□ 雨告鳥 □ chant-5 □
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慣れた調子で、駿紀は引戸を開ける。
「ただいま」
捜査の為に自宅に戻ってくるというのも変な話だが、心当たりの野鳥に詳しい御仁は田所といい、駿紀の祖母、しづの茶飲み友達で町内会副会長なぞをやっている。変に訪ね行ってご近所にウワサの種をまき散らすよりは、何気ない態を装って聞き出した方が得策だ。
なんせ、ご近所茶飲み話ネットワークは、機械的に布かれた組織のネットワークよりもずっと早く想像だにしない広大さで流布すること請け合いだ。主婦ネットとは別の意味で海千山千の彼らは怖いのである。
そんなわけで、「表向きの事情」なるものを用意の上、しづに頼んで呼び出してもらった。無論、しづにもその「表向きの事情」しか話してはいない。
駿紀の声に反応して顔を出したしづは、笑顔を見せる。
「おかえり、珍しい時間に休憩だねぇ」
「まぁな、ずっと戻れなかったから上も気ぃ使ってくれたのかも」
靴に取り掛かってるふりで視線を合わさずに答える。
目は口ほどにモノを言うとやら、亀の甲より年の功とやら、である。口の軽い祖母ではないが、家に事件を持ち込んでるとは知らせたくない。
自分の靴が脱げる状態になってから、駿紀は、なにやら遠慮がちに玄関外に立っている透弥へと振り返る。
「入れよ」
促されて入ってきた透弥の表情に、駿紀はぎょっとする。
にこり、と柔らかな笑みを浮かべていたのだ。そもそもの造作がいいのだと、初めて気付く。
切れ長の眼は涼やかだし、細めの顎はスマートな印象だ。間違いなく、たいていの女性は見惚れるに違いない。
なるほど、初見で冷たく見えたのは、このカッコよさで不機嫌そうな顔つきだったせいだ。などという駿紀の思考には全くおかまいなく、状況は進行する。
「神宮司です。この度は、ご迷惑をおかけします」
玄関先で行儀良く下げた頭も嫌味が無い。
にこにことしづは首を横に振る。
「迷惑だなんて、気にしなくていいんですよ。年寄りはなんであれ、若い方のお役に立つのは嬉しいもんですからねぇ」
「お言葉に甘えます」
透弥は、素直に応えて、いくらかほっとしたかのような笑みを浮かべる。
しづに話をつけ、こちらに向かう間に状況を説明した上で、駿紀が「茶飲み話は得意か?」と尋ねたら、透弥は「必要最低限は」と返した。
どちらかといえば駿紀が中心にしゃべることになるだろうから問題は無かろうとたかをくくっていたのだが。
必要最低限どころか、たいした役者ではないか。
ひとまず、駿紀は先に上がる。
「お邪魔します」
続いて上がってから、透弥はさりげなく靴も揃えたりしている。こういうのは年寄り受けもいい。
「トシ、先に部屋に行っててね。田所さん、もういらっしゃってるから」
「ああ」
庁内とは全く違う透弥に気を取られていたからだろう、客間の反対側にある仏間に向かって挨拶する。
「ただいま」
位牌という姿になってしまった両親からは、無論返事は返らない。でも、祖母と二人きりになってからかかしたことのない習慣だ。ただし、客の無い時だけ、だが。
客間にしているこじんまりとした部屋には、お茶を手に田所がのんびりと座っている。
「すみません、こちらからお願いしておきながら、お待たせしました」
駿紀が頭を下げながら入ると、田所は笑みを浮かべる。
「いやいや、しづさんのお茶を飲みに来れたから。にしても、しばらく会わんうちに男らしくなったねぇ」
小さい頃から知っている人間のお約束の挨拶に、駿紀も笑みを返す。
「ホントですか?口がうまいからなぁ」
延々と語り出される前に、背後についてきた透弥を振り返る。
「こちらが、今日、野鳥の話を聞きたいとお願いした」
「神宮司と申します。よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げた様子といい、爽やかな好青年そのものである。庁内で一緒にいた時とは別人物にしか見えない。
詐欺師か二重人格かどちらかを疑いたくなってくる。
挨拶を済ませてるうちに、お茶を煎れ直してきたしづも現れる。
「鳥のことで聞きたいことがあるんだってねぇ?」
新しいお茶を手に、田所は笑みを大きくする。本当に好きで仕方がないらしい。
透弥は、頷いて切り出す。
「ええ、赤い鳥がいるそうですね、アカショウビンと言いましたか」
