□ 火と氷 □ whisper-8 □
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あれから、戻ってきた透弥は、いつもと何も変わりなかった。
待たせた、という一言の他は、何も。
だから、駿紀もなにも尋ねなかった。
生クリームアレルギーとかそういう次元で無いことだけは確かで、踏み込むような領域ではない。
昨日のことは昨日のことだ。
それより、今日、どうするかを決めなくてはならない。
「福屋の方は連絡取れた。午後一時からでどうかと」
「充分だ」
これ以上口を開かせれば、顔が見られるだけで充分などという証言の価値も何もあったものじゃない発言が聞けるに違いない。
透弥は現場検証のみで犯人を確定する気でいるのだから。
空いた午前はどうするか。問わずとも、駿紀にも予測はつく。
「じゃ、林原さんとこで何を確認するかってあたりをツメるかな」
透弥の視線がこちらへと向いたのへと、駿紀は肩をすくめてみせる。
「違うのか」
「いや」
こういう時の透弥は、いつもの毒舌はどうしたのかとツッコミたくなるほどに潔いというか、無駄が無い。あっさりと、立ち上がる。
「行くか」
自分から言い出したことだ。駿紀もほぼ同時に立ち上がる。
「ああ」
先日はどこへ連れて行かれるかわかっていなかったのでそうでもなかったが、目的地がわかっていると駿紀の足はどうしても速くなる。
マイペースに行き過ぎたか、と思ったのは前方に人影が見えた瞬間だ。が、ふと見れば、隣に透弥がいる。
息が切れたとか上がったとかはなさそうで、無理をしたわけではないようだ。歩く速度を考えなくていい相手というのは、駿紀には珍しい。
そんな思考の寄り道をしているうち、先に影を落としていた人物が現れる。
この階段で人と行き会うのは稀だな、などとのん気に考えている場合ではなかった。駿紀がというより、相手がそれを許さない空気だ、というのが正確だが。
「おはようございます」
一応は、普通に頭を下げてみる。隣にいる透弥も過不足ない角度で挨拶する。
が、木崎の顔は不機嫌そのものだ。
「現場を開放して検証するだと?」
そういえば、この件を特別捜査課に、というより駿紀に持ち掛けたのは木崎だ。一回、ミソつけでもいいから一課に戻って来いという言葉と共に。
ようするに、それは島袋と似たり寄ったりの聴取をして、うやむやのままに事故扱いとしてしまい、やはり二人だけの捜査課など役立たないと証明しろ、ということに他ならない。
それが、二十年近く大仰なばかりで無駄に放置されてきた現場を解放して、あまつさえ「警視庁のお荷物」と言う方が通りがいい科研が検証を行うということで話が進んでいる。
木崎にとって、面白いわけはない。
言いたいことも、なぜ不機嫌なのかも、理解は出来る。駿紀を必要としてくれているからこそだということも。
だが、駿紀にも譲れないことはある。
それに、もう、知ってしまったのだ。科研はお荷物などでは無いということを、あの捜査能力をもってすれば、何らかの新しい証拠が得られる可能性があるということを。
透弥の言った通り、この事件は解決出来る可能性が充分にあることを。
「します」
まっすぐに見つめながら、はっきりと言い切る。
「俺たちに出来うる限りのことをやって、それでも事件だと証明出来ないというのならば、それこそが特別捜査課の実力ということでしょう」
一瞬、阿修羅か何かを思わせるほどに目を剥いた木崎の顔は、すぐに冷笑に変わる。
「馬鹿だな、傷口は広げない方がいいと教えてやってるのに。まぁいい、そのくらいはフォロー出来る。せいぜい、やってみることだ。勉強だな」
駿紀の返事を待たず、木崎の後姿は消えていく。
完全に声も届かなくなったであろう頃に、透弥は肩をすくめてみせる。
「随分とまた、強気だな」
「この件は事故処理になると確信してるんだろ」
そうでなければ、勉強だのフォローだのという単語が出てくるわけが無い。
駿紀の言葉に、透弥は口の端を持ち上げる。
「違う。隆南が、だ」
自分の直の上司だった相手に向かって、逆らうと言い切ったも同然のことを指していたわけだ。
「強気も何も、もうすでにそういう状態だろうが」
何を言ってるんだというのを込めて返す駿紀に、透弥は苦笑で応える。
「事実はそうだが、必要以上に怒らせたように見えたがな」
透弥の目から見ても、一瞬の目を剥いた顔はそうとうなモノに映ったのだろう。
今度は、駿紀が肩をすくめる。
「どう取り繕ったってムダだろ、アレは。最初から怒ってるもんよ。神宮司が目に入らんくらいってのはかなりだぞ」
「俺のことは入らないのでは無く、入れたくないんだろう。キャリアはそうとうに嫌いだそうだしな」
何の感慨もなさそうに言うと、透弥は先にたって階段を降り始める。
「いやまあ、それは聞いたことはあるけど」
すぐに追いついて並びつつ、駿紀は軽く首を傾げる。それだけであれほどになるとは考え難い。やはり、木崎の意図通りに駿紀が動いていないのが気に入らない、というのが妥当な線だろう。
「ま、俺が怒らせてるんだろ」
正確なところは知らないが、自分を一課に強引に引っ張った時に、いろいろと他への影響もあったらしい。そこまでした相手に、裏切られるような行動を取られれば面白くなかろう。
だが、犯人を野放しにするというのは、趣味ではない。
その点は、誰が何と言おうと譲れない。
「仕方ない」
駿紀の言葉に、透弥は軽く肩をすくめる。

地下の資料保管室と言われても不思議ではない扉を開くと、満面笑顔の林原と目が合ってしまう。
「あ、いいところに来てくれたねぇ」
言葉は、駿紀の背後の透弥にかけられたものだ。
昨日来た時よりも、数段、部屋が雑然としている。というより、机の一角が広く開いており、そこをあける為に他の場所にしわ寄せがいっているようだ。
「少しだけ運ぶのを手伝ってくれないかな」
なるほど、これを言う為にわざわざ背後に声をかけたわけだ。いかにもすまなさそうな顔つきで、駿紀へと視線が戻る。
「悪いんですけどねぇ」
「ホンモノの証拠品広げられる場所くらい、空けておけ」
なるほど、明日の現場検証で得られたものを広げる為の場所を作っているものらしい。
軽く眉を寄せつつも、透弥は大人しく上着を脱いでいる。現場検証を依頼したのはこちらなのだし、科研にはたった二人しか人員がいないのだし、手伝うのは道理ということになるのだろう。
となれば、透弥と同じく上着は脱いでおいたほうが良さそうだ。午後からは、聴取に行かなくてはならないのに埃だらけはマズい。
「そんなこと言われてもねぇ、現場からイロイロと持って帰れそうなの、初めてだからねぇ。これっくらい空いてればいいと思うんだけど」
にこやかに林原が手を広げながら返す。机の空いた箇所に埃が無いのを確かめてから、透弥が上着を置く。駿紀は、少しずるいな、とは思ったがその上に重ねさせてもらう。
振り返ると、やはり林原はにこにこと笑っている。
「嬉しそうですね」
思わず駿紀が言うと、笑みが大きくなる。溢れんばかりとはこのことだろう。
「そりゃもう。今晩は眠れそうにないですよ」
遠足待ちの子供レベルだ。
林原が「このくらい」と指定した幅はさほどでないのに、どうやって積み上げたのだろうと感心してしまうほどのモノの量だ。持てるだけを持ってから、林原へと向き直る。
「分類とかあるんですか」
「ありませんねぇ、なんせ、そもそもが適当ですから。整理されてるのは東さんところくらいですよ。ああ、でも、これからはそういうわけにもいかなくなるのかな、そうだといいんですけどねぇ」
話好きの方ではあると思ったが、昨日の比で無く饒舌にもなっている。
「いきなりたくさん来たら、研究出来なくなってしまうかな、それも困りますねぇ。まぁ、ほどほどに増えてくれるのが理想ですけれど、贅沢は言えませんよねぇ。状況を無視すればですけれど、毎日、証拠品が持ち込まれるっていうのには憧れますねぇ」
やっとという思いは当然あるのだろうが、純粋に証拠を集め、解析するという行為が好きでなければ出来ない発言だ。研究者向きのタイプなのだろう。
どうして、事件の証拠などというモノに興味を持ったのかは、それなりに気になるところではあるが、問うのは野暮かもしれない。
それより、林原の言う通りになれば、科研の立場は格段に上がるだろうから、東の評価も変わるだろう。その点は駿紀には歓迎だ。
「そうなったらいいですね」
返すと、林原はにこやかに頷く。
ひとまず会話は途切れたところで、二人のやり取りをよそに黙々と運び続けていた透弥が、ぼそり、と口を挟む。
「で、明日の準備は万端なんだろうな」
「今、東さんが確認してくれているよ。基本的には血痕と指紋の検出を考えてる。指紋に関しては、通常もだけど血液を含んだものを想定した道具も用意した。対象物としては、ガラス質、金属質、紙、これは上手くいくかわからないけどね。カメラも簡易の暗幕もあるし、照度は不満だけど紫外線灯もある。大仰な演出も色々と出来るよ。そんなところでどうかな?」
笑顔のまま答えて、林原は首を傾げる。足りないか、と訊いているらしい。
透弥は、肩をすくめてみせる。
「検証内容は裁量にまかせると言っただろう。揃っているのなら、問題ない」
「事件発生してすぐなら、もっと色々と拾い集められるんだけどねぇ。二十年前に捜査した人間を含めて網羅するのは、さすがに無理だからなぁ」
問わず語りに言ったのは駿紀の為なのだろう、透弥は軽く頷いただけだ。
確かに発生直後に科研が入っていたのなら、通常ならば見落とされてしまったような拾得物を得られたのかもしれない。先だっての事件で、東がアカショウビンの羽を見つけ出したように。
今となっては、当時、捜査に入った人間が無意識に落としたモノやら痕やらが入り混じってしまっていて、何かを見つけたとしても事件に関わるものかどうかを判別するのは困難だろう。
「それは、残念です」
駿紀の言葉に、またも林原は大きく頷いてみせる。
そうこうしてる間に、口と一緒に手を動かしていたおかげで、林原が示した場所は一通りモノが無くなる。
「いやあ、早く片付いたよ、ありがとう。明日をお楽しみにねぇ」
にこやかに手を振る林原を背に扉を閉め、上着をはおってから、駿紀は透弥を見やる。
「神宮司」
視線が、何だ、と問う。
「アレで証拠の分類とかは大丈夫なのか?」
林原の笑顔に機先を制されたというか、問うに問えなかったのだ。
「大事なモノはきっちりと扱うし、アレの何処に何があるのか全て把握している」
「え、アレを?」
思わず目を見開いて、透弥を見つめる。
「アレはあれで、林原にとっては過ごしやすい場所になってるのだそうだから、こちらが口を挟む必要は無い。いざとなれば、東さんもいることだしな」
「それはそうか」
東は、林原とは正反対の几帳面な性格だし、実際、昨日、指紋検出を見せてもらった部屋はぴっちりと整理整頓されていた。
必要と判断すれば、彼が片付けてしまうのだろう。
たった二人きりではあるが、科研はあれで上手くいっているのかもしれない。
「さぁ、こっちは事情聴取だな」
駿紀が軽く肩を回す。
透弥は、冷たい笑みを浮かべる。
「役者が揃う、か」
さて、こちらの二人はどうだろうか。ふと、そんな考えが駿紀の頭をよぎる。

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