□ 火と氷 □ whisper-10 □
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透弥が指摘した通り、正が生まれた双子のうちの片方の出生を一年間伏せたのは、後継ぎの件でもめるのを避ける為だった。
「表向きの年齢と外見の違和感がなくなるまで、そりゃもう厳重に閉じ込められてましたよ」
肩をすくめながら勇は言ってから、付け加える。
「もちろん、これでもかというくらいに恨み憎しみはしましたけどね、社会に出るくらいの頃には感謝してましたよ。兄貴の負担を見てたらね」
「こんなことを言いながら、実によく支えてくれてるんです。勇がいなければ、たちいかない」
清のフォローに、勇は声をたてて笑う。
「俺のやらかす無茶の後始末役を押し付けてるってのにこれでしょう?たく、一緒に生まれたとは思えない、出来た人間ですよ」
二十年間の中での新事実だが、ここまで聞けば、いまのところは充分だ。
後から来て、すぐに警察へと連絡に回った勉、部屋に残っていた千代子と八重子は、直に現場を見ていないこともあり、証言に大きなブレは無い。
時間を割いてもらったことに礼を言ってから、解放作業中の現場へと回る。
これといったトラブルは起こっていないので、予定通り、明日の朝に解放可能だと担当者が告げる。
今日、福屋の屋敷ですべきことは全てこなした。
辞去しようと門へと向かう途中で、背後の気配に、どちらからともなく振り返る。
立っていたのは、千代子だ。昨日、応対に現れた時と同じ、どことなく不安な表情をしている。
「あ、あの」
「どうかなさいましたか?」
透弥が、穏やかに微笑みつつ訊ねる。ためらったような顔つきだった千代子は、その笑みを見て、意を決したように口を開く。
「今更、と思われるかもしれませんが、どうか、解決して下さい。私共の協力が足りなかったというのは、重々承知いたしておりますが」
頭を下げようとしたのを、手の仕草で止めたのは駿紀だ。透弥が、困ったな、という色をにじませた笑みになる。
「二十年間近く、ご心労をおかけしているのはこちらです。申し訳ありません」
駿紀も、一緒に頭を下げてから、まっすぐに千代子を見つめる。
「全力をつくします」
「どうか、よろしくお願いいたします」
千代子が深々と頭を下げるのを待っていたかのように、重く垂れ込めた雲から雫が落ちてきはじめる。また、梅雨の雨が降り出したのだ。
軽く手をかざした千代子に見送られ、二人は外へ出る。
視線が追っているのは、気配でわかる。
車のところまで行ったところで、どちらからともなく振り返ると、千代子はもう一度、深く頭を下げる。
礼を返しながら駿紀は、やはり、犯人ははっきりさせなければ、と強く思う。
ドアを閉めるなり、透弥は口の端を微かに持ち上げる。
「普通なら、戯言だがな」
「は?」
駿紀はエンジンをかけながら眉を寄せるが、すぐに何のことか思い当たる。福屋清と勇が、兄弟ではなく双子だと見抜いたことを指しているのだ。
「ああ」
ワイパーを回し、アクセルを踏みながら、ますます眉を寄せる。
「勘を説明させるなよ」
「なるほど」
透弥にとってはそれで充分に説明だったらしく、納得したようだ。
勘のことについてなら、駿紀にも言いたいことはある。今も同じことを思ったのもあるが。
「よく、間髪入れずに戯言に乗ったな」
「戯言では無かった」
駿紀が口にした瞬間の、清と勇の反応を指しているのはわかるが、見事な言葉足らずだ。が、いちいちしゃべらせると毒舌になるので、それも面倒だ。
「まぁな、でも、あんなはっきりしとした反応を引っ張り出せるとは思わなかった」
「完全にコチラに持ってこなくては、意味が無い」
透弥は面倒くさそうに返して、窓の外へ視線をやる。
意味が無いというのは極論だと駿紀は思うが、透弥の言葉が決定打になったのは確かだ。
「どちらかなのは、確定だ」
