□ 火と氷 □ whisper-5 □
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読み終えたファイルを閉じ、駿紀は椅子の背もたれに体重を預ける。
無意識に、軽く眉を寄せる。
事件自体に直接関係しない、ちょっとしたことだが、まるで喉の奥の方に小さな魚の骨が刺さったかのような違和感だ。
「んー」
「カエルが踏み潰されでもしたか」
いきなりの背後の声に、弾かれるように振り返る。考えに集中しすぎて、透弥が戻ってきたことに気付かなかったのは不覚だった。
にしても、いきなりコレである。
「あのな」
いちいち気に障るような物言いをしなくても、と言いかかったが、言っても無駄だと思い直して駿紀は口を一度つぐむ。
それよりも、建設的なことを訊いた方がよほどマシだ。
「現場が解放されるのは?」
「今のところ、明後日だ」
旧文明技術を使っているのだから、そんなものなのだろう。ともかく、時間があることは確かだ。
「じゃ、その間に再証言を取る時間はあるわけだ」
透弥は、軽く片眉を上げる。無言のまま、続きを促しているらしい。
駿紀は、ファイルを指して言う。
「島袋さんが退職した後は、確定した担当は付いてないしさ、挨拶がてら顔を見とくのは悪く無いだろ」
今回の件では、証言にはほぼ価値が無いと透弥は言い切ったが、駿紀はそうは思わない。というより、何かつっかかったままだと、きちんと解決することは出来ない。今までの経験上、この感覚は間違っていない。
透弥は、不機嫌そうに眉を寄せる。
「何を訊くつもりだ」
「そうだな、現場検証し直すって言えば、新たに揺さぶれるってのもあるけど」
言いながら、首を傾げる。正直なところ、どうするかまでの考えはまとまっていなかったのだ。
「島袋さんに確認するっていうのもありかもな」
「…………」
透弥は不機嫌そうに眉を寄せたまま、駿紀が置いたファイルを手にしながら、ぼそりと問う。
「なぜ、引退した人間のところへ行く必要が?」
「妙だと思ってさ。状況をみて再証言を取るのは当然としても、定期的ってのは不自然だろ。季節の挨拶じゃあるまいし」
視線を上げた透弥は、不機嫌そうな表情のまま返す。
「定例行事だったんだろ」
駿紀の言うことを聞いてるような全く無視したような返事に、ぽかん、と口が開きかかったのを慌てて閉じる。
その隙に、透弥は視線をファイルに戻しながら言う。
「島袋氏のところへ行くなら、俺は遠慮する」
勘を働かせなくとも、はっきりとしていることがヒトツ。何か、駿紀の知らないことを透弥は知っている。
駿紀は、透弥の前に立つ。
「どうやら、先ずは神宮司から証言を得た方が良さそうだな」
ややの間の後、視線を戻した透弥は、軽く肩をすくめる。証言という強い語調から、納得するまで駿紀が引かないだろうと察しをつけて、諦めたらしい。
不機嫌そうなまま、いくらか首を傾げる。
「隆南は、島袋氏を知っているんだろう?」
確認の問いなのは口調でわかるので、駿紀は軽く頷く。
「まぁな、完全な人となりとまではいかないけど。一度担当した事件は最後まで諦めない粘り強い人だよ。なんていうか、そうだな、逆境でも絶対に折れないってのがイメージかな」
透弥の顔つきがますます不機嫌そうなモノになる。
「言い方を変えれば、とてつもない負けず嫌いということだ」
駿紀が事実を消化して問い返す前に、透弥は続ける。
「島袋氏は国大出身で、とある名誉教授の一番弟子を自認している」
散文的に事実を並べた後、実につまらなそうに付け加える。
「他のことはともかく、そのことに関しては妙なこだわりを持っている」
国大といえば、この国どころか『Aqua』でも最高峰と言われるリスティア国立大学のことだ。ということはキャリアだということになるが、それ以上に提示された事実は信じがたい。
知っている島袋は、そんなことで感情を動かすタイプでは無かった。
「一番弟子を自認している根拠は?」
駿紀の問いに、透弥の顔にはっきりと嫌悪が浮かぶ。
「わざわざ、入庁した時に呼び出してくれた。同じ経験をした人間もいることがわかっている。共通しているのは、すべてその名誉教授の授業を選択したという事実だ」
口調からして透弥も国大の出身に違いない。やはり、先日の予測は当たっていたらしい、というのは置いといて、だ。
少なくとも、島袋がとある名誉教授とやらに関しては、らしくなくこだわっていたという点は信じざるを得なさそうだ。
「そういう神宮司はどうなんだよ?」
確か、ダントツの首席で国家公務員試験に合格したとか、木崎が言っていた。
が、透弥は軽く肩をすくめる。
