[ Back | Index | Next ]


Splendid Game

 屋敷の殺人・1  Murder of Ivy House 1

カムディーハウス街にある蔦屋敷にも、夜は等しく訪れていた。
いつものように、軽い夜食とお茶を乗せたトレーを持ったメイドが、ノックする。
が、いつもならば、無愛想ながらもすぐにある返事が返ってこない。
そばかすのメイドは、不思議そうに首を傾げる。こんなことは、いままでなかったことだ。
もしかしたら、居眠りでもしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ノブに手をかけてみる。鍵は、かかっていないようだ。
「だんなさま……?」
いつも腰掛けているはずの、ビロード張りの奢侈な椅子には誰もいない。
ゆっくりと視線を動かしていったメイドは、机の脚付近に、いつもは無いモノを発見した。

探していた、だんなさま、を。
左胸に、深々とナイフの刺さった、その人を。

次の瞬間、屋敷中に悲鳴が響き渡った。





ベイカー街は、じつにうららかな陽射しに包まれている。
221Bの二階のワトソンの寝室にも、カーテンの隙間からやわらかな陽射しが落ちている。
ブルーを基調にしたシーツから、腕がにょっきり、と出てくる。
ふらり、ふらり、と動いた後、サイドボードから目覚まし時計をひっつかむと、また引っ込んでいく。
ゆっくりと、柔らかいブラウンの髪がシーツから出てくる。
半分くらいしか開いてない緑の瞳が、時計の短針と長針の位置を読み取ろうと動く。
「……八時……五十分…………」
かすれた声で呟く。
「…………え?」
どことなく、不思議そうに時計に向かって首を傾げる。
「!!!」
がばりっと飛び起きた顔は、すっかり眠気が飛んだ顔だ。
ジョン・H・ワトソン。彼の本職は、あくまでも医者だ。たとえ趣味で探偵の助手と記録係をやっていて、そのどちらかのせいで夜更かしが過ぎたとしても、診療所は九時からであることに変化は無い。
ようは、遅刻寸前。
蛇足ながら付け加えると、昨晩の夜更かしは『ストランドマガジン』の〆切だったから。
パジャマを脱ぎ捨てると、手早くワイシャツを着てネクタイを締める。
そして、下宿の管理人であるアリス・ハドソンが洗濯に出しておいてくれた白衣をカバンに詰め込むと、慌てて階段を駆け下りる。
ちょうど、玄関に立っていたアリスが振り返る。
「あら、ちょうどよかったわ」
にこり、と微笑む。
「あの……」
その笑顔の脇を、ワトソンは風のように走りぬけて行く。
「ごめん、帰ったらね!」
これだけ慌てているのに、ちゃんと謝るのが彼らしいところだろう。
が、次の瞬間、目前の人に激突しそうなことに気付いて急停止する。
アリスが、ぽつり、と言う。
「お客様……よ?」
「びっくりするじゃないか」
目前の人は、そのつり目気味の目を少し見開いてこちらを見つめる。
「レストレード」
「朝っぱらから悪いとは思うけど、警察医殿をお迎えに来たんだよ」
ワトソンの肩書きに、もうひとつ付け加えるべきモノはスコットランドヤードの警部であるレストレードが言った、警察医、だ。
探偵の助手、なんてものをやってるうちに、そんなことまでするようになってしまっている。
その肩書きを呼ばれたワトソンの眉が、かすかに寄せられる。警察医に用事があるとすれば、用件はヒトツ。
殺人事件しかない。
その捜査には、イヤというほど携わっているはずのレストレードも、微かに眉をあげてみせる。やりきれない、というかのように。彼も夜勤明けなのだろう、いつもきっちりとはしめていないネクタイが更によれているし、明るい色の髪も少々乱れている。
「で、こっちは依頼人だ」
言いかかった台詞を飲み込むように、レストレードは自分の少し後ろに立っていた人物を向く。
そこには、髪をきっちりと分け、生真面目そうな瞳に眼鏡をかけた青年が、不安な表情で立っていた。
スーツは、仕立ては悪くないが、高いものではなさそうだ。折り目の正しさから行って、役所勤務だろう、ということはワトソンにも察しがつく。
「ロバート・オスワルド氏だ」
「アリス、居間にお通しして」
「はい」
レストレードが客を連れてくるという意味を正確に察して後ろに控えていたアリスは、頷くと柔らかな笑みを浮かべる。
「どうぞ、こちらですわ」
階段を上がっていく客を見送るワトソンの下の方から、ちょこんと覗きこむ気配。
「マフィン」
家に勤めているメイドというにも幼い少女だ。家庭環境のせいで働かねばやっていけないが、とても賢いことを知っているこの家では、とても重宝がられている。
その彼女が、にこり、と微笑む。
「ホームズさんなら、さっき起きてこられましたよ」
「え?」
本当にそうなら、珍しい早起きだ。
「先生の物音で目が覚めたって、コーヒーを飲みに、裏階段から降りて来られましたから」
悪戯っぽい笑みで言われたワトソンは、今朝の自分の慌てぶりを思い出して苦笑する。
「そう、なら僕も上がるよ」

居間への扉が開けられると、窓際に立っている人影がある。
「レストレードさんと、お客様ですわ」
「ようこそ、気持ちの良い朝ですが……どうやら味わうことができなかったようですね?」
にこり、と微笑んで振り返ったのは、シャーロック・ホームズその人だ。
薄い色素の髪に瞳、それとは対照的に黒に近い仕立ての良いスーツにワイシャツ、ネクタイ。パイプを手にした姿は、計算したのかと思うほどだ。
オスワルドの方は少々雰囲気に飲まれたらしいが、慣れっこになっているレストレードは肩をすくめてみせる。
「まぁな、でジョンはどうしたよ?」
「お待たせしました」
タイミングを計ったかのように、レストレード達が入ってきた扉とは対象にある扉から姿を現す。
ワトソンなら、下で自分たちを見送っていたはずだ。
オスワルドはワケがわからなくなってきたらしく、その細めの目を見開いて二、三度瞬きをする。
「裏階段があるんだよ」
ぼそり、とレストレードはオスワルドに耳うちしてから、楽しそうに微笑んでいるホームズ達に向き直る。
「マジックショーはそのくらいでいいから、本題に入ろうぜ?」
「その為に来たんだろ?」
まったく動じた様子も反省する様子もなく、ホームズはソファを指してみせる。
「おう、そうだよ」
返事をしながら、レストレードは遠慮無くソファに腰掛ける。オスワルドも少々遠慮がちに、それに倣う。
「どうぞ?」
「ありがとう」
ホームズが差し出してくれたシガレットを、レストレードは手にすると慣れた調子で火をつける。オスワルドは、首を横に振ってみせる。
ひとつ、煙を吐き出してから。
「この気障なのがシャーロック・ホームズ、それから相棒のドクター・ワトソン」
と、レストレードは暖炉側に立っている、マジックショーをしてみせた青年を指してみせる。ワトソンと紹介された彼は、にこり、と人好きのする笑みを浮かべる。
オスワルドも、つられたように少し、微笑んだ。ここへ来てから、初めての笑みだが、かなりぎこちない。
「スクールの友人で、ロバート・オスワルド氏だ」
隣りの人物を、ホームズに紹介する。
軽く頷いてみせ、指をつき合せる。
「で?」
当人の名前はどうでもよさそうな調子だ。
再度肩をすくめたレストレードは、オスワルドを見やる。オスワルドは、膝の上で握り締めていた手に力を入れた。
「その……実はですね」
ためらいがちに、口を開く。
「私の父が、変死したらしいのです」
「らしい?」
ホームズの片眉が怪訝そうに上がる。
「いえ、その……知らせを受けるまでは、役所で止まり込みの仕事をしておりまして……で、知らせに来た執事の話があまりにも異様な感じでしたので、ホームズさんに早めにご相談した方がよいのではないかと思ったのです」
「ロバートは仕事に戻らなきゃならないらしくてさ、ちょっと特殊な仕事なんだと」
レストレードがホームズが口を開く前にフォローする。
「もらえた猶予を依頼にあてたってあたりを、汲んで欲しいね」
「事情は理解できたけど、内容を聞かなきゃ決められないね」
あっさりとホームズは言ってのける。泣き落としとか情に訴えるとかいうのはまったくと言っていいほど効かない相手だ。
「でもホームズ、それだけ君を頼りにしているということだと思うけどな」
ワトソンが、柔らかな笑みを浮かべたまま口を挟む。ホームズの頬が、軽く染まる。
「わかってるよ」
どうやら、悪い気はしていないらしい。が、すぐに先ほどまでの余裕の表情に戻って、レストレード達に向き直る。
「だいたい、なんでレストレードが現場に行かない?」
言われたレストレードの視線が、少々明後日の方向へと漂う。
「担当、俺じゃないから」
「……もしかして?」
「まぁな」
今度は、ホームズが軽く肩をすくめる。
「ともかく、話をきこうか」



チャーチストリートを疾走する馬車の中で、ワトソンが手帳を広げている。
オスワルドの依頼を、引き受けたのだ。
「現場はカムディーハウス街の『蔦屋敷』、昨晩十一時頃にコーヒーを持っていったメイドが、依頼人の父であるエドワード氏が死亡しているのを発見……」
ホームズが、微かな笑みを口元に浮かべる。
「カムディーハウス街といえば、高級住宅街だ」
手帳から顔を上げたワトソンが、首を傾げる。
「下っ端役人の立場で買えるような屋敷はなさそうだね、確かに」
「ところが、そこに彼らは住んでいる」
「亡くなったエドワード氏も、ずっと平役人だったのに?」
「そう、ヒントその一というわけだ」
口の端に浮かんだ笑みが、少し大きくなる。ワトソンは、手帳を内ポケットにおさめながら呟く。
「ヒントその二以降が、現場担当たるグレグスンたちに消されてないとイイけどね」
「やなことを言うなよ。まぁヤツら、時にヒドイ明き盲だからな」
などと言っているうちにも、馬車は目的地である蔦屋敷についたようだ。
門前を警備している警官の顔に、不信そうな表情が浮かぶ。
「ご苦労様です、友人のグレグスン警部がいらっしゃると思うのですが?」
にこり、と笑顔を向けられて、自分の職務に忠実たるべく職務質問をしようとした彼の顔には、戸惑いが浮かぶ。
「お友達とは知らなかったですね」
少々不機嫌そうな声とともに、立派な造りの門の向こうからグレグスンその人が姿を現す。
レストレードと同じくスコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警部で、ライバルといわれる存在だ。
ホームズよりも背が高いくらいの長身で、黒がかった髪を整えてネクタイもきっちりしめ、念入りにおしゃれをしているあたりはレストレードと対照的だ。
そして、どちらかというとレストレードと組むことの多いホームズを良くは思っていない。それがありありとわかる表情を浮かべている。
それに頓着する様子もなく、ホームズはさらに笑みを大きくしてみせる。
「おや、冷たいですね」
「……あなたが来ると聞いたので、現場はそのままにしてありますよ」
なんだかんだ言っても、ホームズの実力は知っているし敬意もあるらしい。嫌々ではあるものの、ホームズの捜査に必要なモノは残してあるようだ。
ホームズとワトソンは、顔を見合わせて少し微笑んだ。

現場である書斎に通されたホームズとワトソンの眉が、微かに寄せられる。
「ふぅん?」
窓の開け放たれた部屋は、荒らされ放題だ。引き出しという引き出しは、机だろうが棚だろうが引っ掻き回されていないところは無いし、本棚の本もかなり荒らされている。
後ろからついてきたグレグスンが言う。
「状況はかなりはっきりしてると思いますが?」
ホームズが、振り返る。
グレグスンは、それぞれの場所を指差して見せながら続ける。
「こじ開けられた窓、部屋の荒らされよう、そしてナイフでの殺し方、どれを取っても強盗としか思えませんがね……?レストレードの友人が息子なんだか知りませんが、ホームズさんが出てくるほどの事件じゃないですよ」
「そうでしょうか?」
「え?」
「そう決めるのは、少々早い、とは思いませんか?」
ホームズ達が会話している間も、ずっと机脇の遺体を見つめていたワトソンが、すっとその側に身をかがめる。覗き込んでみて、確信した声音で口を開く。
「このナイフは、明らかに死亡後に刺されてる」
「なんですって?」
思わず聞き返したグレグスンの声が聞こえているのかいないのか、ワトソンは感情のこもらない声で続ける。
「刺された場所といい深さといい、出血がこれしかないのはおかしすぎる……それに、正面から刺されているのに、争えば当然つくはずの挫傷、裂傷の類も無い」
顔を上げたワトソンの顔つきは、優しいお医者さんのモノではない。
「かといって、首を締められたような痕もない」
「……じゃ、じゃあ、どうやって?」
「さぁ……?」
また、遺体へと視線を戻したワトソンの脇へ、すっと手が伸びる。
ホームズが、遺体の上にあったモノを手にしたのだ。
殺された後に置かれたとしか思えない、それは、花。
「忘れな草か……」
呟いたホームズに、グレグスンは眉を寄せる。
「殺しといて『私を忘れないで』とは、厚かましいにもほどがある」
ただの強盗ではなさそうだとわかり、少々イライラしはじめたようだ。
ホームズは、くすり、と笑う。
「へえ、たまにはイイことを言うね」
「たまには?」
不満充分な声音でグレグスンが問い返す。
それにおかまいなく、ホームズは微笑む。
「発見者に会いたいですね」
「わかりました、応接間に呼んでおきますよ」
ホームズははっきりしたことがわかるまでは、絶対にわかったことを口にしない。それを身に染みて知っているグレグスンは、ここでがんばっても仕方ないと思い直したのだろう。大人しく頷いて背を向ける。
「お願いします」
殊勝な台詞すら、グレグスンにはバカにされたように聞こえたのか、肩をふんと動かしてみせたのみだ。苦笑しながらホームズは、ワトソンの方に向き直る。
「さてと、ここで見るべきモノは見たようだから……」
言いかかった言葉を、切る。
ワトソンは、まだ遺体を見つめている。さっき口にしたこと以外、眺めているだけではわかりそうにないことは、ホームズにはよくわかっている。彼にも毒物の知識がないわけではない。
知っている兆候は、どれも見られない。解剖するより他、ない遺体だ。
「ワトソン?」
返事がない。
「ジョン?」
もう一度、呼ぶ。ワトソンは、やっと顔を上げた。
「ああ、部屋は見終わったのかい?」
「そう、言ったけど?」
「ごめん」
微かに笑みを浮かべると、立ち上がる。
「珍しいな」
「ちょっと変わってる、と思ったものだから……まぁ午後解剖すれば、はっきりするだろうけどね」
ホームズも、軽く頷いてみせる。変わっている、という意見には賛成だ。それに、ワトソンの警察医としての腕が確かなことも。
「じゃ、事情聴取といきますか」
二人は、現場を後にする。

応接間に呼ばれたメイドは、まだ朝のショックから立ち直りきっていないのか、おどおどしている。
「あ、あの……」
少々イライラしてきたのだろう、グレグスンが刺のある口調で言う。
「アンナさん、もう一度、ありのままをお話いただければ問題ありません」
「はい、その……」
言いながらも、アンナと呼ばれたメイドの瞳には、みるみる涙が浮かんでくる。グレグスンが、しまったという顔つきになったときには、すでに遅い。
ぽろぽろと、大粒の涙が溢れ出してしまう。
少々離れた椅子に腰掛けたホームズは、どちらかというと楽しんでいるようだし、ワトソンは、またやった、という顔つきだ。
その時だ。凛とした声が、新たに加わる。
「ご質問になら、私が答えますわ」
メイドの後ろに現れたのは、見事な金髪を結い上げ、黒いドレスを見事に着こなした女性。強い意思を秘めた蒼い瞳が、まっすぐにグレグスンを見つめる。
「お義父さまが亡くなった今、夫が留守の間、この家の主人は私ソフィア・オスワルドですわ、さぁなんなりとご質問下さいまし」
「オスワルド夫人……」
「今朝から、アンナはもう充分にご質問にお答えしてきたはずです」
「いや、あの、これはですね……」
オスワルド夫人の剣幕に気圧されたのか、今度はグレグスンがしどろもどろだ。
相変わらず、可笑しそうな笑みを浮かべたままのホームズが口を挟む。
「グレグスン、見るべきモノは見たから、もういいよ」
「え?」
す、と身のこなしよく立ちあがったホームズは、オスワルド夫人へと向き直る。
「夫人、最後に一つ、質問にお答えいただければ、これ以上煩わせるような真似はいたしません」
「わかりましたわ、なんでしょう?」
ホームズの顔から、す、と笑顔が消える。
「大変失礼とは存じますが、昨年、ご子息を亡くされていらっしゃいますね?」
予測のつかなかった質問に、夫人も言葉を失ったらしい。グレグスンも、目を見開いてホームズを見つめる。
ワトソンだけが、怪訝そうながら目を細める。
ホームズは、続ける。
「確か、ゆきずりの浮浪者に首を絞められた、とか……?」
「……ええ、そうですわ」
幾分、声は低まったが、しっかりとした口調で夫人は肯定する。視線は、下へと落ちた。
「あの日、チャールズは、私に花を摘んでくるからと、そう言って出かけて……」
きゅ、と手を握り締める。
「あまり遅いので、執事を迎えにやらせましたら……自分で摘んだ花に、忘れな草に埋もれて……」
声が、かすかに掠れる。
「私の産んだ子供ではありませんでしたけれど、あの子はそれは私に懐いてくれていましたのに……私の為に、花摘みに行ったばかりに、あんなことに……」
掠れかかった声は、嗚咽へと変わる。
「お辛いことを思い出させて、申し訳ありません……これで、失礼します」
す、と頭を下げると、グレグスンに質問させる間を与えず、ホームズは屋敷を後にした。



蔦屋敷からずいぶん歩いてから、ホームズは、やっと顔をワトソンの方に向ける。
さきほどまでの考え込んでいた表情はどこへやら、薄い笑みが浮かんでいる。
「では、復習といこうか?」
ワトソンは、肩をすくめる。
「もうわかってるんだろう?」
わかっているから、誰も予測のつかない質問を発したはずなのだから。
「いや、死因がわからないことにはね」
今度は、ホームズが肩をすくめて見せる。
「わかったよ、順にまとめると、こうなるかな……」
内ポケットの手帳を取り出すと、ワトソンはさっと確認する。それから、口を開く。
「十五年前、今回の被害者であるエドワード氏が蔦屋敷を手に入れた。そのお蔭で、オスワルド家の名が知れた」
「そのお蔭で、ロバートが7年前に植民省に下っ端ながらも入省できたわけだ」
ホームズが言う。ワトソンが続ける。
「で、ロバートは六年前に結婚、翌年息子、チャールズが生まれたけど奥さんは産後が悪くて死亡。四年前にソフィア・フォゲッティ嬢が、いまは亡きエドワード夫人の看護婦謙チャールズの家庭教師として来た、二年前にロバートとソフィアが結婚、昨年チャールズが浮浪者に殺害されて、昨晩、エドワードが殺害」
「二人とも、忘れな草に弔われてね」
「オスワルド家に恨みを持った者がいる?」
「さぁ、どうだろうね」
ホームズは首を傾げる。
「執事もメイドも、屋敷を手に入れてから雇われた者たちばかりのようだし」
「不思議だね、屋敷と身分が、釣り合ってないように見えるけど」
「屋敷があれば、家柄がついてくる……そう思ったかもしれない」
「エドワード氏が?」
ホームズの顔に、にやり、と笑みが浮かぶ。
「ワトソン、君だって僕と同じモノを見たんだよ、自分で考えたまえよ」
珍しくよく話すと思ったのは、気のせいだったらしい。
「教えて上げられるのは、次の行動だよ。君はベーカー街へ昼を食べに返る、僕はホワイトホールへ少々調べモノに行く」
言ったなり歩調を早めたホームズを、慌ててワトソンは追う。
「ホームズ!また食事抜く気か?!」
「リンゴでも食べとくよ」
振り返りもせずに言うと、二輪馬車を止める。
乗り込みながら、付け加えた。
「一日一個のリンゴで、医者要らずっていうからね」
そして、御者に告げる。
「ホワイトホールだ」
走り去る馬車を見送りながら、ワトソンはため息をつく。
「……朝食も抜いたくせに」
もっとも、朝食を抜いたのはワトソンも一緒なのだが。思い直したように、自分も二輪馬車を止める。
そして、行き先を告げる。
「クィーン・アン街へ」
どうやら、ワトソンもホームズのことを攻められた義理ではないらしい。なぜなら、彼の行き先は彼の診療所だから。




[ Back | Index | Next ]