□ 火と氷 □ whisper-6 □
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旧文明時代からの建造物ではあるけれど、どこか柔らかに見えるのは、その形のせいなのかもしれない。
が、一歩踏みこめば薬独特の臭いが鼻をついて、国立病院という名を思い出させる。地下駐車場といえども、だ。
「おい、どっち行くんだよ?」
一足先に降りて、とっとと歩き出してしまった透弥を、駿紀はロックを確認しながら呼び止める。向かっている方向が、どう見ても法医の窓口と逆だ。
が、全く動じてない声が返る。
「研究室だ」
「研究室?」
追いついて隣に並び、おうむ返しする。
エレベーターに乗り込み、迷う様子も無く階数を指定しながら透弥が返す。
「外科部長になるほどの人物だ、研究室持ちに決まってるだろう」
国立病院はそういう仕組みなのか、などと妙なところで感心しそうになるが、そうではない。
「いや、そうじゃなくて」
「何が言いいたい」
どうやら、素で駿紀が言いたいことがわかっていないらしい。それ以上踏み込めば、プライべートの領域の可能性もある。
「何でも無い」
口をつぐんだのを見て、透弥は不信そうに眉を上げる。
何か皮肉のヒトツも言われるかと思ったが、静寂が支配したままに目的の階に到着する。
降りた後も、無言のまま歩いていくのについていく。心なしか、横顔が緊張しているような、などと考えている間に、ろう下の奥まで辿りつく。
扇谷康の名が掲げられた扉を透弥がノックすると、開いている、と返事が返る。
「失礼します」
透弥の声に、机上のファイルから顔を上げる。
「もうそんな時間だったか」
研究者らしい言葉と共に振り返った笑顔は、どこかほっとする温かみがある。力量のある医師が患者を安心させてくれるそれというよりは、父親の包容力のような。
年齢的なものもあるのかもしれない。駿紀の父親が存命ならこのくらいだろうから。
黙りこくったままの駿紀へと視線を動かした扇谷は、興味深そうに目を瞬かせる。
「おや、お客様も一緒とは珍しいね」
「あ、ご挨拶が遅れました。隆南駿紀と言います」
我に返って慌てて頭を下げてから戻すと、やわらかい笑みと視線が合う。
「隆南さんというと、木崎くんのとこの?」
「元、が正しいですが」
何かというと木崎の秘蔵っ子と言われるのには慣れているが、検死医にまで認識されているとなると、気恥ずかしい。
照れくさくて頬をかいてから、はた、とする。駿紀は「さん」なのに、木崎のことは「くん」だ。
「木崎さんをご存知ですか?」
「はは、もちろんだよ。検死が仕事で、あちらは一課一筋なんだからね」
明るく笑い飛ばしてから、駿紀が何を問うているのか理解したらしい。
「それにほら、年齢がモノを言うこともあってね。木崎くんが一課に来たての頃から知っているってわけだ」
なるほど、そういう頃から知っていると、「くん」なんて感覚になってくるものらしい。
自分の側の説明は終わった、と判断したのだろう、扇谷は、さて、というように指を組む。
「珍しい組み合わせのようだけど、何があったのかな?先だっての事件は、もう片付いたんだと思っていたけれど」
先だってというのは、特別捜査課創設のきっかけとなってしまった一件だ。あれが一課二課、双方が関わるものだったと扇谷も知っているらしい。
それだけ、警察関係者の間では話題になってしまっていたのだろうが、やはり、自分達で解決してしまったのは間違いだったのかもしれない。
「あれは終わっています」
透弥が、やっと口を挟む。
「今日、ご相談したいのは全くの別件です。ご意見を伺いたいというのが正確ですが」
「ほう」
扇谷は、透弥が何を持ち込もうとしているのか興味がわいてきたらしい。視線で続きを促す。
「頚動脈切断の際、懐剣のような短刀を使用した場合と、日本刀のような長刀の場合とでは、どのようなところで差が出るものでしょうか」
「何にしろ凶器は刀なのか。最近の事件じゃないね」
すぐに断じたのに、駿紀が軽く目を見開いたのを見て、扇谷は笑みを大きくする。
「今時、警視庁管轄下で刀が凶器なんて事件が起こったら、少なくとも私の耳に入らないということは無いからね」
なるほど、法医として実力があるだけでなく、情報が集まる立場でもあるわけだ。
透弥が頷いて肯定する。
「おっしゃる通り、長期案件です。なので遺体はありませんが、現場は残っています」
「ああ、「時が止まった」はずの事件か。アレを君たちが?」
はず、というのが検死医らしい表現だ。なんせ、彼らからすれば遺体はすでにないので時は止まっては無いのだから。
が、それは扇谷にとっては素の表現であるらしい。言葉のアクセントは、むしろ後半だ。
言いたい意味は、考えずともわかる。一課の駿紀と二課の透弥が一緒に捜査してる理由だ。
「うっかり、先だっての一件のホシを挙げてしまいまして。総監に、そのまま捜査班を続けろと」
駿紀の言いえて妙な解説に、透弥が肩をすくめる。
「課の垣根を超えた捜査が可能な部署の検証だそうですよ」
「その割には特別捜査「課」なんですが」
駿紀が付け加えた一言に、扇谷は耐え切れなくなったように吹き出す。哄笑というのはこういうのだと実感出来るほどの、見事な笑い声だ。
「ごめんごめん、でも、たった二人で捜査しろとは。いやはや、面白いことを言い出すね、今度の総監は」
また、ひとしきり声を立てて笑ってから。
「わかったよ、災難な二人に出来うる限り協力しよう。役立てるとは限らないが、いつでも来てくれて構わないよ。ひとまずは、さっきの件だね」
笑みを浮かべたままではあるが、その瞳の色は違う。
「はい、刃物、特に刀の長短で頚動脈切断時に差が出るかどうか、です」
「遺体があれば、ほぼ断定可能だ。まぁ、この点は説明の必要は無いかな」
駿紀はつい数日前まで、透弥も所轄の頃は、一課だ。他殺と自死の差くらいは心得ているし、凶器の長短も見分けがつくかはともかく、どのような差となるかの予測ならばつく。
二人が頷くのを待って、扇谷は続ける。
「現場の写真は、どの程度残っているのかな」
「警察側に残ってるのはこの程度ですね」
透弥がファイルから取り出してきた該当部分を手渡す。少し色あせた写真を、扇谷は吟味するようにじっくりと見ていく。
「血液を拭き取った後のものが無いな。これじゃ失血性ショックでの死亡とくらいしか言いようが無い。検死側のファイルも、この件のはどこに埋もれたやらという状態だろうしな」
「では、現場の血痕から察するしか無いですか」
透弥の言葉に、扇谷は軽く眉を寄せる。
「現場のみとなると、難しいね」
というより、現場となると担当は検死医ではなくなるのではなかろうか。そう、むしろ、先ほどまで様々な検証法で驚かせた科研の方では。
が、その科研を大いに買っているらしいはずの透弥は、ここで引くつもりは無いらしい。
「前提条件はいくらあっても構いません。差が出るとすれば、という程度でも」
むしろ食い下がるような言葉に、駿紀は片眉を上げかけた。が、それを止めて口を開く。
「扇谷さんの推測でも」
権威ある検死医の言葉が欲しい。例えあやふやであっても、だ。まだ、警視庁内でも価値の認められていない科研ではなく。
それは、自分達のカードとなりうる。
二人に畳み掛けられて、扇谷は笑みを浮かべて頷く。
「殺害時の姿勢と位置が正確にわかること、ホトケさんの血圧が判明してること、前提は上げればキリが無いが、切断角度が異なれば、血液が吹き出す角度も異なる。当然だが、そういうことだ」
駿紀と透弥の目が、どちらからともなく合う。
欲しかったものは、得られた。
