□ 万籟より速く □ FASSCE-5 □
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目覚めてみると、外はすっかり明るくなっているのがカーテン越しにわかる。体内時計には自信があるのだが、一応は確認した方がいいだろう、と駿紀は枕元を探って首を傾げる。
無い、と思いながら体を起こして、思い切り頭を天井にぶつける。
「げっ」
痛みで、完全に目が覚める。
そうだったシャヤント急行に乗車したのだった、しかも二段ベッドの上に寝たのだった、と、しっかり思い出す。
「ってー」
頭をさすりつつ、横に伸びて下を覗いてみる。透弥は先に起きていたらしく、すっかり身支度を整えた姿で、逆さまの駿紀の方を見やる。
「おはよう、よく眠れたようだな」
その口調がいくらかおかしそうなので、駿紀はつい唇をとがらせる。
「おはよう、おかげさまで。時間、わかるか?」
透弥は視線を落とすと、ベストのポケットから時計を取り出す。
「6時だ」
「ありがとう、当たりだな」
言いながら降りてくと、不審そうな視線と目が合う。
「もうセースに入ったってことは時差四時間だろ、リスティアなら11時頃だと思ったから」
それだけのことか、というように透弥は手にしていた書類へと視線を落としてしまう。必要外に口を開こうとしないのはいつものことなので、駿紀も気にせず着替え始める。
「あ、そういえばさ、前から思ってたんだけど」
「何だ」
思考を途切れさせられて、不機嫌そうではあるものの、透弥が返してくる。
「神宮司の時計、カッコいいよな」
返事が無いので振り返ってみると、透弥は不可思議な表情でこちらを見ていた。
「何だ、悪いこと言ったか?」
「……いや、よく見ていると思っただけだ」
つい、と視線が落ちて、時計がしまわれたポケットを見やる。
「これは、父の形見だ」
どこか苦い口調なのは、気のせいだと思うことにして、駿紀はヒトツ頷く。
「へえ、そうなのか。羨ましいよ」
怪訝そうな視線が上がるのを見て、付け加える。
「俺の親父のは、跡形も無いから」
駿紀の両親が事故で亡くなったことは、透弥もすでに知っている。一拍の間の後、
「そうか」
とだけ返して、透弥は再び書類へ視線を落とす。
身支度を整え終えた駿紀は、カーテンを開ける。
広がるのは、あたり一面の畑だ。リスティアで見るより、ひとつひとつが格段に広い区画になっている。
「へえ、やっぱ違うもんだな」
思わず言うと、背後から、ぽつり、と声が聞こえてくる。
「セースの主体産業は農業、近辺にはブドウ畑も多いはずだ」
「ブドウ?」
思わず問い返すが、返事は無い。少し考えてから、ああ、と思い当たる。
「ワインか、なるほど」
納得したところで、扉がノックされる。
開けると、笑顔で客室係の早川が立っていた。
「おはようございます。ベッドを片付けに参りました」
「おはようございます」
早速作業に取り掛かり始めた早川へと、駿紀は何気ない調子で尋ねる。
「スタッフも、少しは眠れるんですか?」
「はい、私はおかげさまで。皆様、夜はごく静かに過ごされたようです」
軽い仮眠が取れそうな椅子が用意されていたことは、昨日のうちに見ている。呼び出しを待ちながら、そこで寝たのだろう。が、言葉のうちに含まれているのは、それだけではない。
「おや、相棒はそうじゃなかった?」
「そのようで」
一瞬微苦笑を浮かべるが、すぐに愛想のいい表情に戻る。
「すぐに朝食をお持ちいたします」
客室係を見送って、どちらからともなく顔を見合わせる。
「朝食終わったら、車内見といた方がいいよな」
「ああ」
透弥が簡潔に頷いたところへ、言葉通り、すぐに朝食が運ばれてくる。
一体いくらするのかと想像するのも面倒になるような趣味のいい食器と香りのいいメニューが並んでいく。
「では、ごゆっくり」
相変わらずにこやかなままの客室係が扉を閉めるのを見届けてから、駿紀は手を軽く合わせる。
「いただきます」
いつもの癖でやってから、ああ、と苦笑する。
「西洋風のご飯の前じゃ、ちょっと違うか」
「リスティアは八百万の神の国だ、構わんだろう」
