□ 万籟より速く □ FASSCE-4 □
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ホームを完全に離れた車体は、かなりな勢いで加速していく。
窓を閉め、駿紀が振り返ると、透弥が懐中時計を取り出していた。
「フィサユを18時発、定刻通りだ」
視線での問いに、時計を仕舞いながら答える。
「ってことは、あと三十分で夕飯だな」
「ディナーと言った方がふさわしいとは思うが」
表情を変えずに透弥が言うのに、駿紀は唇を尖らせる。
「ディナーって言い方は、ありがたい響きじゃないよなあ」
返したところで、扉がノックされる。
「はい」
開けると、鮮やかな青の制服を身に付けた青年が笑顔で立っていた。
「失礼いたします。この車両のお客様を担当させていただく早川将明です。お部屋のご説明にあがりました」
豪華な中にも落ち着きのある調度の影に隠されるようにあるシャワーと洗面所、車両係を呼び出すためのベルの位置を示してから、二人へと向き直る。
「総帥より、夕食はファーストシッティングにお付き合いいただけないかとのご伝言ですが、いかがでしょうか?」
すでに聞いていることだ。駿紀が了解と言うと、笑みを大きくする。
「ありがとうございます。ベッドメイキングは夕食の間にさせていただいてよろしいですか?」
そちらにも了承すると、客車係は次の質問を発する。
「朝食はこちらにお持ちいたしますが、何時になさいますか?」
駿紀と透弥は、どちらからともなく顔を見合わせる。
これが優雅な旅行なら、朝寝を決め込むのも悪くは無いのだろう。が、プリラード警察特殊部門からの情報がある時点で、仕事と考えるべきだ。
となれば、周囲が起き出してくるであろう時間より、早めがいい。
「六時半で」
駿紀が言うと、透弥もあっさりと頷く。
「かしこまりました。何かございましたら、いつでもお呼び下さい。失礼いたします」
洗練された動作でおじぎをすると、早川の姿は扉の向こうに消える。
「あれって、相当訓練するのかねえ」
ディナーに向けて着替えるべく、ネクタイを緩めながら駿紀が言うと、透弥は無言で視線だけ寄越す。
「だって、ここって一応汽車だぞ?微動だにしないって、凄いよ」
「訓練したという意見に反対する気は無いが、要困は車体自体にもある」
手早くシャツのボタンを外しながら、あっさりとした答えが返ってくる。きゅうくつな顔つきで取り出したフォーマル一揃いをにらむように見つめつつ、駿紀は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「通常の汽車よりも、揺れが小さく抑えられる設計になっている。このスピードを考慮に入れれば、最先端を詰め込んだ、という表現が相応しいだろう」
そんなことまで把握してることに、駿紀は目を丸くする。と同時に、確かに足元が安定している、と頷く。
「なるほどな」
少なくとも、手を休めている時間は無い。シャツとパンツを手早く換え、リンネル製のベストを手にする。
そういう名を付けられたモノは普段も身には着けているが、素材といい形といい違いすぎて、仕事とは思っても気後れのような感情がある気がする。シャツからして素材が違うからかもしれない。
「サイズでも違ったか」
振り返ると、すでに透弥はジャケットまではおり終えている。
「なんとなく気が進まないと思っただけだ」
「そんなところで止まっていたら、アルマン公爵への拝謁もおぼつかない」
声に感情が一切篭っていない分、厄介だよな、と駿紀は思う。まっすぐに事実であり、ついでになんとなく納得してしまう。
が、透弥の言う通り、通常は全く顔を見せないという公爵が何の気まぐれで登場したのかは最低限確認しなくてはなるまい。
「拝謁って言ったら、陛下やら殿下とお呼びしなくちゃならない方々とも顔を合わせるんだよな」
タイを締めながら、わかりきっていることを、つい口にしてしまう。
「失礼があったなら、お嬢さんがフォローする。呼び出したのはあちらだ」
きっぱりと断言されて、口元が緩んでしまう。
「なるほど、そう割り切りゃ良いわけか」
「当然のことだろう、ぎりぎりの日程で呼び出しておいて、完璧に振舞えという方が無理な相談だ」
透弥にしては珍しく、言葉を継ぐ。
「どうしても気後れすると言うのなら、容疑者の集団に会いに行くとでも思え」
駿紀は、思わず吹き出す。
「そりゃ、陛下だろうが殿下だろうが、関係ないな」
タイを確認してから振り返ると、数日前にあつらえたフォーマルとは思えないほど、ぴったりと着こなした透弥が立っている。
「へえ、神宮司、似合ってるじゃないか」
面倒そうに、透弥の眉が寄る。
「そういうことは、鏡を見てから言え」
返してから、ソファとしか言いようの無い座席に腰を下ろす。手にしているのは、乗客乗員名簿だ。
それを目にして、駿紀も隣へと腰を下ろす。
「フィサユからの乗車は、アルマン公爵、ルシュテット皇太子と弟君、アファルイオ国王と親衛隊長、それからセース、サラチダ、ヴァリ、ラミ、ラーナレン、ミエナ、フィヨトート、シェランドの外交官、だよな」
「セースとサラチダは外務大臣だ」
「ああと、そうだった」
それ以上の訂正は入らず、透弥は次のページへと繰る。
「小松さんってのが客車係のチーフだろ」
「フルネームは小松靖、この車両の担当が先ほど来た通り早川将明、隣がジェフ・ホーキンズ、プリラード国籍だ」
一度は確認していることだが、もう一度頭に叩き込む。
「うん、あとレストランの方が」
「シェフの大山実、アシスタントが細川博、フロアの方はチーフが佐伯明、スタッフが日高茂。貨物担当が畑中学」
リストに視線を落としてはいるが、淀みなく上げていっているところを見ると、すでに透弥の頭に入っているのだろう。
「それと、運転士だな」
「浅田豊、補助が瀬戸大介、シュテファン・ヘーゲル、ルシュテット国籍」
「国籍としては、二人以外リスティアか」
透弥が、視線を上げる。
「開発のほとんどはリスティア国内と報道されていた。自然、スタッフもリスティアから集まることになったのだろう」
「ってことは、プリラードとルシュテットのは厳選されたって見るべきかな」
「さて、少なくとも総帥秘書の眼鏡には適ったのだろうだろうから、余計なモノが紛れているとすれば相当だ」
駿紀は、小さく舌を出す。
「確かにな、海音寺さんの目をすり抜けてきてるってことになるんだもんな」
全員面接を行った、と海音寺は言い切っていた。紛れているとすれば、透弥の言う通りに、
「かなり厄介な相手だってことになる、か」
言ってから、時計を取り出して確認する。
「そろそろだよな、神宮司」
立ち上がりながら駿紀は、右手の平を自分の顔の前に立てる。
「何だ」
「もう一度、フィサユから乗車の外交官関係の名前読んでくれないか?」
「嫌でも顔を合わせれば覚えるだろう」
軽く肩をすくめて返されるが、駿紀は渋い表情のままだ。
「自信無いなあ」
透弥も、早めに食堂車へと向かうことに異議は無いらしく、リストをしまってから立ち上がる。
「声を聞けば問題ない」
「え?」
意味がわからず、駿紀は瞬きをする。
が、透弥はそれ以上の説明をする気は無いらしい。とっとと、車室の扉を開けて出てしまう。
「ちょい、待てって」
鍵をかけて、慌てて追いかける。
とは言っても、隣の車両へと向かうだけではあるが。
透弥の足が、食堂車の入り口でぴたりと止まったので、駿紀も慌てて止まる。
「おい、急に」
止まるな、と言いかかった口は、ぱちり、と閉じる。透弥の肩越しに見える金茶の髪には見覚えがある。
アルマン公爵、と心で言ったと同時に、相手は振り返る。
帽子も、眼鏡もしていない。その瞳は薄青だが、けして冷たい印象の色には見えない。理由は多分、顔に浮かんだ人懐こい笑顔だ。
「やあ、ちょうど良かった。呼ばれる前に食事に来る気の早い者同士、よろしければご一緒しませんか?」
ファーストシッティングに付き合って欲しい、と紗耶香が言ったのは発車までの状況確認と今後のことを相談したいからだ。が、問題視している当人があちらから飛び込んできてくれたチャンスを逃す手は無い。
「喜んでお受けいたします、公爵」
プリラード語で返したのは、透弥だ。駿紀には正確になんと言ったのかはわからないが、アルマン公爵の笑みが大きくなったのを見て、おおよその意味は察する。
「では、こちらへどうぞ」
卒なく、レストランマネージャーが四人がけの席へと案内する。
進行方向へと向かう席へとアルマン公爵が、その反対側の窓際に駿紀が、その隣に透弥が腰を下ろす。
すぐに、各々の手元にグラスが置かれ、シャンパンが注がれる。
アルマン公爵は、目を細めてそれを手にする。
「ウェルカムシャンパンですね」
「何に乾杯なさいますか?」
さらり、と透弥が返す。今度は、共通語の方だから、駿紀にも充分にわかる。
「私ですか?そうですね、では」
軽く、グラスを上に掲げる。
「この素晴らしい急行の順調な出発を祝して、乾杯」
「乾杯」
素直に和して、駿紀はグラスのものを口にしてみる。
ワインなら透弥の行きつけの店で数回だが口にしたことがある。恐らくはそれよりもずっと高級品なのだろうが、違いはいまいちわからない。
この調子だと、各国の最高級品などというモノを持ち出されてもわからなそうだ。そんなことを考えていると、グラスを下ろしたアルマン公爵が、にこやかな表情のまま、二人を交互に見やる。
「私はついているようだ。実のところ、ぜひお二方とお話してみたかったのですよ」
「それは光栄です。よろしければ、理由を伺っても?」
この手のやり取りは、透弥の領分だ。駿紀はグラスを下ろして、アルマン公爵の表情を伺う。
「一応はプリラードの代表ですから、クレースランドヤードから話を聞いている、と言ってもご気分を害されたりはしないでしょうね?」
「もちろんです」
どうやら、あちらもコチラを伺いつつ話を進めているようだ。
ファーストシッティングのコールがかかったようで、紗耶香たちも姿を現す。駿紀たちがアルマン公爵と席を共にしているのを目にすると、薄く笑みを浮かべる。
了解した、という意なのだろう。
すぐに、背後から現れたルシュテット皇太子に声をかけられている。アファルイオ国王も一緒に腰を下ろしたようで、さながら三国首脳会談の様相だ。
楓は楓で、ルシュテットとアファルイオの親衛隊長たちから丁重に同席を求められている。
まだ、座席は充分に空いているのにファーストシッティングの面子はこれだけのようだ。
視線を戻すと、アルマン公爵は話を続ける。
「厄介を引き起こしたい者が紛れている、という情報の他、リスティア警察にも、特殊部門が存在すると伺いました。優秀な方にお会いすることが出来るというのは、私にとっては大変興味深いことなのですよ」
畏まった口調で言い切った後、に、と口の端を持ち上げる。悪戯っぽい笑みが浮かぶが、それが実にらしい感じだ。
「それに、陛下やら殿下やら閣下やらと話をするのは堅苦しくてかなわない、そうは思いませんか?」
自分がその殿下ではないか、とツッコみたくなるのをかろうじて我慢する。
「前菜でございます」
レストランスタッフが、にこやかに皿を並べていく。そして、上品に盛られた料理の説明を終えてから、空いたグラスを回収しつつ、尋ねる。
「お飲み物をお持ちいたしましょう、何になさいますか?」
「料理に合うものを」
迷い無く言い切り、スタッフが下がるのを見届けてから、アルマン公爵は駿紀たちへと向き直る。
「ですから、もしよろしければ、こうした堅苦しい言葉遣いやら、公爵などという面倒な立場は放って下さると嬉しいのですが」
「と、言いますと?」
相変わらず、透弥はお愛想以上の笑みは浮かべない。
「気が向いたらでいいですので、アシュリーと呼んで下さい。それから、お二方のことも気安く呼んでもいいと、許可をいただけると嬉しいですね」
動じた様子も無く、公爵は言ってのける。
「とは言っても、プリラード流にファーストネームでというのは慣れないでしょうから、タカナサンとジングウジサンと呼ばせていただけませんか?」
そこまで言われてしまえば、断る理由が見つからない。
「こちらも、さん、を付けて良いのでしたら」
なるべくなら呼びかける機会が無いといいなぁと思いつつも、駿紀が頷く。名前にさんをつけたりして失礼にあたるのかどうかはわからないが、彼の理論から行くと、王家のモノでもあるステューダー姓で呼ばれるのは好みではないのだろう、と思ったのだ。
「ええ、もちろん。楽しく一週間が過ごせそうですね。良かった亅
ひどく嬉しそうに頷き返すものだから、つい公爵という身分だということを忘れそうになる。
「タカナサンとジングウジサンは、フィサユはご覧になりましたか?」
器用に料理を片付けながら、無難に話題をつないで来る。
「ええ、少しだけですが」
そこから先は、あたり障りの無い、という形容詞がぴったりの会話だ。駿紀たちもさほど構えなくていいが、アルマン公爵という人物を見極める機会も無い。
食後のコーヒーまで行ったところで、普通の会話になってから必要外に口を開かなかった透弥が、静かに尋ねる。
「ところで、グッシュラー公夫人のおかげんはいかがですか?」
「ありがとうございます、風邪気味程度なので、心配はいらないと思いますよ」
アルマン公爵は、に、と口の端を持ち上げる。
「というのは表向きでしてね。実のところを言えば、私がシャヤント急行に乗りたいばかりに、少々両親を強引に説得して、風邪になってもらったんです」
どこまでが冗談で本気なのか、掴み難くて困惑する。
「なんにせよ、ひどくないなら何よりですが」
駿紀が無難なところで返すと、アルマン公爵はいたずらっぽい笑みのまま付け加える。
「父もあの年齢ですからね、一週間も電車に揺られるのは辛いかと。でも、それを言うと怒りますしね」
グッシュラー公の年齢は知らないが、目前にいる公爵は木崎や勅使と同年代の四十代後半くらいに見える。ということは、普通にいけば両親は七十代越したか半ばくらいだろう。
祖母よりは十近く若いのだろうが、確かに一週間全て揺られ続けるのは辛いに違いない。
「お優しいんですね」
素直に出た駿紀の言葉に、青い瞳が瞬く。それから、笑みはどこか柔らかいものへと変わる。
「いや、でも大事にしたいと思っていますよ」
それから、ちら、と自分の懐へと視線をやる。
「さて、そろそろセカンドシッティングの時間のようです。せっかくお知り合いになれたことですし、よろしければ、バーの方に移動しませんか?」
ちら、と視線を走らせると、紗耶香たちもそのつもりのようだ。ひとまずは、乗り合わせている人間の人となりくらいは見ておきたい。
頷いて、駿紀たちも立ち上がる。



ベッドメイキングが済んだ車室に戻り、カラーを外してから駿紀は大きく息をつく。
バーサロン車へ移動した後すぐ、駿紀はアファルイオとルシュテットの親衛隊長につかまった。
各国へと効果的に沿線警備の協力要請をしたと思われる紗耶香からどう聞いたものか、リスティア軍総司令官直属ということで護身術など語り合えないものかと期待されたらしい。
その点は、同一人物ではあるが総司令官ではなく、警視総監直属だと透弥が訂正した。が、駿紀は元陸上選手でもあったなどという余計なことを付け加えたおかげで、結局のところはつかまりっぱなしだったのだ。スクールの頃は何かと陸上の大会には出ていたから、嘘を吐いたわけではないあたりが透弥らしい。
もっとも、透弥自身は、アファルイオ国王とルシュテット皇太子という、ある意味とんでもない組み合わせにつかまっていたが、駿紀が見たところでは、全く意に介さず相手をしていたように見えた。
紗耶香自身は、アルマン公爵の相手をしていたようだ。自分の目でどういう相手か見極めたかったのだろう。
最終的に、セカンドシッティングを終えた外交官たちもやってきて、その場は小さな外交の場と化した。
四大国の首領たちは、それなりに早めに切り上げたが、駿紀たちは外交官たちの人となりを見極める為に、それなりの時間残っていた。
今は現地時間で夜中の一時を回ったところだから、まだまだプリラード国内だ。引かれたカーテンの隙間から外を見てみても、ほんの時折街灯らしいものが見えるくらいで、寝静まっている時間帯だと知らされる。
「なんか、こう、アレだな」
「何だ」
同じく、楽そうな格好になった透弥が面倒そうに返してくる。指示語だけではわからない、と言いたいらしい。
「ああと、なんていうか……」
言葉を捜すが見つからず、結局は直截な単語を吐くはめになる。
「くたびれるな、やっぱ」
「だが、ひとまずは顔と名前くらいは一致したろう」
シャヤント急行のゲスト、特に各国の外交官たちのことだ。
「そりゃ、あんだけお国訛り入り標準語やられたら覚えるよ」
うんざりと返して、はた、とする。車室を出る前、もう一度名簿を読み上げてくれと頼んだ駿紀に透弥は返したではないか。
声を聞けば問題ない、と。
「ああ、そういうことか。うん、覚えた」
納得して、もう一度頷く駿紀に、透弥は首を傾げてみせる。
「で?」
「ざっとしか見てないし、こっちもいくらか酒入ってたってのはあるけど、今のところ外交官の中に臭うのはいなかったな」
くしゃ、と髪をかき回す駿紀に、透弥は視線だけで続きを促す。
「少なくとも、ルシュテットとアファルイオの親衛隊長は旅を楽しんでたよ」
陛下たちの方は透弥の領分だ、と言外に返す。なんせ、駿紀は今日のところは会話といえるほどには言葉を交わしていない。
「陛下方も同様だ。陛下同士でかなり気が合ったようだな」
いくらか透弥の口の端が持ち上がる。
「何だよ?」
「いや、お嬢さんは大した策士だ、と思っただけだ」
意味がわからず、駿紀は瞬きをする。
「ルシュテット皇太子が乗車するよう仕向けたのはお嬢さんだ。カール皇子と共に乗車するという情報がどういう結果を引き起こすか、充分に承知の上で」
「アファルイオ国王を引っ張り出した、ってわけか」
「軍事よりも文化に重きを置くルシュテット皇太子の地位が安定した上、アファルイオとの関係が良好であれば、リスティア周辺の安定は約束されたも同然、しかも取り持ったのはリスティアと恩も売っている」
言われてみれば、全くその通りだ。
「確かに、そう考えると下手な外交官より、よっぽどやり手だな」
「総司令官では出来ないことでもあるが」
「何にしろ、あの様子じゃリスティアにケンカ売る気は無さそうだよ」
駿紀たちに関心があるのは、まさにその点だ。
シャヤント急行走行を妨害する理由があるか無いか。
「アルマン公爵は」
そこまで言って、駿紀は口を閉ざす。少し考えてから言い直す。
「公爵って、本当に外出てないのか?」
透弥は無言のまま、続きを待っているらしい。
「何かこう、妙に気安いっていうか。もちろん、ああいう立場の人なら相手の国の習慣をある程度知ってるってのはありだけど、それ以上になんかこう、庶民的って感じがしたんだよな」
なにかがつっかかっている気がするのだが、それが何かわからず、駿紀は眉を寄せる。それをどうとったか、透弥は軽く首を傾げる。
「では、偽者だと?」
「俺には、少なくとも人とコミュニケーション取らずにいたとは思えない。一足飛びに偽者と決めつけも出来ないけどさ。神宮司はどう思った?」
ベッドとなったソファとは反対側に背を預けつつ、透弥は軽く肩をすくめる。
「人とコミュニケーションを取らずにいたわけではない、という点は賛成だ。かといって、入れ替わっているかどうかの判断は出来かねる」
全く同じ結論を述べて、口を閉ざす。
駿紀は、大きく伸びをする。
「今日のところは、これ以上はどうにもならないってことだな。今から車内探索なんてしてたら、俺らが不審人物だろうし」
いくら防音などにこだわっているのだとしても、他に迷惑でもあるだろう。
透弥も、軽く頷く。
「どっちかって、こだわりあるか?」
訊くだけ無駄だとは思いつつも、駿紀がベッドの上下を指で指すと、案の定、面倒そうに透弥の眉が寄る。
「じゃ、俺、上でいいや」
駿紀は独り決めして、上のベッドへと上がる。
「おやすみ」
返事を期待するつもりもなく、いつもの癖で言ったのだが。
ややの間の後、ぼそり、と返ってくる。
「おやすみ」
言葉と同時に、部屋の明かりがほとんど落ちて、薄暗くなる。
体を横たえてみると、通常の車両よりは少ないものの、やはり揺れを感じる。が、吹きさらしやどしゃ降りの中で張り込んでいるより断然いい、という駿紀の考えも、すぐに薄れて消えていく。

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