「ありがとうございます。お時間をいただけて、助かりました」
「またお世話になることもあるかと思いますが、その時はよろしくお願いいたします」
二人して頭を下げて、顔を上げると最初に見た暖かい笑みと視線が合う。やはり、どこか父親を思い出させる。
背を向けようとしたところで、扇谷の声が追う。
「透弥くん、たまには、仕事以外でも顔を出してくれよ」
振り返った透弥は、少し困ったような顔をしつつも、素直に頷いた。
「はい、ご無沙汰していて申し訳ありません」
妙に神妙じゃないか、というツッコミは胸の内だけにしておく。
というより、東へといい、アカショウビンのことを訊ねに行った時の田所やしづへの態度といい、敬意を払うべき相手に対しては相応の態度なのだ。
同期の林原や、倉沢などとも愛想がいいとまでは言わないまでも、それなりに普通だ。
そう考えていくと、ケンカ売られてそうなのは自分だけということになりはしないか。
なとど考えているうちに、エレベーターへと戻ってくる。
「透弥くん、ねぇ?」
その点くらいは訊いてもいいだろう。
「……父が懇意だった」
ぼそり、と返事が返る。
「そっか」
としか、返事が出てこない。
過去形で表現されるということは、おそらく透弥の父親もすでに亡き人だ。それならば、駿紀の両親の位牌に、ごく自然に頭を下げたのにも納得が行く。
もしかしたら、透弥にとっても扇谷は父を思い出させる存在なのかもしれない。だとすれば、どことなく緊張した横顔に見えたのも納得出来る。
沈黙が落ちて、少しの間の後。
「とても、世話をかけた人だ」
付け加えた瞬間、透弥の眉が寄せられる。問われて不愉快というよりも、それは。
「神宮司?」
駿紀の声に、弾かれたかのようにそれは解け、逸らされていた視線がこちらに来る頃には、見慣れた不機嫌そうな表情だ。
「なんだ」
思わずとはいえ、声をかけてしまったのは駿紀だ。急いで考えを巡らせる。
「次はどうする気だ?本日終了ってには、まだ早いだろ」
「自分で言ったことを忘れたのか?」
口の端が、苦笑の形に持ち上がる。
「やっと業者が動いてくれる時間ってわけか。あいにく、教えていただいてなかったもんでね」
皮肉を返してやったのに、透弥は全く堪えてない顔つきだ。
「訊かなかったというのは棚上げらしいな」
「手続きしたのお前だろ。そのくらい言えよ」
すでに屁理屈の域だが、黙ったら負けた気になりそうだ。
「報告義務があるとは聞いていない」
「願い下げだってのは先だってから変わらんが、一応は一緒に捜査するチームだろうが」
地下に到着したエレベータから、先に降りながら透弥は肩をすくめる。
「願い下げって相手にいちいち報告せねばならんほどに重要な情報だったか。それは大変失礼なことを」
「ご丁寧な謝罪をどうも。人間性が伺えるね」
謝る気などさらさらない口調に、駿紀は唇を尖らせてみせる。
ここまで来ると怒る気にもならないが、負ける気もさらさら無い。
「相手本人に願い下げと言い切るような人間に言われるのは、実に不本意だ」
淡淡とした口調で返しているあたり、透弥も自分から黙る気は無さそうだ。
ロックが開いたのを確認して、乗り込みながら返してやる。
「で、どこまで続けろって?」
「その質問は、そのまま返す」
返しながら、透弥はエンジンをかける。行き先を確認するまでも無く福屋と決めてかかっているとしか思えない。
「俺が決めるのかよ」
「隆南が黙ればそこで終わるが」
ここまで来ると、言葉遊びになっている。多分としか言いようが無いが、透弥も本気でつっかかっているわけではなさそうだ。
どう返してやろうかと、なんだかこみ上げてきてしまった笑いを堪えながら駿紀は考える。

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