□ 雨告鳥 □ chant-3 □
[ Back | Index | Next ]

特別捜査班用に割り当てられた小さな部屋の扉の前に、駿紀はダンボールを抱えて立っている。
とはいっても、今回の事件の為だけの特別人事なので、持ってきたのは抱えている箱だけだ。たいしたことは無い。
それよりも、明かりがついているということは、二課から来ることになっている神宮司透弥はすでにいる、ということだ。
少々居住まいを正し、顔を引き締めてから、駿紀は扉を開く。
が、視界に入ったのは、机とモニタと乱雑に積まれた書類のみ。人の姿は無い。
「れ?」
拍子抜けして思わず出した声に反応するように、モニタの影から人が現れる。
軽く眉を上げた様子は、いかにも集中していた作業を邪魔された、と言わんばかりだ。が、入ってきた人間がどういう相手だかは予測がついたのだろう、面倒臭そうに立ち上がる。
ほとんど黒に近いくらいのグレーの三つ揃えは、まず一課ではみかけないいい仕立てな上に洒落てもいる。キャリアだと知っているせいか、インテリぶってるように見えてなんだか鼻につく。
自分の、赤みがかった瞳と合わせた茶系のヨレたスーツとは正反対だ。
スーツの上には細めの顎に、切れ長の青みがかった瞳。
印象としては、冷たい、というのが真っ先に来る。こんなで聞き込みなんぞに行けるのかという考えが掠めるが、すぐに木崎の足以外の情報を使うのが得意、という言葉を思い出す。
なるほど、自分の足で稼げないから人の情報を使うのか、などと考えていると、切れ長の瞳の上の形の良い眉が、不愉快そうに寄せられる。
「一課では、挨拶もなしに人の顔をじろじろと眺めるのが流儀なのか」
「その言葉、ままお返しするよ」
延々と沈黙を守っていたのは、相手もではないか。
こちらが挨拶しなければ、あちらもしないとは、なんだか下に見られているようで面白くない。
このままではらちがあかないのも確かだが、素直に名を名乗る気分では無くなっている。どさり、と段ボール箱を目前の机の上へと下ろすと、いつもよりも低い声で尋ねる。
「お前が、神宮司透弥?」
「そういうお前が、隆南駿紀か」
冷静な口調だが、どこかに皮肉な響きが込められている。いちいちカチンとくる男だ。
ふい、と視線を逸らしつつ、ぞんざいに頷く。
「ああ、そうだよ。しばらく、顔つき合わせなきゃならないらしいな」
「そのようだな。ただ、コトのレベルは同じ部屋の空気を吸わねばならない、程度には低減出来る」
さらりと言ってのけると、駿紀がどういう意味かと訊き返す前に、どさりと元通りに椅子に納まってしまう。
なるほど、こうしてしまえば、顔は見えない。
「そりゃ、ありがたいね」
ぼそ、と言う。どうやら、奥の広い机はとっとと透弥が占領してしまっているらしい。
適当に椅子を引くと、勝手に己の机と決めさせていただく。
いきなりコレでは、期間限定とはいえ先が思いやられそうだ。
だいたい、自分がこれだけ不機嫌になる相手というのが珍しい。上はギネスに挑戦出来そうなお年寄りから、下はまだ首の据わってない赤ちゃんまで、たいていの人とにこやかになごやかに過ごすのは得意なのだが。
神宮司透弥は、ある意味稀有の存在と言えるのかもしれないが、このままでは子供以下のレベルの怒りを抱えつつ、不毛に椅子に根を生やすことになってしまう。
もしかしたら、神宮司透弥という人間の会話スタイルは、あのようなモノなのかもしれない。彼に悪意は無いのかもしれない、と言い聞かせてみる。
「おい」
が、返事は返ってこない。
「おい」
いくらかボリュームを上げてみるが、やはり無言。
「おい、神宮司!」
「なんだ」
不愉快かつ面倒くさそうに、返事が返る。姿はモニタの向こうのままだ。
「これから、どうする気だ?」
「これからとは、どういう意味でだ」
いくらか、声の聞こえてくる位置が下がる。どうやら、あちらで下を向いたらしい。
なにかしながら返事してると気付いて駿紀はムッとするが、ひとまず抑えて問うべきことを問う。
「だから、聞き込みに行くとか」
「無駄足を踏みに行くのなら、勝手に行けばいいだろう」
間髪入れずの返答に、さすがに眼を剥く。
「無駄足だと?」
格段に声が低くなったのだから、駿紀が相当に感情を害したのだとわからぬはずがない。が、相変わらず透弥の姿はモニタの向こうのままだ。
「闇雲にあたっても労力の無駄だ。悪いが、俺にはそういう趣味は無い」
「んだと?」
思わず、立ち上がる。椅子が大きな音を立てるが、そんなこと気にしてられない。聞き捨てなら無い言葉だ。
「じゃあ、他になんかムダじゃないってことがあるのかよ?」
そもそも、この件に関しては、一課の捜査でも二課からの情報からも、なんのキッカケも見えて来ていないのだ。
