□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-9 □
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駿紀たちの顔を見た途端、少年の顔が輝く。
「おにいちゃんたち、いらっしゃい!」
一週間近くとなれば、さすがに病院生活に飽きてしまうのだろう。怪我や病気ではないから、他の子供たちと遊んだりもしているようだが、それでも、だ。
親も毎日来ているとはいえ、寂しいのにも違いあるまい。
すっかり大好きなお兄ちゃんたちという扱いになってしまったのに苦笑しそうになりつつ、駿紀は笑みを返す。
「こんにちは、直樹くん」
この子の入院が長引いているのも、未だ犯人の片鱗すらわかっていないからだ。安全確保の保障が出来ない状態では、扇谷の立場としても退院の許可は出せない。
今のところ、未遂となった四件目の捜査は、細心の注意をはらって進められている。
犯人をアルシナドから他都市に移らせてしまっては意味が無い、という点に関しては、捜査本部の一致した見解だ。
キャシラ、ファオル、アチュリンでの件についても、情報収集が進められているらしい。洗い出し作業も再度行われているようだが、今のところ、追加されるものは見つかっていない。
ようするに、捜査上の進展は何もない状況に変わりは無い。
木崎たちは、あれから少年の前に顔を出してはいないが、犯人に関するなんらかの情報が得られることへの期待は無くしていないだろう。
ここ数日、毎日のように顔を出しては遊び相手になってはいるが、駿紀は事件に関しては言い出しかねている。
最初に眠かった、とはっきりと言っているし、木崎たちの聴取は鬼が来たと言うくらいに怯えていたことを思うと、どう言い出したものかもわからない。
積極的に話すのは駿紀に任せっ放しの透弥も、あえて口にしようとはしないところをみると、似たような心境なのだろうか。
少年は、透弥の手に本があるのを見て、その小さな手を伸ばす。
「むーのおにいちゃん、きょうのおはなし、なあに?!」
「今日は本が先でいいのかな?」
問い返しながら、透弥は少年の側にある椅子に腰を下ろす。駿紀はそれを横目に、こんな特技があったとはなぁ、と心で呟く。
物語を聞かせるのが、上手いのだ。大げさに読み上げるのではなく、むしろ静かなくらいだと思うが、いつの間にか話に引き込まれていく。
元々絵本が好きな少年にとっては、またとない楽しみに違いない。
駿紀にとっても、知らない話が聞けるのは面白い時間なので、隣に腰を下ろして透弥が本を開くのを待つ。
「今日の話は、夢の話だよ」
静かな声で言うと、本を開く。
読み始めたのは、なるほど、夢の話だ。
こんなことがあった日に見る夢は、という題材で、色々な夢が展開されていく。例えば、花が咲いたのを見つけた日に見る夢は、で、空までいっぱいに咲き誇った花の夢、という具合に。
話が進んでいくにつれ、駿紀はある種の予感に、ぎくり、とする。
このまま、話が進んでいけば。
透弥の横顔を見やる。声にも表情にも、全く変化は無い。だが、間違いなく、辿りつこうとしている先は。
「夕日がきれいだった日に見る夢は」
声が妙に響いた気がして、駿紀は、どき、とする。
が、少年はにこにこと聞いている。いつものままだ。透弥も、静かな声で最後まで読み終え、本を閉じる。
「おしまい」
少年は、小さく首を傾げる。
「ぼくもねぇ、ゆめ、みたよ」
言って、少し黙り込む。思い出そうと考えているらしい。透弥は、昨日までと同じく、本の感想を訊くかのように首を傾げてみせる。
「直樹くんも、夢を見たの?」
「うん、えーとね、おにいちゃんたちが、たすけてくれたときだよ」
頷いて、また首を傾げる。
「おひさま、まっかで、おっきくて、それでね、おうただったの」
「お歌?歌ったの?」
透弥の声も口調も、あくまでいつも通りだ。少年は、にこにことして答える。
「ううん、きこえたの」
「そう、どんなの?」
「えーとねぇ、こんなの」
言葉に導かれるように、少年は歌いだす。
たどたどしくはあったが、童謡も好きだと母親が言っていた通り、幼いにしてはしっかりとした音程でメロディーを再現してみせる。
どこか寂しい歌だ。
そして、妙に心に残る音だ。
やがて終ったメロディーに、透弥はもう一度尋ねる。
「知ってるお歌?」
