□ 火と氷 □ whisper-4 □
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インクでとった三人分の指紋とやらを、最新式のコピー機で拡大しながら、楽しそうに林原が言う。
「指紋は、弓状紋、突起弓状紋、甲種蹄状紋、乙種蹄状紋、渦状紋、双胎蹄状紋、有胎蹄状紋、混合紋と大別されててですねぇ」
「はい?」
別のことに気を取られていた駿紀は、難解な単語をいきなり並べられて、まぬけな声を返す。
「あ、すみません。最新機はこんなことが出来るんだと思ってて」
「選べる倍率は限られてますけど、なかなか便利な機能ですよねぇ」
話題がすり変わっても気にするどころか、にこにこと乗ってくる。
「遠くないうちに、好きな倍率が選べるようになると思いますよ。一枚に何ページ分か印刷出来るようになったりとかねぇ」
「型落ち譲渡交渉は今でなくていい」
透弥が冷めた声で口を挟む。
「了解、指紋の同定方法の話に戻りますかねぇ」
林原は、コピーで引き伸ばされた指紋を机上に並べる。
「いい感じですねぇ、先ずはグラスの方を確認しましょう」
拡大鏡を差し出されて、先ほど浮かび上がった細い線が複雑に絡んだ模様を指される。
「どんな形に見えます?」
「そうだなあ、高波みたいなのが真ん中らへんにあるな」
コピーした方へと視線をやると、なるほど、一つはあからさまに違う。渦巻きだ。
駿紀の視線の意味を正確に捕らえて、林原はその渦巻きを持ち上げる。
「この指紋の持ち主は、容疑者から外せるというわけですねぇ」
渦巻きをくしゃくしゃと丸めると、ぽい、とどこかへ放ってから、後の二枚を持ち上げる。
「では、どちらに似ているでしょう?」
「こっちだな。山の高さが、こちらは低すぎる」
山の高さが低すぎる、と駿紀が指摘した方を、林原はくしゃくしゃと丸めて、またもや投げ捨てる。
「はい、この指紋の主は」
と、コピーの裏側を見せる。 メモ書きに、はっきりと隆南と書いてある。
「あ」
ゲームのような趣向に、ついつい釣り込まれていたが。
「ね、今回は三種類だけだったですけど、違うでしょ?」
嬉しそうに林原は笑顔を浮かべる。が、見返した駿紀の顔は、素直に驚いているものではなくて刑事のソレだ。
「だが、血縁ならどうなるんです?兄弟とかは?」
「よく見てくださいねぇ、ほら、ここの線はここから分岐してるし、ここは点のようになってるでしょう?こういう細かい点をすべて上げていけば、同一のものは存在しないんですよ」
念仏か呪いのように分岐、端点、島、小縁、ドット、橋、小分岐、と唱える。先ほどの難解な専門用語と同様に分類用語なのだろう。
いろいろと細かい疑問点もあるが、少なくとも指紋が犯人判別の道具になることは確かだ。
「なるほど」
駿紀は、深く頷く。
「将来的には、データベースにアクセスすれば照合出来るようになるといいんですがねぇ、まだしばらくは最初から人間がやらないと駄目ですねぇ」
楽しそうに林原は言ってのけ、透弥へと向き直る。
「ひとまずは、こんなものかなぁ」
「時間を取らせたな」
ごく普通の友人らしい挨拶をしてから、透弥は東に丁寧に頭を下げる。
「お邪魔しました」
一瞬あっけに取られた駿紀も、慌てて礼を言う。
「ありがとうございます」
「いや」
東の口調は無愛想だが、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「じゃ、正式依頼待ってますからねぇ」
楽しそうに手を振る林原を背に、駿紀と透弥は、カビと薬品の臭いが入り混じった警視庁とは思えない部屋を後にする。
一階分の階段を上ったところで、駿紀が口を開く。
「凶器がわかるだけじゃ、犯人確定は出来ないぞ」
「役立たない証言よりはずっといい」
抑揚のない声が返る。
「役立たない?」
我知らず、駿紀の声が尖る。が、透弥は無表情なままだ。
「あの証言録にどれほどの意味がある?わからない、知らない、やってないが繰り返されているだけだろうが」
福家の件では確かに透弥の言菓通りなのだが、口ぶりは今回の件だけでは無いように聞こえる。
「無機的に示される証拠が全てだってか?」
一瞬、透弥の眉が酷く不機嫌そうに寄せられる。
「証言に左右されない確実な証拠が、だ」
しつこい修飾は捏造の可能性を考慮しているあたりが細かいな、などと口にはせずにツッコんでると、透弥の視線がこちらを向く。
「この件もそうだ」
それだけ言うと、特別捜査課へと上がる階段から外れた方向へと歩き出す。
「どこ行くんだよ?」
一方的に話を打ち切られたのもあり、駿紀はいくらか憮然と問う。視線だけ振り返った透弥は、何を言ってるんだといわんばかりに返す。
「保存現場開放申請を出してくる」
返事を待たずに、とっとと歩きだす透弥を見送って、駿紀は軽く肩をすくめる。
なんだってこう、いちいち突っかかる言い方をするのだろう。個性で片付けるには、こちちの疲労度が高過ぎる。ついでに、いつまでこんな状態が続くのだろうと考えてしまうと更に疲れてくる。
だが、福家の件を解決するという選択をした以上、考えても無駄なのは確定だ。
駿紀は首を横に振ってから、階段を上がり始める。
ひとまずは、頭の整理からだ。
あまりに一気に想像外の情報が入りすぎてて思考が地に足をつけていない。
