□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-8 □
[ Back | Index | Next ]

翌日、朝早めの時刻から開催された捜査会議は、ほぼ特別捜査課発表会だった。
過去の件に関しては殺害方法を元に、昨日の件を未然に防ぐことが出来たのは偶然で通したが、不自然には映らなかったらしい。唯一、殺害方法と聞いて、一課の殺人担当班班長三人が一様に嫌そうな表情になったくらいだ。
今のところ、出しても差し支えないと判断した情報を出し終えたところで、会議は終了となる。
特別捜査課に戻った二人を待っていたのは、林原からの報告だ。
「また舗装された場所だったのもあってねぇ、申し訳ないけれど、痕跡は何ヒトツ」
すっかりしょげかえってしまったか林原の顔つきに、駿紀は呼び出したのが申し訳ないような気がしてきてしまう。が、すぐに思い直したように林原は視線を上げる。
「でも、これだけは言えますよ。少なくとも土のある場所には行ってないですねぇ。近所に公園がありましたけど、そこは通っていない」
と、目前に広げた地図を指してみせる。
「昨日は子供が水遊びでもしたんでしょうねぇ、行ってみたら濡れてたんです。あそこを通ったとしたら、靴の裏に泥がつくはずです。当然、足跡もねぇ」
少年の搬送に駿紀たちが付き合っている間に、周囲も確認してきてくれたらしい。
つ、と指を動かす。
「それから、隆南さんはこちらから近付いた、と言ってましたよねぇ」
「はい」
駿紀が頷くのを確認してから、林原はつい、と反対側へと指をやる。
「この先、十字路になってますけど、こっちは打ち水がしてあったんです。でも、その先に足跡は無かった」
「ってことは、少なくともこっちかこっちに行ったってことですね」
と言ってから、駿紀は首を傾げる。
何かが、つっかかったのだ。
「他にも、跡は無かったですか?」
「ええ、自動車も自転車も通ってないですよ」
駿紀の質問を正確に捉えて、林原が返す。片眉を上げたのは透弥だ。
「隆南、何を聴いた」
「エンジン音、ああと、くそっ」
思わず、口汚い言葉を吐いてしまう。確かに聞いた、なのにあの時は先の景色に気をとられていて、車種まで聞き分ける余裕が無かった。
邪魔とさえ思った。
よくよく考えてみれば、あれこそが犯人が去る音だったのだ。
もっと耳を澄ましていれば、と思ったところで、もう遅い。しかも、その後の記憶に押されて、どこかおぼろになっている。
「無理に思い出すな、作ってしまっては意味が無い」
透弥らしい言葉に、駿紀は苦笑する。
「刑事が捏造しちゃシャレになんないな」
「少しでも証拠があげられれば良かったんですけどねぇ」
また、しゅんとしてしまった林原に、駿紀は笑みを向ける。
「いや、おおよその移動方向がわかっただけでも助かります。そうじゃなかったら、あのエンジン音が犯人のとは気付けませんでした」
班単位の人数でかかれば、科研を煩わせるような類では無い。でも、たった二人の特別捜査課にとっては、この手のフォローは本当に助かる。
「なら、良かったです」
にこり、と笑みを返して、林原は特別捜査課を後にする。
それを見送ってから、駿紀は視線を戻す。
「さて、どうする?」
「可能なら、もう一度は話を聞きに行きたい」
透弥が言うのが、すんでのところで駆けつけるのが間に合った少年、大野直樹のところへだというのはわかる。駿紀も賛成だ。
「でも、検査するって言ってたよな」
頷きつつも見やると、透弥は無言で受話器を取る。
無論、かける先は扇谷だ。
「神宮司です。お世話になります」
その挨拶だけで、用件は伝わったのだろう、透弥はそこで口をつぐむ。その眉が不機嫌そうに寄せられる。
扇谷の話に相槌を打つだけで聞いていた透弥は、いくらか視線を落としつつも返す。
「わかりました。出来るだけ早くうかがいます」
受話器を置いた透弥を、駿紀は見やる。
「何があった?」
「木崎氏と戸田氏が事情聴取に来ているそうだ」
誰のところに、とは訊かなくてもわかるが。
