しかないね」
「宵闇とは、陽が沈みきったあとのことを言うのだ」
普段はほとんどと言っていいほど口をきかない湖緑が、珍しく多弁だ。
「陽があるうちは、他の曲が似つかわしいと思う」
「へぇ、一理あることは認めてもいいけどね」
口先なら、辰沙がいちばんよくまわる。
「じゃ、もっとも相応しい曲を、ぜひ教えて欲しいな」
にやり、と笑う。
言われた湖緑は、言いかかった言葉を飲み込んだ。
聞きたいと思っている曲があるのだが、『もっとも相応しい』などという形容詞が当てはまるかは、自信がないのだろう。
「何の曲でもかまわないけど」
それまで黙っていた宵藍が、ぼそり、と口を挟む。
「吹くのは、一曲だからな」
「…………」
なにか言いたげに、半ば開きかかった湖緑の口は、結局また閉じてしまう。
辰沙が思わず、吹き出した。
「そんなに悩まなくてもいいだろ」
「なにが似合うかを考えるのも、たまには面白いかな」
宵藍もぼそり、と付け加える。
ようは、我侭に縁のない湖緑が、珍しく自分が聞きたい曲があるという感じだったので、口も性格も少々悪い二人してからかっていただけのことだ。
別に、本気で困らせようとしているわけではない。
「さて、湖緑が言うとおり陽はまだ沈んでいない、となると陽の曲かな」
「そうとは限らないな、陽の光が注ぐ間は、活動するものも多い」
辰沙が首を傾げれば、宵藍がさらりと答える。
「ほう、となると生けるものの曲かな」
「空気も、あると思うのだが」
先ほどから黙り込んでいた湖緑が、少々遠慮がちに口を挟む。
「なるほど、それもあるな」
頷いた辰沙が顔を上げると、柔らかな風が過ぎていく。
「『静かなる風の曲』は、どうかな?」
湖緑の顔が、少し緩んだ。どうやら、それが聞きたかったらしい。
宵藍は、そんな湖緑の顔をちら、と見やってから風の吹く方へと視線を向ける。
「風と言えば……最近、変わった曲を覚えたよ」
「変わった曲?」
「長き戦乱の後に一人の英雄が民を安んじる国を建ててね、喜んだ子供たちが歌った祝いと祈りの歌だ」
それが、地上のどこであるのかを辰沙も湖緑も知っている。
悪政に苦しみつづけた民に蜂起することを教えたのは、水瓶座守護司である辰沙だ。そして、必要以上に苦境に立たされ続けた英雄を守りつづけたのは、射手座守護司である湖緑。
辰沙と湖緑は、どちらからともなく顔を見合わせる。
「どんな曲なんだ?」
尋ねたのは、辰沙。先ほどまでとは違う、静かな声だ。湖緑も言う。
「その曲が、聞いてみたい……よければ、だが」
相変わらず風の方を向いたままの宵藍は、微かな笑みを浮かべた。
「歌うのは、これが最初で最後だ」
相変わらずの口調で告げると、すう、と息を吸う。

 風が呼ぶよ
 闇の夜は明けたと
 ご覧、花が咲くよと
 風は踊るよ
 新しい時を祝って
 あふれる豊穣を祝って
 風は祈るよ
 永久の時を

変わらぬ平和など、存在しないことは痛いほど知っている。
割り切っているはずなのに、ときに戸惑う。
より良き世の為と戦乱を呼び、戦乱を収集する者を守る為と大勢を抹殺するという矛盾。幾度も繰り返しを続ける歴史を追いつづける虚しさ。
だけど、少なくとも。
餓えてなにもかも信じられぬという顔をしていた子供たちが、微笑んでいるとわかる。必死の顔で英雄を望んだ子供たちが、心から喜んでいるとわかる。
いつかは泡のように消えるとしても。
歌を終え、笛をしまう為に両手を広げた宵藍に、辰沙がいつもの口調で言う。
「まだ、笛は聞いてない」
「一曲と、言っただろう」
「笛が、一曲だろう?今のは歌だ」
にやり、と笑って湖緑を見る。
「なぁ?」
湖緑は驚いたように少し目を見開き、だがすぐに微かな笑みを浮かべて頷く。
「ああ、笛も一曲、だ」
「そういうのを、屁理屈というんだ」
不機嫌な口調だが、笛はその口元へと運ばれる。
やがて、静かな調べが天上を越え、地上へも流れていった。
-- 2001/11/20

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