解放されてから、忍が、貴也にかけた言葉はたった一言だ。 「ケガ、ないか?」 まだ、恐怖が消えず、ただ頷いてみせた貴也に、それ以上の言葉はまったくかけようとしない。 軍師が不在になったにも関わらず、焦る様子もなかったので、えらく落ち着いているのかと思ったが。 どうやら、そうではなくて。 麗花の視線での問いに、俊は頷いてみせ、忍に聞こえないようにそっと耳打ちした。 「シャレにならんくらい、怒ってる」 まったく表情に出ていないだけに、返って怖い。 『余計なことしやがって』とでも、なんとでもいいから、怒りをぶつけられたほうが、よほどマシだ。 勘違いさせたまま去らせてしまった俊まで、どことなく肩が小さくなっている。 家に帰り着いたところで、貴也は、おそるおそる口をひらいた。 「あ、あの、亮は……」 振り返った忍の顔には、いつものやわらかい表情はない。 無表情と、冷たい瞳。 「ここから先は俺たちの仕事だから、部屋に入って、声も手も一切出すな」 貴也の口からは、声は失われてしまったらしい。 二、三度、機械のように頷いてみせ、そのまま、駆け込むように部屋に入ってしまう。 それを、見送って。 麗花たちのほうに向き直った表情は、いつもの忍だ。 「先に下に下りててくれ」 下、というのは、もちろん。 いつもは亮が作戦を立て、それを告げる『総司令室』のことだ。 先ずは、総司令官であり、父親である天宮健太郎に亮が誘拐されたことを告げなくてはならないだろう。 亮の部屋からディスクを取ってきた忍が来て、五人が揃ったところで、まず、それをすることにする。 『遊撃隊』という特殊組織なので、総司令官とは直通で繋がるようになっている。 繋がった先の総司令官は、落ち着いた表情と声音で、こう言った。 『少し、やっかいなことになったようだね』 どうやら、なにが起こってるのか、もう知っているらしい。 「すみません」 忍は、言い訳も弁解もせずに、ただ頭を下げる。 『君らが、悪いわけではないよ』 心配なわけがないとは思うが、立場がそうさせるのか、いちいち動じてては仕事にならないのか、印象は『第3遊撃隊』の配属辞令を告げたときと、変わらない。 その、落ち着いた声で、さらに言う。 『張一樹から、連絡が入ったよ、居場所、外部構造までつけて、ね』 データが、すぐに転送される。忍は、転送終了を確認してから視線を画面に戻す。 「『第3遊撃隊』と勝負をしたい、ということですね?」 『そういうことになるね、『紅侵軍』をつぶした小部隊、を指名してるから』 総司令官は、その長い指を組むと、こちらをまっすぐに見た。 『どうにか、できそうかな?』 軍師不在で、という意味だ。 忍は、笑顔を見せた。 「そちらの方は」 『ほう?』 「亮が、その可能性も、考えてくれていましたから」 それを聞いた総司令官の顔に、感心というよりは、苦笑らしきモノが浮かんだ。 『では、まかせよう』 「かまいませんか?」 『かまわないよ、つぶしてもらいたがっているのだから、望み通りにして差し上げてくれたまえ』 「了解しました」 忍は、通信を切る。 「ヤツらの目的を探るのは、俺たちの仕事じゃないってことだな」 俊は、かるく肩をすくめた。 ジョーが上着の襟を直しながら、言う。 「あいつらをつぶしても、問題はないと判断したってことは確かだ」 「アファルイオも、承知したということでもあるわ」 麗花が、ぽつり、と付け加えた。 須于が頷く。 「親衛隊を務めるほどの部隊の離反は、やっかいだもの、ね」 忍は、総司令官から送られた張一樹軍の外部図を映し出した。それに、亮の残しておいてくれたデータを、重ね合わせる。すぐに、計算処理がはじまる。 ほどなく、立体地図には、外部図にフィッティングされた浸入経路が、鮮やかに浮かび上がる。 「四門、あるんだな」 「今回は、シンプルね」 「正面門から、二人か」 「じゃあ、俺と」 俊が自分を指してみせる。 「俺がいくよ」 忍が言う。 麗花が、笑顔をみせる。 