□ 火と氷 □ whisper-11 □
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福屋家の屋敷前には、すでにバンが止まっていて、その前に林原と東と思われる人物が立っている。思われる、という理由は簡単だ。
二人とも、黒に近い紺の脇タック部分だけ今日の空のような水色をした作業服に、揃いの紺のキャップといういでたちで、遠目には顔が見えないのだ。
車から降りて近寄ると、やはり作業服のタックと同じ空色の縁取りをしたつばの下から、林原が笑みを向ける。
「いやぁ、待ちきれなくて」
言葉通り、笑顔はピクニックに来たのかと問いたくなるほどに、にこやかだ。
「今日は、よろしくお願いします」
駿紀が頭を下げるのと一緒に、透弥も挨拶をするが、顔を上げた時には眉が寄っている。
「そのやに下がった顔はどうにかしろ」
「あれ?」
頬に手をやった林原は、苦笑を浮かべる。
「おや、これではさすがに、いけないなぁ」
言いながら、まだ笑みは消えない。駿紀は、東と林原を交互に見やる。
「ユニホームってところですか?」
「ええ、ひとまず科研って組織が庁内で機能してるってことにしときませんとねぇ。二十年間も向こう張ってきた方々には、どんな証拠出しても納得できないでしょう?これならスーツより動きやすいですし、ちょっと特殊な部署って感じもしますしねぇ」
昨日の透弥の、準備は万端かという問いには、これも含まれていたのだろう。林原自身、この格好は気に入っているようだ。
林原の笑みが、少し大きくなる。
「あ、このキャップは東さんの提案なんですよ。しまりますよねぇ」
東がそんなことを思いついたのは驚きだが、いつまで科研のユニホームの論評をしてるわけにもいかない。駿紀は、笑みを返す。
「お二人とも、とてもお似合いですよ」
そんな会話をしているうちに、透弥はとっとと屋敷の人間を呼び出していたようだ。
執事らしい人物が、その職としての精一杯の威厳の範囲内で可能な限りの速度でやってくる。すっかり、らしい落ち着きを取り戻した彼は、作業服の二人を見ても表情を変えることなく、尋ねる。
「業者の方も、先刻到着されており、いつでも開放出来るとおっしゃっておりました。また、当家の主人たちはじめ、居間に揃っております。いかがなさいますか?」
「現場開放から始めさせていただきましょう。家の方に来ていただく必要は無いですから、居間の方でお待ち下さいとお伝え下さい」
ごくあっさりと透弥は、屋敷の人間を待たせる宣告をしてのける。言外に案内も不要、と告げたわけだ。
執事は、軽く頭を下げると屋敷の方へと歩み去る。
それを見送ってから、ゆっくりと屋敷内へと入り、居間とは反対の現場へと向かう。
駿紀たちの姿に、最初に頭を下げたのは一昨日の巡査、加納だ。手配通りに今日の警備担当に組み込まれたらしい。
「おはようございます」
「おはよう、他にも来てるか?」
「はい」
透弥の問いに、加納はすぐに頷く。
「では、居間へと配置して現場検証中は勝手に屋敷内を動かないよう警告を。窓際にも一人立ててくれ。終わったら、戻ってくるといい」
「了解しました」
自分は現場検証を見ることが出来そうだとわかり、いくらか頬を紅潮させながら加納は大きく頷き返す。
その後姿を見送ってから、業者の担当者が頭を下げる。
「おはようございます。後は、警察側のパスを入力するだけですよ」
「ありがとうございます。では、早速始めましょう」
セキュリティの都合上、業者だけでなく警察もパスを入力しなくては開放されないシステムなのだ。大金庫を思わせる扉につながった小型の端末へと向かった透弥は、かなりな桁のパスをメモも見ずに次々と入れていく。
この記憶力は、真似出来ない、と駿紀は思う。
一通りの入力を終えたのだろう、透弥が手を引いたので、駿紀も背後から覗き込む。照合中、という文字の下に、ゲージがあり、思わせぶりな速度で減っていく。
画面に「All Checked」と出るのと同時に、扉の方からガチャリ、という重々しい金属音が響く。
全てのロックが解かれた音。
屋敷全体が、少し揺れたようさえ聴こえる。
実際には分厚い特殊合金の扉が反響してるのだろうが、それはどこか不気味な響きだ。
音が聞こえたのだろう、加納が早足でこちらに来る気配がする。
「では、開けます」
業者の担当者たちが、数人がかりでゆっくりと扉を引いていく。
誰かの喉が鳴る音がする。
ゆっくりと、少しずつ、重量のある扉が、今日のために引かれたレール上を動いていく。
やがて、これほどまでに大仰な扉が守っていたとは思えないくらいの小さな木の扉が現れる。
この屋敷内のどこにでもある、木製の扉としては重い部類なのだが、対比のせいか、どうにも華奢に見えてしまう。
完全に金属製の扉が固定されるまでには、駿紀の手にも透弥の手にも林原が用意した手袋がはめられている。足元も自分たちのものが踏み荒らさぬようにと林原に手渡されたモノで、靴が覆われている状態だ。
「こちらの開放は、これで完了です」
「あちらも、お願いします」
透弥の返答に、業者の担当者は頷いて、道具を手にさらに奥の金属扉へと向かう。
見送ってから、駿紀が視線を動かすと、透弥のものと合う。
微かに、透弥が頷く。
同じく、ほんの微かに頷き返し、駿紀は一歩踏み出す。
手を伸ばし、ドアノブを握る。
かちゃり、とあまりに軽く、それはひねられる。
かつて悦子が開いたと証言したのと同じ、半分程度あけたところで止める。こちらの金属扉と連動して窓際の方も開放されたらしく、光が差し込んでいる。
ひとまず、光量は足りそうだ。 足を踏み入れる。
開けた瞬間から、駿紀のよく知っている不快な臭いが鼻をついてはいた。
時を止めたのだと、知ってもいる。
が、眼前に広がった光景に、駿紀は硬直してしまう。
まるで、つい先日、ここで殺人があったかのようだ。胸が悪くなるほどの血の臭いと、乾ききらない褐色じみた赤。
思わず、呟く。
「二十年前の現場じゃ、ないな」
大仰な装置が取り除けられていたとしたら、数日前の現場と言われて信じるだろう。
透弥も、いくらか眉を寄せる。が、すぐにいつもの無表情に戻ると、振り返る。
「いけそうだ」
告げられた林原は、軽く頷く。キャップの下から見えるのは口元だけだが、そこには笑みがある。
が、それは玄関先で会った時のわくわくしてたまらないという子供っぽいものではなく、獲物を目前にした獣のようだ。
「それから、そこの巡査を入れてやってくれ。興味があるそうだから」
林原と東の視線を受けて、加納は緊張気味に姿勢を正す。
口元の笑みと同じ、どこか猛禽のような林原の瞳が加納を見つめる。
「二十年前の現場にかな?それとも、現場検証に?」
「どちらも、です」
聞いた東の口元が、ほんの微かに緩む。
「正直はいいことだ。これを」
手袋と靴をカバーするものを渡されて、加納は頬を紅潮させながら頭を下げる。
「入るからには、手伝ってもらうよ」
ごくあっさりと告げ、加納の返事を待たず、林原も現場へと踏み込む。
そして、腰に手をあてて、ざっと全体を見回す。
「ふぅん?」
いくらか笑みを納めて、東へと振り返る。
「さて、どこがいいでしょうかね?」
「閉めた方がやりやすいだろう」
いくらか言葉足らずの返答だが、林原にはそれで充分らしい。こくり、と頷き返して恐る恐る最後に入ってきた加納へと顔を向ける。
「そこ、閉めて」
「はい」
扉が閉まると、東がカバンから取り出したものを手で軽く振りながら、顎をしゃくる。
「合図したら、カーテン全部閉めて」
「はい」
一方的な指示に、加納は戸惑った顔をしつつも返事を返す。
準備が整ったのだろう、林原は駿紀たちへと向き直る。
「遺体があったのがココでしょう?で、うつ伏せに顔はコッチで傷がコチラ」
見慣れた白枠線を指しながらの言葉に、透弥が頷く。
「よっぽどしっかりと頚動脈を断ち切ったらしいよねぇ、ホラ、あんなところにまで飛んでる」
指差した方向は天井だ。
まさに、噴き出したという表現がぴたりとくる飛沫がしっかりとついている。
「これだけの勢いならば、あそこにもついててしかるべきだな」
平坦な声で、透弥が返す。
が、その視線の先にあるのは、ただの壁だ。壁紙の模様も、周囲と変わりなくキレイに見えている。その下の床にも、何の汚れも無い。
壁になんらかの痕が残ってしまったというよりは。
「床に足跡でもつけたか。でも、血液があったのだとしても、そうとうにしっかりと拭き取られてるぞ」
足跡を拾い上げられるというのなら証拠にもなろうが、拭いたとなればそうはいくまい。どうするつもりなのか。
駿紀の言外の問いに、林原は笑みを向ける。
「ここで拾えればいいのは、少なくとも現場に手が加わってるってこと。それから、本当に二十年前の状態が保たれるって確認出来ること。でしょう?」
最後の言葉は、透弥に向けたものだ。が、返事が欲しかったわけではないらしく、話題となっている壁へと向き直って、何かを吹き付けはじめる。
駿紀の視線に、透弥は軽く肩をすくめる。
「こんな踏み荒らされた場所ではロクな証拠は取れないだろう」
「なるほど、本命は別か」
加納が首を傾げたところで、林原の声が飛ぶ。
「閉めて」
「はい!」
緊張気味の返事が返り、すぐに部屋は薄暗くなると同時に、青白い光が、ぼう、と浮き上がる。
一見、ただの壁だったはずの場所に、広がる薄明るい光。
先日、林原が自分の指をついて垂らした血が反応したのと、同じ色だ。それよりも、ぐっと広い範囲が広がっている。
低く口笛を吹いたのは林原だ。
「これは思った以上だねぇ。間違いない、血痕だよ。ここに、血がついていたんだ」
抑えきれない興奮が、声に滲む。
「東さん、これなら」
「充分に、可能性はある」
語数は少ないが、語調は強い確信に満ちている。
「カーテン、開けていいよ」
林原の声に、今度は返事は返らない。が、指示通りに光りが入り込む。
駿紀が振り返ると、加納が目を丸くして、先ほどの壁を凝視している。会話から、消されたはずの血痕を浮かび上がらせたのは理解したのだろうが、信じられないのだろう。
林原が、笑みを向ける。
「これはねぇ、ルミノール反応って言うんだよ」
「ルミノール?」
「さっき見た通り、血液を検出する方法のヒトツ。悪くないでしょう?」
楽しそうに説明している林原から、無言のままの透弥へと視線をやる。
視線に気付いてこちらへと顔を向けた口の端に、冷えた笑みが浮かんでいる。
「何者かが拭き取った、か」
思い通りにコトが進んでいると確信している声だ。
「ほぼ、事件確定だな」
正確を期した駿紀の言葉に、微かに頷く。
収穫はそれ以上だと、二人共が知っている。
この現場は、二十年前に閉ざされた時と同じ状態を保っていることが示されたのだ。
扉が、遠慮がちにノックされる。
「奥の方を開放する準備が出来ました」
業者担当者の声が聞こえる。

先ほどと同じ過程を踏んで開けた扉の向こうの景色に、駿紀は思わず息を飲む。
この部屋は、福屋正が集めていた刀剣を並べたコレクション室だ。パーティーでも開けそうな広さの中に、ケースや棚がしつらえられ、白鞘が並べられている。
「これは素晴らしいな。仕事で無ければ鑑賞させていただきたいところだが」
後から入ってきた透弥も、素直に感嘆したらしい。が、言い換えれば、ここにある刀剣のほとんどが凶器候補ということになる。
「片っ端から検証してたらとんでもない時間がかかるぞ」
駿紀の切り返しに、透弥は再び冷えた笑みを浮かべる。
「絞らせればいい」
「言うかな?俺らがどう見てるのかくらいは、察してるだろ」
事件を解決して欲しいのと、自白に近い証言をするのとは別だ。素直に清たちが絞ってくれるとは思えない。
「言うさ。彼らはまだ、見えることを知らないのだから」
「言ってもらうのじゃなくて、言わせるの間違いじゃないのか」
返しながら、戸口で待つ加納へと振り返る。
「福屋清と勇だけを呼んできてくれないかな」
「はい」
