俊の棒状の得物が、しゅるという音をたてたかと思うと、しなやかなムチ状となって彼の手の中に収まる。 表情は、怪訝そうだ。 「……逃亡、か?」 人の気配が、急激な勢いで消えていっている。 得物をおさめたのは、それを向ける相手が消えたからだ。 通信の声がはいる。 『撤退、だわ』 断定する口調で言ったのは、須于だ。 『地上門のほかに、地下通路をいくつか用意してたみたいね』 浸入の際に、数人の兵士に発信機をつけたのだろう。それを追っているに違いない。 こういう細工は、彼女の得意とするところだ。 すぐに、彼女から映像が送られてくる。発信機をつけられた兵士たちの通る筋道が、はっきりと浮かび上がっている。 『えらく、諦めが早いわね』 麗花の声は、本当に撤退なのか、疑っている。 ジョーが、ぽつり、と言った。 『ワナを張っている動き、とは思えないが』 確かにそのようだ。撤退している方角は、アファルイオのようだったから。 忍は、須于の送ってきた画像を少しの間見つめていたが、すぐに『龍牙剣』を握り直す。 「まだ、亮を見つけてない」 俊も、黙って頷いてみせた。 一樹は、再び、亮の目前に立っていた。 いまは、瞳も見えている。落ち着いた表情のそれは、今の状況からか考えると、狂気ともとれる。 「じつに、優秀だね」 まっすぐな視線をはずさないまま、続ける。 「特殊部隊であることは確かだが、戦闘員が優秀なだけでは、ここまではできない」 亮は、返事を返さずに、ただ見つめ返している。 「よくできた参謀がついているようだね」 一樹はそこまで言うと、壁際から、亮のごく間近まで、ゆっくりと近付いてきた。 亮は、すこし高さのあるところに固定されているから、その瞳は下から覗きこんできた。 狂気と悲しみのいりまじった瞳が、こちらを見つめている。 「私にも、君のような参謀が欲しかったよ」 どこか、搾り出すような声。 「そうすれば、なにも失わずに済んだのかもしれない」 「過去に戻る方法は、どこにもありません」 「そんなことを、望んでいるワケではないよ」 一樹は、にこり、と笑う。 「知りたかっただけだ、私の最後の大事な者を奪ったそれが、どれほどの実力であったのか」 そして、もう一度呟く。じつに優秀だね、と。 亮の方を向いてはいるが、見てはいない瞳。 その先にあるのは、誰なのかは、わからないけれど。 「同じ者に手を下させるつもり、ですか?」 「他人に、手を下されるのは趣味じゃない」 そう言った一樹の口元に浮かんだのは、なんと表現していいのか、わからない笑みだった。 「誰かを想ったら」 哀しいのか、愛しいものを想っているやさしい笑みなのか。 「誰かを、たった一人を愛したら、その力は正か負かはともかく、ものすごいエネルギーを持つ」 「…………」 「自分にも、制御できないほどの、力を持つんだよ」 亮は、返事をしなかった。 表情の消えた瞳が、ただ、見つめ返している。 沈黙が、訪れた。 「!」 その気配に気付いたのは、どちらが先なのかは、わからない。 次の瞬間には、特殊防護されているはずの壁に、穴が開いていた。細身の剣が、壁を貫いてこちらに姿を見せている。 『龍牙剣』だ。 一樹は、さら、と顔に手をやる。 彼の瞳は、また、見えなくなる。 そして、口元には、最初と変わらぬ笑みが浮かぶ。 「なににしろ、君たちは私の仇だ」 ゆっくりとした動きではあるが、確実に『龍牙剣』は壁を切り開いていく。 「ただ、そのまま返すわけには、いかないな」 彼の手にしているモノは、なにかのスイッチだ。 「おやすみ、いい夢を」 「………っ!」 さきほどの、衝撃波とは異なる色の発光が起きたかと思うと、静寂が訪れた。 しかし、次の瞬間には、大音響が響き渡る。 『龍牙剣』が、壁を切り落としたのだ。 一樹が、笑顔のまま、振り返る。 「やぁ、君たちのお友達は、ここだよ」 さして見せた先にあるのは、亮、ではあったが。 「?!」 そこに、いつもの色彩はない。 精巧に亮を写し取った、ガラス細工だ。 思わず言葉を失った忍達に、一樹はさらに告げる。 「じつに優秀な頭脳の持ち主だね、ぜひ後世に伝えてあげたかったから、眠ってもらったよ」 くすくす、という笑い声が続く。 「起きるのが、何年先なのか、わからんがね」 「旧文明産物使ったわね!」 すぐに、麗花が叫ぶ。 「元に戻しなさい!」 我を忘れた様子で、一樹の目前に立ちふさがる。 彼女を見た一樹の口元の笑みが、かすかに大きくなった。 「起こす方法など、ありませんよ」 するり、と麗花の脇を通りすぎる。 そして、足を止めた。 「あと二十分も、ここ、もたないからね、早く脱出することをお勧めするよ」 足音が、遠ざかって行く。 追わなかったのは、どうするつもりなのか、わかっていたからだ。 それよりも。 五人とも、呆然とした顔つきで、亮を見上げる。 触れただけで壊れそうなガラス細工が、目前にある。 「くそっ!」 思わず、いらだたしげな声を俊が上げる。須于が、戸惑い気味の声で問う。 「旧文明産物なの?」 「一種の、スリーピングマシンだよ」 麗花が早口に言う。 ジョーは、忍を見た。 「ひとまず、脱出する方が、先だ」 そう、一樹は、この基地と共に自爆する気だ。 忍は、黙って頷くと、『龍牙剣』を構え直す。 甲高い金属音が響き、亮の頭の戒めが弾け飛ぶ。 須于が、手元の特殊装置を見て緊張した声を出した。 「自爆装置が作動し始めたわ、急いで!」 舌打ちをすると忍は、両手両足を戒めているモノも、勢いよく切り捨てた。 崩れおれるように、忍の腕の中に体温の感じられない人形が倒れこんでくる。 それを忍は、軽々と抱き上げる。 突入時のバイクを、車に組み替えて亮を連れて乗り込む。 一樹は、いつ目覚めるかわからない、と言った。 だから、亮は、眠っているだけなのだろう。そうは思うが。 もともと、痩せすぎの体型の亮の体重は、身長とはあまりにも不釣合いだ、と思う。 本当に、人形を抱えているような錯覚に陥る。 触れている手が、ひやり、と冷えてさえくる。 力のまったくはいらない躰が、忍に体重を預けているのが、返って奇妙だった。 意識が朦朧としている時でさえ、亮は他人に寄りかかる、などということは、しないはずだから。 完全に、意識は切り離されているのだ。 旧文明産物のスリーピングマシンは、ホラー映画などの題材によく使われるので、忍も知っている。 特殊な温度で冷凍睡眠状態にすると、細胞の劣化が止まり、何年でも生きることが出来るのだという。 窓を開けて走っているせいで、忍の髪も、運転している俊の髪も、さらさらと揺れているのに。 亮の髪は、ゆら、ともしない。 どうしようもない、不安が襲う。 このまま、目覚めなかったら? 眠りつづけたままだったら? たしかに、いつかは目覚めるかもしれない。 だけど、と思う。 どんな孤独が、待っているのだろう? 肉親がいるいまでさえ、亮の自意識は、どこかに埋もれてしまっているのだ。 自分で、自分が傷ついてることに、気付かない。 きっと、未来に目覚めることがあっても、亮は。 今以上に、誰にも心を開かない。 「……目、覚めないのかな」 ぽつり、と呟いた俊の声に、忍は我に返った。 「いつかは、な」 道路は、空いているし、直線だ。 俊は、窓に肘をかけた。 「………俺たち、本当には血が繋がってないのかもしれない」 忍は、ちら、と俊の横顔を見る。 しかし、すぐに、視線を窓の外に移した。 「ふぅん?」 相変わらず、亮からは体温が感じられない。 俊は、ぽつり、ぽつり、と話始めた。 「財閥だからかどうかわからないけど、俺のいた頃の天宮の家って、けっこう変わってたよ」 俊がモノ心ついた頃には、財閥の実権は総帥を受け継いでいた天宮健太郎が完全に握った後だった。 祖父が健在だ、とは聞いていたが、実際に会ったことはなかった。 父自身は、その頃にリスティア総司令官にも就いたので、仕事が忙しくなり、あまり家にいることはなかった。 その上、子供心にはっきりとわかるくらいに、夫婦仲はよくなかった。 自分に対しては、よく笑顔を向けてくれたのに、母親が姿を現したとたんに、その顔から表情が消えたのを、よく覚えている。 「多分、政治的な関係で結婚したんだったと思うよ」 改めて聞いたこともないから、実際のところはわからないが。 「亮は、躰が弱かったから、四歳くらいまで、病院から出られなかったんだ」 病院から出られない、というより、集中治療室からでられない、というほうが、正確だったらしい。 だから、兄弟だとはいえ、本当に顔を合わせたのは五歳の誕生日だった。 外へでたことなど、ほとんどなく、まして日光浴などしたことのなかった亮は、人形のように見えた。 「まるで、今みたいな感じだったな……表情がなかったから、よけいそう思った」 それから、意思、というモノが感じられなかった、という。 自分から、コレをしたい、アレがほしい、という欲求はまったく示さない。 そばから離れたら、そのままどこかへ消えてしまいそうな存在感のなさ。 人間というより、精巧な人形。 ほとんど寝たきりでいたせいで、言葉があまりよくわからないのだ、と告げられた。 話しかけても、ほどんど、声にならない声が、少し返ってくるだけだ。 歩くのも慣れていなくて、すぐに、疲れてしまう。 入院はしなくてもよくなったが、よく部屋で寝こんでいた。 父親も、亮が家にいるようになってから、心配なのだろう、よく帰ってくるようになった。 母親に対する態度も、軟化したようだった。 家族皆でいると、たまに、亮が、にこり、とする。 とても、綺麗な笑顔だった、と、俊は言う。 「表情のない奴が笑うんだ、たいていのヤツはもっと笑って欲しいって思うよ」 家は、やさしい雰囲気に包まれていた。 両親が仲良くて、そして、温かい空気の家。 理想の家庭って、ああいうのだと思う。 そのくらい、うまくいっているように、見えた。 そう、見えただけだった。 破局は、突然、訪れた。 幼い記憶なのに、こんなにはっきり覚えているのは、多分。 あまりにも、強烈なもの、だったから。 父親が、昔と変わらぬ冷たい声で、母親に、告げた。 「ゲームオーバーだよ」 扉の向こうにみた父親の瞳は、酷く冷たかった。口元には、勝利を確信している笑みが浮かんでいて。 答えた母親の声も、今まできたことのない、挑戦的なものだ。 「どういう意味かしら?」 でも、そんな緊迫した両親の声よりも。 次に聞こえた声の方に、俊は愕然とした。 父親の隣りになっていた、小さな人影が、口を開いたのだ。 「明日」 それは、亮の声だった。 はっきりと澄んで、大きくないのに、とてもよく通る声。 後姿なのに、母親の肩が、びくり、としたのがわかる。 「彼は、国外追放になります。少し、やりすぎましたね」 浮かんだ笑みは、今まで見せた、今にも消えそうなモノとは、まったく異なるモノだ。 「ずいぶんと、彼に情報を流していらっしゃったようですね。証拠は、抑えさせていただきました」 そして、俊は、理解した。 亮が、この家に来たのは、両親の仲を裂くためだったのだ、と。 声が出ないのも、歩くのが不自由なのも、演技だったのだ。母親を油断させるための。 同じ年の、双子のはずの、少年。 それが、大人をはめてのけたのだ。 最初から、騙されていたのだ、彼に。 やっと、両親が仲良くなったと、思っていたのに。 小さな、かわいい弟が出来たと思っていたのに。 |