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ニ宮
 金風祭の (或いは子宮を巡る線)

珍しく急いでいる足音に、山羊座守護司である宵藍(シャオラン)は、微苦笑を浮かべながら『全てを記す本』から視線を上げる。
姿を現したのは、牡牛座守護司の紅狐(ホンフー)だ。仕事帰りで直行してきたらしく、正装のままだ。
鋭い光を帯びた目を、細めている。
そして、唐突な質問をする。
「いつだ?」
「主語が抜けている」
まったく動じた様子もなく、宵藍が返す。
「さっき、叶緑(イエリュー)に会った」
「そうか」
「俺を見て、笑顔になった」
宵藍は、まったく表情を浮かべずに紅狐の言葉を待っている。紅狐は、微かに眉を寄せる。
「笑ったということは、決めたということだ」
獅子座守護司、叶緑が笑顔を浮かべなくなってから久しい。
人が、獣を狩るようになってから、もう随分になるから。
その叶緑が、仕事から戻った紅狐を見て、笑った。
そして、紅狐はその意味を悟ったのだ。
ため息混じりに付け加える。
「だとすれば子守りが必要だ」
「仕事してれば関係ないだろう」
「どういう意味だ」
「言葉通りだよ」
肩をすくめると、宵藍はまた『全てを記す本』へと視線を下ろしてしまう。
ちら、と周囲に視線をはしらせてから、紅狐はもう一度尋ねる。
「いつだ?」
「明日」
視線の上がらないまま、宵藍が簡潔に答える。
「わかった」
頷いてみせた顔には、来た時に浮かんでいた執焦は消えている。彼なりに、宵藍の言葉を消化したらしい。
背を向けて数歩行ったところで、思い出したように振り返る。
「もう一人の子守りも、動かないとマズイんじゃないのか」
「大丈夫だ、海にも見えない」
紅狐は、一瞬、かすかに目を見開く。それから、口元に笑みを浮かべる。
「エライ騒ぎだな」
宵藍が、顔を上げる。
その口元には、なんとも表現しがたい笑みが浮かんでいた。
「黄金風祭さ」
「そりゃ、招待状は出しとかないと」
「なら、当日参加も歓迎だと、橘橙(チューチョン)に伝えろ」
言ったかと思うと、宵藍はなにか投げてよこす。
放物線を描きながら、キラリ、と光るモノを受け取る。
「そうするよ」
笑みを少し大きくすると、背を向ける。

いつも笑顔で人々を見守っている牡羊座守護司、乳白(ルーハイ)は沈んだ顔つきだ。
「また、そこか」
背後からの声に、乳白は顔を上げる。
紅狐が肩をすくめる。
「だって……間違いなく、祝福すべき人々なんだ」
「ただ見ているだけでは、解決策も見つからない」
相変わらず冷たい口調だが、乳白の隣りに腰を下ろして一緒に見下ろす。
「俺も気に入らんがな」
「でしょう?!」
乳白が、勢い込む。
二人が見守っている人々は、痩せた土地を王から押し付けられたというのに、怨嗟の声ひとつ上げずに黙々と耕作を続けているのだ。
これだけ土地に愛情を注ぎつづけているのだ。豊かな恵は当然の祝福だと乳白は思っている。
だが。
いま、得られているわずかな収穫は、全てといっていいほど、王の元へと搾取されてしまうのだ。
王とその周辺だけが奢侈な生活を続け、己に従わぬ者を力で押し潰す。
その蹂躙の仕方は、紅狐が全てを消し去るに充分の傲慢さだ。
もし、乳白が人々を祝福したとしても。
その豊かな収穫は傲慢な王とその周辺を潤すばかりとなるだろう。
もし、紅狐が王たちから剥奪したとしても。
人々から、生きるためのわずかな作物さえも奪うだけだろう。
この横暴さは、むしろ『天の暗殺者』たる蠍座守護司にゆだねるべきモノ。
だが、いまは蠍座守護司は空位だ。暮雲(ユームン)が事故死した後、弟である曙紅(シェーホン)は継ぐことを拒否し続けている。
「曙紅(シェーホン)は……」
少しためらいがちに乳白が口にする。紅狐は、首を横に振る。
「お前なら、躊躇いなく、あの針を握れるか?」
「ううん……」
正確な状況はわからぬが、暮雲は蠍座守護司の証たる金の針で己の喉を刺し貫いたのだという。
事故死、とは表向きで、自害であったのだと。
そうなどとすれば、継承の印でもある金の針についた最後の血は、兄のモノなのだ。
乳白は、小さなため息をつく。
「少しでいいんだ、王があの地をあけてくれたら」
じっと地を見つめていた、紅狐が口を開く。
「見ろ、今度の戦はかなり大きくなる」
「え……?」
「搾取が、尋常じゃない」
つ、と乳白の顔から血の気が引く。
「あんなことしたら……皆の食べるモノがなくなってしまうよ」
勢いよく立ち上がった乳白の腕を、紅狐が掴む。
「なにする気だ」
「だって、待てないよ!餓えてしまう!」
「もう少しだけ待て、間違いなく動く」
「動くっていつさ?!ずっとずっと、こうして見てきたんだ!」
祝福すべき人々が餓えて苦しむなど、乳白が耐えられないのはよくわかっている。
が、紅狐の視線は、ぞくり、とするほどの冷たさを帯びる。
「タイミングを見誤れば、餓えるどころか死ぬぞ」
いま、祝福を受け、それが王に知れれば、財を隠していたことになってしまう。それは、罪だ。
あの残虐な王のことだ。
報いは『死』しかあるまい。
人を信じることにかけては馬鹿がつくほどの乳白も、長の時に渡って見守って来たこの王がどのような者なのか、知っている。
ぐ、と必死の様子で奥歯を噛み締める。目の端に、涙が浮いた。
「……あと、一日だけだ……餓えが始まったら、すぐに降りるよ、僕は」
言うだけ言うと、かじりつくように覗きこむ。
一瞬の隙を、まるで祈るかのように。
紅狐は、微かなため息をつく。
これで、どうやら。
もうヒトツには、目もくれないだろう。
片手を、背に回す。
握り締めていたモノを、離した。

いつものように海岸に腰を下ろしている蟹座守護司、橘橙は、首を傾げる。
「天から、落ちて来たのかい?」
海が運んで来たモノを手にして、驚いた顔つきになる。
「こりゃ、宵藍の耳飾りだ」
波がさわめく。
「ああ、いまは山羊座守護司の守護期じゃないから、使ってもないはずだけど……どうしたんだろうな」
天に向けて、目を細める。
『全てを知ること』が仕事である宵藍は、落ち付きも十二守護司一といっていい。
だいたい、通常期は水辺にある宵藍が、地に向かってなにかを落とすことなど不可能のはずだ。
海に落とせば、橘橙に届くとわかっている誰かが、天から落としたと考えた方が自然。
ならば、この耳飾りは、橘橙へのメッセージと取るべきということになる。
「…………」
常に海の傍らにあるとはいえ、橘橙だとて、いまの天のざわめきを知らぬわけではない。
それから、ほとんどの守護司たちが注目する場があることも。
なにかが、地上で起ころうとしている。
「なぁ、理由はわかんないけど、これがないと宵藍は困ると思うんだ……もう片方落ちてきてないか、探してくれないかな?」
波が軽く、さざめく。
橘橙は、笑みを浮かべる。
「全ての水を統べるのだから、きっと見つけてくれるだろ?」
すう、と海の意識が一点に集中されていくのを感じる。
しばらくの間は、かなりの小ささの耳飾りを探すことに集中しつづけるだろう。
空を見上げる。
どこまでも、澄んだ青い空が広がる。
真白の雲が、緩やかに流れる穏やかさだ。
「祭りの前の静けさ、ってヤツだね」
ぽつり、と呟く。
海が集中出来るのは、よくて一日半。
だとすれば。
祭りは、明日。
-- 2002/07/14

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