□ 火と氷 □ whisper-7 □
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梅雨の深く垂れ込めた空の下に構えられた、福屋家の屋敷前に到着すると、すでに見慣れた黒と白のミニバイクが停められている。
「れ?」
首を傾げたのは駿紀で、眉を軽く寄せたのは透弥だ。
時を止めた現場を開放する為に業者は手配したが、制服の警官が来ることにはなっていないはずだ。
こちらが止まる音に気付いたのだろう、バイクの主が振り返る。と、同時に目と口が丸くなる。
気持ちはわからなくもない。先日の解決してしまった一件の時、ちょうど警備にあたっていた巡査だったのだ。数日後にまた同じ刑事に会うとは思いもよらないだろう。
驚いたのはこちらもご同様だが、すでに顔見知りだから尋ねやすいという点では、ちょうどいいとも言える。
走りよってきたのへと、窓を開けて声をかける。
「どうかしたの?」
軽く礼をしてから、巡査は生真面目に答える。
「大型車両の出入りがあり、一般車両の走行に支障が出る可能性があるという連絡があったので来たんですが」
「ああ、それか」
巡査の方は困惑した顔つきのままだが、駿紀は合点がいく。現場保存には旧文明技術を駆使しているのだから、それなりに解放にも大掛かりな機器が必要なのだろう。当然、運び込むには大型車両でなくては無理だ。
それが他の車の通行を妨げる場合、道交法につっかかり、警官の立会いが必要となる。巡査時代、駿紀にも経験がある。
解放を申請すると同時に、それは自動的に行われたに違いない。というのはともかく、彼の困惑の答えにはならない。
「何か、問題でも?」
「それが、屋敷の人は知らないというので」
駿紀と透弥は、どちらからともなく視線を交わす。なるほど、こちらは何も予告していないのだから、当然の結果だ。
視線を戻した駿紀が、片手で拝んでみせる。
「悪い、今から言うところだ」
「こちらとしては悪くは無いがな。ちょうどいい不意打ちになったろう」
平坦な声の方へと視線をやると、透弥と視線が合う。
「窓を閉めろ、止められん」
「悪かったな」
言われた通りに窓を閉じ、エンジンが止まるのを待たず、先に降りる。
「腹、大丈夫?」
先日の事件で、犯人を止めようとした時に思い切り殴られて、そうとう痛そうだったのだが。
「はい、もう大丈夫です。いちおうは、鍛えてますんで」
照れくさそうな笑顔にかげりは無いので、本当に問題ないのだろう。が、すぐに最初の困惑の表情へと戻る。
「何か、事件でも?」
「ああ、二十年前にね」
私服の刑事が二人も来るのだから、当然の類推だ。ついでに、ただの捜査に重量車両が来るわけないことは嫌でも察しがつくのだから、隠しても仕方あるまい。
駿紀の苦笑気味の返答に、今度は目が丸くなる。
「二十年前の事件ですか?ええと、もしかすると、まだ事件か事故か確定していないんですか?」
「なぜ、そう思う?」
問いに問いを返したのは透弥だ。切れ長の目が、少し細まっている。巡査は、姿勢を正して向き直る。
「警官の整理が必要なほど大型車両で乗り込む現場検証ということは、かなり大規模と考えられます。二十年という時期からも、そうではないかと」
与えられた情報から引き出した結論としては、十分だろう。駿紀はそう思うが、訊ねた当の本人は無表情で考えは読めない。
それをどう取ったか、巡査は直立不動になってしまったのに、透弥は聞くだけのことは聞いたと判断したらしく、とっと屋敷の門へと歩き出す。
ここで何か言ったところで、余計な毒舌が返ってきそうなので、駿紀も無言のまま追う。
ぽつりと一言聞こえてきたのは、屋敷の呼び鈴を鳴らしてからだ。
「悪くない」
そんなでは聞こえやしないとツッコもうと、駿紀が息を吸ったのと同時に、透弥が振り返る。
「それだけか?」
「え?」
戸惑って目を丸くする巡査に、透弥がどんな謎かけをしたのか、駿紀はすぐに理解する。事件か事故かの判定を下す為の場なぞ、そうそう立ち会えるものではない。興味は無いかと訊いているわけだ。
が、叩き上げのこの立場に、そのずうずうしさを要求するのは厳しい。内線の応用になっているらしいインターホンへと透弥が返答している間に、唇の動きだけで「名前」と告げてやる。
名前がわかれば、現場が開放された時の警備に指名することは簡単だ。
謎かけへの返答としても、ただ率直に立ち会いたいと告げるより、透弥の好みのはずだ。毒舌のスイッチがどこらで入るのかはわからないが、相手の実力としてこれだけのことが出来ると踏んだら、それ以上のレベルを要求してくるのは、少なくとも間違いない。
用件を告げ終え、透弥がもう一度振り返る。
「加納です」
軽く眉が上がったのを見て、慌てて言い添える。
「加納正人です」
「カノウ、マサト」
苗字と名を区切り、ゆっくりと繰り返したのへと、巡査は大きく頷き返す。
「わかった」
それだけを返すと、透弥は門へと向き直ってしまう。
眉が寄らなかったあたり、やはり駿紀の読みは当たっていたらしい。後ろ手に指で丸印を作ってやる。
事前に加納巡査が大型車両の件で先行したせいか、小走りにやってくる執事らしい人物の顔つきはらしくなく、小さな不安を宿している。
これは、駿紀たちが考えていた以上に不意打ちの効果を期待出来るかもしれない。

屋敷の一室に通され、ソファを勧められる。揃って腰を下ろすのを待ってから、執事は深く頭を下げる。
「申し訳ございませんが、少々お待ちください」
妙に恐縮しながら去った後、駿紀はざっと室内へ視線を走らせる。応接室なのだろう、趣味のいい調度品で整えられている。
目前のマホガニーであろうテーブルも、大きな窓にかけられた美しい織り模様のカーテンも、今は火がいれられていない暖炉も、その上にある小物たちも。
最後に辿りついた先は、隣だ。透弥の視線も、こちらへと向く。
「まるで」
時を止めた部屋など、という言葉は喉元に押し込める。
透弥の口元に、冷えた笑みが浮かぶ。
「無かったかのようにしたいらしいが」
だが、そうすればするほどに、空回りする。この屋敷の一部は、血塗られたままなのだと感じさせる、どこか乾いた空気がある。
屋敷自体を覆う空気だといっていい。透弥も感じているのだから、間違いない。
再び扉が開いたので、二人は立ち上がる。
「大変、お待たせいたしまして」
品のある仕草で挨拶してみせたのは、福屋正の長男にして現社長である福屋清の妻、千代子だ。
写真で見るより気品があるが、老け込んでいるようにも見える。ファイルにあった写真は、つい二ヶ月前に撮影されたばかりのはずだったのに。
こちらも立ち上がって頭を下げる。
「ご連絡もせず、急に伺って申し訳ありません」
「いえ」
席を勧めなおしながら、千代子は首を横に振る。
「捜査に関することは全てお任せしております。必要とご判断されたのでしたら、いつでも構いませんわ」
その言葉を合図にしたように、目前にティーカップが置かれる。
「お気遣いは無用にしてください。本日は現場検証の手配に来ただけですので」
透弥が、柔らかな口調でやんわりとこれ以上はいいと告げる。
この点は、駿紀もすでに否やは無い。今すぐに聴取と言い出したところで、対象はこの屋敷に住んでいる者だけではない。明日、顔を揃えてもらってからした方が効率がいいし、現場が解放されていく効果もあるだろう。
が、透弥の言葉を千代子は上手く飲み込めなかったらしい。
「現場検証、ですか?」
いくらか目を見開くのへと、穏やかな笑みと共に透弥が頷く。単語と笑顔が、どう考えてもミスマッチだということを忘れそうになるくらいに、優しい表情だ。
それはともかく、先ずはこの場は透弥に任せていいだろう。
「ええ、二十年の期限近くなっても事件か事故かすら判別出来ておらず、情けない限りでお詫びの申し上げようもありません。担当も替わったことですので、先ずは現場検証から始めさせていただきます」
言い切られ、ますます千代子は戸惑ったようだ。
「ええ、ご自由にご判断下さい」
答えながらも、視線が揺れている。
「つきましては、現場解放装置搬入の為、門の開放をお願いしたいのと、大型車両の出入りをご了承下さい。先ほど巡査が伺ったかと思いますが」
「そういうことでしたのね、失礼をしてしまいましたわね」
巡査が訪れたことの意味が、やっと理解出来て、その点はほっとしたらしい。少し落ち着いた表情になり、背後に控えいている執事へと振り返る。
「捜査に必要な状態になるよう、手配なさい」
言ってから、はた、とした顔つきになる。
「そうね、ご指示いただいた方がよろしいわね」
戻ってきた視線へと、二人が頷き返す。

通常ならば、高級車でも片側のみで通行出来るほどに幅広い門が、両側開ききっているのに狭く感じる。大型車両とは聞いていたが、これでは何事が始まるのかと首を傾げたくなるほどだ。
交通整理をしながら、加納の目も丸くなっている。
駿紀もそれに負けず劣らず目を丸くしているのに、透弥が軽く肩をすくめる。
「あの中には旧文明が詰まっている」
「あれそのものが開放用の装置ってわけか。なるほど」
それなら納得出来ないことも無い、というより、やはり旧文明産物が絡むと物凄い。想像もつかないというか、桁外れというか。
二十年前に同じ経験をしているはずの屋敷の者達さえ、呆然と見上げているように見える。
もしかすると抱いている感慨は、駿紀とはまるで異なるものなのかもしれないけれど。
業者の担当者らしき人物が近付いてくる。
「装置搬入が完了しました。これから接続に入りますが、ご確認下さいますか?」
確認とはどういうことか、と駿紀が問う前に透弥が口を開く。
「わかりました」
担当者について歩きながら、透弥の低い声が告げる。
「間違いなく封じ込められていたか、何者も触れてはいないかという確認だ。一応な」
特殊な機器を使わなくてはどうにもならないはずだから、一応ということになるのだろう。業者以外が立ち会うというのも、だ。
「ま、現場とご対面ってのは悪くないけど」
駿紀が返すと、透弥は軽く肩をすくめる。
「さて、それはどうかな」
目前まで来てみると、どうかな、どころではない。
「凄まじいな、ここまで来ると」
思わず駿紀が言う。なんせ、どのくらいの厚みがあるのかという鉄扉がそびえている。窓側も同様らしいのは車両移動時に見てはいたが、こちら側もとは。
まるで巨大な金庫がそびえているようで、こんなものを無かったつもりにしろと言われても無理だ。
これを開くと言われれば、確かに戸惑うだろう。
そして、確実に開きだせば、間違いなく何らかの動揺はある。
半分くらいは何を見せられているのかわからない、本当にカタチばかりの確認とやらを終えて、千代子が待つ応接室へと戻る。
案内にたっている執事が扉を開けた途端、妙に甘い香りが二人の鼻をつく。
瞬間、感情の何もかもが消えうせたかのように透弥の表情が凍りいた、のを駿紀は見たはずだった。
「ッ?」
駿紀が、はっきりと視線をやらずに済んだのは、自制心のおかげだ。次の瞬間には、透弥は仮面でも被ったかと思いたくなるような鮮やかさで、穏やかな笑みを浮かべている。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」
丁寧に頭を下げる動作も、どこでそんな品のあるのを覚えたと問いたくなるくらいだ。
「いいえ、お役に立ちませず、こちらこそ失礼をいたしました。どうぞ、おかけになって下さい」
甘い香りの正体は、実に簡単だ。
千代子が伸ばした指先に、真っ白の生クリームがたっぷりとのった苺ショートケーキが並べられている。
香りのいい紅茶との相性は、抜群だろう。どうやら、お茶にしてくれと言いたいらしい。甘いものが嫌いではない駿紀には、実に魅力的な茶菓だ。
が、首を横に振る。
仕事中にそこまでしてもらうわけにはいかないとか、用件は終わったのでとっとと警視庁に戻った方がいいとか、そういうのではない。
説明しろと言われたら、勘で、としか言葉が出ない。時折、妙に強く勘が働くことがあるのだが、今回もそうだ。
ともかく、ここは断った方がいい。それだけが、駿紀にはわかっている。
出来うる限り丁寧に言葉を選ぶ。
「丁寧にご用意いただきありがとうございます。ですが、今日の用件は済みましたので、これで失礼させていただきたいと思います」
告げられて、千代子は目に見えてがっかりとした表情になる。
申し訳ないと思うが、譲れない。こういう時の勘を、駿紀ははずしたことが無い。
「明後日午前の現場開放完了次第、現場検証を開始します。その前に、一度証言をお願いしたいので、お手数ですが関係者の皆様にお集まりいただけると助かります」
最初の、どこかに不安を交えたような表情が、千代子の顔に戻ってくる。が、はっきりと頷き返す。
「わかりました、明日、揃うよう手配いたします。いつも証言をしていた者が集まればよろしゅうございますか?」
「はい、お願いいたします。時間は明日の朝、確認させていただきますので」
誰が、と具体的に挙げなくても間違いなく必要な頭数は揃うと確信出来る。その点だけは、延々と年中行事をしていてもらったのがありがたい。
辞去の挨拶をし、車両整理に借り出された流れのままに現場開放の立会いを勤めている加納に手を軽く振り、門が閉ざされて、二人きりになって。
隣の透弥の顔からは、完全に表情が消える。
いつもの無表情と言ってしまえないことも無いが。
「神宮司」
続けて言いかかった言葉は、手で遮られる。
「すまん、少し時間をくれ」
殊勝な言葉が透弥の口から出てきたことに、駿紀は驚くよりも。
離れていく足音は、道路の奥まった箇所へと向かっている。多分、透弥は自分のそういう状態に慣れてしまっている。
どの程度離れれば、自分が何をしているのか知られないという、確信があるのだ。
相手が、普通の感覚の持ち主であれば。
だけど、駿紀は違う。走るのが速いのに見合うよう、周囲の状況把握の為と鍛えた耳が、妙に鋭いことが申し訳ないような気持ちになってくる。
予測は、した。
そして、やはり、合っている。
透弥は、吐いた。
屋敷のどこかいびつな空気のせいでも、巨大な金庫のようにそびえ立つ現場のせいでも無く、あのふんわりとやわらかいショートケーキの甘い香りのせいで。

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