だからこそ、木崎を中心とする捜査班はそれこそシラミ潰しの勢いで、仕事に関わる人間にあたっている。確かに今まであたったモノは全て空振りとなっているが、それでも、それこそが少なくともあたった人間は事件に関係が無い、という証拠となっている意味で無駄ではない。
だというのに、どういうつもりなのだ、この態度は。
返事が返らないので、駿紀はこちらからツッコんでやる。
「それとも一課の人間には教えられない情報でも持ってるのかよ」
木崎は、透弥は情報を得るのが得意と言っていた。まだ二課内でも知られていないなにかを掴んでいる可能性も否定は出来ない。
駿紀の言葉に、やっとのことでモニタの向こうから顔が覗く。
「取り立てて伝えるべき情報は今のところ無い。二課での捜査状況に関する報告は、事件前のモノから全て一課にも渡っている筈だが?」
実に不機嫌そうに、カタチのいい眉が寄っている。
「それとも、一課では己の足で集めた情報以外は無視するという決まりでもあるのか?」
思い切りな皮肉に、駿紀は思わず言い返す。
「そんな捜査の障害になるようなプライドなら、ゴミ箱に蹴り込んでほっとくさ」
それから、大きめに息を吸って怒鳴りつけたいのをかろうじて我慢する。
「お前、状況わかってんのかよ?上も無しでたった二人で」
「だからこそ、ほんの少しの無駄も御免だ。お前には静寂を保つという誰でも可能なこと一つ出来ないのか」
言葉を遮られた上、くっきりはっきりと邪魔と明言されて、かぁっとなる。
「ああ、そうかよ。邪魔して悪かったなッ」
勢いよく扉を明けると、派手に閉めてやる。
そして、やっとこ我に返る。
イチイチ腹の立つ相手ではあったが、出て来てしまってどうするのだろう。
が、あれだけの勢いで出てきて、すぐに戻るのは業腹だし決まり悪い。
ひとつため息を吐くと、駿紀は歩き出す。
歩きながら、考える。
確かに、透弥の言うことには一理はある。たった二人で手当たり次第に聞き込みをしたところで、結局、木崎たちの捜査の手助けくらいにしかならない。
でも、外に出るべきだ、と駿紀は思ったのだ。
だから、聞き込みと口にした。
くしゃ、と頭をかき回す。
今は冷静に誰かと話せそうに無いから、聞き込みは無理だ。
では、どうするか。
行き詰った時の答えは、一つだ。



何度も来ていたせいで間取りを暗記してるほどの現場に、駿紀はまた立っている。
現場百遍、嫌と言うほど聞かされてきた言葉だし、自分の信条でもある。いつもの自分に戻る意味も含めて、無駄ではないはずだと言い聞かせながら近付く。
「こんにちは」
声をかけると、警備にあたっている機動隊の巡査が笑い返す。
「どうも、隆南さん。一人ってのは珍しいですね」
「ん、まぁ」
なんとなく言葉を濁しながら、現場の扉へと目線をやる。
「いいかな?」
すると、何故か巡査は困った顔つきになる。首を傾げた駿紀に、巡査は言い難そうに答える。
「それがですね、その、科研が現場検証してます」
答えに、思わず眼を丸くする。
「科研?」
科研とは、科学捜査研究所の略だが、その実、構成員は二人の物寂しい部署だ。
現場検証と証拠解析は一課で充分にこなせる、と庁内ほとんどが反対だったのに、キャリアの一人がしつこく食い下がった為に、だったらお前がやれとの一言で出来た、ひなびた窓際部署である。
誰も科研を頼りにしてなどいないどころか、予算泥棒やら庁内の荷物やら陰口ばかり叩かれている部署だ。
「なんで」
「さぁ?依頼されたから、と言ってましたけど。書類はちゃんとしてたんで、断れなくて」
なにやら申し訳無さそうな顔つきになってきたので、慌てて手を振ってやる。
「や、書類持ってたんなら誰か依頼したってことだからさ」
「はぁ、なんでも、特別捜査班とかなんとか」
不可思議そうに巡査が首を傾げるが、駿紀の方は喉元まで出掛かった声をかろうじて飲み込む。
特別捜査班と言えば、自分たちのことではないか。
駿紀自身に、科研への依頼の覚えが無いなら、答えは一つだ。
依頼主は、神宮司透弥だ。
無駄は嫌いだとか言っていたくせに、なぜ科研を引っ張り出す必要があるのだろうか。
思わず首を傾げた駿紀の前で、巡査もまだ首をひねっている。
「なんか良くわからないんですよ。妙に朝早くから来て、一人はもう帰ったのに、一人はまだ残ってますし」
そういえば、あの部署は二人だけなのを思い出す。所長という肩書きを持つのが誰かは知らないが、もう一人はよく知っている人だからだ。
「ふぅん、ひとまず、本格的な検証は終わったってところかな」
いかに朝早くからとはいえ、こんな時間までで本格的という言葉が適当かは微妙だが。
科研以外に変わった人間が近寄った様子も無さそうだし、このままここで油を売っていても仕方無い。
