□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-4 □
[ Back | Index | Next ]

新たに得られた情報は無い、という確認に終始した捜査会議から戻ると、机の上に大きめの封筒が置かれていた。
手にしてみると、紙が貼り付けられていて、撮影日時などが細かく記入され、最後の科学捜査研究所の文字の後ろには林原嵩親というなかなかに大仰なフルネームと印が押されている。
科研が取り扱った正式なもの、ということなのだろう。
中身は、夕方撮影した夕日の写真だ。
時間のずれこそあるが、三つの酷似した景色が並ぶ。
「ああいう住宅地で、こんな夕日の見え方になるってのはなかなか無いだろ」
「どこもかしこも、とはいかないだろう」
返した透弥は、再びしっかりと閉ざしてあるアタッシュケースを見やる。
「地図で検証すれば、少なくとも現場周辺に似た状況の場所は見つけられる」
そうして抽出した場所を重点的に押さえれば、少なくとも犯罪抑止にはなる。
「そっちも急いだ方がいいよな」
頷いてから、駿紀は考えあぐねて口をつぐむ。
抑止するだけでは足りない。下手をすれば、アルシナドでの犯行は無理と判断した犯人が他に移動して同じことを繰り返すだろう。
どうあっても、アルシナドで取り抑えなくてはならない。
「やっぱ、マエを抑えないことにはどうにもならないな」
「一年以上の未決は、全て警視庁にデータが集まっている」
「どうやって日時やら場所やら特定するんだよ」
それが必要だと口にしたのは透弥が先だし、駿紀には方法が思いつかない。
不機嫌に唇をとがらせて、写真で軽く机を叩く。
「俺らがこの写真持ち出して、夕日がキッカケだと言ったところで捜査本部は信じやしないぞ」
木崎たちが特別捜査課をどう見ているのかは、今日の会議ではっきりと認識出来た。木崎個人は二人ではどうにも出来ないということが証明されさえすればいいのだし、他は頭数が少しでも増えてくれればいいのだ。
二人に、それ以上は期待されていない。
「信じたとして、全国の基幹署から協力的な回答が得られる保証も無い」
透弥に返されて、駿紀ははっと目を見開く。
「あ、でも警視総監から発令してもらえば」
おそらく、言えばあっさりと可能だろう。前回の件といい、銃の貸し出しの件といい、長谷川の判断が特別捜査課には甘いのは確かだ。
「一見、協力してるように見せかけるのなぞ、お手の物だろう。捜査一課に所属する刑事の方が、よほど基幹署に繋がりがあるのは当然のことだ」
透弥は、またもばっさりと切って捨てる。
確かに、特別捜査課を潰したい木崎に手を回されたら、欲しい情報の欠片すら得られないだろう。各署の要職に就いている刑事たちは、多かれ少なかれ木崎たちと知り合いのはずだ。
「じゃ、このまま手をこまねいてろと?!」
透弥にあたることでは無いと知りつつも、腹立たしさを抑えかねて声が大きくなる。それを、冷たいくらいの視線で見つめながら、透弥は返す。
「あるだろう、木崎氏らが手出し不可能な情報網が」
「全国規模で一斉に情報収集なんて、そうそう簡単に」
言い返しかかって、駿紀は口をつぐむ。
警察の情報網は使えないという認識で一致しているということは、外部を使う気だ。そんなことが出来るのは他に軍隊くらいだと思ったのだが、そうではないと気付く。
リスティアどころか、『Aqua』全土の情報を即刻網羅出来るであろう組織が存在しているではないか。
しかも、その組織を統帥している人間から、社交辞令とはいえ言質を得ている。
「天宮財閥を使う気か」
「お役に立つことがあれば、という言葉、嘘では無いと証明してもらう」
無表情のまま、透弥は言い切るが。
「いくら綿密な情報網を持ってるからって、ありゃ一般人だぞ」
「必要と判断した際の情報統制は、下手をすれば官憲より完璧だ。しかも、その重要性を誰よりも知っている」
言われてみれば、確かに自分たちに必要な情報網と統制を備えている。
「けど、動くか?話せる内容は、限られてるぞ」
天宮紗耶香は、確かに役に立つなら言って欲しいと口にした。だが、納得しなくては動くまい。
そういう人間だと、前回の件で透弥とてわかっているはずだ。
「こちらはそう口を開かなくてもいいだろう」
言いたい意味はわかる。彼女の頭の回転はけして鈍くないのは、前回の件で駿紀も目の当たりにしている。
「天宮財閥の情報網が唯一の手段と理解さえすれば、動く」
透弥の言葉の真の意味は、もう駿紀にもわかる。ヒトツ、大きく頷く。
「ともかく、彼女が納得してくれるようにしなけりゃならないってことだ」