駿紀の言葉に、透弥は外を見たまま、皮肉な笑みを浮かべる。
「そもそも、しゃべりすぎだったがな」
「犯人はよくしゃべる、の変形ってところか」
角を曲がりながら駿紀が言うと、透弥が肩をすくめる。
「少なくとも、かく乱しているつもりではあるだろうな」
その言葉に、駿紀は眉を寄せる。
「神宮司、お前、どちらが……」
言いかかった言葉は、途中で霧散する。そうだった、事情聴取だけであれば、確率は五分五分だ。
だが、今まで得た情報全てを網羅すれば。
「ああ、そうか。そういうことか」
納得した駿紀に、透弥はごくあっさりと言い切る。
「証拠にも何もならんが」
無論、それも事実だ。この状態では、単なる刑事の直感としか説明のしようが無い。犯人の自白がある、というのならば別だが。
「解決を望んでいるのは、千代子さんだけとは思えないけど」
それは、あの場を見てきた駿紀の率直な感覚だ。最後に追ってきた千代子はあの代表に過ぎない。
なぜならば、例え双子と見抜かれたところで、もっと誤魔化しようがあったはずだからだ。解決を望まないのならば、悦子にしろ、誠にしろ、こちらの要求通りに記憶を辿り直す必要など無い。
二十年近くで事情が変わったことだって、山とあるだろう。
だが、それ以上に、たった一箇所だけの時を止めておくということ自体が歪みを生んだのに違いない。
周囲の時間は、全て流れていくのに、現場だけが、事件だけが時を留めたまま動かない。いつまで経っても、終わらない。
その影は、彼らの何かを蝕んでいったろう。
終わりに、すべきなのだ。
どんなカタチが訪れるのだとしても。
彼らの中に、そういう何かがあるのは確かだ。
「だが、自白は望めない」
「そりゃそうだな、二十年間の勝負を放棄は出来ないだろ」
透弥の平坦な声に、駿紀は運転に差しさわり無い程度に肩をすくめる。島袋と相対することは、ある意味、彼らにとって勝負だ。
相手が現役でなくなったからといって、放棄する気は無い。
というより、今更、自白というカタチで幕を引くことなど、出来ないところまできてしまったのだろう。
状況も、プライドも、何もかもが。
「確実な証拠が必要だ」
「見つけられるか?」
窓の外へ行っていた透弥の視線が、駿紀へと戻る。軽く、片眉が上がるのがバックミラー越しに見える。
「見つけるんだよ」
見つけなくてはならないんだよ、と駿紀は心で補完する。
絶対に。



翌日の朝、空は澄み切ったとしか言いようの無い晴れ渡りようだ。梅雨の晴れ間のせいか、空気が妙に澄んでいるように思える。
科研の林原たちとは、現場で落ち合う手はずだ。
特別捜査課の部屋を後にした駿紀は、そこで足を止める。何だ、と透弥が視線だけで問うのに、軽く首を傾げてやる。
「持ってかないのか?」
問いを返された透弥は、不機嫌に眉を寄せる。その気持ちはわからないでもないが。
「二十年間に少々の敬意を払ってやってもいいんじゃないのか」
「二十年前に辟易していたはずの老醜に囚われているかもしれんという自覚を持ってもらいたいものだがな」
口調は嫌がっているが、否定をする気も無いらしい。
「取ってくる」
無論、銃のことだ。
福屋家の人間が解決を望んでいるとはいえ、それが最後の瞬間までそうとは限らない。人というのは揺れるものだ。ましてや、そこから先の人生が大きく変わるとなれば。
演出上、必要とされるかもしれない、程度だが、あれだけのプライドの人間たちが相手だ。無くて困ることはあっても、あって邪魔になることは無い。
背を向けて透弥が歩き出したのを見送って、駿紀も車を用意すべく階段を降り始める。
あまり人通りの無い階まで来たところで、一段ずつ抜かしてスピードを上げ始めた瞬間に、人の気配に気付く。慌てて元に戻そうとして、少々足をもつれさせる。
うっかり無様に転落しなかったのは、ひとえに駿紀のバランス感覚のおかげだ。