「じゃ、入らせてもらうよ」
一呼吸してから、扉へと手をかける。
きしんだ音は、このアパートの古さの証明だ。かなり古ぼけているのだが、引き換える用に一人当たりの部屋数は一人暮らしには多いくらいある。
その一つ一つを、じっくりと見てみる。
台所、洗面所、風呂場。
普通ならば、生活臭がいくらかでもするはずの場所に、全くその気配が無い。
被害者である中村哲也の仕事は、表立って口にするのははばかられる類のモノだ。詐欺師まがいのコトをして二課に眼を付けられていたのだし、犯罪請負人を斡旋するような真似もしていて一課に追われていた。彼の慎重なところは、けして仕事を自宅近郊ではしなかったことだ。
それだけでなく、いつでも発つ鳥跡を濁さずとばかりに日々家の中の痕跡を消し去っていたらしいことが、事件後の現場検証でわかっている。
確かに、自宅近郊では仕事をしないとたかをくくっていたせいで、今回の事件発覚がいくらか遅れることとなってしまった。かといって、発見までの時間が遅かったわけでは無い。むしろ、かなり早かった。
それに、犯人が中村の生活臭までを全て消し去る意味が無いし、労力的にも時間的にも無理だ。
現場検証に慣れている人間が、皆、普段からここには生活臭が無かったと結論付けたのだから、その点は間違いない。
あれほどに家に近付かないよう慎重を期しておきながら、なお中村はいつ追われてもいいよう準備を怠らなかった。
それほどまでに神経を使っていたからこそ、一課と二課の双方に眼を付けられながら、決定的な証拠を押さえられなかったのだろう。
皆、現場を見て納得していた。
だが、それだけだろうか?
中村は、ここで生活していたのだ。ゆきずりで数日泊まるのとはワケが違う。
生活臭が出ない方が不思議なのに、毎日のように強迫観念に囚われてでもいたかのように痕跡を消し続けていた。
自分と言う存在は、どこにも無いかのように。
「…………」
いくらか、眼を見開く。
追われることに怯えていたのではなく、自分という存在自体に怯えていたという考え方は出来ないだろうか。
そのくらいに追い詰められていなければ、この生活臭の無さは説明が出来ない。
なんせ、本当にチリ一つないというほどに、何も無い。
病的なのではなく、自覚無く病に近い状態ではなかったのか。
だとすれば、この場から何かを出てくるコトを期待すること自体が。
背後からの静かな気配に、駿紀の思考は破られる。
振り返って、軽く頭を下げる。
「すみません、現場検証中とは伺ったのですが」
「いや」
言葉少なに首を振った男は、駿紀の肩ほどまでしか背が無い上に肩が丸まっているせいで、かなり小さく見える。
彼こそが、一課で現場検証の神と崇められていた東巽だ。
怪我で現場に出られなくなった時に勇退せず、科研へと移動したが為に、今では引き際の最高に悪い男として、一課では名を出すことすらタブーの存在となってしまっている。
互いの立場を知っているだけに、駿紀はどうしていいのかよくわからずに戸惑って見つめる。
そんな駿紀の思いを知ってか知らずか、東は視線を駿紀の背後の窓へと移す。
「現場百遍、詰まったら現場に戻るというのもヒトツのやり方だ」
まるで自分がどうしてここにいるのかを読まれたかのような発言に、駿紀は眼を見開く。
どうしてと喉元まで出かかったが、ぱくり、と口を閉じる。百戦錬磨の東には、駿紀くらいの若造がなにを考えて戻ってきたかくらい、本当にお見通しなのだと気付いたのだ。
照れ笑いが浮かぶ。
「俺には、これしか思いつかなかったので」
ふ、と東の視線が緩んだように見えたのは気のせいだろうか。
「裏手になる雨戸の戸袋から、鳥の羽を見つけた」
低い声が告げた内容に、駿紀は笑みを収めて首を傾げる。
「鳥の羽、ですか?」
「半分に千切れていたが、茶に近い赤色の羽だった。埃の具合から、だいたい一年ほど戸袋の中にあった」
報告書に書き記しているかのように、必要な事実だけが淡々と並べられる。
「実際、どの程度の間あったのかは検証しなければわからないが、なんの羽なのかは戻ればわかる」
「東さん」
科研の出動は、特別捜査班の名で依頼されたはずだ。その捜査報告が駿紀にもなされているということは。
「俺が特別捜査班に配属されたのを」
「依頼元がどういう部署なのかくらいは、知っている」
世にも珍しいことに、東の口元にははっきりと笑みが浮かぶ。が、すぐに元の表情に戻ってしまう。
「見るべきものは、見たろう」
「はい」
笑顔で頷き返すと、深く頭を下げる。
そして、駿足で知られるその足で、走り出す。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □