□ 火と氷 □ whisper-9 □
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昨日と同じ応接室に通されたのに、空気はまるで異なっている。当然のように自分のペースで物事が進むと決めてかかっている、強気。
迎えたのが当主かその妻かという差だけなのに、人が醸す空気とは不思議だ。
「お忙しいところ、急な調整をしていただきまして」
丁寧に頭を下げたものの、透弥が本気でそんなことは思っていないのは目でわかる。証言には、現場検証のオマケ程度の価値しか見出していないようにしか見えない。
実際のところは、口で言うほどに透弥も軽視はしていない。昨日の運び様からいって、むしろ現場検証を利用して揺さぶろうとしているのは駿紀と同じだ。
ようするに、国立大主席を争ったのを引きずって島袋と微妙な対決状態になるようなプライドの高さの福屋清に、軽く揺さぶりをかけているわけだ。
が、その程度では清も動じない。穏やかに笑みを浮かべてみせる。
「どういう形でおやりになられます?こちらには皆は入れぬので、居間の方に揃っておりますが」
「そうですね……」
首を傾げつつ、透弥は駿紀を見やる。
もう一押しのタイミングを読むくらいは簡単なことだ。駿紀は軽く眉を上げて驚いた顔を作る。
「え?」
そんなことは考えもしてなかった、と清に映ったのだろう、さすがにいくらかの戸惑いが浮かぶ。それを横目に、首をひねる。
実際のところ、聴取の方法を全員揃えてやるか、一人一人を呼び出すカタチでやるかは相談していない。その場の状況に応じて決めればいいと思ったからだ。
二人の、視線が合う。
すっかり聴取慣れしてしまっているであろう七人が一緒の状態で揺さぶれるか。
ポイントは、その一点だ。
今ので、清は軽く揺れている。
ということは。
「一人ずつでは、時間がかかりすぎるだろう」
そんなのは面倒だ、と言わんばかりに駿紀が返す。透弥も、大いに同意だという顔つきで頷き、福屋清へと向き直る。
「大変申し訳ないとは思いますが、明日は早朝から現場検証に入らせていただく予定です。今日のところは、ざっとお話が伺えればかまいませんので、居間の方に伺ってよろしいでしょうか?」
若手の刑事二人の、やる気があるのかないのか微妙な態度に、清はかろうじて大企業のトップたる威厳を保った態度で告げる。
「では、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
丁重に頭を下げてから、駿紀と透弥は、ほぼ同時に立ち上がる。
清を案内に連れて行かれたのは、開放が進んでいる現場とは反対方向だ。
扉が開き、当主と共に刑事たちが入ってきたのだとわかった途端、微妙な緊張感が漂う。
ソファに寄り添うように腰掛けているのは、昨日、応対した千代子と、年齢的に考えて清の妹の中根八重子だろう。
暖炉の傍の椅子に、鷹揚に胸をそらしながら座っているのは、清と共に福屋製作所を背負っている勇だ。清に、とてもよく似ているから間違いあるまい。
「今回、担当となりました隆南と申します」
軽く頭を下げつつ、駿紀は視線を走らせる。
勇の隣の椅子に、膝の上で手を握り締めながら座っているのは発見者となった中根悦子、その椅子の背もたれに寄りかかるように立っているのは、清の息子の誠。
窓際に、一人離れて落ち着かなげな目で見つめているのが中根悦子の夫である、勉だろう。
これで七人、きっちり揃っている。
「同じく、神宮司です」
透弥も殊勝な動作で頭を下げたが、一瞬合った視線には余裕が浮かんでいる。先ずは、この場を透弥に預けていいだろう。
「今回は現場検証を中心に進めさせていただくつもりですので、簡単にお話をうかがわせていただければと思います」
長年の間この事件を担当してきた島袋と違い、やり方が見えない分、すでに駿紀たちに有利だ。その上、前触れも無く初動捜査以来閉ざされていた現場を解放し、そちらの検証が優先だと告げた。
顔を見合わせた千代子と八重子は、どことなく不安そうだ。勇は状況を楽しむかのように笑みを浮かべる。
勉は、駿紀たちの考えをはかるかのようにじっと見つめ、誠は椅子の背もたれを握り、挑むような視線をよこしている。
その椅子に腰掛けた悦子は、いくらか緊張の度合いを増したようだ。握り締めている指先に力が入りすぎて白くなっている。
彼女にとっての二十年は、容易に想像がつく。年中行事として繰り返される聴取のせいで、発見者にさえならなければ知ることなど無かったはずの凄惨な景色を、忘れたくとも忘れられない。それどころか、焼き付け直されているかもしれない。
無論、子供だったからといって完全に容疑から外れるわけではないけれど。
透弥が、穏やかで柔らかに、だがいくらかすまなそうな笑みを浮かべる。
「中根悦子さんですね。不快なことを数え切れないほど思い出させてしまい、申し訳ないとは思いますが、もう一度、発見した時のことをお話いただけないでしょうか」