「聴取って子供相手に」
確かに殺人班の班長が二人というのは迫力があるだろう、とは思うが、聴取という言葉ではまるで犯人扱いでもしてるようではないか。
が、透弥は眉を寄せたまま、もう一度言う。
「聴取だ」
語彙が無いのでは無い、と駿紀も気付く。だから、出来るだけ早く行く、と透弥は返したのだ。
「行こう」
二人は同時に立ち上がる。

研究室に顔を出した二人へと、扇谷は肩をすくめてみせる。
「医師として止めるのは簡単だが、そうすると二度と刑事は話を聞けないということになりかねない。透弥くんから電話が来なければ、こちらからするところだったよ」
駿紀たちの立場からすれば、ありがたい配慮だが、大野直樹にしてみれば、ずっと怖い思いをしていることになる。
「教えて頂いてありがとうございます」
と頭を下げるのもそこそこに、研究室を後にする。
直樹の病室の前に立った駿紀たちの耳に、低い声が聞こえてくる。木崎のモノだ。
どうやら、薄くすき間があいているらしい。
質問のヒトツヒトツは、言葉使いも丁寧だし、口調も優しい。声の聞こえてくる位置からして、視線の高さも合わせているだろう。
だが、場を支配しているのは威圧感だ。
犯人に狙われた時、何を見たのか。何を聞いたのか。
絶対に思い出せ、という。
「直樹くんが思い出してくれたら」
感じた印象が、そのまま木崎の言葉と口調になったのに、駿紀は唇を噛みしめる。幼い子に耐えられるようなモノでは無いことは、最も良く知っている。
こうなったら、どうやって割って入るかなんて考えている暇は無いかもしれない、とドアに手をかけかかったところで、はっとする。
透弥の血の気が、妙に引いている。青いというより、白いと言った方が合っているくらいだ。
「おい?」
どうしたんだ、と訊こうとした背後を、親子連れが通っていく。手にしているのは、何が入っているのか一目でわかる箱だ。
「うわ、ケーキ」
思わず小さく呟く。
前に透弥が、生クリームたっぷりの苺ショートケーキの匂いのせいで吐いたことがあるのを、駿紀は知っている。
理由はともかく、生理的な反応は自分ではどうすることも出来ないモノだというのもわかる。不意打ちを喰らって、うまく制御出来なかったのだろう。
「悪い」
かすれた声で言うと、透弥は背を向ける。吐けそうなところに行くのだろう、と考えて我に返る。
「ちょい待て、俺も行く」
今、一人で入ったらロクなことにはなるまい。
駿紀の声に、振り返った顔は相変わらず紙のように白いが、目の鋭さはいつもの透弥だ。
「怯えているのに?」
かすれていても、言葉ははっきりと聞こえる。
「わかった」
これ以上は放っておけないと思ったのは、駿紀も一緒だ。
「落ち着いたら来てくれよ。木崎さん止めるのは頑張るけど、俺が暴走しないって自信は無いからな」
ほとんど口の動きだけの言葉だったが、透弥は微かに頷く。
それを確認して、駿紀はもう一度、病室へと向き直る。
ヒトツ、大きく呼吸する。
扉を開け、心細そうに見上げた直樹へと笑顔を向ける。
「おはよう、直樹くん」
それから、割り込みを咎める視線の木崎と戸田を交互に見つめる。
「参考人じゃなくて被害者ですよ」
きっぱりと言い切ったのに、木崎も戸田も不機嫌な表情になる。
「当然だろう」
でも、その当然が出来ていないではないか。
「木崎さん」
一体、どうしちゃったんですか。
喉元まで出かかった問いを、飲み込む。
一課配属になる前から、木崎のことは知っていた。ずっと仕事振りを見てきたが、心から尊敬出来る上司だった。
なのに、駿紀が特別捜査課配属になってからの変貌ぶりときたらどうだろう。責任の一端は自分にあるのかもしれないと思うと、何ともいえない寂寥感が沸いてくる。
唇を噛みしめたまま無言で見つめる駿紀に、どこか困った表情が木崎をかすめる。
「わかった、配慮が足りなかった」
立ち上がり、静かに告げると、直樹へと視線をやる。
「怖がらせて、すまなかった」
それから、戸田を視線で促して病室を後にする。
それを見送ってから、少年の視線の高さと合わせるために膝を折る。
少年は、どこか呆然とした表情だ。
「大丈夫か?」
べッドの上の小さな手を軽く覆うと、きゅ、と握ってくる。よほど、怖かったのだろう。
「うん」
小さく頷いて、更に手に力を入れる。駿紀も、しっかりと握り返してやる。
ややしらばくして、体温の下がってしまった手に温もりが戻ってきた頃、やっと笑みが浮かぶ。
「てんのおにいちゃん、おにたいじしちゃった。すごいね」
幼い子にとっては、あの迫力は、そう映ったのだろう。あいてる手で、軽く頭を撫でる。
「直樹くんの方が凄いよ、泣かなかったじゃないか。強いんだね」
「うん、パパいないときは、ぼくがママまもってねってたのまれたの。だから、ぼく、つよいよ」
にこりと笑って、少年は付け加える。
「でも、てんのおにいちゃんは、もっとつよいね」
「そうか?ありがとう」
もう一度撫でると、くすぐったそうに笑い声をあげる。
ひとまずは大丈夫そうだ。本当に強い子だ、と思う。
更にもう一度撫でやったところで、少年は、ちょこん、と首を傾げる。
「てんのおにいちゃんは、きょうは、どうしたの?」
言われて、駿紀は、はた、とする。
木崎たちの取調べのような聴取を止めなくては、と急ぐばかりで自分たちがその後どうすべきか、全く考えていなかった。
ええと、と呟くように言ったまま、半ば硬直してしまった時。
「こんにちは、直樹くん」
穏やかな声と共に、透弥が現れる。
「こんにちは」
駿紀の仲間と認識しているのだろう、少年は笑みを浮かべる。反対に、恨めしそうな顔を向けたのは駿紀だ。
「遅い」
「少し、手間取った」
悪かったというニュアンスが全く感じられない口調で言ってのけ、透弥も少年と視線を合わせる。
「昨日より元気そうだね」
「直樹くんは、強いんだもんな」
駿紀の言葉に、少年は大きく頷く。
「うん、てんのおにいちゃんにたすけてもらっちゃったけどね」
木崎たちの声は聞いているのだから、透弥は状況を知っている。が、そんな素振りは露も見せずに、驚いた顔をしてみせる。
「何か、あったのかな?」
「おにたいじ!」
顔を輝かせるのに、透弥は少し笑みを大きくしてみせる。
「そう、すごいね。大冒険したんだ?」
柔らかく微笑みながら、小脇から何か取り出してくる。
「ところで、直樹くんは、こんなのは好きかな?」
「ごほんだ!」
少年の瞳に、輝きが増す。
遅かった理由はコレだったのか、と駿紀は合点する。昨日、少年の母親が涙でぐしゃぐしゃになりながら、絵本の好きな優しい子で、と言っていたのを思い出したのだ。
透弥の手にある絵本は、数こそ少ないものの色も入っているようだ。子供の目には、とても鮮やかに映るに違いない。
「すごいね、すごいね」
興奮気味に見つめる少年へと、透弥は絵本を手渡す。
「いいの?」
「そう、直樹くんのだよ」
「うわあ、ありがとう!」
ぎゅう、と抱きしめてるところに、母親が到着する。昨日の今日なので、仕事は休んできたのだろう。
「おはようございます」
丁寧に頭を下げつつも、気持ちは息子へと行っているようだ。が、視線を向けた途端、目を丸くする。
「まあ、どうしたの、それ?」
「あのね、てんのおにいちゃんがおにたいじしてくれたの。これはね、ええと」
「小難しいお兄ちゃん」
透弥をどう呼んでいいかわからず、少年が言い淀んだのへと、昨日の意趣返しも込めて言ってやる。
「こ?」
一瞬首を傾げた少年は、すぐに笑みを浮かべる。
「むーのおにいちゃんがくれたの」
「あら、お気遣いいただいてしまって。ありがとうございます」
無駄に柔らかな笑みを浮かべた透弥は、卒無く対応している。
そういや、脊髄反射フェミニストだったな、と思いながら、駿紀は少年へと視線を戻す。
「どうする?読んでみる?」
「てんのおにいちゃん、読んでくれるの?」
きらきらとした目で訊ねる少年に頷き返しながら考える。
今日、ましてや今すぐ、もう一度事件のことを思い出させるのは酷過ぎる。気長に行くしかないだろう、と。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □