□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-5 □
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地図を目前に、駿紀は軽く髪をかき回す。
「こりゃ、なかなか」
アルシナド全域ではないとはいえ、透弥が絞った範囲だけでもかなりだ。
だが、やるしかない。まくりあげたワイシャツが落ちてこないか軽く確認してから、詳細に描き込まれた地図を覗き込む。
「ええっと、西の方に」
「わかってるだろうが、真西では無い」
接頭詞がわざとらしいと思いつつも、駿紀は唇を尖らせる。
「わかってるよ、いくらか南寄りだってんだろ」
正直なところ、透弥に言われて気付いたのだが、そんなことを口にしたところで更に嫌味を言われるがオチだ。
「で、正確に割り出せるのかよ」
「地図と一緒に借りてきてある」
透弥は、何やら分厚い書籍のページを開いてよこす。
駿紀が覗いてみると、毎日の南中高度、日没時間、方向などがこと細かに目が痛くなるような文字のサイズで書かれている。これも、総司令部の機密資料のヒトツなのだろう。
「前後一週間以内なら、さほどの誤差は無いとみていい」
と、数字を指す透弥に、駿紀は眉を寄せる。
「この数字なんだ?」
「真北を0度として東から回った角度だ。27日はこれになる」
再度数字を指してから、どこから持ってきたのか、見るのはスクール時代以来の分度器を取り出す。
「こちらだ」
「うわあ?」
思わず声をあげてしまった駿紀を、透弥は不信そうに見やる。
「何だ、まだわからんことがあるのか」
「違うって、ペンで印」
透弥がくっきりと書き込んだソレを指す。
「借りもんだろうが」
「そちらの許可も取ってある。捜査に使用するのに、傷ヒトツ付けるなというのは無理な注文だ」
本当にいいのかとか再確認したかったが、言い切られてしまうとこれ以上は何も言えない。
「色もいいんだろうな」
「当然」
あっさりと返されたので、しっかりと色付きのインクを握ってくる。
「じゃ、俺はこっちからやるよ」
「ああ」
透弥がやりかかってるのとは反対方向から、定規を走らせ始める。思わず声を上げてしまった太陽の方角の印は、確認するのには便利だ。
昨日、透弥が絞った範囲を中心に、夕日が見える方向に家々の隙間があいている箇所を探していく。
黙々と作業を続けて何時間経っただろうか。
「っと、いっけね。そろそろ捜査会議に行かないと」
「そんな時間か」
駿紀が懐中時計を取り出して言うと、さすがに透弥も軽く目元を押さえながら顔を上げる。軽い昼を挟んだきり、朝からずっと地図を見つめ続けているのだ、駿紀も瞬きの回数が妙に多くなっている。
「今のところ、一箇所か」
まだ、犯人が狙う可能性がある場所が存在すること自体は憂慮すべきだろうが、早くに見つかれば見つかるほど、こちらに有利のはずだ。
いや、そうしなくてはなるまい。
「でも、コレ、言えないよなぁ」
ぼそりと付け加えた言葉に、透弥が軽く眉を上げる。
「どう考えても、納得してもらえるような根拠思いつかねぇし」
「信じたとしても、ホシをアルシナド以外へと追いやることにしかならんだろう」
派手に動けば、恐らくはそうなる。それなりの場所が見つかったのなら、捜査会議に出すべきだとは思うが、今はその時ではない、と思うしかないな、と駿紀は腹をくくる。
「まぁな、ひとまず今日のところはここまでってところか」
会議が終われば、夜半過ぎになるだろう。徹夜はけして、捜査の近道ではない。地図との睨めっこの続きは明日に回すべきだ。
「ああ」
地図を手早く片付けた透弥は、ノートを手にする。駿紀が、扉を開く。
「さて、少しはなんか出たかな」
捜査会議に行くのは、正直なところ気が重い。
自分たちはいらないも同然だということをひしひしと感じなくてはならないのも、日々かなりの数の刑事たちが動いているのに、なんの手掛かりも得られていないと知らされるばかりなのも。
それでも、行かなくては欠片の情報すら得られないことになる。一課の動きを見ておくのは、必須だ。
二人は、どちらからともなく歩き出す。



一課によるしらみ潰しの聞き込みの結果、事件一件目と二件目の住宅地の近辺、少なくとも町内のくくりに入る範囲内に、容疑者とおぼしき人間は存在しない、ということがわかってきたのが、捜査本部設置から五日後だ。
相変わらず、犯人の影らしきものは、何ヒトツ見つかっていない。
駿紀たちの地図との睨めっこも、すでに透弥が絞った範囲内は検証し終えてしまっている。漏れが無いかの確認と、念のため、範囲外をあたる作業が続いている状態だ。
範囲内で、駿紀が見つけた夕日と同じような景色が見られると思われる箇所は、事件発生箇所を除いて三箇所だ。
一度、本当にそうかどうかの確認もした方がいいかもしれない、などと考えながら、駿紀は特別捜査課の扉を開く。
「来たか」
透弥が、駿紀を待っていたと思わせる言葉を口にしたのに驚いて、そのまま止まってしまう。
「何をしている?届いたぞ」
「え?ってアレか」
届いたという言葉に我に返って、駿紀は急いで扉を閉め、透弥の手にしているモノを覗き込む。天宮財閥の調査結果は、レポート形式で届いたようだ。
「かなりの出来だ、解析の手間が省ける」
すでに透弥の手元には、地名と日付がいくつか書き込まれている。庁内のファイルで確認すべきモノを書き出しているのだろう。
手渡された部分を見てみると、駿紀が見たのとそっくりな夕日と、その周辺の聞き取り結果が要点と詳細に分けて書かれており、そのうちの何枚かは印が付けられている。
印付きのモノは、夕刻に子供が犠牲になったとおぼしき事件を聞き取ったものだ。
すでに、全てを詳細に確認しなくても、印のモノを拾うだけでいいようになっているわけだ。海音寺が分類してくれたのだろう。
「今回はキャシラ、アチュリン、北西部で同一の景色が見つからなかった場所のリストだ」
駿紀は、片眉を上げる。
「キャシラとアチュリンには?」
「キャシラに四件、アチュリンに五件、未決の子供がガイシャの事件がある。他にも未決はあるが、対象が違うから、ひとまずは置いといていい」
「全部見終わったか?」
「いや。だが、ここから先は見つからなかった場所のリストだ」
言外の意味に、駿紀は頷き返す。透弥もレポートを閉じて立ち上がる。

未決の資料が集められた部屋には、リスティアで警察という職に付いている者なら誰でも入ることが出来るが、滅多に人がいることは無い。特に、警視庁管轄外のモノを集めたこちらは、どことなく埃臭いくらいだ。
「アチュリン、キャシラでいいか?」
自分と透弥を順に指しながら駿紀が訊くと、透弥はあっさりと頷いてメモを手渡す。
「先ずは該当か確認、後は前後二年をあたってみればいいだろう」
海音寺の指揮下で集められた情報には、事件のおおよその時期も記されている。その全てが今回のと同一犯というわけでは無いはずだから、先ずはふるいにかける。それから該当したモノの最も早い事件と遅いモノの前後二年というのは悪く無い線だろう。
「了解」
返して、アチュリンと記された棚へと向かう。几帳面な文字で書かれたメモへと視線を落として、時期を確認する。
滅多に人が触らないおかげで、日付順という原則は崩れていないようだ。駿紀はメモの最初にある日付の物を手にして、軽くホコリを払ってから開く。
死因は刺殺、悪戯目的での犯行。これは違う、と心で呟いて閉じる。
二件目も誘拐後の殺害で、遺体を別の場所に遺棄していたので別件だ。
三件目、絞殺という言葉に、一瞬心臓が跳ねる。だが、よくよく見れば、こそ泥が、たまたま家に残っていた子に目撃されて殺害に及んだ、ということらしい。こんな事件こそ、指紋採取すればとうに解決出来ているのでは、と歯がゆくなるが、今の件とは無関係だ。これも閉じて元の場所に戻す。