「ううん、はじめてのおうた。もっとききたいなってみたら、みどりだったの」
「緑?」
思わず口を挟んでしまってから、まずかったか、と駿紀は慌てる。が、透弥は黙ったままだ。
少年は駿紀を見上げて、こっくりと頷いてみせる。
「うん、みどりだよ。ふしぎだなぁっておもったの。だって、おひさま、まっかなのにね」
そこまで言って、にっこりと笑う。
「だから、ゆめだったの」
「そうか」
頷いて、駿紀は軽く少年の頭を撫でてやる。嬉しそうに目を細めるのを、もっと訊きたい衝動を抑えながら見つめる。
夢で知らぬ歌など、聴くはずは無い。
本当に知らない歌なのだろうか?前に聞いたのを思い出しただけなら、夢の可能性は高いだろう。
だが、そうでは無かったら。
「おにいちゃん?」
不思議そうに首を傾げるのへと、駿紀は笑みを向ける。
「おもしろい夢だね、お日さまが緑だったなんて、俺も見てみたいな」
自分にとってはヒーローの青年に、自分も見てみたいと言われて嬉しいのだろう、少年は照れたように笑う。
「さぁ、今日は何をしてみようか?」
駿紀が場を引き取ったのを見届けて、透弥がそっと席を立つ。
ちら、と一瞬見交わした視線は、優しいお兄ちゃんたちのモノでは無い。



駿紀が遊び相手をしている間に、透弥は、少年から聞いたメロディーは親が教えたものでも保育園で習ったものでも無いという確認を済ませていた。
警視庁へと戻りながら、駿紀が口を開く。
「ってことは、やっぱりアレはホシが歌ってたって可能性が高いってことになるな」
「何の歌かがわかれば、捜索の一助にはなりうる」
「だな」
透弥の言葉に、駿紀も頷く。
少なくとも、自分たちは知らなかった。それに、親も保育士たちも知らないとなると、マイナーな歌である可能性が高い。メロディーラインからいって、童謡の類で流行歌では無いだろう。
「本当に、子供は知らないのかなぁ」
呟くように言った駿紀を、透弥は軽く肩をすくめてみせる。
「気になるなら、近所の子に訊いてみるという手があるだろう」
「いや、暇がある時には遊んだりもしてるけどさ」
言葉を濁すように、そこで口を閉ざしてしまう。珍しいと思ったのか、透弥が視線を向ける。
「……俺、音痴なんだよ」
「何の歌か判別出来んくらいにか」
「出来ないくらいに」
言ってから、透弥が相変わらず不審そうな表情をしているのを見て、駿紀は小さく肩を落とす。
「ちゃんと、覚えてるか?」
「何度も繰り返させられてる」
「じゃ、ちょっと妙なもん聞いたくらいじゃ大丈夫だな?」
駿紀にしては妙に慎重に確認するのを、透弥は横目で見やる。
「しつこい」
「それっくらいで丁度いいんだ、いいか、覚悟しろよ」
挑むように言ってのけ、人気の無い通りであることを確認してから、少しだけ息を吸う。
ややの間の後、一応、一通り歌い終えた駿紀は、隣を見やる。透弥の視線が、微妙に明後日の方向へと漂っているのは気のせいではあるまい。
「だから、言っただろ。笑っていいぞ」
「笑うところでは無いと思うが、なかなか貴重なサンプルだ」
なんのサンプルなんだと問い返したくなるが、言えばロクなことにならないのは目に見えているので、駿紀は黙り込む。いっそ大笑いしてくれた方が気が楽だ。
駿紀にとってはなんとなくいたたまれない沈黙の間の後。
「元の歌の、面影の欠片も無いな」
ぼそり、と透弥が言う。
今度こそ、がっくりと目に見えて駿紀の肩が落ちる。
「あのな、時間差でトドメを刺すなよ」
沈黙の間、透弥が自分の歌を反芻していたのかと思うと、本気で力が抜けてくる。
肩を落としまくっている駿紀を、透弥が見やるのを感じて、先回りする。
「これ以上何も言うなよ、音痴ってのはわかってんだから、塩塗りつけるようなマネすんなよ」
「それを解読出来る人間はいないのか」
面倒そうに、駿紀の声に透弥が被せる。解読、という単語で、しっかりと塩は塗りつけられたが、問い自体は悪くないと気付く。
「ん?あ、そういや、ばあちゃんなら」
言ってから、なるほど、と頷く。
「そういやそうだ、古い歌だとしたら、ばあちゃんが知ってるかもしれない」
警視庁へと向かう足を、一度、止める。
「では、隆南はしづさんに歌の確認をしてから」
言いかかった言葉を、駿紀は遮る。
「待て、神宮司も付き合え。普通なら俺のを解読してもらえばいいけど、今回は違う」
犯人への、唯一の手掛かりかもしれないのだ。間違いがあっては、大変なことになる。
駿紀の真剣な瞳と、先ほど惨状と言っていい音を実際に耳にしたからだろう、ややあって透弥は頷く。
「わかった」
先日のアカショウビンの件が、実は事件の捜査の一環だったということは、しづだけには伝えてある。今回は急だが、わかってくれるだろう。
そう判断して、二人は方向転換した足を速める。

「まぁ、まぁ」
勢いよく帰って来た駿紀と、丁寧に頭を下げる透弥に、しづは笑みを向ける。
「今日は、どうしたのかしら?」
「歌を、知らないかと思って」
駿紀の言葉に、透弥も頷く。
「おおよそのメロディしかわからないのですが、聞いてみていただけますか?」
言ってから、駿紀を見やる。
「え?」
何の為に透弥を連れて来たんだ、とは思うが、確かに順序としてはそうなるのだろう、と自分に言い聞かせる。
「俺が歌ってみるから、ダメだったら神宮司の聞いて」
しづが頷くのを待って、息を吸う。
歌が終る頃、しづの目はすっかり丸くなっている。
「あら、珍しい歌を知っているのねぇ。今じゃ聴かなくなったけど。フェナイじゃまだ歌うのかしら」
元の歌の欠片も無いと透弥が言い切るほどの駿紀の歌を聞き分けるのだから、これこそ愛情の賜物というものだろう。
「フェナイの歌ですか?」
透弥の問いに、しづは考えるように首を傾げる。
「そうね、私はフェナイの出身なんだけど、あちらで小さい頃に聞いたのよ。こちらに引っ越してからは聞かないから、そうかもしれないわねぇ」
「ばあちゃん、歌詞覚えてるか?」
「ええ、覚えてるわよ。いいかしら」
二人が頷くと、今度はしづが歌いだす。年齢を感じさせない、張りのある声だ。
「うさぎの子 ぴょんと跳ねた
 草の中 ぴょんと跳ねた
 朝露飲んで また跳ねた
 あの子の母さん 今頃どこで寝ているの
 あの子の父さん 今頃どこで駆けてるの
 あの子のいる間は お天道様よ
 どうか 露を絶やさずに
 うさぎの子 朝日の中で ぴょんと跳ねた」
歌詞が加わると、さらにもの寂しく聞こえる。子兎がたった独りで生きていく歌だったとは。
手帳を開いて素早くペンを走らせていた透弥が、歌が終ってややあってから、それをしづへと向ける。
「歌詞は、これで合っていますか?」
視線を走らせたしづは、頷いてみせる。
「合ってますよ、私が覚えているのは、だけどねぇ」
「そうですか、ありがとうございます」
几帳面に返す透弥に、しづは笑みを浮かべる。
「凄いのねぇ、あれをこんなに速く書いてしまうなんて」
ヒトツ、瞬きをしたのは、そんなことを褒められるとは思っていなかったからだろう。刑事なら当然身に着けるべきことだし、駿紀も書くことは出来る。
だが、確かに透弥のように人が読める字で書けるのはなかなかかもしれない。
「ありがとうございます」
どう答えていいのかわからなかったらしく、どことなく中途半端だが、駿紀にだってどう返していいのかわからないので、そのままにしておく。
「わかった、ありがとう。助かるよ、ばあちゃん」
駿紀は早口に礼を言うと、背を向ける。透弥も改めて礼を言い、駿紀の家を後にする。
今度こそ、警視庁へと向かいながら、駿紀が口を開く。
「子供が親に置いていかれる歌だったんだな」
「露結び耳の伝承から出来ているのだろう」
透弥の言葉に、駿紀は眉を寄せる。
「露……?」
「露結び耳、子兎のことだ。子兎は生みの親に合うことなく、草原の草の露で育つという古い伝承がある」
「へーえ」
色々なことを良く知っているものだ、と駿紀は素直に感心する。透弥は、そんな視線に全く気付く様子無く、少しだけ眉を寄せる。
「フェナイで良く歌われていたとなると、やはりホシはフェナイ出身である可能性が高い」
「ああ、で、自分も捨てられるかなんかの経験したんだろうな」
前よりも、状況ははっきりと思い浮かべることが出来る。
紅い夕日の中、たった一人で親の帰りを待つ子と、かつての自分を重ねて近付いていく犯人。
多分、歌を歌っているのは自分でも無意識だ。本人は、それが子供が歌っているのか、自分が歌っているのかすら気付いてないかもしれない。
だが、きっと歌が犯人の焦燥を煽っているいるに違いない。
そして、歌に気付いて顔を上げた子供は、目前に緑を見るのだ。
「あ」
思わず、駿紀は目を見開く。
耳奥に、はっきりと音が蘇る。
「そうだ、わかった!緑で、あの音!」

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