「あとの三門も、同時に破るのね?」 「せいぜい派手に壊して差し上げろ、と亮は言ってる」 浸入経路には、それぞれのポイントに指示が書き込まれている。亮らしい、無駄のない言葉で。 まるで、この場にいて、声を出しているかのように。 部隊規模は抑えていたようだが、構造までは知らなかったろう。それでいて、目前にある指示は的を射たものだ。 でも、どんなに、この場にいなくても、完璧でも。 あの、軍師であることを自覚したとたんに存在感を増す瞳がないのは、物足りないし、落ち着かない。 誰からともなく、顔を見合わせる。 「じゃ、行こうか?」 鈍く感じる痛みは、躰を固定されているからだ。 金属のようなモノで、手足を抑えられている。環状になっているそれには、何本もの細い線がつながり、先は、先に見える壁の中へと消えて行っている。 同様の輪は、頭部につけられているようだが、これは、動きを封じるためのものではないようだ。 不気味なほどに、なにもない、狭い部屋だ。 金属色の、壁だけが、視界にうつる。 ゆっくりと視線を動かしていた亮は、円状の部屋の、一点に無表情な視線を送る。 それから、小さく肩をすくめ、そして、また瞳を閉じた。 ほどなく、扉があるとは思えないところから、一人の人物が入ってきた。 亮は、そちらに視線を向ける。 「ずいぶん、早いお目覚めだね」 その表情は、笑みが浮かんでいる唇からしか、うかがえない。 公園で、貴也を取り押さえていた人物だ。 「張一樹殿、ですね」 相手の質問には答えず、亮は、いつもとまったく変わらぬ、落ち着いた口調で言う。 「ずいぶん変わられたので、すぐにはわかりませんでしたよ」 「すぐ、でなくても、気付くのは立派、と言っておこうか」 「お褒めにあずかるのは嬉しいですけど、孫悟空の輪は趣味じゃありませんね」 一樹は微笑んだままだ。 「正確に、なんなのかまで、知ってるかい?」 亮は、微笑んだ。 「コード0976-3744-9985、使用禁止旧文明産物」 「さすが、総司令官令息だ」 「ずいぶんと、大げさなしかけを用意するんですね」 「楽しそうなオモチャだろ?」 一樹は、微笑んだまま、壁にもたれる。 「君の父上は、とても優秀な司令官だからね……本当に、シャレにならない状況に子供がおかれないと、こちらの要求を飲んでくださらないかもしれないからね」 「ずいぶんと執心されるんですね、『紅侵軍』をつぶしたとかいう小部隊に」 「各国の軍部が注目していると思うよ、あの不気味な軍隊を抑えこんでしまったんだから」 胸元のポケットから煙草を取り出すと火をつける。 「挑戦したいと思ってる者も、けっこういるんじゃないかな」 「実際、挑戦される方は……」 語尾が、立ち消えるように消えた。視線が、一樹の手元へと吸い寄せられるように向く。 煙草の方に向いていた一樹の視線が、亮の方に戻る。 亮は、抑えられた中では可能な限り、首を傾げてみせる。 「変わったライターを使ってらっしゃるんですね」 「……そうかな」 「その彫り模様は、リマルト公国の伝統工芸ですよね」 一樹は、黙って手にしていたそれを、胸元のポケットに戻す。 その口元からは、笑みが消えている。亮は、それに気付いているのかいないのか、言葉を続けた。 「代々、各家に伝わる彫り模様があるそうで、家によって模様が異なるとか。一子相伝だから、彫刻家には女性も多いそうですね、そう例えば……」 「人質になっているっていうのに、リマルト伝統工芸の講釈かい?」 呆れたような口調が、さえぎった。 しかし、亮は、皮肉なその台詞に、まったく動じた様子はない。 「彼女を奪った者と同じ部隊を呼び出して、心中でも洒落込もうというわけですか?」 単調な口調が、そう尋ねた。よそいきの、楽しそうにさえ聞こえるものとは、まったく異なる口調。 一樹の口元に、先ほどまでのものとは、別種の笑みが浮かぶ。 とある方向に手を差し出すと、指を鳴らす。 一瞬、亮の躰が発光したような光に包まれる。 「っ!」 なにかに弾かれたように、亮の躰は、びくり、とした。 一樹の顔には、また、先ほどまでの笑顔が浮かんでいる。 ぱちん、ぱちん、と指がならされると、それに合わせて、亮の躰もスパークする。 声こそ漏れないが、相当の苦痛があるのは、ひそめられた眉からうかがえた。 肩で大きめの息をするが、亮の口元には、また笑みが浮かんでいる。 「……図星、のようですね」 無言で、一樹の手が、大きく振られる。 亮の躰が、ひときわ大きくスパークする。 「っ!!」 躰が反るように跳ねあがり、そして、がくり、と首がおちる。衝撃が大きすぎたのだ。 「『口は災いの元』だ、覚えて起きたまえ」 ぽつり、というと、部屋の扉を開けた。 「……死に急ぐのは、勝手ですが」 一樹は、振り返りはしなかったが、足を止めた。 躰の力を入れることは出来なくなっていたが、意識の方は飛んではいなかったらしい。 視線は、しっかりと一樹を見つめている。 「僕らに押し付けられるのは、迷惑です」 「それでも、手を下したのは君たちなんだよ」 そのまま、一樹の姿は扉の向こうに消えた。 「張将軍!!」 慌てた様子で、走りこんでくる者がいる。 「し、四方の門、すべて破られましたぁ!」 報告に来た者だけでなく、周囲の者みな、血の気が引いているようだ。 それもそうだろう、先ほどから、轟音が続いている。 一樹の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。 「……皆、撤退しろ」 「は、将軍も、お早く……」 「私は、ここに残る」 「な……?!」 鉄壁と信じていた守りが破られたことに動揺しているのに加えての驚きに、言葉を失ったらしい。 黙って機器に向かっていた、副官らしき人物が立ち上がった。 彼も、何かに驚いて開きかかった口をつぐむ。 一樹は、その瞳を隠しきっていた前髪を、かきあげていた。 数ヶ月前、瞳を隠してしまう前は、狂気に彩られているとしか思えない色をしていたのに。 生気など、感じられなかったのに。 何もかもを失う前の、落ち着いた色の瞳が、部下たちを見つめている。 「私のワガママに、黙ってついてきてくれて、感謝しているよ」 口元に浮かんでいる笑みも、穏やかなものだ。 「でも、破滅にまで、付き合うことは、許さない」 はっきりとそう言うと、副官の方に向き直る。 「確実に言えることだが、失踪の事実を知っているのはわが国とリスティアのみ、それも、中枢人物だけだ」 「……兵士たちは、戻っても、罰せられずにすむ、とおっしゃりたいのですね?」 「そうだよ、そうしなくてはいけないよ、君が」 副官は、眉をよせたが、黙って頷いた。 犠牲が大きくなりすぎることを、彼は知っているのだろう。しかし、脇にいた部下は、抗議の声を上げた。 「そのようなことは、もともと覚悟の上です!」 「そ、そうです!」 言葉を失っていたらしい伝令も、声を上げる。 「侵入者の数は把握できていませんが、小人数のはずですし、将軍の仇です!みすみすほっていくなどできません!!」 「その小人数に、これだけ翻弄されているんだよ」 落ち着いた口調で、完敗を告げる。 「私の個人的な感情と知っていてついてきてくれたからこそ、無駄死にをして欲しくはない」 「将軍……」 「撤退しろ、これは命令だ」 「了解しました」 ぴし、と敬礼した副官が、部下たちの方に向き直った。 「撤退!」 一糸乱れぬ動きで、姿を消していく。 一樹の方に向かい、黙礼をすませてから。 誰もいなくなったそこで、一樹は巨大なパネルに向かう。 手早くなにかを入力し終えると、かすかなため息をついた。 それから、胸ポケットに手をやると、ライターと、二枚の写真を取り出した。 少しの間、それを眺めていたが、やがて、ライターを握り直す。 しゅっ、という音とともに、ライターには赤い火が揺れた。 ゆっくりとした動きで、二枚の写真に近づけて行く。 ゆらり、と揺れた炎はすぐに、二枚の写真の色を変え、そして、灰にしていった。 |