□ 雨告鳥 □ chant-2 □
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木崎のこめかみが微妙にひくひくとしているように見えるのは、気のせいではあるまい。滅多に無いほどに不機嫌だ。
昨今の状況から考えたら、さもありなん、なのだが。
どんなカミナリが落ちてくるのやら、と微妙に首をすくめつつ、隆南駿紀は木崎の前に立つ。
不可思議なのは、一人で呼び出されたことだ。しかも、人のいない場所を選んで、というのもらしくない。
大目玉を食らわすにしても、皆の目前で堂々とやるのが木崎なのだが。
それに、今回の件で個人的に突っ走った覚えも無ければ、大ポカをやった覚えもない。捜査の進展の無さについてならば、班全体が一斉のはずだ。
が、こちらから口を開く雰囲気ではないので、ひとまず黙って立っている。
重苦しいほどの沈黙の後、やっとのことで木崎は口を開く。
「不本意なんだが」
声が低い。今までに無く低い。
予測通り、あり得ないほどに不機嫌だ。
「本当に、不本意なんだが」
もう一度、繰り返す。何に対してだか、と駿紀は思うが、やはり訊き返せる雰囲気ではない。
「今回の件に対し、警視総監じきじきの人事特令が発せられた」
「特令?」
あまり聞かぬ名称に、思わずおうむ返しにしてしまう。
ぎろり、と木崎は視線を上げる。
「そうだ、特令だ。課長の奴ら、俺に相談無く勝手に人間まで決めやがった」
どうやら、怒りの対象は一課長にあるらしい。ということならば、こちらは疑問に思ったことくらいは口にしても良さそうだ。
「警視総監じきじきってことは、断りようが無いってことですか?」
「そういうことだ。ったく、現場のことを少しは考えろってんだ」
長谷川警視総監の理想と、山内一課長のプライドと、小松二課長のせせこまい意図によって決定されたということまでは知らないにせよ、直に現場に関わらぬ上司の身勝手だということだけは嫌というほどわかっている。
木崎のイライラは、つのるばかりであるらしい。
「で、内容の方は何なんですか?」
人事特令と木崎は言った。自分に関係あることなのだろうが、促さないといつまで経ってもグチばかりのようだ。グチというのも、木崎にしては珍しいことではあるが。
「今回の件、ヤツに二課も目をつけていたことは知っているな」
「はい」
だからこそ、今現在のこう着状態があると言ってもいい。
カタチばかりの情報交換はなされたのだが、互いに双方の領分に入り込まれるのは激しく嫌っている。もう少しつついてみてはどうかという点があったとしても、相手の領分には入り込みようが無いのだ。
「この特殊な状況に対応するということで、特別捜査班が組まれることになった」
そこまで言われれば、駿紀にだってだいたいの予測はつく。
「二課と組むわけですか?」
「にわか共同戦線なんぞが、上手く行くと思うか?」
木崎の問いに、駿紀はあっさりと首を横に振る。
「いえ」
そう簡単に協力出来るのならば、とっくにそういう捜査体制になっているに決まっている。互いの矜持にかけて、相手に頼るなんてことはあり得ない。
が、木崎の視線は、なぜか宙を漂う。
「と、思うだろう?が、組まざるを得なくなった。……一組だけだが」
どうやら、その一組とやらに組み込まれたのが自分であるらしい。警察も組織である以上、上部の決定が理不尽でも従わなくてはならないわけだ。
「なるほど」
納得した声の駿紀に、木崎は眉を寄せたまま告げる。
「相手は神宮司だ」
駿紀は、いくらか首を傾げる。聞いたことはある気がする。木崎の口調から察するに有名らしいが。
「知らんのか?」
「名前くらいしか」
のん気な返答に、木崎の口元にここ数日見なかった笑みが浮かぶ。
「隆南らしいな。そんなこったろうと思ったよ」
胸元にしまいこんでいる手帳を取り出すと、ざっとした略歴を読み上げてくれる。
「神宮司透弥、年齢はお前と同じだな。国家公務員試験を五指の成績で突破したと言われるが、その実ダントツのトップでキャリア組でも生え抜きだ。庁の捜査二課に配属されてからは、勅使班に所属して常に事件解決の中心的役割を担っている切れ者でもある」
「ははぁ」
国家公務員試験などという紙上の成績は叩上げの駿紀にとっては何の意味も無いデータだ。が、事件解決の中心となれば話は別だ。
いくらか真剣な瞳になってきた駿紀に、木崎は捜査情報を伝える時と変わらぬ厳しい目つきで告げる。
「神宮司が切れると言われる所以の一つは、足以外で稼ぐ情報にあるらしい」
「足以外?」
駿紀の片眉が上がる。
木崎からも叩き込まれていることだが、捜査の基本は己の足だ。この目で見て、この足で確認した情報こそ最も確かな物。
それは、自分の経験からも確信している。
が、神宮司はそうではないらしい。
「なにから得ているかは知らんが、己の足で稼いだわけではない情報を使うのが得意だ」
「他人の情報を使う、ということですか?」
だとすれば、横取りだ。事実ならば、かなり不愉快な存在、ということになる。
「詳細はわからん。が、己の足以外というならば、その可能性が高いということだな」
眉間に深い皺を寄せて言った木崎は、まっすぐに駿紀を見つめる。
「いいか、この事件は俺たちの手で必ず早期に決着をつけてみせる。だから、しばらく耐えろ」