「ほう、アカショウビンか。あれは美しい鳥だよ」
どこか遠くを見るように、田所の目が細まる。
「水辺に佇む姿なぞ、本当に映えてねぇ」
「水辺に住むのですか?」
すでに林原の送ってくれた情報で知っていることなのだが、そんな素振りはおくびも出さない。
いかにも初耳ですという風に、透弥は素直に驚いた顔つきになる。
「ああ、あれはカワセミの仲間だよ。リスティアで見られるカワセミの仲間じゃ珍しい渡り鳥でね。こちらじゃ夏鳥だよ」
「へぇ、渡り鳥なんですか」
駿紀も、あいづちを打つ。
「そう、止まっている時には赤に見えるんだけどね、背中に青が入っていて飛ぶとこれが映えるんだ」
興に乗ってきたらしく、田所は立て板に水で語り続ける。
赤の映りは光の当たり方で様々に変化して、これがまた美しいのだとか、食べ物はカエルや昆虫、時に蝉なども取ることがあることだとか、巣穴は朽木やアリ塚を使ったりする他、キツツキの古巣を利用することもあるとか、南に行けばアオショウビンという仲間を見かけることがあるとか、同じく仲間であるヤマショウビンは旅鳥として通りかかりはするがリスティア国内では繁殖には成功したことが無いとか。
興味深いことは確かなのだが、これでは一向に肝心の話は進まない。
一息ついたところで、透弥が困った顔つきで首を傾げる。
「そういう鳥だと、飼うのは難しそうですね」
「まず無理だね、野鳥として保護対象になってるから」
あっさりと答えてから、その顔から笑みを消す。
「アカショウビンを飼う気なのかい?」
「上司の娘さんが、です」
右手で小さな背、ようするに幼い子なのだというのを示して見せて、苦笑を浮かべる。
「赤い鳥を絵本で見つけて、とても気に入ってしまったらしくて。どうやら、周りで赤い鳥ならアカショウビンだと教えたのがいたらしいです。いい加減なことに、飼ったことがある人がいるとか吹き込んだらしく、ここ最近はなにかにつけ「アカショウビンが欲しい」なんだそうです。それですっかり、上司も困ってしまいまして」
駿紀の方は見向きもせずに、さらりと付け加える。
「何か知らないかと訊かれた時に、隆南くんの知り合いに大変鳥に詳しい方がいらっしゃると耳にしたことがあったのを思い出しまして、無理をお願いしたんです」
隆南くんなどという呼び方に、駿紀は口にしかかっていたお茶を吹きそうになる。
一体、どこの誰が茶飲み話最低限なんだ、と思わず心で毒づく。つなぎをつけただけで、充分一人で話を持っていけるではないか。
「ああ、なるほど、そういうことだったのか」
田所は、かわいらしい理由に、こくり、と納得した頷きをみせてから、いくらか首を傾げて付け加える。
「飼ったことがある人がいる、というのは嘘ではないのだけどね」
「でも、それって法令違反でしょう?」
気を取り直した駿紀の言葉に、田所はイタズラっぽい笑みになる。
「いやいや、合法的にだよ。正確に飼うというものとは違うかもしれんが」
「え?」
謎かけのような言葉に、駿紀は首を傾げる。視線を透弥へとやってみると、彼は田所を見つめている。
「保護ですね」
「あ、そうか」
怪我や病気もあるだろうが、時に人に理不尽な目に合わされる野生の動物たちもいる。生きているモノたちの世話は専門機関だけでなく、愛好家たちも協力していることが多い。
アカショウビンも、保護されることがあれば誰かの世話にはなるわけだ。
「保護の場合、どんな手続きが必要なんですか?」
いつの間にやら卒無く取り出したメモを構えての問いに、田所は目を丸くする。
「なかなか大仰だねぇ」
「一朝一夕に野鳥の保護が出来るわけではないとはわかっていますが、どうすればいいかというところまで伝えれば、納得するかと思いまして」
こくこく、と駿紀も頷く。
「子供って手を抜くとすぐバレるんですよね」
「確かにそういうカンは鋭いね」
あっさりと納得したらしく、保護の為の手続き方法を教えてくれる。
事前の登録の方法から、書類の書式やら、保護時の記録がどこに残るのか。
更に、どこで観察出来るかや方法など、架空の上司の娘の為に至れり尽くせりの情報をもらって、田所からの話は終わりだ。
よくよく礼を言って、送り出す。
さてと、というように、どちらからともなく顔を見合わせる。
しづがいるので、大っぴらに話すわけにはいかないが、これからどうするかは決めなくてはならない。
時間的に、あまりのろのろしてる暇は無い。まるで息を合わせたように立ち上がろうとしたところで、しづがお盆を手に戻ってくる。
