□ 光露落つるまで □ scintillation-6 □
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ノックへの返事ももどかしく扉を開けると、扇谷と正岡が同時に振り返る。
「さすが、タカナさんとトーヤくんだ、鼻の効きが違うね。発見されたてほやほや、ほっかほかだよ」
にやりと笑って言ったのは正岡だ。
真面目な顔つきで、扇谷が後を引き取る。
「発見されたのは臀部だ。計四箇所、遺体が汚れ気味だったいうのは言い訳にしかならんな。遅れてすまなかった」
「いえ、今からでも発見されたのは大きいですよ。臀部となると、出来る人間は絞られますし」
「アマミヤの嬢ちゃんじゃないってことかな?でもさ、ダンナって注射器なんて扱えるの?」
首を傾げる正岡に、駿紀は頷き返す。
「ええ、結婚するまでは看護士で、今でも週に一回はボランティアに行っているそうです」
「おやおや、それはそれは」
正岡は、大きく肩をすくめてみせる。
「ついでにお仕事で海外行ったりとかしてたのかな?」
「いえ、そちらは全く。むしろ国内に留まりがちだったそうです」
「ふぅん」
なにやら不満そうに口をつぐんだ正岡に、透弥が告げる。
「そのお嬢さんの方は、ここ最近で三十五カ国回ったそうですが」
「三十五カ国?そりゃ発散し過ぎでしょ。でもま、どこ回ったのかは訊かなきゃ駄目なんだよね」
嫌そうに眉を寄せて椅子の背にへたり込んでいるのへと、透弥は容赦なく三十五カ国上げていく。よく舌を噛まずに言えるものだと、関係の無いことに駿紀は感心してしまう。
「で、場所は全て首都です」
「首都、ね。嬢ちゃんとこは製薬もやってるでしょ?ラボレベルだけど、プリラードとルシュテットにも持ってるし、その線から考えろって言われても無理だね。学会レべルでの新規ってのも、今のところ聞いてないし。候補が絞れないってことは、全部が疑惑の対象ってことだよね」
一気に言ってから、大きく伸びをする。
「まぁ言っちゃえば、薬だって過ぎりゃ毒なんだしね」
一瞬、奇妙な沈黙が落ちる。
「なるほどなぁ」
「その手があるか」
何気なく言った言葉に、駿紀と透弥が妙に反応するのが正岡にはさっぱりらしい。くせっ毛をかき回す。
「え?何?」
「薬も毒になる」
扇谷に繰り返されて、正岡は目を見開く。
「あー、そういうことね。でも血液と尿からは何も出てないでしょ」
「出血痕の周囲組織からは?」
透弥の問いに、正岡は大きく肩をすくめる。
「四箇所ったって、針先大だよ?量が少なすぎるよ。何の検査やるか絞れないとさ」
「ふむ、症状から考え直してみる必要があるな」
扇谷は指を折る。
「瞳孔散大、溺死ということは意識不明」
「嘔吐もしてます」
駿紀が付け加える。少し首を傾げたのは透弥だ。
「帰宅してすぐベッドに向かったということは、脱力もあるかもしれません」
少し考えてから、扇谷が口を開く。
「まっ先に思いつくのは低血糖だな」
「今回のホトケさんって、確認出来た限りじゃ病気は持ってなかったですね」
扇谷が頷くのを確認して、正岡は無精ひげをひっぱりつつ、眉を寄せる。
「じゃ、ヒトツ考えられるのはインシュリン」
「インシュリン?」
糖尿病患者が手放せないものだとはわかっているが、急になんのことかわからず、駿紀は目を丸くする。目を細めたのは、透弥だ。
「糖尿病患者の高血糖を通常値に抑える為のものを、健常者に打ったとしたら」
「当然、低血糖だね」
更に目を丸くする駿紀に、正岡が皮肉な笑みを浮かべてみせる。
「ついでに、低すぎる血糖値は死を招くというのも事実だけどね。だけど、あくまで、可能性だよ。どこにも証拠無いんだからさ」
「証拠が無いからこそ可能性が高い、とも言える。死後血液や臓器はアルカリ性でインシュリンは保存出来ない」
扇谷の補足に、正岡も頷く。
「そういうこと。だいたい、多分ってだけで、本当に低血糖だった証拠も無いわけだからさ」