「ありがたいことに、その教授を恩師とまで仰がねばならん環境ではなくなっていた」
そういえば、射撃の国際大会で優勝した件を持ち出した時も、ありがたくなさそうな顔をしていたのを思い出す。どうやら、そういった目立ち方は望んでいないらしい。
振り返って駿紀の場合はどうかと問われたら、勝手に教授にご自慢の種にされてもウルサイだけだという気がする。なるほど、そう思えば納得出来ないこともない。
「そりゃついてたな」
同じ教授の授業を選択していたから呼び出すなんて、知っている島袋からは想像もつかないが、こんなことを捏造したところで透弥に何の得にもならないのも確かだ。事実と信じるしか無い。
「まぁそういうことなら、島袋さんにあたる時は、俺だけで行くのがいいな」
妙な要因で頑なになられても困ってしまう。
ここまで言ってしまったら最後まで言ってしまう方がいいと判断したらしく、透弥は、もう一度肩をすくめる。
「福屋清は島袋氏と同期で、首席を争ったという噂がある」
「ははあ」
島袋も国大のこととなると、らしくなくプライドが先行するらしいのだから、大企業を背負う福屋清も同じだとしても驚くにはあたらない。主席ともなれば、本人の思惑を超えて周囲が煽ったりもしただろう。
卒業して随分経ち、各々に成功した人生を歩んでいたのだとしても、何かのはずみに蘇るくらいには身に染みていたかもしれない。
となると、通常の捜査とは別種の緊張が存在したに違いない。再証言を取るのが時候の挨拶だったのも、そんなあたりが関係しているのだろう。
「季節のご挨拶ならぬ対決ってか。そういうのは、事件当事者としちゃ扱われないよなあ」
駿紀はぼやきながら軽く眉を寄せる。
「そんなじゃ、福屋の方も……」
言葉が途切れて、眉が開く。
「なぁ、現場の開放って、書類回しでのロスはどのくらいだ?」
透弥は、片眉を上げる。
「そっちは総監直属で通った」
どちらからともなく、まっすぐに視線が合う。
「業者にも同じ手を使えるよな」
「なるほど」
一言で理解はしたが、透弥は軽く肩をすくめる。
「だが、そこまでの緊急性があるとは思えない」
駿紀は、我知らず小さく唇を尖らせる。
「じゃ、間はどうする気だ」
「検死関連の情報をツメる」
駿紀に言わせれば、そちらの方が今更だ。
「ホトケさんは葬られているぞ」
「死因に疑問の余地は無いから問題無い」
「何をツメるんだよ」
透弥はファイルのとある個所を開いてよこす。
「凶器は長さのある刀の可能性もあるとしながら、その観点からの検証が無い」
「確かにな」
ファイルを受け取り、該当個所に目を走らせながら駿紀は、一応は頷く。が、疑問はきっちり質しておく。
「遺体も無しにどうツメる気だ?」
「検死をこなしている人間なら、知識と経験則からある程度の精度での類推が可能だ。業者が現場へ向かう間で充分でもある」
「再証言と精度はとんとんに思えるけどね」
目前に件の遺体が存在するならともかく、だ。が、透弥は表情を変えずに返す。
「記憶操作しながら話すあやふやな証言と、科学的な根拠に基づいた類推とでは、そもそも比較対象にならない」
駿紀の眉が上がりかかったのを見て、更に言葉を重ねてくる。
「なんだったら、証言の変形について教えてやろうか?あまり重要視されていないようだが、犯罪心理学は抑えておいて損は無い分野だ」
こういう妙に理論的なところが、カンに触るのだと思う。この手の正論は、言われた相手を苛立たせる。
「速攻で対応してくれる検死医に心当たりでも?」
いくらか勢い込んだ駿紀の問いに、透弥はまたも軽く肩をすくめる。
「多忙の人間にそれは少々難しいと思うが?」
言いながら、手にした時計へと視線をやり、立ち上がる。
「開放手続きの前に連絡を取ってある。興味があるのなら、来ても構わんが」
思わせぶりに言うなよ、という言葉は喉元に押し込めて、駿紀も立ち上がる。
「で、誰のところに行くって?」
「国立病院の扇谷氏だ」
さらりと返された答えに、今度こそ開いた口がふさがらなくなる。国立病院の扇谷と言えば、事故担当外科部長を務めながら、法医としても最高権威と呼ばれる超多忙な人物だ。彼自ら検死するとなれば、その事件は警視庁がよほどの難事件と見ているという証拠ともなる。
事件と断定出来ないままに二十年が経過しようとしているこの件は文句無しの難事件にはなるだろうが、扇谷自身が手腕を発揮出来る遺体はすでに存在しない。
「どうやって引っ張り出したんだ」
「ご相談したい件があるのでお伺いしたいと伝えた」
ファイルを手にした透弥は、事実を述べるだけの口調で告げ、背を向ける。

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