□ 光露落つるまで □ scintillation-4 □
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私、という単語に微かにだがアクセントがあるということは、駿紀たちの意図を正確に察しているということだ。
駿紀は、目の端で透弥が手帳を開く気配を確認しつつ、苦笑を浮かべる。
「私達は、ずい分と執事さんから信頼されていないようですね」
「榊は、何者からも天宮家当主を守ることが信条なんです。お二人を特別に疑っているわけではありませんが、ご不快にさせていたらお詫びいたします」
いたって生真自目に紗耶香は返して、頭を下げる。
「ああ、そういうつもりでは。天宮さんのような立場ならば、ああいう方がいるのは頼もしいだろうとは思いますが」
「家のことは、安心してまかせられるのは確かです。現にそうしていますし」
「なるほど」
半ば雑談のような話にも、ごく普通に返してくるということは、少なくとも剥き出しの敵意を示すような警察嫌いではないらしい。
ひとまずは、常道の質問からいってみればいいだろう、と駿紀は判断を下す。
「さて、7月28日はどうされていたかから伺えますか?」
「8時過ぎに出勤、17時半に帰宅して、18時過ぎから久代さんご夫妻とタ食をいただきました。お見送りさせていただいたのが19時半頃で、入れ代わり到着した海音寺が持参した残務案件を片付けました」
淡々と事実のみを語る口調で続ける。
「久代さんが倒れたという連絡は、就寝してすぐに入りました。1時半過ぎと思いますが、正確な時間はわかりません」
頷き返してそこまででいいと告げる。
妙に理路整然としているのは、自身が口を開いたことは無かったとはいえ、ずっと事情聴取の場にはいたせいだろう。ひとまずはもうヒトツ、お約束だが問わなくてはならない。
「日下部久代さんたちと会っている時、何か変わったこと、気付いたことなどはありましたか?」
紗耶香は、考えるように少し首を傾げる。
その目を見ながら、案外素直だな、と駿紀は思う。きちんと記憶を手繰ってみているらしい。
もし、これでごまかしを考えているのだとしたら、相当の役者だ。もっとも、天宮財閥総帥という立場にあることを考えれば、その可能性も否定は出来ないのだが。
ややの間の後、紗耶香はゆっくりと口を開く。
「私の見た限りでは、これといっていつもと違うことは無かったです」
「では、日下部さんが倒れたと聞いて驚いたでしょうね」
駿紀の言葉は、ごく自然に出た。関係や感情はともかく、夜中に人が倒れれば驚くだろうと思ったのだ。
が、何やら妙な沈黙が落ちる。紗耶香はじっと駿紀の瞳を見つめている。何かを、はかるかのように。
たっぷりと三十秒はしてから、紗耶香は静かに口を開く。
「いいえ、いつかそういうことになるかもしれないと思っていました」
現状でそんなことを口にすれば、駿紀たちがどう思うか、知らぬはずは無い。
だが、駿紀の見る限りは、こちらを混乱させる意図は無い。とすれば、問い返すしかあるまい。
「それは、どうしてですか?」
「あんなにいつも興奮してばかりでは、久代さん自身はともかく、お腹の子はかなりの負担ではないかと思っていたんです」
「興奮ですか、どんな感じにでしょう?」
「端的に言ってしまえば、ヒステリーです。これなら納得いただけまして?」
また、紗耶香は首を傾げてみせる。
あどけなさを感じさせるこれに、木崎班の刑事たちも本人に突っ込み難くなったのかもしれない。が、やっと一人になったチャンスを逃すわけにはいかない。
「はい」
駿紀は頷いてみせてから、続ける。
「日下部久代さんは、いつもそのように興奮されていたんですか?」
「いつもというのは語弊がありますけれど、気に入らないことがあると、そうなりやすい傾向はあったと思います」
言葉の選び方が実に慎重だし、質問以上は答えないあたりもさすがだ。
「最近、気に入らなかったことに心当たりはありますか?」
「徹さんの役員解任でしょう」
あっさりと、紗耶香は言ってのける。事実のみを提示する声だ。
すでに駿紀たちが、日下部久代がをの件でやたらと動いていたという事実を掴んでいることを知っているはずだが、今更何をというモノも含まれていない。
「その判断を下したのは、どなたでしょう?」
「最終的な決定という意味でしたら、私です」
シンプルかつ、はっきりとした肯定だ。
「日下部さんの性格をご存知だったのなら、子供の為にもう少し待つという選択肢もあったのでは?」
「いいえ」
先ほどより、少し強い口調できっぱりと言ってのける。視線は駿紀の瞳をひた、と見つめて揺らがない。
「譲歩し過ぎといっていいだけの猶予は差し上げてきました。子供のことを考慮する余地はありませんでした」
天宮財閥総帥として彼女自身が下した判断なのだと、視線と瞳が告げる。
間違いない、海音寺が操ってなどいない。天宮財閥は彼女自身のモノだ。
「なるほど」
少し、駿紀は後ろへ引く。言葉も、体もだ。
その仕草に、紗耶香は少しだけ視線を落とす。が、すぐに駿紀を見つめ返す。
一呼吸分の間を置いてから、駿紀は静かに返す。
「ですが、日下部さんは納得されてなかったようですね」
「天宮財閥の一翼を担うのに必要なのは血筋ではなく実力であることを、理解出来ていらっしゃらなかったのは確かです」
「ずい分とまめに貴女に会いに来ていたそうですが、お仕事や生活にさし障ったでしょう?」
「あの程度のことは予測していました」
紗耶香は、眉ヒトツ動かさず言ってのける。
「こう言って言葉が悪いですが、ストーカー並と言っても過言ではないのを、ですか?」
「初めてのことではありませんから」
要職罷免のことではないのは確かなのだから、日下部久代の態度のことだ。
駿紀は思わず、目を見開いてしまう。
「慣れるほどとは、大変ですねぇ」
嘆息混じりの言葉に、紗耶香はヒトツ、瞬きをする。
「日下部徹さんは止めたりはしなかったんですか?」
「形ばかり、たしなめたりはしていました」
「そりゃ、あ、いや、それは、どうしてでしょう」
半ば素での問いに、紗耶香はもう一度瞬きしてから、口の端を微かに持ち上げる。
「そんな矛先は他に向いていた方がいいと、私なら思いますけど」
言い終えた時には、もう無表情だ。が、少なくとも今のところは、駿紀たちに対して敵意は抱いてないと確信する。
「それは、もっともですね。でも、とすると、日下部さんの……」
口をつぐんで逡巡するが、上手い単語が出てこない。
「ええと、言葉は悪いですがヒステリーは人前はばからずご家族にも?」
「はい」
はっきりと肯定してみせられて、駿紀は思わず、ため息に近いものを吐いてしまう。
「やはり、慣れてしまってたんでしょうかね?」
「慣れ以外にも回避する方法はありますよ」
それは、と訊き返しそうになったのを飲み込む。答えにも、すぐ思い当たる。
「叶えてしまえばいい、と?」
また、紗耶香の口の端が微かに持ち上がる。
「私には出来ませんけれど」
「ずい分と忍耐と冷静さが求められそうですが……日下部徹さんは、ずっと天宮財閥に?」
「いえ、看護士です。今も、一週間に一度ほどボランティアとして通っているはずですが」
駿紀は軽く頷く。
「なるほど、そうでしたか」
一呼吸の間を置く。
透弥は口を開く気が無さそうなので、駿紀は再び口を開く。
「聞き飽きたと思いますが、最近、外国へ行かれましたか?」
「はい」
「どちらまで?」
紗耶香は、駿紀をまっすぐ見つめたまま、静かに返す。
「その質問にはお答えいたしかねます」
予測の範囲内の返答だ。駿紀も相手の大きな瞳から視線を外さずに問い返す。
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「何であろうが、全て記録されるのでょう?」
反対に問い返され、駿紀は思わず、隣を見やる。何だ、そんなことだったのか、という言葉を飲み込んだのだ。
見返した透弥は、無表情のまま手にしたペンを下ろす。多分、その喉元には下らんな、という単語がつっかかっている。
視線を紗耶香へと戻す。
「前の担当者がどのように言ったのかわかりませんが、今回の件に関係無いと判明すれば、その時点で廃棄しますよ。必要でしたら、貴女の目前でもいいです」
軽く肩をすくめて付け加える。
「ですから、メモくらいは許していただけると助かります。それから、担当が二人だけなので提供していただいた情報はこれ以上拡散することはありません」
「課内で情報を共有するものではないのですか?」
「捜査上必要となれば、そうなります。が、うちの課は二人だけなもので」
ややしばらく、紗耶香は駿紀と透弥をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「二人だけ、ですか?」
実に怪訝そうな声に、駿紀は苦笑を返す。
「ええ、二人だけです。この点も照会していただいても結構ですよ。そういうわけなので、情報の拡散という点では安心していただけると思います」
「わかりました。そこまで仰っていただけるなら、申し上げます。よろしいかしら?」
視線を受けた透弥は、ごくあっさりと頷く。
「お願いします」
「プリラード、セース、ミエナ、サラチダ、アルカリア、ルジュクセ、ラーナレン、リスガル、ヴァリ、ラミ、シェランド、フィヨトート、ヴォツェヴィナ、ホラント、ナビエー、ルフィア、クリナ、エラル、ラニア、ボチェコシシア、クルニア、コルデル、ジェロナ、ウュハルト、ミニーレ、リーリア、ツェルン、クルタシュ、ウィルカ、ヤシュガル、カルカンド、エンラン、ルシュテット、リマルト、アファルイオです」
ずらりと並べられた国の名に、駿紀は目を丸くする。
「随分と回られましたね、ええと」
「三十五カ国」
手帳にペンを走らせながら、さらりと透弥が言ってから視線を上げる。
「念のため、寄った都市もお願いします」
紗耶香は、頷き返す。
「ええ、構いません。フィサユ、ルシェル、ヴェツェ、トリヤ、ミシス、イスハン、メルフェスト、フィニセンテ、カルピング、メンナ、ホルク、キュレイ、ディナル、アペルダム、ワッセルト、ロブティフ、クチュク、オルスク、タニュス、チェヨヴィツェ、バドアラ、プロサン、シュレジ、コットウィヒ、ナジャチ、シュタイアブルク、ダリヒ、ヨトカ、ニヤ、ムシュク、リヤ、コーシャン、リデン、フォーツ、レパナです」
それが全て、先ほど挙げられた国の首都だということは駿紀にもわかる。が、ここ最近で三十五カ国も回ったということ自体が尋常ではない。
何だってそんなに、という問いの答えは、口ぶりからいって透弥も持っているようだ。隣を見やると、透弥はもう一度視線を上げる。
「シャヤント急行開通関連ですね」
「はい」
はっきりと肯定した紗耶香は、小さく微笑む。
が、駿紀には、いまいち腑に落ちない。
プリラード首都フィサユから、ルシュテット、アファルイオを経由してリスティア首都アルシナドまで走り抜ける豪華特急の開通が近いことも、それを取り仕切っているのが天宮財閥だということも、単一ルートでは無いことも知っている。
「けど、三十五カ国も通らないだろ?」
駿紀は、透弥へと返す。何故、シャヤント急行だと断定できたのかという疑問もこめて、だ。
「通過周辺国をないがしろにしていると思われるのは得策ではない。全て首都を回っているということは、敷設状況自体の確認というより各国首脳に会っていたと考えるのが妥当だ」
面倒くさがらずにあっさりと説明したのは、透弥も紗耶香に試されていると感じているからだろう。
透弥の視線が、紗耶香へと向く。
「そうですね?」
「ええ」
頷いてから、紗耶香は真っ直ぐに二人を見つめる。
「シャヤント急行は、絶対に成功しなくてならない事業です」
絶対とは大仰な、と思ってしまったが、よくよく考えてみれば、そうとも言い切れない、と駿紀は気付く。
「『Aqua』最大大陸を何者にも邪魔されず縦断可能、という世界的なパフォーマンスだと?」
「それをやり遂げるのはリスティアでなくてはならない、というわけでしょう」
透弥が付け加える。
『Aqua』の中枢のほとんどを擁するからこそ、大陸横断という大事業は、リスティアが中心でなくてはならない。リスティアが主導するとなれば、当然、天宮財閥の仕事だ。
紗耶香は、はっきりと笑みを浮かべる。
「どなたにお会いしたのかの詳細は必要ですか?」
口ぶりからして、どのようなレべルの人物が並ぶのか大よその予測はつく。いざ怪しいとなっても、国際問題覚悟でしか手を出せない名ばかりに違いない。
かといって、尻ごみしていても仕方ない。
「お願いします」
駿紀が返すと、紗耶香はごくあっさりと言ってのける。
「では、後で海音寺に用意させましょう。正確に把握してますから」
それから、また、どこかあどけない仕草で首を傾げてみせる。
「他に、何か?」
駿紀は、間を置かずに問う。
「海音寺さんと榊さんは、貴女から見るとどのような方でしょう?」
「海音寺は財閥に、榊は家に欠かせない人間です」
紗耶香がそう評するということは、だ。
「能力的にも性格的にも、ということですか?」
「必要とされるあらゆる面において、です」
「そうですか」
駿紀は、隣を見やる。透弥は手帳を閉じることで、他に質問は無いかとの問いの答えを返す。
「今のところは、これで十分です。ありがとうございます」
駿紀が軽く頭を下げると、紗耶香はヒトツ瞬きをしてから立ち上がる。
「次は、どちらを呼びましょうか?」
「榊さんをお願いします」
立ち上がりながら返した駿紀に、小さく紗耶香は頷いてみせる。
「わかりました」
肩甲骨過ぎくらいまではあるストレートの髪がさらりと揺れて、扉の向こうへと消える。
が、その扉は完全には閉まらない。

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