それから、指先の写真へと視線を落とす。
「となりゃ、これも増やしとかないとな」
言葉が終る前に、透弥は受話器を手にしている。こんな時間だが、林原たちもまだ残っていたようだ。
あっさりと話は済んだらしく、通じたと思ったら受話器はすでに元通りに置かれている。
「明日の朝までに揃う」
どうやら、あちらは夜を徹することになってしまいそうだが、その後休息をとってもらうしかあるまい。
駿紀は、頷き返す。



唐突に連絡したというのに、天宮財閥総帥たる紗耶香からの返答は、すぐにお会いします、だ。
朝も早くから天宮家の屋敷に赴いた二人は、すっかり親しい人を迎える顔つきとなった榊に優雅に頭を下げられる。
「いらっしゃいませ、隆南様、神宮司様」
それほど丁寧に迎えてもらうような用件ではないのだが、と心で呟きつつも、案内されて応接間らしい場所に通される。
先日よりも、更に柔らかになった笑みと、好奇心に彩られた瞳が迎える。
「お早うございます、隆南さん、神宮司さん」
財閥総帥という立場にある人間らしい、過不足ない角度の挨拶をして見せ、席を勧める。
挨拶を返して、ソファに腰を下ろすのを見届けてから、紗耶香はあどけない仕草で首を傾げる。
「お互い暇ではない立場ですし、すぐに用件に入ってもよろしいでしょうか?」
「はい、そうしていただけるのなら助かります」
駿紀が肯定すると、紗耶香は、にこり、と微笑む。
「早速、私たちがお役に立てることが起こった、と思って間違いないでしょうね?」
疑問形だが、確認だ。なるほど、思っていた以上に彼女は聡い。そして、そう言ってもらえるのなら話は早い。
透弥が、あっさりと頷いてみせる。
「ええ、天宮財閥の情報収集能力をお借りしたい」
お茶を運んできた榊へと、紗耶香は視線を上げる。
「海音寺にこちらに向かうよう、連絡を入れて頂戴」
す、と頭を下げ、榊は部屋を辞す。
三人だけになったところで、紗耶香は改めて二人へと向き直る。
「お引き受けするかどうかは、話を聞いてからです。ですが、手を打っておいて損は無いでしょう」
あっさりと言い切るあたりは、財閥総帥として命令しなれている人間の言葉だ。引き受けるかどうかを決めていないのに、先に秘書を呼びつけるなど、駿紀たちにはとても出来ない。
透弥は、全く表情を変えることなく、持参した写真を取り出して紗耶香の前へと差し出す。
「この景色と同じモノが見える場所を探していただきたい」
三枚並べられたうちの一枚を、紗耶香は手にして見つめる。
「少し、変わった見え方の夕日ね」
半ば独り言のように呟いてから、視線を二人へと向ける。
「これは、舞台装置も含めて、ということですか?」
「無論」
透弥の返答に、紗耶香はもう一度写真を見やる。それから、机上の他の二枚へも視線を走らせる。
「違う場所なのね、どれも住宅地だけど……」
考えに沈むように、紗耶香は黙り込む。
並べられた三枚の写真の意味を、考えているのに違いない。特別捜査課が持ち込んだという時点で、事件だと告げているのと同じなのだから、駿紀たちにはこれ以上のことは口には出来ない。
後は彼女の判断力に任せるしか無い。
ややの間の後、紗耶香はまっすぐに視線を上げる。
「長谷川さんに言えば、すぐに情報は集まるのではないですか?」
「大々的に喧伝すれば、あるいは。ですが、それでは意味が無い」
はっきりと返して、透弥は感情の無い視線を返す。
「貴女方ならば、捜査と感づかれること無く、情報を収集することが出来る」
それは、一端の事実だ。一課が絡んでややこしいことになっている、という方が主な理由ではあるけれど。それを飲み込んで、駿紀も静かに紗耶香を見つめ返す。
が、紗耶香の表情は微動だにしない。
「もしも、私たちが協力した情報で解決したのなら、それなりのお話を伺えると思っていてよろしいですね?」
ある程度の制限はあるにしろ、彼女が当然主張していい権利というものだろう。
駿紀は頷き返す。
「もちろん、解決した際には」
「それならお引き受けしましょう」
にこり、と笑みを浮かべた紗耶香は、拍子抜けするほどにあっさりと引き受けると、駿紀たちにお礼を言う間を与えずに呼び鈴を鳴らす。
まるで扉のすぐ外に待っていたかのように現れた榊は、静かに告げる。
「海音寺様が到着されました」
「通して頂戴」
卒の無い仕草で扉向こうに消えた榊と入れ替わりに、海音寺がにこやかに現れる。
「おはようございます。隆南さんと神宮司さんにお会い出来るとは嬉しいですね」
仕事の途中で呼び付けられたはずだが、そんなことは全く感じさせない愛想の良さだ。
「名刺は刷りあがりましたか?出来上がったら、ぜひ下さいね」
「海音寺、それは少しお預けよ」
勢い良く迫られてどうしたものかと思ったところで、紗耶香がぴしゃりと言ってのける。
「お預けとは厳しいですね、どうしたらお二人の名刺を頂けるんです?」
問いながら、紗耶香の後ろに立つ。
「この写真の景色が見える場所を、リスティア全土から探すのよ」
机上の写真を手渡された海音寺は、目を細める。
「ほう、味のある夕日ですね」
その細めた視線のまま、紗耶香を見やる。
「総帥は、これを何に使うおつもりで?」
「面白い景色だから、何かに使えるかもしれないと思っただけよ。具体的なことを考えるのは私の仕事では無いでしょう」
小細工を考えるのは自分では無いと言い切る口調に、海音寺の負担を思って駿紀は少々申し訳ない気がしてしまう。
が、海音寺はその口元の笑みをいくらか大きくする。
「それはごもっともで」
「でも、悪い印象がついてくるようなら駄目ね。特に子供が絡むようなのは」
紗耶香がさらりと付け加えた言葉に、彼女が正確に察したのだと知る。余計な詮索をする気も無いことも。
「企業イメージが損なわれるのは、いけませんからね」
海音寺が返して、紗耶香の前に並ぶ他の二枚も見やる。
「これは全て違う場所のようですが、アルシナドで?」
「そうです」
駿紀が頷いたのに、海音寺はにこやかな視線を向ける。
「いい景色をご紹介していただいたついでといってはなんですが、アルシナドで他にも同じ景色が見つかりますか?」
問いの意味ははっきりしている。事件の渦中ともいえるアルシナドでも写真撮影をすべきかと訊いているのだ。
「こちらで、探しておきましょう」
透弥が静かに返す。
今は、この近辺で探っている気配を感じさせるわけにはいかない。慎重を期す必要があるというのは、駿紀も同意だ。
「了解しました。お勧めが見つかったら、ぜひお教え下さい」
紗耶香へと視線を戻した海音寺は、にこやかなまま告げる。
「すぐに手配をかけますが、即日というわけには参りません」
「全て収集し終えるのに、どの程度かかるかしら?」
「最長で一週間」
各地に何らかの形で社員はいるだろうが、ある意味あての無い景色を探し出すのに最長で一週間という期限できってみせた後、海音寺はいくらか首を傾げる。
「集まったデータは、どういたしましょう?」
「私のところに持ってきて頂戴」
言いながら、紗耶香は写真を海音寺へと手渡す。
「お預かりしても?」
再度の問いに、駿紀が頷く。
「もちろんです」
「ありがとうございます。データは随時お持ちします」
す、と頭を下げて扉向こうへと消えてから、紗耶香は二人へと向き直る。
「警視庁の方にお届けすれば、目立つでしょうね?」
「そうですね、今のところ特別捜査課宛に届く郵便物は皆無に等しいですから」
軽く頷いて、きっぱりと言い切る。
「では、ご自宅に郵便物のように届けます。榊」
いつの間にか扉の傍らに控えていた執事は、書く物を用意して机上に並べる。自宅の住所を、というのは言われずともわかる。
どちらからともなく顔を見合わせたが、すぐに透弥がペンを手にする。

天宮家を後にしてから、駿紀は首の後ろに手をやりつつ、ため息混じりに口を開く。
「あの動員力にゃ恐れ入るな」
リスティア全土からの情報収集を一週間でしてのけると言い切ったということは、それに見合う人数が動くということだ。
天宮財閥にとって、なんら特にもならないことをあっさり引き受けた天宮紗耶香も、文句ヒトツ言うどころか楽しんでいるような顔つきの海音寺も、相当の人物としか言いようが無い。
「今は、あの情報網に頼るしかない」
透弥の言葉に、駿紀は頷き返す。
「ああ、随時入れてくれるってんだし、待つしか無いな」
言ってから、少し照れくさそうな顔つきになる。
「それから、住所の方は悪かったな」
「いや、間違ってしづさんが開けたら、驚くだろう」
言い換えればそれは、透弥の家ではそういう間違いが起こらない、ということだ。一人暮らしということだろう。社会人なのだから不思議は無いのだが、両親がいないことを知っているからか、大きな家にぽつんと住んでいるところを想像してしまい、軽く首を横に振る。
「助かるよ」
駿紀の言葉には返さずに、透弥はポケットにしまってあった時計に目をやる。
「午前中も充分に時間がある」
「ああ、とっととツメちまおう」
もう二度と幼い子に手を出させない為には、アルシナドの中の狙われそうな場所を絞るしかない。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □