□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-3 □
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振り返ったなり、駿紀は思い切り不機嫌な顔つきになってみせる。
「何やってたんだよ」
朝、いつもなら駿紀より早いことが多い透弥がいない、と思ったら、少し遅くなる、と悪びれぬ口調で連絡が入った。
林原たちには、今日、前の二件の現場に行きたいこと、透弥が到着し次第、再度連絡を入れることを伝えた。
問題は、その後だ。
待てど暮らせど透弥が現れない。連絡も無い。
昨日の捜査会議の時に渡された資料を開き直してみても、何やら身が入らない。
連絡してきた声はいつも通りだったから、体調を崩したわけではあるまい、かといって、あの冷静なのが事故にあったりはすまい、などと、やくたいも無いことが思考の邪魔をする。
少しと言ったくせに10時を回ろうかという頃に姿を現したことだけでなく、自分がついつい心配してしまったことが何やら腹立たしい。
が、透弥は涼しい表情だ。
「さすがに手続きに時間がかかった」
机の上に、大きめのアタッシュケースのようなのを置く。
更に大仰な鍵束を取り出すのを見て、駿紀は目を丸くする。
「何だ?身代金は今回は必要無いだろ」
「総司令部が使用している地図だ」
最悪事に備え、各都市の細密という表現が相応しい地図が存在することは駿紀も知っている。兵役義務の訓練時に目にしたこともある。
「アレは門外不出じゃ?」
「総司令官の許可があれば、一定条件はつくが不可能では無い」
まるで複雑なパズルでも解いているかのような鍵の使い方をしながら、透弥が返す。
「総司令官って、警視総監から許可取ったのか?」
いつの間に、と目を丸くする駿紀に、透弥はどこか食えない笑みを向ける。
「形式上は、だが」
「え?」
実際は許可など取ってないのに、取ったことにしてみせたのは察しがつく。が、どうやって、と首を傾げて、ややしばし。
「あ?もしかして?」
「無駄なく有効利用しただけだ」
透弥の返事は確定だ。
ようは、昨日の銃器借り出しの際、まさか長谷川警視総監がついて回るわけにも行かないので、数枚の署名入り白紙書類を渡されたのだ。
実際には、事前に長谷川から話が通っていたこともあり、必要な署名は最小限だった。手続きを終えて、その足で現場に出た透弥たちは、署名入り白紙書類の余りを持ったままだった。
で、それを透弥は総司令部専用の地図借り出しに利用した、というわけだ。
「悪用の間違いじゃね?」
思わずツッコんだ駿紀に、透弥は軽く肩をすくめてみせる。
「それは結果次第だ」
「ある意味正論だけど」
でも、へ理屈だと言おうとした言葉はノックの音にかき消される。
「はい?」
「どうも、こんにちは」
ひょこり、という擬音がぴったりの仕草で扉の隙間から顔を出したのは林原だ。
「やっぱり来てましたよ、東さん」
「ああ?!すみません、今さっき!」
駿紀は慌てて頭を下げながら、なぜ俺が謝ってるんだろうと考える。いや、一応は二人で特別捜査課なのだし、などとワケのわからない思考になりかかったところで、透弥がきちんと頭を下げる。
「ずい分と遅くなりまして、すみませんでした。総司令部から地図を借りて来たら、思いの他時間がかかりました」
聞いた林原が、目を輝かせる。
「それはイイ、現場検証後の再確認にはぴったりですねぇ」
「詳細な地図なら、再構成しやすくなる」
視線を向けられた東は、ぽつりと言って透弥の手元に広げられた地図を見下ろす。
「何らかの共通点も見つけやすくなるだろう」
「そうですねぇ。これが参考に出来るようなモノが取れるとイイですねぇ」
興味深そうに見つめる林原の脇から、駿紀も地図を覗き込む。
通常の地図には無い情報がぎっちりと詰まっているが、それが視覚的に簡単に捉えられるよう工夫されたソレは、確かに戦力になりうるだろう。
「でもやっぱ、現実のを見てみないことには何とも言えそうにないな」
駿紀の言葉に、あっさりと透弥も頷く。
「先の二件分にあたるベきだろう」
「では、行きましょうか」
ポケットに突っ込んであったキャップを被って、林原が口の端を持ち上げる。

周囲を見回して、駿紀は口をへの字に曲げる。
「確かに昨日のところと似てるっちゃあ似てるけど」
一件目の現場は、やはり住宅街の中だ。比較的新しく開発された区域で、家々の並びは規則的だし道路もそう入り組んではいない。
昨日、目にした現場と雰囲気的に似るのは当然のことだろう。だが、決定的共通点と言い切るのは強引過ぎる。
駿紀は不機嫌な顔つきのまま、首を傾げる。
「なんかこう、はっきりしないよな」
やはり、被害者が倒れていたという場所から不機嫌に眉を寄せて周囲を見回していた透弥が、視線を寄越す。どういう意味だ、と問うているらしい。
「いや、被害者の年齢が近い、絞殺、住宅街ってのは確かに共通してるよ。でも、連続って言い切るには、ちょっと強引過ぎる。新聞などで情報を得た模倣って可能性っての、考える必要無ぇのかな、と思ってさ」
「だが、一課の班長たちは連続殺人と断定している」
透弥の返答に、駿紀は軽く唇を噛む。
「ソレなんだよな。先走って判断してるとは、思い難いんだけど」
何となく、駿紀の口調までもがあやふやになってくる。が、透弥はあっさりと返す。
「俺たちの知らない情報を握ってるのだろう。隠されているのはホトケにあるモノと考えるのが妥当だ」
「……一課は其々のホトケさんに会ってるからな。捜査会議ではっきりと口にされなくても、わかってる、か」
言って、思わず駿紀はため息をつく。
「結局、また特別捜査課潰しかよ」
最初に駿紀に連絡してきた時にはそんなつもりは無かったかもしれないが、協力要請かと問い返された時点で、木崎は方向を切り替えたのだろう。協力してもらってるようで、役立たないことを証明する、という方に。
「班が違えば、情報がもらえないなどということは、珍しくも無いだろう」
表情を変えずに透弥は言ってから、微かに口の端を持ち上げる。
「ホトケに関わることなら、直接訊けばいい」
どうする気かは、訊かなくても駿紀にもわかる。
「その角の先に、ボックスあったよな」
返すと、透弥は軽く頷いて歩き出す。
今回の件で何らか遺体に特徴があるのなら、間違い無く扇谷に情報が入っているはずだ。法医としても権威である彼は、全面的に二人に協力してくれるありがたい存在でもある。
問えば、必ず何らかの手応えはあるだろう。
そちらは透弥に任せておくとして、駿紀はもう一度周囲を見回してみる。
事件からすでに四ヶ月が経過したこの場には、案の定、何の痕跡も無い。
そのはずなのだが、先ほどから林原と東は熱心に様々な場所を覗き込んでは写真に収めている。
「何かありますか?」
「いやあ、今のところさっぱりですねぇ」
カメラを下ろして、林原は苦笑を浮かべる。
「正直、今日はほとんどお役には立てそうにないです。周囲の環境を記録してるだけですしねぇ」
「にしても、ずい分と撮ってますね?」
「万が一、証拠が残るとしたら、と」
それは、今、ここには犯人の手掛かりになるモノは無いということで、駿紀の問いの答えにはなっていない。それに気付いて、林原は付け加える。
「今は無理でも、将来は絶対こういうところからでも見つけてやるっていう目標みたいなものですよ。あ、何か撮った方がいいモノがあったら言って下さいねぇ」
にこやかに言い終えると、再びカメラを構え直して景色へと向き直る。
駿紀も、また、周囲を見回してみる。いつもと同じように細かいところも覗いてみるが、林原たちに写真を撮ってもらうようなモノは何も無い。
もう一度首を回してみたところで、やはり同じことだ。
何やら手持ち無沙汰になってきたところで、透弥が戻ってくる。
無表情なのは、不機嫌だからではない。
「何がわかった?」
「頚椎付近に薄い打撲痕だ。恐らく、落とされてから絞められている」
透弥の言葉に、駿紀の目が軽く見開かれる。
「そういうことか」
首の背後の一点を上手く突けば、人は意識を失う。それは一瞬のことだから、声など出させずに事は決する。
「脊椎の傷つき具合は?」
「ほぼ無い。かなり慣れてると言い切れるそうだ」
落としてから絞殺となれば、特徴的な殺害方法だ。そして、その情報は公けにされていない。
「間違い無く同じホシってわけだ」
が、今のところわかるのはそこまでだ。
延髄に一定の角度でショックを与えれば人が気絶するというのは、志願兵役に就いたことのある者なら誰でも知っている事実だ。これだけでは容疑者は絞れない。
駿紀は小さく唇を噛み締めつつ、まだ、シャッターを切り続けている林原を見やる。
「本当にあんだけの証拠があるんなら」
「同じことを、思っているのだろう」
透弥の静かな声に、駿紀は目を見開いて隣を見やる。
「犯罪が起きても、あたることが出来るのは刑事たちが踏み荒らした後ではどうにもならん」
「ましてや、四ヵ月後じゃ、か」
もう一度、駿紀は林原たちを見る。にこやかに、証拠が見つかるとすれば、と言った。その表情の下にどれほどの歯がゆさを抱えているのか、想像の他は無いが。
「お待たせしました、次に行きましょうか」
カメラを下ろした林原が、微笑んで振り返る。
「ですね」
にこり、と駿紀も笑みを返す。
ふ、と動かした視線の先に東の静かな瞳を見つけた透弥は、ほんの微かに口の端を持ち上げる。東も、それとわかるのは視線を合わせている者だけくらいの小さな仕草で頷き返す。

二件目の現場も、先ほどとほとんど変わりが無い。比較的新しい住宅地で、道路は入り組んどおらず、そして犯行の痕跡は無い。
いくらか広い範囲を歩いてみるが、状況は変わらない。駿紀たちはあっさりと手持ち無沙汰になり、ここでも何かの敵でもあるかのようにシャッターを切り続ける林原たちを待つことになる。
「今日わかったことってのは、現場には何も無いってことだな」
捜査にあたっていれば、そういう日もあるのは当然だ。が、すでにアルシナドだけでも三人の子供が犠牲になっていると思うと、どうしても焦燥を感じてしまう。
透弥も、不機嫌そうに眉を寄せつつ、周囲を軽く見回す。
「だが、この景色の何かがきっかけのヒトツのはずだ」
「最近開発された住宅地はたいがい、こんな雰囲気だぜ?」
返して、ちら、と駿紀は時計を取り出して見やる。
そろそろ、夕方になろうかという時刻だ。
「林原さんたちの気持ちはわかるけど、戻って今までの捜査記録を検証した方が良くないか?夜には、捜査会議もあることだし」
最低でもそこは抑えておかないと、どれほどの情報を逃すかわかったものでは無い。
が、聞いているのかいないのか、透弥は、景色へと視線をやったままだ。
「犯行時刻近い」
言われて、駿紀は空を見上げる。
まだ気温は真夏のモノだが、太陽が傾きだすのはいくらか早くなってきたようだ。雲がうっすらと染まり始めている。
視線を下ろして、周囲を見回す。
こんな夕焼けの下で、親の帰りを待っていた子供が。
そこまで考えて、はっとする。
同じことを、昨日も考えていた。すでに宵闇に包まれつつある空に残っていた、眩しいくらいの太陽を見付けて目を細めた。
急いで視線を走らせる。
「あった!」
思わず上げた声に、透弥が振り返る。
駿紀は、まっすぐに指を伸ばす。
「あそこだ、家と家の隙間が細いせいで、夕日がいやに眩しいだろ?アレを昨日も見た。時間によっちゃ、気持ち悪いくらい一緒のはずだ」
常に犯行時刻が夕方の理由が、何かあるはずだ。共稼ぎが多いのなら、人通りが少ないのは昼間もなのだから。
「アレじゃないのか」
「林原」
透弥の声に、すぐに近寄ってきた榊原のキャップの下の目が、興味深そうに光っている。
「何か、あったかな?」
駿紀は、先ほどの位置から数歩下がる。
被害者の方へと近寄っていく方から見たとすると。
「林原さん、ここからアレ、撮って下さい」
「アレって夕日ですか?」
「はい、隙間からのってわかるように」
隣で三脚を構える林原に早口に告げる。
「了解しました」
手早く準備し終えると、シャッターを切りはじめる。
「昨日のは、どこから見えた?」
透弥の問いに、駿紀は現場から見えた方向を告げる。
「門に向かって左、このくらいの角度だ」
「わかった、そこで林原と降りて確認する」
冷静な口調で告げられた言葉の意味がわからぬ駿紀ではない。
「じゃ、俺は東さんとさっきんとこ戻るよ」
透弥が林原を呼んだ時点で、何かあるとの察しはつけていたのだろう、東は己の荷物をすでにまとめている。
「東さん、よろしくお願いします」
頭を下げると、東も頷き返す。林原も三脚を畳み始める。
夕焼けが見える時間は限られている。確認にかけられる時間はあまり無い。
駿紀は、東の手にしようとした大きめの荷を手にすると、早足で車へと歩き出す。

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