少なくとも、透弥自身はそういう習慣に関して気にはかからないということらしい。あまりのんびりしてる暇は無いので、頷き返して駿紀も朝食に取り掛かる。
今日はコンチネンタルタイプのようだが、すぐに動こうと思っている駿紀にはありがたい量だ。
キレイに平らげ、食後のコーヒーなんていうのまで楽しんでも、時間はまだ七時前だ。
「ルシェルに到着するまで、あと十五分ってところか」
自分の時計を見ながら確認すると、透弥も頷く。
「この様子ならば、定刻通りだろう」
「乗客の乗り降りは無いはずだよな」
「その予定だ」
朝っぱらから書類の確認をしていた透弥の頭の中には、昨日以上に詳細に記憶されているに違いない。きっぱりとした口調は断定だ。
「じゃ、行くか」
駿紀が立ち上がったところで、軽く扉がノックされる。
「はい」
扉を開けると、品の良い笑みと共に立っていたのは客車長とでも言うべき小松だ。
「ご挨拶が大変遅れまして失札いたしました。トレインマネージャーの小松でございます」
軽く会釈をしてから続ける。
「お客様と客車のことでしたら私が、レストラン、バーのことでしたらメートルデトルの佐伯が、機械的なことでしたら機関士の浅田が、貨物のことでしたら私か畑中が承ります」
「それは頼もしいですね」
駿紀の返答に、小松は再度、小さく会釈する。
「私共はシャヤント急行の安全かつ正確な運行に全力をあげて臨んで参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします」
もう一度頭を下げる小松に、駿紀は首を傾げる。
「総帥から何か聞いていますか?」
聞いていなければ先ほどの発言にはならないが、遠回しの言い方に終始しているので、まどろっこしくなってきたのだ。
「はい、お二方には何をおいても従うように、と承っております」
「では、早速ヒトツお願いがあります。この車内で人であろうがモノであろうが、少しでも変だと思うことがあったら、必ず教えて下さい」
小松はいくらか困惑顔で頷く。
「出来ます限りは」
駿紀は、ちら、と透弥を見やる。
トレインマネージャーといえば、シャヤント急行の最高責任者だ。普通なら全てから頼られる立場にあるわけで、財閥総帥に指示されたからといって素直に他人に協力を仰ぐ気にはなれないのだろう。
「シャヤント急行、しかも開通号に乗車するというのは、名誉なことでしょうね」
口元にうっすらと笑みを浮かべて、透弥が尋ねる。
「ええ、それはもう」
マネージャーはいくらか胸を反らせたようだ。
「財閥総帥秘書自らの面接に通られたそうで」
「総帥からお言葉もいただきました」
どうだ、というように付け加えたのに、透弥はただ笑みを返す。毒たっぷりだなぁ、などと駿紀が傍観していると、マネージャーはいくらか不安な顔つきになる。
「それが、何か?」
「いえ、貴方の功績に公務執行妨害などというくだらないケチがつかないことを祈っただけですよ」
さらり、と付け加える。
「私共も総帥からは、この列車の運行の安全に留意して欲しいと特に言われておりますので」
総帥のお墨付きと、官憲の権力をちらつかせられては、ひとたまりもあるわけがない。
「いや、私共ももちろん、最大限に協力させていただきますとも。何かありました時には、すぐにご報告させていただきます」
深々と頭を下げて出て行くのを見送って、駿紀は肩をすくめる。
「客の扱いなら上手なんだろうけどな」
「だからこそ、警察には関わりたくないのだろう。基本的に穏便に済ませる選択肢を選びがちだ」
理解していてアレなのだから心底タチが悪い、と駿紀は心で呟くが、下手に言えば自分も毒舌の餌食だ。
「ひとまず、車両を見に行こう。この様子なら、色々と見て回っても文句は言われないだろうし」
透弥が頷くのを確認して、駿紀は扉を開く。
先ずは、二両目の客車の客室を廊下から確認し、さらに後ろへと移動する。
ちょうど外交官たちへと挨拶をしていた小松に貨物室を開けて貰い、ざっと構造と荷物を確認を済ませたところで、列車はセース首都ルシェルの駅に滑り込む。
四大国を横断する豪華急行を一目見ようという人々が駅近い沿線に山ほど立っていたが、ホームは、その喧騒が嘘のように静かだ。