木崎が特別捜査班に自分を選んだわけではないことは、最初の口ぶりかもわかっている。むしろ、自分の下から抜けるコトを悔しがってくれている。それで、充分だ。
耐えろの真の意味も、はっきり理解している。
汗水垂らした捜査の結果を、うまうまと取られた挙句にお株を奪われたのではたまらない。こちらが足で稼いだ情報を下手に抜かれないよう気を張る日々になりそうだが、それくらいはやってのける自信はある。
「ウマイとこ取りだけしようというのは、お断りしますよ」
深く頷いてから、木崎は、に、と笑いかける。
「この際だ、お前の実力をしっかりと見せ付けて来い。俺たちの代表なわけだからな」
「わかりました」
木崎の目を見つめ返して、しっかりと頷く。



二人になったところで、勅使は深いため息を吐く。
珍しいことなので、神宮司透弥は軽く首を傾げる。
「警視総監が、やくたいもないことを思いついてな」
透弥相手にもったいぶったところで意味がないことを知っている勅使は、気が進まなそうな口調で話を始める。
「一課と二課混合の特別捜査班を一組組織するよう、人事特令が発せられた」
そこまで言われて察しの付かない透弥ではない。
微苦笑が浮かぶ。
「なるほど、小松二課長じきじきに俺を選びましたか」
「その通りだ。すまん」
勅使に頭を下げられて、透弥の苦笑が大きくなる。
「課長自ら名を上げられてしまえば、後から動かすことは難しいでしょう。相手は誰です?」
捜査の最小単位は二人一組だ。一課と二課合同の捜査班という長谷川の要求に、小松は最少のスケープゴードで対応することにしたのに違いない。
「隆南駿紀、捜査一課きっての検挙率を誇る木崎班の秘蔵っ子だ。お前と同じ年だが、叩上げで経験はよく積んでる」
ふ、と口元に笑みが浮かぶ。
「なるほど。では、しばし一課で苛められてくるようにということですね?」
今回の一件は結果的には殺人だ。一課と二課それぞれが捜査に当たってはいるが、基本的な主導権は一課が握っている。特別捜査班も、捜査一課麾下というのが自然だ。
「いや、その一点だけは幸運かもしれん」
透弥の問いに、勅使はやっとのことでらしい顔つきになる。
「特別捜査班は、警視総監直下に組織されることになった。一課も二課もその捜査方法や手段に口出しは出来ん」
さすがに驚いたらしく、透弥の切れ長の眼がいくらか見開かれる。
「ほら、文面にしっかりと」
該当箇所を、勅使は指してみせる。
「なるほど、一課の情報も二課の情報も遮断される代わり……」
半ば独り言のように呟きながら透弥は長い指を顎にあてる。勅使も、頷く。
「やりようによっては、面白いことになるかもしれんな」
透弥のロ元にも薄い笑みが浮かぶ。
「他人の意図した結末を素直に辿るというのは芸がありませんしね」
「その調子なら、大丈夫そうだな」
勅使の顔にも苦笑の混じった笑みが浮かぶ。
「俺の方は、お前が抜けてけっこうな痛手なんだが。ま、秘蔵っ子を奪われたのなら、一課も今まで以上に力が入るだろうし、この件さえ乗り切ればいいことだ」
一課と二課の合同操作班が機能すれば早期解決を見込めるなんていうのは、絵空事の理想に過ぎない。
それは、現場にいる人間が最もよく知っていることだ。
今回のような件では、その競争意識が捜査の邪魔をすることはあるが、一課と二課双方が同時に眼をつけるなど、まず滅多に無い。
通常ならば、その競争意識こそが早期解決を生み出す原動力になる。
今回の件さえ片付けば、また元通りになるのは目に見えている。
勅使は、軽く頭を下げる。
「出来うる限り早く片付ける。しばらくやり難いだろうが、耐えてくれ」
「適当にやり過ごしますから」
勅使が画策したことではないのだから、頭を下げる必要は無い。
「ところで、この文面はどの程度の効力があるんでしょうか」
透弥が指差したのは、先ほど勅使が出してきた特令の文書だ。
問われて、勅使も改めて文面を見直す。
紙一枚に、実に簡素な文面で出来上がっている。
捜査一課二課合同の捜査班を設ける、構成員は隆南駿紀と神宮司透弥の二名とする、の他、今回の件解決までの臨時措置である、警視総監直下の組織とし何者もその捜査に干渉することは許されない、とだけしか記されていない。
勢いで書いたのがありありとしているあたり、誰もがこの文面を真面目に読み込むとは思っていないことの証拠だろう。
「警視総監の直筆署名が入った文書だから、最高優先扱いは間違いないな」
「所詮二人でなにが出来るわけでもないと思われてるのでしょうし、いくらかの我侭は通ると見て良さそうですね?」
透弥がなにを考えているのか想像がついたのか、勅使は笑みを大きくする。
「捜査班らしい体裁を整えるくらいは、なんの問題も無く出来るだろうよ。合同班設置までに時間をかけてる暇も無いし、監査もザルだろう」
透弥も、笑みを返す。
「やり過ごすのは構いませんが、無為な時間になるのは御免です」
頷いてから、ふ、と勅使の顔から笑みが消える。
「しかし、問題は一課の坊やがどう出るか、だな」
「木崎班の秘蔵っ子でしたか?変に気負ったりしてないといいんですがね。余計なコトをしてくれなければ、それで良しとするしかないでしょう」
皮肉そのものの口調で言ってのけ、透弥は肩をすくめる。

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