□ 雨告鳥 □ chant-6 □
[ Back | Index | Next ]

自分だけわかったような顔つきなのに、最初の苛立ちを思い出しつつ返す。
「令状も無いのに、か?」
「方法はある」
腹立たしいことに、それ以上の説明は無いままにしばし走った後、省庁が見え始めたあたりで透弥は車を寄せる。
かと思えば、無言のままで車を降りてくではないか。
駿紀にはわからない、時間外に役所に入り込む為の「方法」とやらなのだろうが、それにしても。
透弥が歩いていくのを視線で追っていくと、電話ボックスに用があるらしいとわかる。
誰だかと連絡を取っているのだろう。
「説明くらいしろよ、ったく嫌味だよな。キャリアだかなんだか知らないけど」
聞こえないのをいいことに毒づいた駿紀は、はた、とする。
木崎に聞いたところでは、国家公務員試験をダントツのトップでクリアした、と言っていた。そんな成績優秀ならば、リスティア国立大学出身である可能性が高いだろう。あそこは、国家公務員を多く輩出してることで有名だ。当然、透弥が学内で知り合ったであろう人が目的の省庁にいても、おかしくはない。
予測は当たっている自信があるが、性格に多分に問題がありそうな男に、時間外で書類を見せてくれるような友人がいることには驚きだ。それとも、学生時代はしづ達の前にいたような好青年だったというのだろうか。
「脅してたりしてな」
「恐喝か」
背後からの低い声に、ずり落ちかかっていた躰が飛び上がる。
「うわぁ?!」
そういえば窓をいくらか開けていたのだと気付いた時には遅い。運転席に滑り込みながら、透弥は涼しい顔で言ってのける。
「恐喝現場を見たのならば、先にそちらが優先だが」
絶対わかって言ってると思うと悔しいが、聞かれてしまったものは仕方ない。覆水盆に返らず、だ。
「手前勝手な独り言だから気にするな。それより、どうだったんだ」
方法とやらを試しに行ったのはわかっている。
滑り出すように車を走らせてから、透弥はごく当たり前だというように答える。
「行けば見られる」
「そりゃ良かった」
あまりに返答がシンプルすぎて、ツッコむ気力も無くなってくる。ずるり、と助手席の椅子からずった格好で、駿紀は黙り込む。
すでに省庁街に入っているから、目的の場所はすぐに現れる。
駐車場に車を置き、とっとと歩き出す透弥の後ろについて庁舎の正面へと回る。正確には、正面扉の脇にある、いくらかこじんまりとしたガラス張りの扉の前に立つ。すると、向こう側から、かっちりしたスーツに眼鏡という、国家公務員といわれるとなんとなく想像する姿そのものの人物が軽く手を振る。
彼が透弥の知り合いであるらしく、扉を開けてくれる。
「こっちだ」
挨拶も無しに先に立って歩き出すあたりは、透弥と似てるかもしれない。キャリアなんてのになる連中は、皆、こんな感じでマイペースなのだろうか、などと考えつつ素直についていく。
案内された先は、小さめの会議室らしい場所だ。机上には、数冊のファイルが積み上げられている。眼鏡のお役人は、その銀縁をキラリとさせて、事務的に言う。
「欲しい情報はこの中だと思う。無いようなら言ってくれ、あたってくるから」
「わかった」
頷いてから、透弥は視線で駿紀を指す。
「例のアレ」
時間外にわざわざ会議室を押さえた上、必要なファイルまで用意してくれた相手に礼も無しかよ、という言葉は、さっくりと喉の奥に霧散する。
「てめ、アレってなんだ、俺はモノじゃ」
握り拳付きで思わず声を上かかったのだが。何か違和感を感じて口を閉じる。いや、いささか遅かったかもしれない。
先ほどまで、どう見ても没個性だったお役人の目が、キラキラに変じている。
「やっぱり、一課は違うなぁ」
「?」
思わず一歩引いて、透弥を見やると、彼はすでに用意されたファイルを開いているらしく後姿だ。が、視線はわかったのだろう。
「一課の刑事に会わせるというのが条件だ」
なんだそりゃと駿紀が問い返す前に、お役人が自ら説明してくれる。
「刑事ドラマのファンなんですよ、やっぱり刑事といえば一課でしょ?ところがコイツときたら、二課なんて行っちゃってモノの見事に期待を裏切ってくれたもんで。いやぁ、嬉しいなぁ」
「倉沢、邪魔をしていいとは言っていない」
ぼそり、と透弥が口を挟む。
「ちぇ、わかったわかった。足りないとか終わったとか、そこの電話から連絡な」
倉沢と呼ばれたお役人はつまらなそうに口を尖らせながら言った後、駿紀へと笑みが向く。
「所定時間内だったら良かったんですけどね」
「申し訳ないです」
礼どころか時間外の詫びも透弥が口にして無いことに思い当たって、駿紀は頭を下げる。
「あ、いやいや、その点はお気になさらず。そうじゃなくて、時間内だったら事務の女の子を資料捜索係名目で投入してやったのになぁ、という意味です」
駿紀が、きょとんとした顔つきなので、倉沢は続ける。
「脊髄反射フェミニストが見られますから。や、ご存じないなら尚更見せたかったなぁ」
「倉沢」
なんの感情も篭らない声が、もう一度割り込む。
「わかったって、刑事の邪魔するのは本意じゃないから行くよ」
素直に頷いて見せた後、倉沢は笑みを大きくして駿紀の耳元で囁く。
「神宮司をね、女性の前に連れてくと面白いですよ。特に年配ね」
言い終えた倉沢の顔は、最初に会った時と同じ没個性のいかにもお役人然としたモノへと変わり、その後姿は扉の向こうへと消える。
聞こえてきたことの意外さに、駿紀はまじまじと閉じた扉を見つめてしまう。
脊髄反射フェミニストと聞いた時には、なるほど先だっての女ウケしそうなあの態度で落として歩くわけな、と思ったのだが、年配にいけばいくほど能力発揮だとは、これ如何に。
趣味がアレなのか、先ほどしづに見せてた笑顔も脊髄反射だったのか、いや、そうではなくて。
黙々とファイルのページを繰っていく透弥の隣に立つ。
「まだ見て無いのは?」
「まだ、これしか見ていないが」
ニュアンスに、駿紀は軽く首を傾げる。動く気配で、だいたい意味はわかったのだろう、相変わらずページを繰りながら返事は返る。
「羽に積もった埃は一年くらいとなると、この中の可能性が高い」
「もしくは更に一年前だから、可能性はともかくあるとすればこっちだな」
日付を確認して、駿紀もページを繰り始める。
ややしばしの、沈黙の後。
「清水京子」
はっきりと、透弥が読み上げる。反射的に顔を上げながら、駿紀は復唱する。
「清水京子?大家じゃないか」
「ああ、住所も間違いない」
念の為にメモと照らし合わせて確認してから、透弥は頷く。野鳥の民間保護記録の中にあった知った名は、ガイシャ中村哲也が住んでいたアパートの大家のモノだ。
「十一ヶ月前だ、確かにアカショウビンを保護している」
「なるほど、でも大家だったらあの家の上に住んでるわけだから、たまたまって可能性もぬぐえないな」
立ち上がりながら、透弥も頷く。
「可能性としては零では無い」
だが、今回の件と関係がある可能性も零では無い。
「ウラは?」
「一応はな」
透弥の問いに、駿紀は肩をすくめる。
もちろん、型通りのウラはとってある。だが、それ以上では無い。
「でも、アカショウビンだけじゃ根拠薄弱だ」
「どんな人間か、見ておくのは悪くないだろう」
一課の捜査報告をうけて、二課の方では直に大家である清水京子にはあたっていないらしい。
駿紀は時計へと視線をやる。
「わかった。今なら、そう不自然なことなくいけるだろ」
外に仕事を持っているのだが、そろそろ戻る頃のはずだ。そうでなくても、やりようはある。

書類の必要部分をコピーで入手してから、千篇の勢いの現場へと向かう。
「大家業は親から譲られたものだ。そもそも自分がやる気は無かったんだが、五年前の5月に先代だった母親が急に亡くなって、住人たちをむげに追い出すわけにも行かずに、なし崩しでやってるそうだ」
一応とは言いながら、最低限のことは当然抑えている。メモに目を落としながらの駿紀の言葉に、透弥はハンドルを切りながら無表情に尋ねる。
「中村が入居したのは?」
「431年12月」
清水京子が大家を継いだ後に入居したことになる。次に透弥がするであろう質問は、予測がついている。
「ちなみに、他の住人でこの五年に退去したのはいたけど、入居は無い」
「家賃はそう高くは無さそうだが」
駿紀は、軽く肩をすくめる。
「ま、あの部屋だからな。収支はとんとんってところだ。大家やる気無かったって割には、よく続いてるよな」
急に親が亡くなった当初は、確かにいきなり住人たちを放り出すわけにもいかなかったろうが、五年もあれば、その気になれば折り合いをつけて止めることだって充分に出来たはずだが。
そんなことを思ってると、また透弥から問いかけられる。
「どんな人間だ?」
「写真で見た限りは、特に目立つところの無いとしか言いようが無いな。俺も担当ではなかったからじかには会ってないし、これといった報告も出てなかった。モンタージュを作るときに、困るタイプってのが印象だな」
モンタージュを作る時に、という例えがなんとも職業病染みているが、それで透弥にも伝わったらしい。なるほど、という低い呟きが返る。
それ以上は今のところ問うことも無いらしく、沈黙が支配する車は、やがて現場へと到着する。
現場に立っている顔見知りの巡査は、なにやら長髪の女性と話し込んでいるようだ。
車を降りたのが誰かというように視線を向けた巡査は、親しげな笑みを浮かべて軽く会釈をする。
その動きに、後姿だった女性も振り返る。そうだろうとは思っていたが、タイミングのいいことに清水京子その人のようだ。
ためらいがちではあるが、軽く会釈をしてきたのへと、二人も挨拶を返す。
飛び抜けて美人というわけでも無いし、その反対でも無い。写真の時と同じで印象に残らない顔だ。後から問われれば、どこか影のあるとくらいしか出てきそうに無い。
そんなことを思いながら、車を降りた駿紀の視線だけが、ふ、と背後へと走る。透弥も、同時に同じことをする。
互いの動きに、どちらからとも無く視線が合う。
二人ともが感じたのなら、間違いない。
誰かが、この家をじっと見張っている。
れざわざ警備の他にこの家の人間を張る必要は無い状況なのだから、この気配は別種の人間だ。が、今、そちらに向かうのは得策では無い。全く動く気配も無いし、何より、こちらが感付いていることに気付いていない。
そ知らぬふりのまま、巡査と京子の方へと歩み寄る。
巡査が、こちらが誰なのかを告げたのだろう。目前へと辿り付いた時には、京子の顔にはいくらか柔らかな笑みが浮かんでいる。
「お疲れ様です」
こんばんは、よりは確かにふさわしい挨拶かもしれない。いくらか苦笑気味に、駿紀が返す。
「いや、申し訳ないです。いつまでもこんな状態で」
と、巡査の方を見やると、彼はいくらか勢い込んだ調子で身を乗り出す。
「隆南さん、ちょうど良かったです。ちょっと困ったことになってまして」
「困ったこと?」
問い返すと、頷いたのは京子の方だ。
「ええ、あの、今ご相談してたんですけれど」
言葉と共に振り返りかかったのを、巡査が微かな身振りで止める。困った顔つきになった京子の代わりに、目の動きだけで先ほど二人が気付いた気配を示す。
「ここ数日、ずっと見張られているというんです」
駿紀の目がいくらか見開かれ、透弥の片眉が軽く上がる。
現場となった部屋の扉を見上げて事件のことを話してる風を装いつつ、駿紀が問う。
「知った人間ですか?」
京子は、すぐに首を横に振る。それから、耳元の髪を指ですくって耳へとかける。
「気配はわかっているんですが、こちらが気付いたとわかったら、何かされるんじゃないかって」
そのことで不安になる気持ちは理解出来る。身近で殺人があったばかりでもあるのだ。
「この家を張ってるんでしょうか、それとも」
透弥のほとんど口を動かさない問いに、京子は手をそっと握りしめる。
「それが、私のようなんです。最初は事件のあった部屋なんだと思ってて、変に騒ぎ立てたら警察の方のご迷惑になるんじゃないかって思っていたんですけど……」
うつむきかかった京子に、巡査が視線で顔を上げるよう伝える。顔を上げた京子は、また耳元の髪を指ですくって耳へとかける動作をする。
「今日、職場近くでも見かけたものですから」
「電話がかかってきたり、郵便物がここ数日で減ったりということはありますか?」
一課配属前は生活安全課所属だった駿紀は、その手には心当たりがある。
「いえ、無いんです」
いくらか声が小さくなる。
確かに、はっきりしないのでは、警察としては動きようが無い。が、車を降りてからこの方、ずっと見ている視線があることは、駿紀も透弥もわかっている。
「ひとまずは、巡査が張っていることですし、家にいる限りは手出しされることはありませんので、安心して過ごしてください」
駿紀は、少し間を置く。今日一日行動を共にした感覚でしかないが、透弥には、この間の意味がわかるはずだ。京子を引き留める必要があると判断しているのならば、この寸間にそれなりのことを口にするはず。
沈黙が落ちる前に、透弥が口を開く。
「明日からの出勤ですが、念のため、必ず人がいるところを通るようにして下さい。友人等に協力してもらうのもいいでしょう。警察にアドバイスされた、と言えば、妙なことも無いですよ」
穏やかな笑みなんぞ浮かべて、やはり二重人格なんじゃないかと心でツッコむが、問題はそこではない。透弥も今は京子を引き留める必要は無いと判断した、ということだ。
礼を言って上がっていくのを見届けてから、透弥は巡査へと向き直る。
「これまでに、現れたことは?」
表情は、駿紀がたった数時間で見慣れてしまったものだ。伺える感情があるとすれば、不機嫌、という。
切れ長の眼もあいまって、いくらか怖かったらしい。巡査は、かちり、と姿勢を正す。
「や、あの、すみません。気付いていませんでした」
「清水京子に訴えられるまで、気付かなかったわけか」
好意的に考えれば、当人にその気は無いのかもしれないが、口調は攻めているとしか思えない。激した声でもなんでもないのだが、無感情なのが返って迫力を増している。
「すみません」
「現場の警備として立ってるんだぞ?清水京子の方について回ってるヤツにまで」
小さくなってしまった巡査の代わりに口を開いた駿紀の言葉に、透弥は一瞥さえくれずに覆い被せる。
「話は、正体がわかってからだ」
「お説ごもっとも、で?」
速攻で返した駿紀に、巡査は眼を丸くする。つっけんどんな物言いに驚いたらしい。
「俺は、調べものが出来た」
それだけ告げると、とっとと車へと歩き出してしまう。相手が見ているのがわかっているので、下手に呼び止めることも出来ない。
知っててやってるんだとわかるだけに、実に腹立たしい。
なんせ、制服の巡査に張り込みと尾行は無理だ。
眼を丸くしたままの巡査の視線に気付いて、駿紀はどうにか表情をいつも通りに保つ。
「そういうことだから、現場の状況には気を付けて」
「あ、はい」
いくらか戸惑っているのを背に、駿紀は視線の方向とは逆へと歩き出す。巡査にはなんだか様子がおかしいと思われたかもしれないが、構ってられない。どちらかというと、グチのヒトツもこぼしそうでいられないというのが正確だ。
押し付けられたわけだが、視線の正体を見極めねば話が進まない、という点では駿紀の考えも同じだ。
現場近辺は何度も来ているから、周囲の状況も良く知っている。ある意味、適材適所かもしれない。
ただし、透弥があんな態度でなければ、の話だが。
そんなことを考えているうちに、狙い通り隠れて張っているつもりの人物の背後へと回り込む。
後を追う前に、ひとまず顔を確認しとかなければなるまい。通行人を装って行き過ぎた後、物を落としたふりでしゃがみこむふりをして盗み見る。
通行人に戻り、そのままその場を離れる。
瞬間だったが、駿紀にはそれで充分だ。
いや、十二分だ。
男の名は渡辺勝。武器の闇取引きやら薬の売買やらの斡旋をしているとして捜査一課で目をつけているヤツだ。
今回の捜査線上にも、確かに浮かんでいた。
同じ斡旋業として、ここ最近、中村哲也と組むことも多かったからだ。
が、まだ張っているということは、まだ目的は達成していないということだし、夜の間は警官がいる。
この男は相手が手出しをしてこない限りは無謀なことはしないと、駿紀は知っている。
しかし、まさか正体がこの男とは。予測だにしなかった展開だ。
警視庁までの交通手段を考えつつ、駿紀は首を傾げる。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □