□ 雨告鳥 □ chant-8 □
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部屋を飛び出したなり、透弥は進路を反対へと取る。
どこへ行く気だ、と駿紀が言う前に、
「隆南、車を前に回しとけ!すぐ行く」
命令としかとれない口調で言ってのけ、そのまま走って行ってしまう。
ふざけんな、とかとつっかかってる場合ではないので、舌打ちだけして、駿紀も車庫へと走る。
車を回して正面口まで来ると、すぐの言葉に嘘は無かったらしく、透弥の姿はすでにある。
滑り込むように乗り、扉が閉まった音と同時に発進する。
顎で使われたようで腹立たしいが、遅れは出てないから文句もつけられ無い。
「くそっ、渡辺のヤツ、中村と清水京子が組んでたと思ってやがる」
少々、八つ当たり気味に言ってみる。
「そして上前をはねたと思っている、か」
冷静さは失われていないが、いくらか硬い声が返る。
すぐに思いつかなかった自分が腹立たしくて、駿紀は舌打ちする。
「顔も見ずに、会社につけてきたのと家まで押しかけてるのが同じだなんてわかるもんか。その上、あんな堂々と警察に相談してりゃ」
事実、京子は「怖いから相手の顔は見ていない」と言いながら、「会社の近くでも見かけた」と証言した。
他に気を取られている相手ならともかく、自分を見張っていた男の顔を気付かれずに確認するのは至難だ。渡辺も、京子に気付かれていることは承知の上で張っていた。そんな状態で警察に相談しているところを見たら、自分が売られたと思うに違いない。
渡辺が無茶しても、おかしくない状況だ。
「返り討ちにあってないといいがな」
透弥の言葉に、駿紀はもう一度舌打ちしつつアクセルを踏み込む。カーブを切るタイヤが小さくきしんだ音を発てるが、気にしていられない。
パトカーと主張せずに走れる、ぎりぎり上限の速度で中村が下宿していた場へと滑り込む。
清水京子が生活している部屋への階段下でうずくまっているのは、ずっと張っていた巡査だ。目前に止まった車へと、いくらか血の気の引いた顔が上がる。
「どうした?!」
飛び降りた駿紀の声に、軽く首を横に振る。
「思いきり腹に入っただけです。すみません」
上へと視線をやったまま、透弥が低く訊ねる。
「男か?」
「はい、ずっと清水さんを張ってたヤツです。止めようとしたんですが」
中腰になるが、腰は折れたままだ。そうとう痛いらしい。が、透弥は全く同情する様子は無い。
「不意を突かれた、というわけか」
「すみません」
萎縮したらしく、巡査は小さくなる。
「一人しか配備していない捜査体制が間違ってたのだから気にする必要は無い。むしろ、男の顔を事前に確認しておいた点を誇るべきだ」
さらりと言われた内容に、巡査だけ無く、駿紀も目を丸くする。が、ツッコんでもろくな言葉は返りそうに無い。
「で?どうする?」
踏み込むか、と言い終える前に問いは不必要と化す。
エンジン音に気付いたのだろう、京子と渡辺の姿が現れたからだ。
「さすがだねぇ、一課のダンナは」
駿紀の顔を見知っている渡辺が、に、と笑みを浮かべる。
「悪いが道を開けてもらうよ」
軽く手元の煌く刃を揺らしてみせる。
一緒に出てきた京子の顔に表情が無いのは、落ち着いているからではなく首元につきつけられたナイフのせいだ。駿紀達が少しでも怪しい動きをしたのなら、すぐに頚動脈をかき切ってみせるだろう。
渡辺は、そういうところは度胸が据わっている。
駿紀の顔つきから相手がどういう男か判断したのだろう、軽く肩をすくめると、透弥は後ろへと引く。
今、この瞬間は、どうにも手出しをしようが無いことは駿紀も嫌というほどわかっている。渡辺を睨みつけたまま、やはり、後ろへと引く。
階段下が空いたのを確認して、渡辺は京子を顎で促す。命を質に取られたら、逆らいようは無い。
自分の首元へと視線を走らせてから、大人しく、だが慎重に階段を降り始める。口を利かないように言われているのか、真一文字に引き結んだままだ。
「道理を通してもらえりゃ、別に命まで取ろうってんじゃねぇ」
京子の真後ろから、やはり慎重な足つきで階段を降りながら、渡辺は言う。
「サツのダンナ方ならわかるよな。どこの世界にも、ルールってのはあるもんだ」
そりゃテメェの世界の勝手なルールだろうが、と毒づきたいのを、必死で堪える。なんせ、相手は人質を取っているのだ。
「守ってもらわなきゃ、こっちだって商売上がったりなんだよ」
かなりの時間をかけて階段を降り終えた渡辺は、また顎で方向を示して京子を歩かせる。
じりじりと近付いていくのは、自分が用意しておいた車であるらしい。目前の覆面可能なパトカーを奪っていかないところはぬかりない。警察の方でそういう事態を想定した対応が取られていることを知っているのだ。
座り込んでいた巡査が、やっとの様子で立ち上がる。
「おっと、そっから動くなよ?」
渡辺が、ナイフを揺らして、びくり、と京子が足を止める。
「色が見えてるってだけでも、随分なサービスだ。こっちが見えなくなるまで、少しでも動いたら、一人命を落とすことになるぞ」
中途半端な姿勢のまま巡査が硬直したのを確認し、渡辺は、三度顎で促す。京子は、そろそろとした足取りで歩き始める。
ああ、そうかよ、とやはり心で舌打ちしつつ、駿紀は見える限りのことを頭に叩き込む。
あのダークチェリーレッドは一昔前に流行った色だ。渡辺は出回ってる台数の多さを頼みにする気だろう。ナンバープレートが見えなければ、時間が稼げると思っているのだ。
残念ながら、そうはいかない。窓の上半分以下のボディだけでも、車好きならはっきりとわかる特徴的な車種だ。手軽な大衆車として爆発的に売れたが、それは他の色であって、この色では無い。
走り去る後ろ姿とエンジン音で、年式まで絞る自信はある。車種と色、年式までわかれば、捜査範囲は一気に狭まる。自分の足を使えば、ナンバーまで確認出来る可能性だって高い。
ちら、と透弥を見やると、手持ち無沙汰だとでもいうかのように無造作につっ立っている。
駿紀は眉を寄せて、ぼそり、と言う。
「人質を取られた上に車での逃亡ときたら手の出しようが無いってか?」
「常識をわきまえない非人道的な行為を行っている割には、警察に対する発想は実に平凡だ、と考えていた」
どういう意味だ、と駿紀が訊ね返す前に、エンジン音が響く。
駿紀の視線は、少ししか見えていないダークチェリーレッドへと戻る。
勢い良く車が発車するのと同時に、透弥の体がまっすぐに渡辺の車を捕らえる位置へと動き、右手がスーツの襟元へと入るのが視線の端に映る。
一連の動きに弾かれるように駿紀は走り出す。
いくら自分の足が速くても、車の速度に追いつけるはずが無いとわかっているのに、心に浮かんだのは。
追いつける。
不可思議な予感は、轟音と共に渡辺達の乗った車の右後輪がバーストした瞬間に確信になる。
次の瞬間には、耳をつんざく様な音を立てて左後輪もふくらみを失う。
透弥の手にした銃が、タイヤを討ち抜いたのだ。
ホイールとアスファルトがこすれる嫌な音が響く。
無理矢理な加速の反動は急ブレーキ効果だ。
ぐらりと揺らいだ後、かしいだ方向のまま止まった車の助手席から、渡辺が転げるように飛び出して走り出す。
いくらスピードを上げて走り出しても、すぐに止まってしまえば走行距離はたかが知れている。そして、足同士の競争ならば、分は断然駿紀にある。
に、と口の端を持ち上げる。
「てんで走り方がなってねぇよ」
全速力で、一気に距離を縮める。後ろの気配だけはわかるのだろう、必死に渡辺も走る。
が、苦も無く、その後姿は大きくなっていく。
角を曲がった瞬間のところで追い付き、無茶苦茶に振り回している腕を掴んで後手にひねり上げる。
「文句無しの現行犯ってヤツだな」
うめき声をあげる渡辺の手に、音を立てて手錠をかける。
見なくとも、自分がどうなったのかは理解出来たのだろう。渡辺は急に大人しくなると、がくり、と膝から力が抜ける。
「ちくしょう」
「おいおい、座り込むなよ」
ぐい、と駿紀は渡辺を引き上げる。が、すっかりしょげた視線が上がっただけだ。
「あのなぁ、こんなことろで座り込んでもいつかはパトカー来て終わりだっての」
その一言で、どうにもならないと諦めが入ってきたらしい。よろり、と立ち上がる。駿紀は肩をすくめて渡辺の肩を押す。
「少なくとも、元の位置までは歩いてもらわないと」
よろけるように歩く渡辺を、半ば引きずるようにしながら角を曲がったところで、駿紀は足を止める。
止まった車の運転席に座ったままの清水京子を、何の感慨も無さそうな顔つきで透弥が見つめている。
タイヤを打ち抜いて止めた銃はすでにしまったらしく、両手は空いていて、先ほど渡辺が逃亡しようとしたのを見つめていたのと同じに見える。
ようは、なんの気構えも無さそうな雰囲気だ。なにも知らない人間が見たら、パンクに困った女性に声でもかけているかのような。
が、見上げている京子の視線には、ある種の緊張感がある。
透弥が、軽く肩をすくめる。
「間合いを計ってるなら、よほどしっかりとしないと無理ですよ。最低限の訓練は受けている身ですから」
その言葉に、京子の頬に微かな朱がさす。
が、次の瞬間には、いくらか視線が落ち、後ろ手になっていた左手が差し出される。
「賢明です」
静かな声と共に、透弥の右手にはナイフが乗せられる。
渡辺が京子の首元につきつけていたモノが、車が急に止まった反動で落ちたのだろう。
それを見届けて、渡辺は諦めきった顔で歩き出そうとしたが、まだ止まったままの駿紀の腕に引かれてよろける。驚いて振り返るが、駿紀の視線が透弥と京子に向けられたままであることに気付くと、渡辺もまた、彼らに視線を戻す。
透弥は、ナイフを収めてから、また京子へと視線をやる。
「さて、とんだ災難の後で恐縮ではありますが、警視庁へご同行願えませんか?中村哲也氏のことで、お伺いしたいことが何点かあるのですが」
ぽかん、と口を開けたのは、渡辺だ。
駿紀は、じっと京子を見つめる。
京子は、落ちていた視線を上げて、透弥を見つめる。それから、静かに視線を動かし、駿紀を見る。
まっすぐな視線を、駿紀も身じろぎもせずに受け止める。
もう一度、透弥へと視線を戻した京子は、こくり、と一つ頷く。
「はい、私もいくらかお話しすることがあります」
一瞬の間の後。
「私……私が……」
ゆらり、と視線が揺れ、落ちる。
きゅ、と手を膝の上で握り締める。
駿紀も透弥も、ただ、まっすぐに京子を見つめ続ける。
沈黙が支配してから、ややしばし。もう一度、京子の視線が上がる。
大きめに、息を吸うのが肩の動きでわかる。
「私が、哲也さんを殺しました」
いくらか掠れた声だったが、はっきりと聞こえる。
落ちた。
その瞬間、駿紀は思った。

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