視線を上げた悦子は、透弥と目が合うとかすかに頬を染めて、俯いてしまう。
「はい……あの、清伯父様のところに伺っている時には、私がお祖父様を起こすことになっていたんです。お祖父様は、私が起こすと機嫌が良かったんだそうで、それで」
「伝聞は必要ありませんよ。あなたがあの日したこと、見たことだけをお願いします」
穏やかだが、きっぱりと透弥に言われて、悦子は小さく頭を下げる。
「ごめんなさい。あの、それで、あの日もいつもと同じ、6時に扉を開けました」
その先の光景がまざまざと蘇ってきたのだろう、透弥と視線が合った時に緩んだ手が、また強く握り締められる。痛々しいくらいに。
「それで……」
「待ってください。質問させていただいてもよろしいですか?」
まだ話し始めたばかりの時点で質問など来るとは思わなかったのだろう、悦子は戸惑ったように視線を上げる。透弥は、穏やかな表情のまま、問う。
「扉は、引くのですか?押すのですか?」
「廊下からは、押して開けます」
大きな目を瞬きさせつつ、悦子はすぐに答える。そんなことは現場の見取り図からわかっているが、すぐに返せるかどうかで彼女の記憶を試すものだ。
軽く頷いてから、透弥はもう一つ問う。
「扉は、左手で開けましたか?それとも、右手で?」
「両手です。扉が重かったので、体で押してました」
今まで、そんな問いがなされたことは無かった。それは、ファイルの中身を数度読み返した駿紀は、言い切ることが出来る。
透弥は、無かった質問を重ねて二十年間の間に焼き付けられたようになってしまっている証言と事実とを、可能な限りふるい分けようとしているのだろう。
ふ、と透弥の笑みが大きくなる。
「そうですか、ありがとうございます。続きをお願いします」
「は、はい。その、開けて、そのままお祖父様の寝室の扉へ行って、開けました」
正の寝室は、廊下からの扉を半分ほど開け、まっすぐ進んだあたりにある。扉の開き具合によっては、正が倒れているのに気付かず、悦子がいつも通りのルートを辿ったということに、不自然さは無い。知らなければ、漂っている臭いが異様とは感じても、血だとは思うまいから。
駿紀が頷いて、続きを促す。
「ベッドの上にいなくて、驚いて、それで、見回して……真っ赤だったんです」
手は更に握り締められ、目が見開かれる。
「じゅうたんも、壁も、全部、赤くて、怖くて、父と母を呼びました。叫んでいたと思いますが、夢中だったので正確にはわからないです」
悦子の視線が、完全に落ちる。
沈黙が落ちて、ややしてから、透弥が少し首を傾げる。
「それから、どうしました?」
問われて、弾かれるように顔を上げた悦子は、透弥と視線が合った瞬間、開きかかった口をぴたりと閉じる。それから、首を横に振る。
「いろいろな声を聞いたような気がしますが、覚えていません。気付いたら、泊まっていた部屋にいました」
駿紀は、口笛を吹きたくなったのをかろうじてこらえる。
ファイルによれば、悦子はその場で祖父が倒れていると認識したことになっている。周囲の状況についても、いくつかの証言を残しているが、それは全て、後からの日付だ。
記憶は、操作される。
そのことを、駿紀も知らないわけではない。証言者たちがそうならぬよう、どんなに苦心しても時間が経てば様々な情報が彼らに入り、時としてそれは「見た」記憶として処理される。
透弥は、その作られた記憶をふるい落としてしまった。
悦子が揺さぶりやすい証言者だったことは否定出来ないが、それ以上に透弥の誘導が巧みだったとしか言いようがない。
もちろん、余計なものを削ぎ落とした悦子の証言が、事件解決に何らかの情報を与えたかと言えば、そうではない。内容は、ファイルから読み取れる、知らない、わからないの繰り返しに過ぎない。
だが、値は千金だ。
余計な言葉は、聞かない。
はっきりと、他の証言者に示された。
余裕の笑みを浮かべていた勇でさえ、いくらか真面目な顔つきになって二人を見つめている。九分どおり、こちらのペースに巻き込んだと見ていい。
前回の件で透弥と組む前に木崎は、足以外で稼ぐ情報を多用する、と評していた。どうやら、それは誤りが含まれていそうだ。
そういう部分が目立つだけで、間違いなく証言を取りなれている。必要とあれば、いくらでも態度を変化させるだけの柔軟性も持ち合わせている。
少なくとも、キャリアは経験不足で役立たない、という通説からは外れる男だ。
さて、いつまで透弥一人に任せておくわけにも行かない。部屋の中の七人を見回しながら、駿紀は問いを発する。
「悦子さんの声を聞いた方は?」
「僕が」
悦子の座った椅子の背もたれを握り締めたまま、誠が応じる。いくらか、視線の挑むような光は強くなっている。
「他には?」
首を傾げて、もう一度見回す。
視線が合うと、ためらいがちに千代子と八重子が首を横に振る。大げさな素振りで肩をすくめたのは、勇だ。
「この屋敷はなかなかに防音がいいんですよ。扉を閉めたら、廊下の物音もアヤシイもんです。ましてや、他の部屋の音など聞こえません」
清も頷きながら付け加える。
「ちょうど到着した通いの家政婦が、誠の声に気付いて教えてくれるまではわかりませんでしたね」
窓際に立ったままの勉も頷いてみせる。
「では、誠さんはどこで聞かれたんですか?」
「廊下ですよ。祖父の部屋の側にいましたから」
なるほど、どうしてそんな時間にそんな場所にいたのか、と何度も繰り返し尋ねられたのだろう。警察官の仕事とはいえ、島袋も無粋な尋ね方をしたに違いない。
理由など、聞かなくても見ていれば一目瞭然だ。こちらへの挑むような視線とは全く異なる、いたわる視線がどこに落ちているのか。
幸い、今回はそのあたりは突っ込む必要は、今のところは無い。
「悦子さんが、何と言ったのかはわかりましたか?」
なぜ、という問いが無いことに驚いたのか、誠はいくらか目を見開いて、瞬きをする。駿紀は、質問に付け加える。
「聞き取れた部分だけ、教えてください」
「ああ、はい。叔父と叔母を呼んでいました。言葉は、お父さん、お母さん、でした。繰り返していたと思いますが、何回かは……」
毒気を抜かれたような顔と声だ。メモを取ってから、頷く。
「聞こえて、それから?」
「えっちゃんの声だというのがわかったので、祖父の部屋へと行きました。声をかけようとして、部屋が真っ赤で、その中に祖父が……」
言いかけて、首を横に振る。
「いえ、塊があることに気付きました。赤と黒っぽいのとまだら模様で、気持ち悪かったんで、何か、声を出したと思うけど、なんて言ったかまでは覚えていません。そこにいちゃいけない気がして、えっちゃんを引っ張って扉の外に行ったんです」
「それから?」
事実を、本当にあの日見たままのことだけを。それだけを促す声に、誠は困った顔つきになる。
「どのくらい経ったのかはわかりませんが、父と叔父たちが駆けつけてくれました。父か勇叔父さんに言われて、えっちゃんを連れて、えっちゃんたちが泊まっている部屋へ行きました」
「誠さんの次に部屋に行かれたのは、どなたでしょう?」
駿紀が、また、見回す。
「さぁ、どっちだったかな?俺か兄貴だけどね」
勇の視線を受けて、清が頷く。
「一緒に行った、というので間違い無いですよ。この屋敷内では部屋が隣同士でしてね。家政婦に呼ばれた後、ただごとではなさそうだと思って、勇に声をかけたんです」
勇が苦笑を浮かべる。
「実際、とんでもないことになってましたがね。俺も、一瞬、ぶっ倒れてるのが親父だとはわからなかった」
「赤いものが血だということはわかったので、子供たちに部屋に戻るように言いに行きました。二人ともかなりショックを受けていた様子で歩いていきました」
「兄貴がいない間に、血溜まりの中で倒れてるのが親父だってわかったんで、戻ってきた兄貴に言いました。で、やってきた勉くんに警察への連絡をお願いしたんですよ。異常な状態だっていうのはわかりましたんでね。なんて言うんでしたっけ?モノとか動かしちゃいけないんでしょう」
肩をすくめて首を傾げる勇に、清はいくらか呆れたような視線を向ける。
「現場保存だ。連絡した後は、扉を閉ざしてお待ちしていました」
勉の到着が遅かったのは、そもそも泊まっていた部屋が奥まっていたからだとか、駆けつけたのが男ばかりだったのは、被害者である正が癇癪を起こして暴れているのではないかと思ったからだとか、そういったことはファイルに記載されているから聞かなくてもわかることではある。
が、それ以上に感心するのは、こちらが口を差し挟む間の無い、清と勇のコンビネーションだ。
片方が口を閉ざせば、もう片方が自分の会話の続きででもあるかのように繋いでしまう。
ファイルの記載に拠れば一歳差の兄弟であるようだが、とても息が合っている。
これでは、まるで。
駿紀は思い浮かんだ単語に、はっとする。
単なる連想のはずの、それ以上の何か。
勘が告げる。
言葉遊びなんかではない、告げるべき言葉だ。時折、ふと降りてくるこの手の勘を外したことは無い。
好青年という表現がぴたりとはまる笑顔で、駿紀は、清と勇を見比べる。
「随分と気が合ってらっしゃるようですね」
ひとつ、呼吸を置く。
「まるで双子のようだ」
ほんの微かな、よほど注意していなくては感じられないほどの揺れ。
だが、それを逃さなかったのは透弥だ。
実に困ったことだ、というような苦笑を浮かべる。
「相続問題に最初から対処するという正氏の考え自体は否定はしませんが、少々行き過ぎのように思えますね」
落ちた沈黙は、実に雄弁だ。
勘に過ぎない一言こそが、真実と告げるのだから。
笑みを浮かべたのは、勇の方だ。
「これはこれは、なかなかな調査能力をもってらっしゃる」
「告げてくださらないとは、人が悪いですね」
ややの間の後、清も苦笑を浮かべる。
駿紀と透弥は、ほんの一瞬、視線を見交わす。
九分いただいていたパワーバランスは、間違いなく、完全にコチラのものだ。

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