「あらあら、休憩時間お終い?またいつ戻れるかわからないんでしょうから、これだけでも」
いつの間に仕掛けていたのやら、お茶と一緒にちゃぶ台に置かれたのは、ほかほかと湯気をあげているゴマ団子だ。
「婆ちゃん、ありがとう」
好物を目前にしてしまったら無下に立つことも出来ず、かといって透弥のようにつくることも出来ず、駿紀は素直にいつも通りの口調で言って、楊枝を手にする。
「お口に合うかわからないんですけど、よろしかったらどうぞ」
勧められて、相変わらず好青年の笑みを浮かべたまま、透弥も軽く頭を下げる。
「では、遠慮なくいただきます」
器用に楊枝で半分に割って、口にしてから、軽く首を傾げる。
「餡も、手作りですか」
「まぁ、わかっちゃうかしらねぇ」
恥ずかしそうな顔つきになったしづに、透弥は眩しいとしか形容しようの無い笑みを向ける。
「ええ、味もですが、照りもまた既製品なんかよりずっといいですから。随分と丁寧に作られてると思いまして」
作ったって、うちの婆ちゃんにはお見通しなんだよ、と心で毒づきながら、駿紀は自分の分を片付けてお茶をすすっている。
しづの方は、透弥に素直な笑みを返す。
「まぁ、そんなに褒められたら恥ずかしいわ」
そんなわけで、表面上は和やかなお茶の時間も終わり、今度こそと二人は立ち上がる。
「いろいろとお手数をお掛けした上、お邪魔しまして」
相変わらず、庁内では想像のつかぬ丁寧さで挨拶をした後、透弥は先に玄関を出る。
家の駐車場に入れといた車へと乗り込んだのを確認して、駿紀はしづへと振り返る。
「悪かったな、田所さん引っ張り出したりとか、あんなの連れて来たりとか」
軽く視線で透弥を指す。
「まぁ、せっかく頼ってきてくれた人に、あんなのは無いんじゃないの」
しづは、苦笑を浮かべる。
確かに、表向きは透弥が駿紀に野鳥に詳しい人を紹介してくれと頼んだことになってるわけだから、そうじゃないとは言い返せないのがもどかしい。
微妙な顔つきで黙り込んだ駿紀に、しづは笑顔で付け加える。
「私は、悪い人では無いと思うけどねぇ」
孫が考えていることなど、お見通しらしい。複雑な顔の意味を、正確に察しているようだ。
「なんでさ?」
駿紀の人間観察方法は、しづに学んだ、いや現在進行形で教わっているモノだ。なんせ、年の功には敵わない。
しづが、透弥を悪い人では無いと判断したのはどうしてかは、ぜひとも聞いておきたいところだ。なんせ、これほどまでに気が合いそうにない人間は初めてといっていいくらいなのだから。
「トシ、今日は何に気を取られてたんだか、お客様がいるのに裕紀と聡美さんに挨拶したでしょう」
「あ」
亡き両親の名を言われて、思い出す。いつもならば仏壇に向かっての挨拶など、人から見れば何事かと思うのがわかっているので、しないのだが。
でも、それと透弥が悪い人でないの根拠との関係はわからない。
「で?」
よりによって、透弥に見られたという恥ずかしさにいたたまれない気分がしつつ、先を促す。
「神宮司さんもね、頭を下げて下さってたのよ」
駿紀の目が、軽く見開かれる。
仏間へのふすまは、いつも軽く開いている。なにかと見守っててくれるのだから、としづと駿紀の間で暗黙の約束になっているからだ。位牌に挨拶してるとわかれば、大抵の人間は少々引くのだが。
「餡のことも、知らなかったら口に出来ないことだよ」
「……なるほど」
ぽつり、と呟いてから、我に返る。いつまで待たせていたら、また何を言い出すかわからないことに気付いたのだ。
なんせ、次の行動はまた二人である。
「じゃ、行くわ。帰れそうになったら、連絡するから」
飛び出してきたのを見て、透弥がエンジンをかける。
「今度はお前がころがすわけか?」
「省庁の場所、知ってるのか?」
もうすでに、すっかり先ほどまでの笑顔はどこへやらの返答だ。そのくせ、玄関先まで見送りに出たしづには、ちゃっかりと好青年の笑顔で挨拶なぞしている。
すっかり駿紀の家から離れたところで、ぼそり、と問う。
「今から役所行ってどうするんだよ?余裕で閉まってるぞ」
あたりはすっかり夕闇で、一般企業ならともかく、時間きっかりの役所は総じてお終いの時間帯だ。
前を向いたまま、透弥はごくあっさりと言ってのける。
「閉まっているのなら、開けさせればいい」

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