血液検出も、指紋検出も、十分に証拠として扱えることは確信した。科研というのは科学捜査研究所の略称だということを思い出したと言ったら、林原たちはどう思うだろう。でも、それが実感だ。
一課の先輩方が言っているような、お荷物でも無駄でもない。間違いなく、近い将来には捜査に必須の存在となる。
いや、そうしなくてはならなくなる。
確かに今回の件は、科研の必要性を知らしめるきっかけとして、林原の言うところの「おあつらえ向き」だ。
本当に現場の時が止まっているのだとすれば、当時発見出来なかった痕跡を見つけることも不可能では無いだろう。
透弥が解決の可能性があると言い切ったのも、この件を引っ張り出したのも、それが理由だ。
だが、科研の供出する証拠に偏重する気は、駿紀には無い。
すぐに現場検証の許可が降りたとしても、旧文明技術を駆使している場所だ。あっという間というわけには行くまい。
となると、先に取れるアクションがあるはずだ。
そこまで考えたところで、特別捜査課の扉を開ける。
自分の机と決めた場所の椅子に投げ出すように座り込んで、駿紀はヒトツ息を吐く。
なんとなくほっとしたのは、数日とはいえ特別捜査課という場所に慣れつつあるということだ。人間、嫌だろうがなんだろうが、案外順応していくものなのだと思うと、苦笑してしまう。
ここを、ただ根を生やしてあくびしているだけの場所にする気は無い。
今回の件を解決するには、もう少し事件の中身を抑えておく必要がある。
駿紀は、もう一度ファイルを手にする。

事務処理を終えて廊下へと出た透弥は、背後からの視線の方へと振り返る。薄い笑みを浮かべて軽く手を振ってくる人物がいる。
歩み寄ってから、透弥は頭を下げる。
「勅使さん、ご無沙汰してます」
「やめろよ、堅苦しい。それよりどうだ、調子の方は?」
穏やかな笑みを浮かべたまま勅使が尋ねるのに、透弥は静かに返す。
「今のところ、悪くは無いです」
「そうか?木崎が妙に息巻いてたようだが」
勅使は、いくらか首を傾げる。なるほど、どこからか木崎がミソをつけてでも隆南駿紀を取り戻そうとしているのを知ったらしい。
「木崎さんは長期案件を一件、持って来ました」
すでに現場検証の為の開放許可を取っている。実際の検証は手配と開放作業とで早くとも二日後にはなるだろうが、いずれ明らかになる話だから、隠したところで意味は無い。
「長期案件?ドレだ」
木崎が息巻いて持ち込むモノがどういう性質のものか、勅使にはわかっているのだろう。ほんの微かだが、眉が寄っている。
「福屋正殺害の件です。未だに現場が維持されているアレですよ」
「アレか」
勅使は納得したように頷いてから、苦笑を浮かべる。
「なるほど、さすがに木崎といったところかな。あの件はさすがに」
「煽り文句通り、現場が当時のままに保存されているのでしたら、解決可能です」
静かだが、きっぱりとした言葉に、勅使は軽く目を見開く。
「勝算があるのか」
「解決出来る事件を、むざむざと事故判定させるのは警視庁としても望ましくないと思いますが」
勅使は、また苦笑する。
「その調子なら大丈夫そうだな。何かあった時には、戻って来いよ。某課長なんぞ気にせんでいいから」
「ありがとうございます」
立て板に水で口を利くのは、相手を気遣っている時だということを知っている透弥は、素直に頭を下げる。警視総監の気まぐれでとんでもない部署に飛ばされたのを気の毒がってくれているのだろう。
視線が戻るのを待って、勅使は、再びいくらか首を傾げる。
「木崎の秘蔵っ子はどうだ?」
「隆南なら、現場で場を読むカンはいいですね」
ごくあっさりと透弥が返した返事に、勅使は軽く頷く。言葉にこめられた正確な意味を捉えたのだろう、口の端が持ち上がる。
「そうか、それならお互い様だな」
勅使班に所属していた間、必要以上には馴染もうとはしていなかったし、プライベート領域に関しては、一歩たりとも踏み込ませ無かった透弥と同じと判断したのだろう。
透弥は、どこか曖昧な笑みを浮かべる。その笑みの意味をどうとったのか、勅使は笑みを大きくする。
「何やるにしろ、隆南はがっちり巻き込んどけよ。木崎を黙らせるにはそれが一番だから」
木崎の目論見通りにいったとしても、失敗の責任をなすってくるだろう。そうすれば、自分の部下がかぶる泥は少なくなる。
言いたいことはわかるのだが、それにしても、だ。
「楽しそうですね」
「俺としては、どちらに転んでも悪くないからな」
肩をすくめて付け加える。
「失敗したなら戻ってきて助かるし、解決したならその手段で楽しめそうだ。言わなかったか?神宮司の視点には一目置いてるって」
いくらか目を見開いた透弥は、小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
それから、どこか皮肉な笑みを浮かべる。
「ですが、あまり過度の期待をされてもがっかりするかと思いますよ」
もう一度、丁寧に頭を下げる。
「失礼します」
「ああ、またな」
背を向けても、まだ勅使の視線はこちらを見つめている。
振り返らず、透弥は階段を昇りはじめる。

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