四件目、検死部分の記述へと動いた視線が、そこで止まる。
頚椎捻挫、絞殺。
発見場所は被害者の自宅目前、現場も同一と推測。
軽く、息を呑む。間違いない、これだ。
ファイルを棚の隙間に置くと、ざっと前後二年分の場所を確認する。大小様々のモノが収集されてるせいでそれなりの量だが、やるしかない。
透弥がいるはずの場所からも、先ほどからファイルを開いては閉じる音が聞こえ続けている。わざわざ数えているわけではないが、五回以上続いているのは確かだ。
キャシラにも、犯人の痕跡があったのだ。
無言での数時間後、駿紀はしょぼしょぼとしてきた目を瞬いてから、ポケットの時計を取り出す。
「神宮司、昼飯にしよう」
声をかけると、少しの間の後、透弥が顔を出す。
「どうだ?」
「二件」
「こっちは一件、前一年半まで行ったけど、今のところ無い」
「そうか、少なくとも間は冷却期間になっているようだ」
二件の合間を埋めたのだろう。
「どのくらい?」
「一年二ヶ月、場所は車での移動範囲内だ」
そのあたりは、今回の件と一緒だ。駿紀は歩きながら首を傾げる。
「ええと、アチュリンで該当したのは430年9月で」
「キャシラは434年5月、435年7月」
視線を、透弥へとやる。
「ってことは、7月の後にアルシナドに移動してきたってことになるな」
「二件の間に該当するモノが無いとなると、その後に犯行を犯している可能性は低いだろう」
「春から秋口ってのもの共通項目になりそうだな」
「キャシラからアチュリンの間に、別の場所にも行っているはずだ」
透弥の言葉に、駿紀も頷く。そうではないかと予測はしていたが、これではっきりとしてきたわけだ。
事件のことで頭が一杯になっていた駿紀は、慣れた方へと折れる。一課からなら、その先の階段を使うのが食堂への近道なのだ。
言い換えれば、もろに一課の前を通っていくことになる。
気付いたのは、突然開いた扉から木崎班所属の先輩が顔を出したからだ。視線が合って、あちらも驚いたらしく、一瞬、目を見開く。
が、すぐに眉を寄せる。
「座って飯が食えるとは、うらやましい限りだな」
捨てるように言い置いて、早足で食堂と反対側へと歩き去る。今から、また聞き込みに行くのだろう。きっと昼は、外で何かを急いでほおばるくらいに違いない。
複雑な表情で見送った駿紀は、軽く髪をかき回す。
「まぁ、そう見えるよな」
「何も言っていないのはお互い様だ」
冷静に返すと、透弥は先に立って歩き出す。
「そりゃ、まあな」
特別捜査課という組織に慣れきっていないのは、むしろ自分の方かもしれない、と思いながら駿紀も歩き出す。
「ああ、そうだ」
「どうした」
「地図で見つけた箇所で、本当に同じような夕日が見えるかチェックしといた方が良くないか?方角的には合ってるけど、上手くいけば絞れるかもしれないし」
朝、特別捜査課の扉を開くまで考えていたことだ。
「それなら、林原に行って貰えば済む。まだ、リスティアの半分も網羅していない」
天宮財閥からの情報は明日も来るかも知れず、しかも量が増えている可能性が高いだろう。今日のうちに、キャシラとアチュリンのチェックは済ませて置いた方がいい。
ということを言いたいのはわかるのだが。
「言葉足らず過ぎじゃねぇ?」
「通じているなら、問題ないだろう」
面倒そうに言われて、そこで会話は終わってしまう。毒舌を吐き出したら、余計なことまで言ってくれるくせに、と駿紀は心で思うが口にはしないでおく。
ご飯時に毒舌では、まずくなるのに決まってるからだ。
「腹が減っては戦は出来ぬ、だよな」
呟いた言葉に、透弥が視線を寄越す。
「隆南は、胃が満たされてないと全力稼動不能らしいな」
「ほっとけ」
言われても仕方ない発言だったのは自分がよくわかってるけれど、いくらか口を尖らせる。

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