『 桜ノ森満開ノ下 拾陸 』



西への門となるこの地では、枯れた北風のせいか春が訪れるのが遅い。
咲き誇る桜は、この地の人々にとっては待ちに待った春の印だ。
自然、明るく見上げることとなる。
彼も、そうだった。
薄紅の蕾が膨らみ始めた時から、笑みが大きくなった。
春の使者が来たな。
こころなしか弾んだ声で言った。
その笑顔と声で、自身も春を感じていた。
なのに。
どうしたことなのか。
今年の彼は、蕾がつき始めたと気付いたなり、眉を寄せた。
柔らかく膨らみ始めると、視線を不快気に逸らした。
そして、ぽつりと吐き捨てた。
花など、咲かなければ良い。
そして、驚いて彼を見つめる自分の視線に気付いて、困ったような顔つきになり。
このまま花が咲いたら、嫌いになってしまうから。
きっと、なによりも嫌いになってしまうから。
だから、花を見たくない。
今年だけは、見たくない。
振り絞るような声に、いくらか戸惑う。
それから、花などに関係なく、ずっと彼がなにか思い悩んでいたことに思い当たる。
なにがあったのか。
問いに、彼は首を横に振る。
なにが起こるのか、だ。
話が見えないままに、首を傾げる。
予言者のようなことを言う。
元気付けたくて、いつとは逆におどけてみせると。
ああ、今年だけは予言者なんだ。
苦い笑みが、浮かぶ。
人の死を告げる、死の予言者だよ。
今にも咲きそうな蕾を見上げる。
そういえば、桜の下には死体があると言うな。
いつのことだったか、馬鹿らしいと笑ったのは、彼自身であったのに。
なにが起こる、これから。
もう一度、問う。
血が、流れるんだよ。
見上げたまま、彼が言う。
ああ、違うな。
血を、流すんだよ。
どんな顔をしていいのかわからずに。
どう問い返していいのかわからずに。
ただ、彼を見つめる。
彼は続ける。
この手で、多くの人間を殺めるんだよ。
まず、最初に血祭りに上げるのは。
乾いた風が、行き過ぎて。
ゆらり、ゆらり、と蕾が揺れる。
今にも開く、蕾が揺れる。
薄紅の影が、彼を薄く染め上げる。
まるで、もっと赤いなにかで染め上げたように見えて。
首を軽く、横に振る。
それから、まっすぐに彼に向き直る。
どのようなことがあって。
どのような理由があって。
そうしなくてはならないのかは、わからないけれども。
信じる道を行くのであれば。
どこであろうと、共にあろう。
誰が朱に染まろうと。
自分だけは、絶対に共にあろう。
この花に誓って。
彼は、いくらか眼を見開いて、こちらへと視線をやり。
それから、いつもの笑顔で躰ごと向き直る。
少なくとも。
この花を嫌うことだけは、出来無さそうだ。
自分も笑い返して。
蕾を見上げる。
もうすぐ、次々に咲いていく桜を。


〜fin.
2004.04.18 Under the full blossom cherry trees XVI

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蛇足!
自分は馬岱、彼は馬超。
で、『霧の中』へと繋がります。


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