□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-10 □
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駿紀の勢い込んだ言葉に、透弥は足を止める。
「どういうことだ」
「緑が見えたってのはさ、ホシの服の色を見たってことだろ」
興奮気味に、駿紀も透弥へと向き直る。
「覚えがあると?」
「エンジン音もだ」
車と、緑色。
並べられることで、透弥にも察しはつく。
「宅配便か」
八年ほど前に天宮財閥が始めたサービスはいたって好評で、今では数社が参入している。最初に鮮やかな青を導入したのが印象的だったのだろう、各社とも配達人の制服には目につく色を使っている。
緑の制服を使っているのがどこか、そんなことは二人とも考えずともわかる。
「つじつま合うだろ」
「宅配区域の確認が必要だが、犯行現場の範囲が自動車移動可能圏内の中で比較的狭いことの説明はつくな」
透弥らしいコメントに、駿紀は口の端を持ち上げる。
「ってことは?」
問いの答えは、無言での方向転換だ。警視庁へ戻るのは、再度、後回しになる。



机の上に揃った資料を並べながら、駿紀が、ぼそりと言う。
「やっぱ、詐欺師の才能あるって」
脊髄反射フェミニストの効果は十二分だと思うが、殺人事件の捜査だということを全く匂わすことなく情報を引き出した透弥の口の上手さは、駿紀には真似出来ないモノだ。
透弥が、眉を寄せる。
「最近世間を騒がせている殺人事件の捜査です、とでも言えば良かったのか」
「そういうワケじゃないんだけどさ」
妙に爽やかな笑顔で、あんなに流暢に架空の用件を作ってみせられると、一体何しに行っているのかわからなくなってくるような気がするのも無理からぬことだ。
だが、そこから得られた事実は、眼前にはっきりと示されている。
「久保和夫、出身地はフェナイ」
履歴書のコピーが入手出来たおかげで、目指す相手を見つけることが出来た。それというのも、透弥が上手く大野直樹の記憶を誘導したからだ。
「凄いよな、まさか絵本のストーリーから、ここまで来るなんて」
素直に感嘆して言ったのだが、何が気に入らないのか透弥の顔はますます不機嫌になる。
「何だよ?」
怪訝そうに問う駿紀の声に、視線を上げた透弥は、自分の表情にやっと気付いたらしい。自嘲するような笑みを浮かべる。
「木崎氏を責める資格などないと、思っただけだ」
「は?」
意味がわからず、駿紀はぽかん、とする。なぜ、そこで木崎の名が出るのだろう。
「どんなカタチであれ、事件のことを思い出させたのには変わりない。ああやって反芻してしまえば、記憶のどこかには刻まれてしまうだろう」
そこで透弥は口をつぐんだが、何を思っているのかは駿紀にもわかる。もし、将来、誰かがその記憶と連続殺人とを結びつけたら。
緑色の空と物悲しいメロディーは、悪夢となって蘇るだろう。
眠かったから覚えていない、少年が最初に口にした、そのままにしておけたなら。
でも、それは最初に駿紀が言ったことだ。
「確かにそうだけど、思い出せないせいで犯人が他の子に手を出すことになったとしたら、もっと悪夢なんだろ」
あの時、透弥が言った言葉を返してやる。
正解なんて、どこにも無い。透弥とて、わかっているはずだ。
「そっちの悪夢には、絶対にしない。俺たちに出来ることは、それだけだ」
言い切った駿紀の顔を、透弥は見やってから、軽く頷く。
「ああ、そうだな」
言い終えた時には、すでにいつもの透弥だ。
駿紀が広げた資料を覗き込み、まっすぐに犯人の写真を指差す。
「最大の問題は、未だに状況証拠のみという点だ」
「かといって、これ以上子供の命を曝すわけにはいかない」
「当然だ」
この点で、二人の意見ははっきりと一致している。
だが、現状では久保和夫はあくまで重要参考人のレベルだ。過去の件の発生箇所でも同じ職についており、担当地区であったと判明したのは事実だが、それでも、だ。
久保和夫が認めない限りは、なんの証拠も存在しない。
事情聴取をしたとして、殺人があった場所は怖いので移動しました、とでも言われてしまえばそれまでだ。
「でも、何らかの証拠を握ろうと思うのなら」
駿紀の唇を噛み締めながらの言葉に、先ほどよりずっと不機嫌に透弥が眉を寄せて引き取る。
「現行犯しか、無い」
「でも、もう一度があるって保証すら無いぞ」
無論、実際にあっては困るが、子供を危険に曝すかどうかという話の以前だ。
「もう、九月も半ばになっちまう」
今までの犯行状況からすれば、久保が動くのは遅くて九月までだ。たがが外れたかのように短期間で繰り返しているとはいえ、そちらの条件が外れるという保証はどこにも無い。
彼にとっての季節が過ぎた後、アルシナドに留まるという保証もだ。
無意識に口元に手をやった透弥が、ぽつり、と言う。
「誘い出せれば」
「だから、どうやって」
イラついた駿紀の声が聞こえているのかいないのか、独り言のように続ける。
「舞台が整っていれば、そのつもりが無かったとしても動く可能性は充分にある」
「後残ってる二箇所のどっちかに、誰か座らせとくってか?」
「それが、あの歌を歌っていたとしたら?」
思考に沈んでいた視線が、駿紀へと向く。切れ長の瞳に挑戦するような光が宿っている。
いつも、久保が無意識に歌っているはずの歌を、舞台の上の子が歌っていたとしたら。それは、突き動かすのに充分かもしれない。
「俺と神宮司が万全の備えをしておくとしても、だ。迫ってくるホシ相手に動揺せずに歌ってられる子なんていないぞ」
ましてや、相手の狙いは就学前後の幼い子だ。いい大人だって、殺されるかもしれないストレスになんて、そうそうは耐えられまい。
「舞台が完全に整っていれば、ターゲットの年齢が多少ずれていたところで構わないだろう」
「多少だって同じことだって、神宮司もわかってるだろうが」
少なくとも駿紀より頭の回転はずっと早いだろうに、そんなことに考えが及ばないとは思えない。そこまで考えて、はた、とする。
「って、囮に思い当たる節でも?」
「いや、だが隆南になら知り合いがいるのではないかと」
「は?」
駿紀に知り合いがいる、とはどういう意味かわからず、透弥を見つめる。
「小柄な警官がいないか、と訊いてる。婦警なら、可能性は高いだろう」
「あ、そういうことか」
納得してから、首を捻る。確かにキャリアの透弥では、こんな微妙な頼みが出来る婦警の知り合いはいないだろう。だからといって、駿紀に該当するような友人がいるかとなると、話は別だ。なんせ、絶対数自体が少ない。
「座って小さくなって、それなりに幼く見えるってのは……」
考えるほどに、条件は厳しい。
犯人に誘い出しているとバレてしまえば、そこで終わりだ。二度と、彼に手を伸ばすことは出来なくなるだろう。
何人か、話は出来そうな顔を思い浮かべるが。
「いや、いないな」
駿紀の返答に、透弥は軽く頷く。
「そうか」
それから、時計を取り出す。
「そろそろ、捜査会議だな」
「どうするよ?」
今日掴んだ事実について、だ。
歌の件は重要な件とは気付かれぬようにしてあるし、あの後、扇谷から改めて釘を刺されたらしい木崎たちも、大野直樹に近付くことはないだろう。二人が口をつぐめば、犯人が掴めたことは伏せられる。
「今回の件では、自宅を捜索したところで証拠は出ない」
久保は、犠牲者たちから物の類は何一つ奪っていない。道具を使っているわけではないから、凶器が出てくるわけでもない。
「アルシナド以外の犯行も自白すれば」
駿紀が返す。現状、捜査本部しか知らない事実ということになり、犯人とは断定可能だろう。
「だが、全てを吐くとは限らない。最悪、大野直樹への影響を無視して証言を求めるとして、証拠としては認められ無い」
なんせ、本人は夢と現実の区別がついていないのだから。
透弥が何を思っているのかは、わかっている。後は、駿紀が腹をくくるかどうか、だ。
「もう少し、裏を取るか」
裏を取る方法に思いあたりがあるわけではない。でも、一課が動いたとして、自白だけが頼りになってしまう。
駿紀の決めた声に、透弥も頷く。



