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ニ宮
 金風祭の (或いは子宮を巡る輪)

その日、山羊座守護司である宵藍(シャオラン)の前に姿を現した獅子座守護司、叶緑(イエリュー)は思いつめた顔つきだった。
彼の現状の立場を知っている宵藍は、だからといって驚きはしなかったが。
「宵藍、頼みがある」
「俺に頼みとは、いい度胸だな」
皮肉な笑みを浮かべてみせても、叶緑はまっすぐな視線をはずさない。
快活な性格のはずの叶緑から、笑顔が消えたのはいつからだろうか。
人が獣を狩るようになってから、もう随分になる。
最初から、心を痛めつづけていた叶緑だが、ここ最近はますます思いつめているようにみえる。
それも、仕方のないことだ。
天で最も力ある者は、獣たちが滅びようとなんとも思わない。もしかしたら、滅ぶことをこそ望んでいるのかもしれない。
消えてしまえば、また、新しい生物を創り出すことができるから。
宵藍は、軽く肩をすくめてみせる。
「『全てを記す本』に関することなら、言うだけ無駄だけど」
「そうじゃない、笛のことなんだ」
「笛?」
微かに、眉を寄せる。
曲を聞かせて欲しいだけなら、そんな思いつめた表情は似つかわしくないだろう。
「その……『草原を駆ける黄金の風』を、俺だけの曲にしてくれないか」
宵藍は、無表情に戻る。
ただ、静かに叶緑を見つめたまま、黙っている。
叶緑は、頭を下げる。
「頼む」
いまにも、土下座せんばかりだ。
黙っているのは、話が見えたからだ。
なぜ、叶緑が『草原を駆ける黄金の風』を自分だけのモノにしたいのか、その理由が。
それを宵藍に望むということは。
もう、決めたということ。
覚悟をしたということ。
禁を犯して地上へ降り、獣たちを守りつづけると。
獅子座守護司の仕事を、どうあってもやり遂げると。
「……わかった」
ぽつり、と返事を返す。
顔を上げた叶緑に、笑顔が浮かぶ。
「ありがとう、宵藍」
もう、なにも迷ってはいない瞳。
宵藍の顔に、珍しく複雑なモノが浮かぶ。
本当は、知っていた。
全て、知っている。
叶緑が、密やかに丁香と想いを通じていたことも。
最後の決断をさせたのが、丁香であったことも。
二人が、最後の約束を交わしたことも。
それから、その約束の為に、叶緑がここへ来るだろうことも。
山羊座守護司の仕事は『全てを知ること』だから。
「……ごめん」
叶緑は、微笑んでそう言った。
宵藍は、苦笑する。
「叶緑、湖緑(フーリュー)に会ってから行け」
「でも……」
言外の意味を理解したのだろう、困惑気味に首を傾げる。
「確実を望むならば、そうすべきだ」
いつになく真面目な口調に、叶緑は少し驚いたようだ。が、少ししてから頷いた。
「ああ、そうするよ、ありがとう」
立ち上がる。
視線が、もう一度、あう。
「じゃあ」
「ああ」
笑顔を、かわす。
叶緑の後姿が消えた後も、宵藍の視線は木々の間に注がれたままだった。

「湖緑(フーリュー)」
声をかけられた射手座守護司、湖緑は振り返る。
誰の声かはわかっている。獅子座守護司の叶緑(イエリュー)だ。
「久しぶり」
にこり、と微笑んでいる。
笑顔を見て、湖緑は少し戸惑う。ここ最近、叶緑の笑顔など見たことがない。
「さっき、宵藍のところに行って来たよ」
微笑んだまま、叶緑は言う。
「……そうか」
その言葉で、湖緑は悟る。
なぜ、叶緑が笑顔なのか。
どうして、自分に声をかけてきたのか。
『天の守護者』たる射手座守護司の仕事は『善なす者を守護』すること。時に戦場の苦境で守れば、戦況は混乱を極める。
天で最も力ある者でさえ、状況を掴みえぬほどに。
真に姿を消したいならば、これほどの好機はあるまい。
「次の仕事は、明後日だ」
ぽつり、と告げる。
それから、笑顔を浮かべた。湖緑にしては、珍しいと言うべきだろう。
でも、素直に嬉しいと思った。
真に秘密を求めることで、頼ってくれたことが。
だから笑った。
叶緑も、笑顔を大きくする。
「ありがとう」
「場所は……」
言いながら、軽く背に負った矢を一本、取り出して振ってみせる。
『天の守護者』として彼の放つ矢は、光を放つ。
「わかった」
ただ、それだけの会話。
だけど、二人にはそれで充分だったから。
叶緑の後姿が消えてから。
湖緑は、微かに首を傾げる。
それから、なにかを決意して、歩き出す。