頷いて、足早に去っていくのを見送ってから、そういえば、と辺りを見回す。先ほどと異なり、妙に林原が静かだ。
姿は、すぐに見つかる。しゃがみこんで、この部屋での検証の準備をしているらしい。東と二人、細かいものを手になにやらぼそぼそと話し込んでいる。
透弥は、部屋全体をゆっくりと見回している。
「正氏は、かなり几帳面だったみたいだな」
駿紀の声に、透弥は背を向けたまま返してくる。
「それは、息子たちにも染み付いている」
「ま、な。慌てて戻したって形跡どころか、元とズレているって感じのも無いときてる」
今更せんないことだが、もし、そういう形跡があったのだとすれば、二十年前の捜査ももう少し違ったかもしれない。
それより、現場に誰かが手を加えたことが判明した今は、別のことが言える。
「計画的だな」
いつ、と決めてはいなかったかもしれない。だが、どうしようもないと判断したその時には手を下す。
彼は、とうに決意していたのだろう。
透弥からの返事は無い。
足音が聞こえてきている。加納が、二人を連れてきたのだ。
顔を出した二人は、少し目を細めて部屋を見回す。
「こりゃ、凄いなぁ」
「本当に、そのまま残っているものですね」
現場を見ても、同じ反応が返るのだろうか。そんなことを思いつつ、首を傾げてみせる。
「申し訳ありません、これだけの数のコレクションを全てあたっていくのも難儀なもので、ご協力いただけないでしょうか」
興味深そうに目を見開いたのは、勇の方だ。
「おや、ここにある剣が凶器だと確信していらっしゃる?」
透弥が、ただ、笑みを返す。
「正氏が気に入っていたものはどれでしょう?よく眺めていたものをご存知ですか?」
清と勇は、どちらからともなく顔を見合わせる。
その間に、駿紀も透弥の耳へと囁く。
「おい、滅多に出さなかったものじゃ……」
そうでなければ、人を斬ったせいで万が一痛んでしまった時に、すぐにバレてしまうことになる。せっかく懐剣を置いて自殺を装ったのがフイになってしまう。
が、透弥は、横目をよこしただけだ。わからないのか、と言われたのだと理解して駿紀は口をつぐむ。
清と勇は、ややしばし見つめ合ったままつっ立っていた。その間、視線で何を交わしたのかはわからない。が、こちらへと向き直った顔には、その程度では揺さぶられないという自信が込められている。
「よく知ってますよ。父には特別の贔屓がありましたからね」
はっきりと告げたのは清で、数歩歩んでケースの中の白鞘を指したのは勇だ。
「全て気に入って集めたものですがね、この粟田口久光の複製品は客に見せる時には絶対にはずさなかった」
その言葉で、駿紀も悟る。
父の気に入りで、という言葉と共にならば、後から堂々と手入れが出来るではないか。しかも、いつも取り出しているものなら頻繁に。
事件直後の手入れが行き届いていなかったのだとしても、いつしか気にならなくなるだろう。
勇が清の隣に戻るのを待ってから、林原が無言で近付き、ケースを開ける。無造作に取り出すと、白鞘の柄を掴み、抜き払う。
ひょろりとした体格に似合わず、その仕草はなかなかに堂に入っている。きちんと棟に沿うように滑らせ、刀身を傷めることなく取り出された白刃は、鈍い光を放っている。
「大変申し訳ないのですが、少々薬品をつけさせていただきます」
申し訳無いと口にしたが、もうすでにその手は先ほど壁に吹き付けたものと同じモノを刃の部分に向けて付け始めている。
清と勇は、いったい何が始まったのかというように刀身を見つめている。
「電気消して」
先ほどので要領を得ていた加納は、すでにスイッチの側に立っていたらしい。すぐに灯りが消える。
「あ?!」
「これは?」
戸惑った声をあげたのは、清と勇だ。三度目ともなれば、駿紀も見慣れている。
青白く発光して浮かび上がる刀身。血が付着していたことを示す証。
間違いない、これが凶器だ。

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