□ 万籟より速く □ FASSCE-3 □
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駿紀も、音の方へと振り返る。
そちらへと視線をやりつつも冷静な顔つきなのは透弥だ。
「フィサユの時を告げる鐘、と呼ばれるとか」
時計塔の鐘が、荘厳に鳴り響いている。
時の数だけの音が響き終えてから、駿紀は、にっこりと笑う。
「ま、今回に限り付けてきて良かったってことにしてもいいですよ。プリラードまでお嬢さんが呼んでくれたかいがあったでしょう?」
大きく目を見開いたまま、時計塔を見つめていた楓は、ぽつりと、言う。
「お話には、伺っていましたが。こんな音がするんですね」
ただ、純粋に感動している声だ。それ以上言わなくても、何を思っているのかわかる。
「これからのご予定は?」
駿紀に問われて、現実に引き戻されたのか、また、頬を染める。
「その……ぐ、偶然お見かけして、どちらへ行かれるのだろうと。はしたない真似をして申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げてから、はた、と顔を上げる。問いの内容はそういった答えを求めていないと、気付いたらしい。頬の赤みが増す。
「ええと……」
駿紀たちには、楓が付けてきた本当の理由は察しがついている。
到着直後からの慌ただしさを見ていれば、何かイレギュラーが起こっていると気付くのは容易いだろう。まして、代々天宮家に仕える榊家の血筋なのだ。
何があったのか、そう問いたかったに違いない。夢中でここまでついて来ただろうし、当然この先なんて、考えてもいなかったろう。
駿紀も、意地悪で尋ねたわけではない。
「こんなところに、女の子を一人で放っておくわけにいかないよな?」
視線を向けられ、透弥は相変わらずの脊髄反射フェミニストの笑顔で返す。
「それこそ、お嬢さんに何と言われるか」
「俺たちはもう少し、見て回る予定なんですが、よろしければご一緒にいかがですか?」
「あの、よろしくお願いいたします」
駿紀は、深々と頭を下げる楓から透弥へと視線を移す。
「で、次はどうする?」
「何がだ」
不信そのものの顔で返されて、駿紀は唇を尖らせる。
「フィサユ見物だよ、決まってんだろ。勅使さんのおススメメモを役立てるんだろが」
透弥の表情がなんとも奇妙なモノになる。その表情で、駿紀は理解する。
準備良く観光の話など始めたのは、純粋に紗耶香の意図に乗って見せたわけでは無く、楓の気配に気付いたからだったのだ。
駿紀も気付いてはいたが、誘い出そうとは考えていなかった。純粋に、勅使と紗耶香の好意に甘えただけだ。
よくよく考えれば、誘い出しという方が透弥らしい。が、このまま、ここでつっ立ってるのは不毛でしか無い。
「お嬢さんが時間作ってくれて、勅使さんがメモ用意してくれたんだぞ。役立てなきゃ申し訳ないだろ」
納得したのかはともかく、理解はしたらしい。透弥は胸ポケットから地図を取り出す。
「国立博物館内を見学するか、アンダーリュ寺院からリオドール宮殿へと歩くか、地下鉄で移動すれば……」
勅使のマメさにも頭が下がるが、噛みそうな地名が並んだメモを暗記しているらしい透弥にも、駿紀は感心してしまう。
それはともかくとして、具体的な地名が出たところで、だ。
駿紀の視線に、楓は首を傾げる。
「どこか、行きたいところはありますか?」
「え?!」
にこり、と透弥から脊髄反射の笑みを向けられれば、答えざるを得ない。
「あ、あの、では散歩のコースで、いかがでしょうか」
「よし、それで決まり」
に、と駿紀は笑う。

楓が散歩コースを選んだのは、単なる勢いではなかったらしい。歴史的建造物、言い換えれば地球からの移築物が多い、この近辺についての一通りの知識を仕込んでいるらしく、伝聞だと断りつつ、様々な話をしてのける。
