『 桜ノ森満開ノ下 拾伍 』



さらり、と風が吹く。
視界は薄紅に染まる。
散る、桜花。
その中のひとひらが、ふわり、と手の平に収まる。
ほろ苦い笑みが、口元に浮かぶ。
桜は、時を知る花だ。
咲き乱れて天を染め、風に舞って宙を染め、散り尽くして地を染める。
刹那のように見え、実に慎重にことを運ぶ。 咲きかかっていてさえ、時に寒さや雨や風に耐える花。
そして、咲き誇って初めて、風に身を任せる花。
そんな桜花に己の生を映しているはずであったのに。
ただ一人の感情に、何人を巻き込んだのか。
無論、そんなことをして、ただ一人だけ無事であろうはずもない。
あるはずの未来さえ、己の手で消し去った。
愚の骨頂とはこのことだ。
為さねばならぬことは山とある。
変わらない。
いや、己の為に、更に倍加しているに違いない。
彼は休む間など、全く無しに奔走していることだろう。
己などいなくても、彼は為すベきことはこなす人間だ。
いや、今の己ならば、いない方が良い。
合わせる顔も無い。
彼の正論を退けたのは、他ならぬ己だ。
口元に浮かんだ笑みは、苦さを増す。
あの時の己は、よほど頑なであったに違いない。
顧みて思うよりも、ずっと。
今までならば、静かに説き続けて、いつか。
誰もを納得させていたのに。
あの時の彼は、そうしなかった。
それほどに己は酷かったのだ。
詫びたとて、失ったものは何一つ返らない。
どれほどに言葉をつくしたとて、どうにもならない。
時を得るのも、失するのも己の責任だ。
ただ一つ、心慰められることは。
全てを失ったと言って過言でない、惨々たる結果とはなったけれど。
犠牲とした全てに頭下がる思いは、一瞬たりとも消えぬけれど。
己らしい生き様だということ。
それだけは、真すぐに視線を上げて言える。
それだけは、そのことだけは。
やがて避けられぬ、いつかの時に。
彼は解してくれるだろうか。
許されざることであったけれど。
さらり、と風が吹く。
いつの間にか落ちていた視線を、上げる。
もうひとひら、手にしていた一枚に添うように収まる。
静かに、柔らかに。
そよ、と微かな気配にすら、揺れて舞う花弁だ。
なのに、はっきりと重みを感じる。
まるで。
多くを語ることなく、己の夢に添うてきた彼。
どのような局面であったとしても、冷静に状況を判断し、出来うる限りに己に最良となるようしてのける。
そう、どのような時であろうと。
彼自身の痛みは一人で飲み込んで。
食い入るように、掌の二枚の花弁を見つめる。
どのように強引に己が意思を通そうとしたのだとしても、あってはならぬと判断したのならば。
止めることを、諦めるはずがない。
命を賭すこととなったとしても、してのける。
それは、己が最も知っている。
最悪と呼ばれる状況であったとしても。
では、感情のままに行動した己を止めなかったのは。
二枚の花弁を乗せた掌を、見つめる。
あの日以来、急激に衰えていく肢体。
己がもたらした惨々たる結果の報いと思っていたが。
無論、引き金ではあったろうが。
さらり、と風が吹く。
視界いっぱいに広がる薄紅。
散る、桜花。
掌の二枚も、一緒に舞って消えていく。
時を待って花開き、やがて咲き誇り。
最後と知れば、風に身をまかす。
一斉に散り行くその様は、誰に真似できるものでもない。
桜ゆえの、最後。
必死に枝にしがみつき、枯れ行くのでは桜ではない。
同じことだ。
じっと耐え、時が来たらばと託すのが正しかったろうが。
それは、己ではない。
彼は、知っていた。
己が、どのような生き方を望んでいるのか。
散り行く時が、いつなのか。
だから、意のままに生き抜くことを選択するのを、止めなかった。
無理な意思を翻意させることを、諦めたわけではなかった。
誰よりも理解しているからこそ、誰よりも時を知るからこそ。
彼を呼ぼう。
後事の全ては書簡に託せば充分だけれど。
彼は、己の文の意図するところを正確に汲み取ることが出来るのだから。
後事以外のことも、同じだけれど。
己らしく生き抜くのならば。
彼の目を見て尋ねて、そして。
さらり、と風が吹く。
視界が薄紅に染まる。
散る、桜花。
あくまでも、最後までらしくある花。
己も、そうあろう。
真すぐに上げた視線の先で、止めど無く薄紅が舞う。


〜fin.
2004.04.11 Under the full blossom cherry trees XV

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蛇足!
見上げるのは劉備、彼は孔明。
で、『最後の約束』に繋がるわけです。


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