「実際に低血糖だったと、証明することは絶対に不可能ですか?」
透弥の言葉に、扇谷たちはすぐに首を横に振ることはしない。
「それしかないというのなら、方法を探すしかない。少し、時間をもらいたい」
「インシュリン以外の可能性が無いかの裏もね」
そちらは、駿紀たちの領分だ。
「了解です」
力強く頷き返す。

研究室を後にして外へと出ると、もうすっかり日が暮れている。が、まだあけない梅雨の湿度のせいで、ワイシャツが肌に貼りつきそうだ。
「診療所にあたるのは、明日だな」
襟元を緩めながらの駿紀の言葉に、透弥もごくあっさりと頷く。
「総帥秘書からの書類の確認を済ませておけばいいだろう」
「まぁな。でも、その前に腹ごしらえしたいけど」
あれだけの書類を、半分ずつにしろ詳細に検証しようと思ったら、それなりの時間が必要だ。そこまで燃費は良くない。
透弥は、軽く眉を上げる。ややの間の後、ぽつりと返す。
「腹ごしらえしながらの方が効率がいいと思うが」
「持ち帰りの美味いところって知ってるか?」
「出来たてには及ばないが」
実に現実的な返答に、駿紀は笑ってしまう。
「そりゃそうか。うん、そこ試してみよう」
どちらからともなく歩き出しつつ、駿紀が口を開く。
「事故でない可能性は高いと思うか?」
「裏を取ってみないことには、何とも言えんな」
その言葉は、裏を取る価値がある、と言ってるのと同じだ。
「自分の父親が薬に頼ってなどいなかったっていう子供心からの発言だったかもしれない」
「では、隆南は何故、裏を取る気になった?」
問い返されて、言葉に詰まる。
「そりゃ、なんつうか」
「自分と同じく早くに両親を無くしたことに同情したわけか?」
駿紀は思わず、体ごと透弥に向き直る。位牌を見ただけで、そうと察した勘の良さに驚いたわけではない。
透弥は、冷静な視線を返してよこす。
本気でそう思ったわけではないと気付いて、肩から力を抜く。
「勘だよ」
天宮紗耶香が常用はしていなかったと主張するのなら、それは検証の必要がある。例え子供の言葉であったとしても、だ。
たまにある、妙に強く感じるモノなので、他に説明のしようが無い。
「神宮司はどうなんだよ」
「今の段階では何を考えても妄想にすぎん」
透弥らしい返答だ。駿紀は、ほんの小さく肩をすくめる。事故か事件か、それはもう少し裏を取らなければどうにもならない。
すっかり暗くなった空を見上げる。
「両親を失った上に、殺しと思ってるのを事故で片付けられたんじゃ、警察嫌いにもなるってのはわかるけど」
言葉を切ると、透弥が視線で先を促す。
「でも、感情で相手に対する態度をあからさまに変えるタイプじゃないよな」
「警察は好きではない、とでも言ったのが、大仰に広まったのだろう」
それが巡り巡って勅使の耳に入り、更に駿紀たちまで伝わってきた。天宮財閥総帥とうい立場である以上、発言が一人歩きするのはよくある話だろう。
「うん、そりゃわかるよ。そうじゃなくて」
感情で相手に対する態度を変えそうにない、と思うのに、木崎班の事情聴取では一言も発しなかった。これでは矛盾しているし、説明がつかない。
「感情で態度は変えないが、相手の能力や態度によっては変える、それだけのことだろう」
「試されてるとは思ったけどな。でも、口を開かなきゃ相手を試すことだって出来ないだろ」
海千山千の先輩たちが口を開けなかったというのがイマイチ納得出来ない。駿紀は、しきりと首をひねる。
「別に試すのは自分でなくてもいい。現に、秘書と執事が存在するのだから」
「まぁ、あの二人も切れ者だよな」
まだ納得しきってない駿紀を、透弥はちら、と見やる。
一呼吸置いてから、口を開く。
「状況から最も日下部久代を消したい人間は誰かというのを決めてかかっていたこと、面会相手のことを慮って必要外は内密にすることは可能かどうかという問いに対して、規則通りの対応のみとつっぱねたこと、この二点だけでも態度を硬化させるには十分だと思うが」
「それが不味いんだとわかったら、方向修正くらいはお手の物だよ」
返してから、気付いて訂正する。
「の、はずなんだよ」
言いながら、自分が納得出来ていないのは木崎班に対して天宮紗耶香が態度を硬化させた理由では無く、なぜ木崎班の刑事たちが彼女を動かせなかったのか、だと駿紀は気付く。
「なんかこう、しっくり来ないんだよな。俺なんかより、ずっと人の相手ってのには慣れてるはずなのに」
「それだけ、天宮財閥という存在が大きいというのも理由の一つだろう」
理由の一つ、と言うからには、他にもなにか透弥には考えがあるはずだ。が、そのまま透弥は口をつぐんでしまう。
なんとなく、それで察しがついたので、駿紀も頷くだけに留めておくことにする。
「そういうもんかもな」
木崎の奇妙なくらいの特別捜査課への敵視が、班にも伝染しているのだろう。あれほどまでに感情をあらわにするのは珍しいことだから。
感情的になれば、捜査にも差し障りが出る。その典型だったのではないか。いい大人なのだから、ほどなく落ち着くとは思うが、自分が理由だというのは愉快ではない。
が、いつまで考えていても仕方ない。駿紀は、軽く首を横に振る。
「俺らも、勅使さんからのネタがなけりゃ、こうはいかなかったかもな」
「そうだな」
透弥の視線が、考えに沈むと一緒に落ちる。
「勅使さんは協力的だし」
「協力というよりは、面白がっているように見えるが」
言って、視線を上げる。
「総監の気まぐれに付き合わされて、二人とも愉快とは言いかねるのは確かだろう。それなりに理解出来る反応ではある」
「まぁな。科研にも興味ありそうだし、柔軟な人なんだろうな」
「感情を交えずに、それが使えるものかどうかの判断をするのは得意な人だ」
冷静な口調で元上司を評する透弥も、似たようなところがあると言えるだろう。なんにせよ、敵意を向けられるよりはずっといいと思う。
駿紀が小さなため息をついたところで、透弥が前を指してみせる。
「あそこだ」
それなりに人通りが多くなってきた中に、それはある。
「カフェ?」
「テイクアウト出来る」
あっさりと返されるが、そういうことを言いたいのではない。
「いや、なんでそんな洒落たとこ知ってるんだ?」
「洒落てるかどうかは知らんが、書類を片付けながら食べるのに向いているし味もいい」
「おい、ちょい待て」
さっさと歩き出した透弥を、駿紀は慌てて追う。

「あ、美味い」
特別捜査課に戻って、早速口にした駿紀は思わず声を上げる。
カフェらしく、サンドイッチがメインだったのだが、バンズも挟むものも選べるあたりが新鮮だ。そもそも、カフェなど行ったことがないというのもあるが。
透弥は無視を決め込んで、一緒に買ってきた豆から挽いてくれるコーヒーを口にしつつ、すでに書類に視線を落としている。
そういえば、二課は一課よりはずっと書類を扱う率が高いよな、などと少々ずれたことを思いつつ、駿紀も手元に視線を落とす。
進むにつれ、なんとなく眉が寄ってきてしまう。
不審な点が発見されたのではなく、とてつもない過密スケジュールに驚いたのだ。それは書類の最後まで続く。
「本当に分単位かよ」
思わず呟いたのに、透弥が顔を上げる。
「コピーだし修正も入っているから断言は出来ないが、このスケジュールを見る限りは、不審な人物に会っていた様子は無い」
「照会は、今は必要ないだろうな、こりゃ」
少ししばしばとする目を瞬かせながらの駿紀の言葉に、透弥もあっさりと頷く。
「わかる範囲だが、照会すれば多かれ少なかれ波風が立つ人物ばかりだ」
「うっかりしたら国際問題ってか。くわばらくわばら」
伸びをしてから、付け加える。
「大逆転で、シャヤント急行の路線回らなきゃならなくならんように祈るばかりだな」
ひとまずは、今日のところはここまでだ。

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