ちょっとしたガイドがついたみたいだな、などと思いつつ、駿紀が川沿いの建物のヒトツを指す。
「あれも古そうだけど」
「あれは」
少し考えるように楓が首を傾げる。
「クレースランドヤードだ」
ぽつり、と口を挟んだのは透弥だ。
「は?」
「プリラード警視庁の愛称のようなものです。地球での名残とか」
楓の解説に、駿紀は納得したように頷く。
「本庁が桜ノ門って言われるのと似たようなもんか」
「それは、本庁が桜通りの入り口にあるからだと思うが」
透弥の言葉に、駿紀が唇を尖らせるのに、楓が早口に付け加える。
「もうすぐ、もっと中心街の方に引っ越すそうです」
「ははあ」
確かにこの歴史的建造物では、人数的制約が大きそうだな、などと考えつつ見上げた駿紀は、一瞬、目を見開く。
「どうかなさいましたか?」
敏感に楓が反応するのに、軽く手を振る。
「別に何でも」
「上層階の人間と目が合ったとか、そんなところだろう」
楓は、透弥が冗談を言ったと思ったらしく、くすり、と笑う。
「外国の人がまじまじと見つめているのは珍しいかもしれませんね」
駿紀は、そうではなくて、という言葉を飲み込む。はっきりしないことで、楓を不気味がらせる必要はあるまい。
それに、旅行者ではない人間としてこちらを見る者がいたとしても、おかしいことでもない。なんせ、昨晩、特殊部門所属の刑事とは顔を合わせているのだから。
「次は、どっちへ?」
「宮殿に向かうなら、あちらだ」
地図に目を落としてから指してみせる透弥へと、ほんの微かに首を傾げてみせる。
答えは、微かに肩をすくめてみせる、だ。駿紀が目にしたモノを否定する気は無いが、何らかの結果を導き出すにはデータが少なすぎる、というところだろう。
駿紀は、軽い身のこなしで方向転換する。
「あっちか」
歩き出しながら、一度だけ振り返ってみる。
もう、視線はどこにも無い。
「いい加減にしておかないと、挙動不信で職務質問される」
また、透弥の冗談ととった楓が笑うので、駿紀はおどけて肩をすくめてみせる。
「ご同業だから興味あるって言や、さすがにあっちもイヤな気しないだろ」
「同業と信じてもらえれば、だが」
歩きながらの透弥の一言に、小さく舌を出す。
「信じてもらえないとしたら、神宮司と一緒だからだな」
「やはり職務質問は面倒だ。子供のしつけはしっかりしろ、などといわれのない説教をされるのはたまらない」
「誰が誰の子供だよ」
とうとう、楓が声を立てて笑い始める。



シャヤント急行の開通式は、どんな国家的行事かと問いただしてみたくなるほどに、華々しく盛大に執り行われている最中だ。
前面に押し出されるでなく、かといって人垣に埋もれてしまうわけでもない、という絶妙なポジションから周囲を見回しつつ、駿紀は考える。
そもそも、この駅の構造自体がリスティアしか知らない自分にとっては、特殊なのだ。平屋で屋根がとても高く、構造自体が午前中に見てきた歴史的な建物を思い出させる。
「まさか、この為に建てたってことはないよな」
音楽やら人々の喧騒やらの音の中、透弥の視線だけがこちらを向くのを確認して、口元だけを動かす。
「お嬢さんの右隣の隣が、アルマン公爵か?」
「右隣はウィリアム2世だ」
同じく、唇の動きだけで透弥が返す。イベントの音楽を奏でている楽隊を見やりながら、何か二人で言葉を交わしているようだ。
「色つきの眼鏡に帽子とは、徹底してるな」
「国王とは親しいとみていいが」
「アレは、だろ」
声は出ていないが、駿紀の含みは充分に透弥に伝わったらしく、ほんの微かに肩をすくめてから、件の人物へと視線を戻す。駿紀も、一緒に視線をやる。
帽子の下から微かに見える髪は、金茶といえばいいのだろうか。隣の国王と、よく似た色だ。国王家の血筋で、何番目かはともかく継承権も持つというのだから、当然といえば当然かもしれない。
が、プリラード国王よりは身長は頭ヒトツは高く、肩幅もある。
あそこに立つのが本当にアルマン公爵というのなら、少なくとも顔に大きな傷がある、という噂は事実ではないということになりそうだ。
そんなことを考えながら、天宮財閥に戻ってからのことを思い出す。
海音寺から受け取った乗客乗員名簿で、最初に目に付いたのが、唯一横線が入った名前だった。他は、変更があった旨も含めて整然と書き込まれていたのに、そこだけが手書きでの修正だったのだ。
聞けば、つい先ほど連絡があったのだ、と言う。
それが、グッシュラー公からアルマン公爵への変更だった。
理由は、妻の体調不良。それ自体は、夫婦仲がとてもいいのだ、と言われてしまえばそれまでのことだ。
問題は代理を引き受けたアルマン公爵だ、と紗耶香は、どこかあどけない仕草で首を傾げて言ったのだ。
「何せ社交界嫌いで、公式の場には全く姿を現さないことで有名なんですもの亅
入れ替わっても、わからないほどにか、という駿紀が問いには、紗耶香も海音寺もはっきりと頷いた。フィサユ社交界に、全くと言っていいほど顔を出さないらしい。
「慈善事業には大変熱心な方であり、お名は良く伺いますが。ごく親しい付き合いのある王室関係者でも、お会いしたことがあるという方はごくわずかかと。何らかの不具を抱えていらっしゃるとか、顔に大きな傷があるとか、様々な憶測があるほどの方です」
とは、海音寺の解説だ。
では、なぜ彼が代理に、という問いの答えはシンプルだった。
「アルマン公爵はお名前をアシュリー・ステューダーとおっしゃり、グッシュラー公爵ヴィクター・ステューダーのご子息です」
「グッシュラー公だのアルマン公爵だのは爵位だ。役職名みたいなものと思えばいい」
透弥は、少々乱暴に説明した。
「ステューダーはプリラード王家の姓よ。王位継承権もある、いわゆる由緒正しい家柄ね。今回の旅程全てに付き合うわけにはいかない国王の代埋として、これ以上にふさわしい家は無いでしょう」
結局は、何らかの含みがある変更かどうか、どうも読みきれない相手だ、ということまでしかわかっていない。
「あそこまで着込まれると、体格を完全にとはいかないな」
「顔の骨格とおおよそを抑えるしかない」
リスティア警察の不審人物記憶法だ。顔は変えてくるが、体格までは変えてくる人間はそうそういない。姿勢とかではなく、あくまで体格だ。骨格まで把握できるなら、それに越したことは無い。それに関して徹底しているのは、キャリアでも変わらないようだ。
今度は、紗耶香の左へと視線をやる。
「ルシュテット皇太子だよな」
「お嬢さんの隣が」
「ああ、その隣は弟君で、親衛隊長なんだろ」
芸術的なことに造詣が深いという兄と、ルシュテット皇家の得意とする武芸に秀でているという弟ではがたいが違うが、やはり兄弟だ、と駿紀は思う。
名前は、ヨーゼフ・ルートヴィヒ・ホーエンツォレルンやら、カール・コンラート・ホーエンツォレルンとかという、フルネームを思い浮かべるだけで舌を噛みそうなシロモノだ。
硬い気質の民族らしく、弟でもあるが、皇太子親衛隊長でもある皇子は、しかつめらしい顔つきで直立不動を保っている。その隣で、皇太子はにこやかに隣の東洋系の人物と談笑しており、この場の雰囲気を楽しんでいるようだ。
「で、その隣がアファルイオ国王だな」
「背後が田公大、親衛隊長だ」
ルシュテットから皇太子が参加すると知って、四大国からの参加者は軒並みインフレを起こしたらしい。プリラードからは国王家に次ぐ王家公爵家からの参加だし、アファルイオに至っては国王自らが乗車だ。
「よくもまあ、ここまで集まったな」
「外遊と考えれば、悪くない環境だ」
「そんなもんなのか。ま、これなら、さすがに沿線からの派手な襲撃の可能性は低いだろ」
各国、四大国の要人が乗車した電車の走行には、十二分に留意するに違いない。更に、紗耶香が各国に向け、改めて釘を刺しているはずでもある。
「これを機会にと宣戦布告するようなバカがいない限りは」
透弥の言葉に、駿紀が唇を尖らせる。
「さらりと怖いことを言うなよ」
「ありうる事例を上げただけだ。可能性は限りなく低い」
そんなことを言える余裕があることに、感心すべきなのかどうか首をひねりたくなりつつ、駿紀は唇を動かす。
「入れ替わりって点じゃ、ルシュテットとアファルイオは気にしなくていいよな」
有名過ぎて、入れ替わる隙が無い。替え玉の存在くらいはあるかもしれないが、紗耶香がいるのでは一週間以上の長丁場のどこかでボロが出るだろう。
「むしろ問題は入れ替わりの激しい他の国の方か」
並んでいる、各国高官へと視線をやる。
「フィサユからはセース外務大臣ジュリアン・デュソー、サラチダ外務大臣ミゲール・セラーノ、ヴァリ外交官ホルガー・ティレスタム、ラミ外交官ヤンメ・ペッカリネン、ラーナレン外交官マティアス・アムンセン、ミエナ外交官ルチアーノ・パオレッティ、フィヨトート外交官トーヅル・ホスクルドソン、シェランド外交官イェンス・ニルセンだ。彼らはトリヤで下車する」
「三十五ヶ国も回ったのは、この為だったんだな」
と返してから、駿紀は目を丸くする。
「全員覚えてるのか?」
「いや、まだだ」
フィサユから乗車する人間を全て覚えるくらいは、透弥にとっては序の口であるらしい。今ここで下手にツッコんでも仕方無いので、せめて顔と体格だけは叩き込んでおこう、と駿紀は視線を彼らへと戻す。
が、すぐにもうヒトツの懸念を思い出し、透弥へと視線を戻す。
「後は」
言葉を濁した駿紀の後を、全く表情を変えないまま透弥が続ける。
「余計なことを吹き込まれているスタッフが、どこに紛れているか」
「いないに越したことないけど」
ちら、と寄越された視線が、それなら苦労は無いと言い切っている。駿紀は、ほんの微かに舌を出す。
一通り見回し終えたところで、式典はいよいよクライマックスだ。
各国からのゲスト達が乗車するのを、スタッフがにこやかに向かえる。
もう一度、駿紀は車体へと視線を走らせる。
深い青が美しい二両の客車は、地球時代に名を馳せた急行を模したものだと聞いた。食堂車、バーサロン車、両端を挟むように貨物車、そして機関車だ。
明日の『Aqua』全土の朝刊は、この優美な汽車が動き出したという記事が絵入りで飾るに違いない。
「ようこそ、シャヤント急行へ」
車掌と言うべきなのか別の役職名があるのか、他のスタッフよりは一段いいスーツを身に着けた男が、にこやかな笑みを向けて駿紀たちを迎える。
ゲストの母国語で挨拶をしているのは、先ほどからの様子でわかっている。この列車の接客の責任者であることは確かだ。
透弥の後ろから、紗耶香が天宮財閥総帥らしい笑みを向ける。
「小松、頼むわよ」
「お任せ下さいませ」
全く動じず、小松と呼ばれた男も笑みを返す。
最後に楓が乗り込み、扉は閉じられる。
すぐに、客室に案内される。
今回は、一等車の車両のみを連結した、と紗耶香が言っていた。一両目にあたるこの車両はほとんどがシングルで、紗耶香と楓が入った隣室とここだけが上下のベッドが用意されるツインだ。それでも、かなり余裕のある造りだと思う。
一車両で客室は六室だ、というのが頷ける広さだ。二両目は三室がシングルで三室がツイン、総勢十七名の客が乗車している計算になる。
などと考えるのは後回しにした方がいいと気付き、先に説明されていた通り、先ずは開け放たれている窓から、外を覗く。
汽笛とファンファーレが重なり、わっと観衆が声を上げる。
シャヤント急行、世界で一番速く豪華な動くホテルと賞賛される車体は、ゆっくりと動き出す。

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