あれから参加した捜査会議では、報告を求められた際には透弥が立った。
涼しげな表情で、未だに大野直樹は無理矢理に証言を求められるような状態ではないが、それなりに心を許しつつある、と述べられてしまえば、時間をかけて聞き出して欲しい、としか本部はコメント出来ない。
駿紀も、あまり機嫌の良く無さそうな顔のまま黙り込んでいたのだが、木崎もその裏に何が隠されているのかまでは読み取れなかったようだ。
一課の捜査の方は、特別捜査課が見つけ出した以外は過去に犯した殺人は無い、と結論付けられたところまでだ。
後は、未遂の件でも、近所に怪しい人物はいないということが証明されつつある、というくらいか。
翌日の朝、駿紀たちの当面の問題は、囮をどうするかということでは無い。
「どうするよ、コレ」
透弥に手渡された便箋を、弱りきった顔で駿紀が振る。
「最終的な情報を出してから十日が経とうとしているが、どうなっているんだ、という叱責だろう」
少々持て余したように透弥が返す。
その便箋は、きちんと封筒に納められて、昨晩、透弥の家に投函されていた。
天宮紗耶香からの、その後の状況はいかがでしょうか、という丁寧な文面を秘めて。
駿紀は、もう一度、便箋へと視線をやる。何度見たところで、内容が変化するわけは無い。
「さっすが、仕事が早いだけあって相手にも厳しいなぁ」
「無視も出来るが」
「今後のこと考えたら、そりゃ得策じゃないと思う」
透弥が途中で止めた言葉を引き取り、駿紀はもう一度便箋を振る。
「過去の関連事件の洗い出しは完了してることを伝えて、謝意を述べる」
一課が確認してるのだから、この点は確実だ。透弥の提案が妥協点だろうと判断して、駿紀も頷く。
「そうだな。早いところ済ますか」
「今日はいつでもどうぞ、とあるしな」
いくらかうんざりした口調で言うと、透弥は受話器を手にする。

客間に通された駿紀たちの前に姿を現した紗耶香は、にこり、と笑みを浮かべる。
それは、財閥総帥として、仕事が着実に進んでいるのかと確認する為のモノでは無い、と駿紀は直感する。彼女はそれを理由に、別件で呼び出したのだ。
その予測は、挨拶もそこそこに用件に入った彼女の口から立証される。
「先日、殺人を未然に防いだそうですね」
駿紀が、軽く肩をすくめる。
「これはまた、随分と耳が早くていらっしゃる」
「大野直樹くんのお父様は、天宮財閥本社勤務です。あんな特殊なことが起きれば、当然私の耳まで聞こえてくるというわけですね」
紗耶香も、肩をすくめてみせる。
世間は狭いと言った方が合っているのだろう。駿紀と透弥はどちらからともなく、視線を軽く見合す。
「で、わざわざそんなことを確認する為に?」
駿紀の問いに、紗耶香は微笑んだまま、問い返す。
「私共の情報は、お役に立ってまして?」
「お蔭様で、他都市での犯行は全て洗い出すことが出来ました。感謝に耐えません」
透弥の言葉と合わせて、駿紀も頭を下げる。視線を上げた先にあったのは、鮮やかとしかいいようのない笑みを浮かべている紗耶香だ。
「では、お二方なら、少なくとも次に狙う場所は押さえていらっしゃるでしょう?」
駿紀とは別種の嗅覚、もしくは直感の持ち主なのだと、確信する。
彼女は、小手先の言葉には絶対に惑わされない。
だが、はっきりとそうだと口にするわけにもいかない。
「だとしたら?」
透弥が、面白いことを言う、とでも言いたそうな口調で返す。こういうやり取りは任せた方がいいと駿紀は口をつぐんだまま、紗耶香の返答を待つ。
紗耶香は笑みを浮かべたまま、首を傾げてみせる。
「子供を使わずに誘い出す、という方法を使えないのですか?」
「面白いご意見ですね。子供を使わずに、とは?」
今更、駿紀たちが追っている事件がなんなのかを紗耶香が正確に察しているかどうかなどというのは、問わずもがなだ。彼女が呼び出した本当の理由が知りたい。
少しだけ、紗耶香は身を乗り出す。
「お二方は、次に狙う場所を絞ることが出来てらっしゃる。夕日は待たなくてはならないでしょうけど、後、もう一押し、何かあれば、幼い子ではなくても狙われるのではないでしょうか?」
言った瞳は、真剣だ。
本気で、彼女は犯人を誘い出せないか、と駿紀たちに問うている。
「誘い出す人間は、犯人の手が伸びる直前まで平然としてなくてはならないのですよ?それが出来る者に、心当たりがあるとおっしゃるのですか?」
そこまで考えていないとは思えない相手だが、透弥はあえて確認する。
「ええ、貴方方が控えているとわかっていれば、可能な人間を知っています」
なんとなく、駿紀は嫌な予感がしてくる。
「本当にわかってますか?一歩間違えば、怪我では済まないかもしれないんですよ?」
だが、口にしたことは、誰が該当しているのか気付いてると告げてしまったのと同意だ。言ってしまってから気付いて、はっとするが、もう遅い。
紗耶香が、再び笑みを浮かべる。
「でも、私ならやれます。座り込んで背を縮めれば、ほとんどの人が子供と勘違いするわ」
言い切って、挑むように駿紀と透弥を見つめる。
紗耶香の言い出したことは、駿紀たちにしてみれば渡りに船だ。まさに、それをやってのけられる人間を探していたのだから。
確かに、紗耶香は年令に似合わぬ小柄さだし、華奢でもある。しゃがみこんでしまえば、少なくとも成人とは思われまい。
しかも、前回の件の時、命の危険があったとしても冷静に立ち振舞えると証明してもいる。
まさに、適材だ。
だが、コトはそう簡単でもない。
天宮財閥総帥が連続殺人犯の矢表に立つなど、悪い冗談だ。
「普通なら、伏してお願いしたいところですが」
「個人的にも、財閥総帥としても、この件は早くケリが付いて欲しいんです」
駿紀の言葉の意味を正確に捉えて、紗耶香が返す。
「大事な子を無残に奪われた親御さんたちの気持ちは察するに余りありますし、そのことで効率が落ちる誰かの工数は大なり小なり財閥の経済活動に影響するのですから」
後半は天宮財閥なら巡り巡って、実際にありそうなのだが、へ理屈でもある。両親を奪われた彼女にとって、個人的に強く動かされるのだろう。
「その誰かの分はある程度のフォローが効くでしょうが、貴女はそうはいかない」
「では、他に方法があるんですか?あるとしたら、なぜ、今まで逮捕されていないのでしょう?」
あまりにまっすぐに突かれてしまって、駿紀は言葉に詰まる。
試すような視線で、ざっと紗耶香を眺めた透弥が、代わりに口を開く。
「完全にこちらの指示に従って頂きます」
「神宮司!」
思わず声を荒げた駿紀に、透弥は冷静な視線をよこす。
「彼女の言う通りだ、他に方法は無いし、他に適任者もいない」
確実に、証拠を掴むために。
ほんの小さく、透弥の口の端が持ち上がる。
「幸い、お嬢さんは髪が長くていらっしゃる」
意味を悟って、駿紀も頷く。
「あ、なるほど、その手が使えるか」
二人が、同時に紗耶香へと向き直る。
「では、お願いしましょう」
紗耶香は、はっきりと頷き返す。
決まったとなれば、後は早い。
まさか、紗耶香を警視庁に連れて行くわけにもいかないので、天宮家の一室に必要なものを持ち込んで広げていく。
「ここが捜査本部みたいだな」
思わず呟いた駿紀に、紗耶香が笑みを返す。
「今は、まさにそうでしょう?」
そう言う彼女は、人を使うのが上手いだけではなく、自身も情報収集が得手だというのを余すことなく発揮している。
犯人が狙うであろう候補地のうち、より可能性が高い方を選び、配置を決めていく。
危険は出来うる限り少なく、かつ、確実に捕らえなくてはならない。
「明日なら、ヤツの嫌がる夕日のはずってわけだな」
「ああ」
平坦な声で透弥が返す。視線は、まっすぐに選んだ地点を見つめている。
「ここにお嬢さんが座って、隆南はここ、俺はこちらだ」
駿紀は、もう一度、自分と相手の距離を測る。
「うん、そこからなら、行ける」
「お嬢さんも、いいですね?」
「ええ」
紗耶香は、まっすぐに見つめ返し、力強く頷く。
「じゃ、これで決まりだ」
駿紀が、言い切る。
チャンスはただ一度、だ。

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