相手の姿を認めた乙女座守護司の玖瑰(クンメイ)は、その美しい顔に笑みを浮かべる。
「珍しいお客サマね」
「かもしれない」
素直に認める湖緑に、玖瑰は笑みを大きくする。かろうじて吹き出すのをこらえつつ、笑いを含んだ声で訊ねる。
「いったい、どうしたの?」
「明後日の仕事だが」
「ああ、そのこと」
軽く肩をすくめる。
「それなら、ケンカは売らないから心配しないで」
気まぐれに、どうみても勝利を得るべきではない者に微笑みかけることなど、しょっちゅうの玖瑰だ。
理由を知っているのは、宵藍くらいだとわかっている。湖緑にしてみれば、納得のいかないことに決まっているから。
「そうじゃない」
湖緑が首を横に振ったので、玖瑰は首を傾げる。
「だって、仕事のことでしょ?」
「そうだ、ケンカを買いに来た」
まっすぐすぎるくらいまっすぐな視線で、湖緑は玖瑰を見つめる。
玖瑰の顔にも笑みが浮かぶ。
「わかったわ」
妖艶、という表現が最も合っている笑顔になる。
これを見た人間は、惹かれずにはいられない笑み。
「ケンカ、売ったげる」
玖瑰が、湖緑が守るべき者に敵対する者に微笑みかければ、それだけ湖緑は守るべき者の為に、その黄金の矢を放つことになる。
湖緑が守りきれぬことなど絶対にないと信じられるし、出来る限りの矢を射たいのだとわかる。
現出したいのは、大混乱の戦場。
どこになにがいるのか、なにが起こっているのか、誰にも判別できぬくらいの。
天で、最も力ある者でさえも。
「恩にきる」
「いつものカリを、少しばかり返すだけよ」
くすり、と玖瑰は笑う。
湖緑も、笑顔を浮かべる。
「そうか」
用件が済んで、背を向けた湖緑を見送った玖瑰も、首を傾げる。
「仕方ないわね」
呟くと、何処かへと足を向ける。

水瓶座守護司、辰沙(チェンシャ)は、にやり、とする。
「おやおや、美人の来訪とは嬉しいね」
「喜んでいただけて、光栄ね」
玖瑰も、余裕の笑みを返す。
「ご用件は?と言った方がいいんだろうね、残念だけど」
「残念かどうかは、聞いてから決めてもらいたいわ」
「そうしよう、どうぞ」
手を差し出してみせる。
玖瑰は、笑んだまま言う。
「私、湖緑にケンカを売ることになったの」
「ふうん、それで?」
「いつもと違うところは、湖緑に頼まれたからってことね」
「そりゃ、天地がひっくり返るって感じだな」
辰沙の笑みが大きくなる。
「ひっくり返りすぎるのよ」
「なるほど、そりゃマズい」
肩をすくめた玖瑰に、辰沙もおもしろくなさそうに口をとがらせる。
湖緑の守るべき者に敵対する者が、また勝利を得てしまったら、本当に運命がひっくり返ってしまう可能性が高い。玖瑰は、だからこそ湖緑の守るべき者に微笑みを与えるつもりでいた。
「俺もお祭りに参加させてもらうことにしよう」
辰沙は、にやり、とした笑みに戻る。
玖瑰が勝利を手にすべきではない者に微笑みかけたとしても、民衆が湖緑が守る者の為に動けば運命まではひっくり返らない。
しかも、民衆まで動けば、戦場の混乱はさらに極まる。
どちらも、歓迎すべきことだ。
天で最も力ある者から姿を隠そうとする者にとっては。
玖瑰も、にこり、と微笑む。
「楽しみにしてるわ」
去って行く玖瑰を見送って、辰沙は笑みを消す。
「さて、仕上げるしかないよな」
組んでいた足をとくと、どこかへと歩き出す。

「よう、策士」
声をかけられた山羊座守護司、宵藍(シャオラン)は、無表情な顔を上げる。
「なんの話だ」
人によっては怖いくらいの顔つきにも動じた様子もなく、辰沙は言う。
「責任もって、笛吹けよ」
天で最も力ある者さえ、状況が把握できぬほど混乱を極めた戦場の中では、守護司たちも状況は把握できない。
道しるべが必要だ。
「わかってる」
あまりにもあっさりとした答えに、辰沙は笑みを大きくする。
どこで、何故、とも口にしていないのに、宵藍は承知した。普通なら、あり得ない。
「ほら、やっぱりお前だろ」
「さぁな」
宵藍は『全てを記す本』へと視線を戻してしまう。
辰沙は、笑みを少し大きくする。
「あの男、驚くだろうな」
顔を上げないままの宵藍が、言う。
「全てが思い通りに行くわけではない、それを知って損はないだろう」
「ああ、俺もそう思うね」
それだけ言うと、辰沙はそれ以上は宵藍の邪魔をすることなく、立ち去る。
-- 2002/05/18

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