階下の人物はそれを見ていたのかいなかったのか、上げた視線が駿紀と合うと、笑みを浮かべる。
笑顔でもどこか苛烈さを感じさせる木崎とは対照的に、これが刑事かと問いたくなるほどに紳士的な表情の持ち主の顔を駿紀は見覚えている。
先日、警視総監室で木崎たちと並んでいた中の一人、二課で班長をしている勅使だ。先日まで、透弥の直の上司であった人物でもある。
好意的な笑みの相手を無視するほど、駿紀は無神経ではない。
「おはようございます」
勅使のいる踊り場まで降りてから、頭を下げる。
「おはよう」
「神宮司なら、銃を取りに……」
当然、用があるのはそちらだと思うので口にしたのだが、勅使はあっさりと頷く。
「そうだと思ったよ」
その言葉の意味がわからないほど、鈍くは無い。が、となると勅使が用事があるのは駿紀だということになる。解せない、というのがそのまま表情に出たのだろう、勅使は笑みを浮かべたまま答えを与えてくれる。
「隆南くんと話してみたかったんだよ」
「俺とですか?」
「なんせ、木崎班長が絶対に手放したくない人材なんて初めてだからね」
木崎は透弥を視界にも入れたくなかったようだが、勅使の駿紀への感情は違うものらしい。好意というより好奇だろうけれども。
返事に窮したままの駿紀に、勅使は問いを投げてくる。
「今日は、いよいよ現場開放だろう?」
どうやら勅使も、駿紀と透弥がどの事件を扱っているのか知っているらしい。隠しても意味がないので、頷き返す。
「はい、俺たちが到着次第、扉の開放を開始して現場検証に入ります」
「科研が、だね」
勅使は、科研という言葉にアクセントを置いた。一課、しかも木崎の直下にいた駿紀が、それをどう見ているのかを問うているのだ。
まっすぐな視線を返しながら、はっきりと答える。
「少なくとも、二十年前には発見できなかったものを、得られることは確かです」
「ほう?」
確信に満ちた駿紀の言葉に、勅使は驚いたらしい。その目が軽く見開かれる。
その間に、駿紀は自分の言葉が足りなかったことに気付いて付け加える。
「いえ、絶対に見つけ出します」
見開かれていた勅使の目が、また、穏やかな笑みを取り戻す。
「なるほど、木崎班長が執心するわけだね」
何に対してかはわからないが、少なくとも認められはしたらしい。駿紀は、いくらかほっとする。
が、返事のしようがない言葉でもあるので、はぁ、などと曖昧な相槌をうつ。
「私は今回の件の成り行きを、言葉は悪いがとても面白く思っているんだ」
「面白い、ですか?」
怪訝に駿紀が眉を寄せたのへと、勅使は頷き返す。
「隆南くんと神宮司が組んで、どんなことを見せてくれるんだろうと思ってね。ますます楽しみになったよ。結果を聞くのを、心待ちにしている」
話を終えてくれたのは、語調でわかる。
確かに、これ以上ここで勅使に捕まっていたら、先に降りてるであろう透弥に何を言われるかわかったものではない。
「過度の期待を頂いても、がっかりさせるかもしれませんけれど」
駿紀の言葉に、勅使の笑みが妙に大きくなる。が、何も言葉にはせず、ただ頷かれる。
「失礼します」
頭を下げ、駿紀は背を向けて階段を降り始める。

予測通り、駐車場にはすでに透弥がいる。
何か言われる前に、片手で拝む。
「悪い、知り合いに捕まった」
警視総監室で顔は知っていたのだから、嘘ではない。勅使は駿紀と話してみたい、と言っていた。あえて、誰と会ったか言う必要はあるまい。
「そうか」
透弥も、これといってツッコむ気は無いらしい。というより、すでに気持ちは現場へと向いているのだろう。
それは、駿紀も同じだ。
助手席に乗り込み、扉を閉める。
すでに、透弥はエンジンをかけている。
どちらからともなく、視線が合う。
「行こう」
「ああ」
返事と共に、滑らかに車が動き出す。

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