□ 光露落つるまで □ scintillation-3 □
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「なんだ、こりゃ」
証言録に目を走らせていた駿紀が思わず素っ頓狂な声を上げたのに、別の日の証言録を繰っていた透弥は軽く眉を寄せて顔を上げる。
「そんな大きな声を出さんでも聞こえる」
「そういう問題じゃないっての」
「では、どういう問題だ」
「そりゃ」
切れ長の目が微妙に釣り上がっているのと、視線が合う。声の大きさ云々で議論している場合ではないと気付いて、駿紀は口をつぐみ、一呼吸する。
「実質、天宮紗耶香は何もしゃべってないじゃないか」
透弥が、小さく肩をすくめて手にしていた証言録を軽く叩く。
「確かに、こちらも天宮紗耶香の証言を取っているはずなのに、口を開いているのは榊紅葉か海音寺寛臣ばかりだ」
刑事の質問は天宮紗耶香に向けられているのに、答えるのは常に執事か秘書なのだ。
「こりゃ、紗耶香嬢の騎士というのは、あながち大げさな表現じゃないな。お嬢様の声を刑事に聞かせてなるものかと言われても驚けないよ」
駿紀の言葉に、透弥が無表情に返す。
「必要となれば容赦無い取り調べも辞さないはずの木崎班の刑事たちが、天宮財閥という名に萎縮したのか遠慮したのか」
確かに、天宮紗耶香が口を開く状況にならないにも関わらず、榊紅葉や海音寺寛臣を引き離そうとはしなかったようだ。
が、その理由に関しては駿紀の意見は異なる。
「あるいは、必要性を感じなかったか」
「それならば、もう少し得るものがあってもいいだろう」
透弥の口元が、皮肉に持ち上がる。
む、と駿紀の唇が尖る。
「じゃあ、神宮司ならどうにか出来ると?」
「やる前に問われても答えようが無い」
ぴしゃりと正論を返され、駿紀はぐ、と言葉に詰まる。
「ま、そりゃそうだな」
照れ隠しの為にやった口元の手を止め、目を細める。
「天宮紗耶香自身の言葉を聞いてみなけりゃ、どうにもならないのは確かだ」
「その意見には同意する」
さらりと言ったかと思うと、透弥は手を伸ばしてファイルを取り上げ、別のページを開いて戻してよこす。
「俺かよ」
などと返しつつも、駿紀は受話器を手にする。半ば無意識に大きめの呼吸をしたのは、木崎班の先輩達ですら萎縮したらしい相手と対峙することになると思ったせいだ。
透弥が出した電話番号をプッシュして、ややしばし。
やわらかな口調で天宮だと告げた相手に、こちらの所属と用件を伝えると、男の声と替わる。
「すぐに、こちらにいらっしゃいますか?」
「はい」
都合は大丈夫か、とはあえて問わない。あちらから言い出したことなのだから、乗ればいい。
「承知いたしました。お待ち申し上げております」
男は天宮紗耶香の都合を確認することなく、あっさりと言い切った。
「では」
受話器を置き、透弥へと向き直る。
「すぐ行っていい、とさ」
「本人が?」
「いや、男が一人決め。榊紅葉だろう」
透弥の長い指が、顎にかかる。
「執事はそういう立場か」
透弥の言う、そういう、の意味は駿紀にもわかる。
天宮紗耶香に逐一確認を取らなくても、仕事を中断することを承知する権限があるということだ。主の指示があるにせよ、確認もせずに即断というのはなかなかの立場と言えるだろう。
「らしいな」
何にせよ、一筋縄では行くまい。
「鬼が出るか蛇が出るか」
「化けの皮を剥げばいいだけのことだ」
立ち上がりながら無表情に返す透弥に、駿紀は肩をすくめてみせる。
「セオリー通りなら、出てくるのは枯れ尾花だからな」
「どちらにとってだ?」
「それ、どういう意味だよ」
立ち上がりながら片眉を上げた駿紀は、はた、とした顔つきになる。
「って、ああ、そうか」
歩き出しながら、透弥がぽつりと言う。
「なるほど、一課の鬼班長が手放したがらん理由は、三流お笑い芸人がいなくなるからか」
問いの途中で答えに気付いたせいで、確かに道化のようではあったとは駿紀も思うが。
「おい、三流ってなんだよ」
「さあな。聞き間違いじゃないか」
しらばっくれるなとか、ごまかすなと言いたいところだが、こんなことにこだわってる場合ではない。むっと眉を寄せながら、駿紀は透弥の隣へと並ぶ。
「そんなに三流が気に入らないなら、一流を目指せばいいだろう」
「何のだよ」
思わず返してしまってから、駿紀は口をつぐむ。こだわらないと決めたのに、顔に出てるようでは片手落ちだ。
いや、それよりも。
「何で俺がお笑い芸人にならなきゃいけないんだよ」
「今更そちらにツッコむのはどうかと思うが」
それは、駿紀もわかっている。これ以上は、やり込められるばかりになりそうだと口をつぐんだところで、人の気配に気付く。視線をそちらへと向けたのは、透弥も同時だ。
背後の足音が止まったことを怪訝に思ったのか、相手も振り返る。そして、破顔する。
「やあ」
勅使の穏やかな笑みに、二人も頭を下げる。
「どうも」
同じ高さまで駿紀たちが降りるのを待ってから、勅使は再び口を開く。
「先日の件も、実に見事だったね」
二十年近く未開決のままだった福家正殺人事件のことだというのは、考えずともわかる。
素直な賞賛というのはあまり無いので、駿紀は照れて軽く頬をかく。が、透弥はそうではないらしい。無表情にさらりと返す。
「あれは科研の手柄です」
「彼らの手腕は確かに興味深いね。今、紙に対してどの程度のことが可能なのか確認を入れてるよ」
にこやかに頷いてから、続ける。
「だが、あくまで証拠を捜し、検証する部署であって、そこから何らかを引き出すのは捜査班だ。先日の件も、君達が揺さぶらなくては解決はしなかった」
駿紀たちに有無を言わさない、きっぱりとした口調で言ってのけてから、悪戯っぽく付け加える。
「木崎班長には、ますます目をつけられたようだが」
「どうやら、そうらしいですね」
苦笑気味に駿紀が返すと、勅使の目がほんの少し鋭くなったようだ。
「木崎班といえば、天宮財閥絡みの一件から手を引いたとか」
二課にとっては管轄外の事件だというのに、えらく情報が早い。駿紀は軽く目を見開いてしまう。
いくらか眉を寄せたのは透弥だ。
「何をおっしゃりたいんです?」
「いや、その割には検死結果も上がらないな、と。それだけだよ」
どう訊いてもそれだけではないどころか、その天宮財閥絡みの事件がどこに回ったのかわかっていると言っているのと同じだ。
ごく小さく、透弥が肩をすくめる。
「そのようですね」
発した言葉だけでなく込められた確認も肯定する返事に、にこり、と勅使は笑みを浮かべる。
「天宮財閥総帥は、かなりの警察嫌いらしいな」
「それは初耳です。なにか理由でも?」
興味を覚えて駿紀が返すと、勅使の笑みが大きくなる。
「噂だよ、噂。らちも無いおしゃべりに付き合わせて悪かった、じゃあ」
あっさりと会話を終了すると、背を向けて歩き出してしまう。
後姿が見えなくなってから、どちらからともなく歩き出しつつ、駿紀が口を開く。
「噂なのか?」
「風説の類を口にする人では無い」
勅使という人物をより知っている透弥が言い切るのだから、噂にしろ根拠があると見ていいだろう。駿紀自身も、勅使が二人にヒントを与えたのだと思う。
「なら、天宮紗耶香が警察嫌いだという根拠はなんだ?」
「知らん」
透弥にも思い当たる節は無いということは、二課絡みでは無い。
「社員が逮捕されたとか」
「それで警察を嫌うのはお門違いだ」
「そりゃそうだけど、何も出てないってのは確かだぞ。裏になんか隠れてたんだとしても、今回ので捜査線上に浮かばないはずがない」
切れ長の視線だけが、駿紀を見やる。
「言い切れるのか」
木崎さんたちがあたったんだぞ、と言い返しかかった口は、声になる前に閉じられる。
「……いや」
気まずく思った声では無い。
「噂の根拠は、あるな」
「なるほど」
確信の篭った駿紀の言葉で透弥も思い当たったらしい。視線が、前に戻る。
「結論が変わることは無いな」
「まぁな。先ず、天宮紗耶香自身の話を聞く」
駿紀は、少し足を速める。

扉を開けた青年は、天宮家執事の榊紅葉だ。散々新聞で見ているから間違いようが無い。
彼は、過不足ない角度に頭を下げる。
「お待ちしておりました」
そのようにうやうやしくお待ちしていただくような立場ではないと思うが、これも相手にとっては仕事と思われるので、ひとまず軽くお辞儀を返し、名前を名乗る。
「急なのに対応していただきまして」
「それなのでございますが、海音寺の方がこちらに参りますまで、あと三十分ほどいただきたいとのことでございます。大変恐縮なのですが、お待ちいただきたく存じます」
バカ丁寧な言葉つきに、いい加減笑いたくなりつつ駿紀は尋ねる。
「天宮紗耶香さんも、まだご帰宅では?」
「いえ、主は帰宅しております」
駿紀は、にこり、と人好きのする笑みを浮かべる。
「それならば問題ありません。天宮紗耶香さんにお話を伺うにあたって、数点お願いしたいことがあります」
秘書がいなくても問題無いというのを、榊がどう取ったのかは表情が動かなかったので、伺い知れない。そもそも執事という人種は感情を表さないものらしいが、瞳もとは恐れ入るな、と考えつつも駿紀は続ける。
「広い部屋をご用意いただけますか?相向かっても手が届かないならば、尚いいです。それから、事件の捜査にご協力頂く為ということで、上座や下座というマナーなども無視させていただくことをご了承いただけると助かります」
一方的に要求しているわけだが、なぜか駿紀の笑顔が加わると威圧感が無くなるから不思議だ。
「広く大きめのテーブルが必要ということでよろしいでしょうか?」
榊の確認に、駿紀は頷く。
「私たちが奥に、天宮さんが扉近くに座っていただけば、先ず手が届くことはありません。万が一と判断された時も、すぐに逃げ出せるでしょう」
何を前提に要求しているのか、榊にも理解出来たようだ。ほんの微かではあるが、目に険しい光が宿る。
「紗耶香様を完全に一人になさるおつもりでしょうか」
「扉向こうで話を聞いていただく分には問題ありませんよ。こちらが必要以上に脅しかけたり、礼を失しすぎたりということが無いか確認していただけますから、むしろ、その方が都合がいいですしね」
人のいい笑みのまま、駿紀はさらりと返す。
が、榊の表情は目に見えて硬くなる。
「ご配慮いただいているとは存じますが」
「失礼ですが榊さんと議論すべき内容ではありません。ご本人に伝えていただけませんか」
駿紀と正反対の、平坦どころか冷たささえ感じさせる透弥の声は、はっきりとお前の出る幕ではないと告げている。
何か返そうと執事が口を開きかかった時だ。
「榊」
鈴を振るような声が、凛と響く。
大きくはないが、ただ一言で場をさらってしまう声だ。
と同時に、柔らかに現れた人がいる。
天宮紗耶香その人だというのは、紹介されずとも、すぐにわかる。華奢な骨格と大きな瞳のせいで、実年齢より若く見えるのもメディアを通して見ている通りだ。
階上から滑らかな動きで降りてくると、駿紀と透弥に軽く会釈し、榊へと視線をやる。
「食堂なら、おっしゃる条件に合うでしょう。お茶を用意して頂戴」
すぐに、視線は二人へと戻る。
「アイスで良いですか?」
「はい、ありがとうございます」
返すと、紗耶香はつい、と身を翻す。
「どうぞ」
少し奥の扉を開き、振り返る。
「こちらでいかが?」
紗耶香の示した先は、先ほど榊に向かって言った通り、食堂らしい。多人数を向かえることもあるのだろう、それなりの大きさのテーブルが据えられている。
財閥総帥の屋敷なら、そういう場所もあると駿紀は踏んだのだが、案の定、というところだ。
「ええ、問題ありません」
紗耶香自身が納得していれば、どこであろうとどうでもいいことだ。
「では、そちらへどうぞ」
指し示された椅子へ腰を下ろすと、涼しげに氷が揺れるグラスを出される。
「榊、もういいいわ」
紗耶香はあっさりと言うが、執事の方は、そう簡単に納得できないらしい。
トレーを手にしたまま、紗耶香の後ろに留まっている。
やけにあっさりと飲んだと思ったら、そういうことだったのか、と駿紀は納得する。主はこちらの要求に従うが執事の方はねばり、そのままうやむやになってしまえば、結局はあちらの思うツボということだ。
こういうのは、駿紀よりも透弥が向いている。ちら、と視線をやると、透弥は執事などそこに存在しないかのように紗耶香を見やっている。
が、口を開く気配は全く無い。
ややの間の後、紗耶香は不信そうにふり返る。
「もういいというのが、聞こえなかったかしら?」
完璧なまでの無表情は、榊のプライドのなせる技だろう。
彼が扉の向こうに消える寸前、紗耶香が付け加える。
「私が呼ぶまでは海音寺も入れては駄目よ亅
了承の意であろう礼の後、静かに扉が閉まる。
紗耶香は、駿紀たちへと向き直ってから、どこか幼い仕草で首を傾げる。その動作自体が意識的かどうかはともかく、相手へと与える印象は承知しているに違いない。
「初めてお目にかかりますね?」
「ええ、担当が変わりまして、私共になりました」
駿紀たちが名乗ると、丁寧に復唱しながら二人を見つめる。
「隆南さんと、神宮司さん」
それから、もう一度、紗耶香は首を傾げてみせる。
「私へのご質問は何でしょう?」

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