降り立ってみると、すぐに山高帽を被った男が走って近寄って敬礼する。
「セース警察のクラブリー警視です」
「お疲れ様です。リスティア警視庁の隆南巡査長です」
己の階級を言ったということは、ソレを返せと要求されてることはわかる。が、口にした結果が容易に想像出来すぎてうんざりとしてしまう。
案の定、挨拶を返した視線の先にあるのは、階級が上の人間らしいどこか横柄な視線だ。
クラブリーが口を開こうとした瞬間に、透弥が静かに口を挟む。
「同じく、リスティア警視庁警視の神宮司です」
「え、あ、これは失礼」
急にクラブリーの顔つきが変わる。まさか、こんな若い男が警視とは思いも寄らなかったらしい。
「神宮司警視、当駅に停車中のことは我々にお任せ下さい。全力をもって警備にあたらせて頂きます」
「了解しました。お手並みを拝見させていただきます」
無表情なままに釘を刺され、クラブリーはきっちりと敬礼して去っていく。後姿になった途端、透弥は不愉快そうに眉を寄せて方向転換してしまう。
「どうしたんだよ」
「ああいうのを視界に入れ続けるのは、不愉快だ」
本当に嫌そうな表情なので、駿紀はこみあげてきた笑いを噛み殺しながら、まだ見ていない機関車の方へと歩き出す。
「神宮司って、警視だったんだな」
キャリアは警察官になった時から階級が違うし、その後の昇進も速いことは知っていたが、そこまで行っていることには正直驚いたのだ。
「どうしても受けろと強制されただけだ」
更に不機嫌そうに透弥の眉が寄る。なるほど、昇進試験受験を強制されたわけだ。
「おかげで俺は必要以上に嫌な思いしなくて済んだよ、ありがとう」
駿紀の笑みと視線が合うと、透弥は小さく息を吐いてから、苦笑を浮かべる。
「相手が不勉強だったからだ」
「え?」
「階級名称が同一でも、地位が同列とは限らない。少なくとも、俺はこういった現場を指揮する立場では無い」
確かに透弥の言うとおり、二人とも現場で捜査にあたる刑事にすぎない。
「けど、今はどうだろうな。なんでもありな立場になってる気がするけど」
駿紀が首を傾げながら言うと、透弥は軽く肩をすくめる。
「言い方を変えれば、今この瞬間もシャヤント急行の安全走行を監督する立場ではある」
食堂車の前では、シェフの大山が真剣な視線で食材のチェックを行い、合格と判断したらしいモノをレストランスタッフの細川とフロアスタッフの日高が勢いよく積み込んでいっている。
あの様子なら、そうそうは異物は紛れ込むまい。
バーサロン車を通り過ぎ、機関車へと近付くとしきりに下の方を覗き込んでいる人物がいる。
制服からして、シャヤント急行関係者のようだ。
「どうしました、何か異常でも?」
「ああ、ええと、その」
急に声をかけられて、振り返った青い瞳の男はひどく驚いたらしい。なにやらしどろもどろになっている。
「異常が発生していないかの確認です。長距離走行の実績は残念ながら少ないので、念には念を入れているところですよ」
運転席の窓から、中年の男が顔を出す。
運転士の浅田だろうと判断して、駿紀は笑みを向ける。
「実際にこれだけの長距離を走るのは、何度目なんですか?」
「あまり大きな声では言えませんがね、二度目なんです。ですが、最新式の計器と機構は実に順調ですよ。こうして二人が良く点検してくれますしね」
言われて、運転士補助のヘーゲルは照れたように微笑んで会釈をすると、また点検へと戻っていく。
「なかなか、いい乗り心地ですよ」
駿紀が返すと、運転士は嬉しそうに笑う。
「それは、どうもありがとうございます」
こちらも、少なくともルシェル駅に停車中になんらかの手を加えられる可能性は少なそうだ。
方向転換したところで、近付いてくる人影に気付く。
「おはようございます。お二人とも、良く眠れました?」
目前まで来た紗耶香は、にこり、と微笑む。
「おかげ様で」
一人で近付いてきた理由は、訊かずともわかる。
「乗客中で不可思議なのは、今のところは公爵ですね」
本題をはっきりと言うと、紗耶香の笑みが別種のモノに変わる。
「と、言うと?」
「人とコミュニケーションを取らずにいたとは思えないが、偽者と断定は出来ない」
「偽者かどうかと問われたら、外見に限れば私はホンモノと判断するわ。理由は、あの瞳と髪の色よ」
問われる前に根拠まで述べてから、紗耶香は小さく首を傾げる。
「あの色味を染めて出すという特殊技術を持っていると言うのなら別だけど。もっとも、あの特殊な色を出そうと思ったら、旧文明産物でも持ち出さなくては無理でしょう」
「でも、中身はそうは思わないってことですか?」
駿紀の問いに、紗耶香は首を傾げたまま返す。
「教養は上流として申し分ないわ。でもお二人が言うとおり、人前に出ずに篭っていたとは思えないの」
自分たちより、ずっと数多く上流と言われる立場の人間に会う機会の多い紗耶香も同じ見方をしているわけだ。
何か言葉を継ごうとした紗耶香を、駿紀の手が軽く動いて制する。
「ウワサをすれば」
ほんの小さく透弥が言い、紗耶香も納得して振り返る。近付いてきたアルマン公爵に向いたのは、花のようなと形容すべき笑みだ。
「おはようございます。よく眠れましたかしら?」
「ええ、もちろんです。素晴らしい朝食もいただきましたよ」
外に出る時の仕様なのか、しっかりと高い帽子と眼鏡を身に着けているが、口元には柔らかい笑みを浮かべている。
「タカナサンとジングウジサンも、おはようございます」
挨拶を返すと、つい、と列車とは反対方向をステッキで指してみせる。このステッキは足が悪いわけではなく、プリラードでは紳士のたしなみであるらしい。
「ルシェルの駅の造りはなかなかいいですね。ほら、美しい建造物がいくつも見えていますよ」
言われるがままに視線を動かすと、確かに豪奢な造りの駅には、ところどころに大きな窓が備え付けられている。遠目にルシェルで有名だという塔が見えているし、その周辺にも美しい細工が施されている建物が見える。
「ルシェルにも、数多く地球時代の建物が移設されているそうですね」
「ええ、フィサユとはまた異なる趣がありますわ」
紗耶香が笑みを浮かべたまま返す。
「塔から見て、右手にあるのが宮殿です。建物も素晴らしいですが、有名なのは庭園ですわ。例えば……」
さすがに実際に回っているだけあって、紗耶香の説明は生き生きとした景色が広がるようだ。その言葉にいちいち感心したように頷く公爵の横顔を、駿紀は観察する。
瞳が、眼鏡で隠れてしまっているのは毎度のことながら厄介だ。どうも正確に表情が読みきれない。
紗耶香が一通りの説明を終えたところで、トレインマネージャーの小松が乗車を告げる。
その声に弾かれるように走り出した人間がいるのを見て取って、駿紀と透弥は歩き出さずに待つことにする。
すぐに二人の目の前まで来たルシェル警察のクラブリーは、透弥へと敬礼する。
「停車中の異常はありません」
「そうですか」
返答をどうとったのか、真剣な口調で付け加える。
「我々は、何ひとつ見落としてはおりません」
「お疲れ様です」
一応の礼儀をもって敬礼を返すと、急ぎ足で客車へと乗車する。
駿紀たちが最後だったらしく、すぐに、列車はホームから滑り出す。
いつまでも敬礼の姿のまま見送るクラブリーを見届けてから、駿紀は透弥へと振り返る。
「さて?」
「お手並みを拝見させていただくべきだろう」
今度は前へと移動して、食堂車、バーサロン車と明るい日の下での様子を確認する。
「へえ、一応は機関車へも移動出来るようになってるんだな」
狭いながらも厨房としか言いようの無い場所の隣の細い通路から身を乗り出して、駿紀が確認する。
外側からおおよそは見ていたのだから、不思議は無い。身体を元通りに引き戻して、駿紀は振り返る。
「こっちはやっぱり、異常らしいものは無いよ」
透弥も、軽く頷いて方向転換して歩き出す。
二両の客車も、貨物車も先ほどと変わらないようだ、と思ったところで、駿紀は首を傾げる。
何か、違う気がする。
一度軽く目を閉じ、朝見た景色を思い出してみる。
もう一度、視線を落とす。
「なあ、神宮司。セースの連中、何ヒトツ見落としはございませんとか言ってなかったか?」
言葉と共に指差した方へと、透弥も視線を落とす。
二人の視線の先では、客車と貨物車を連結している部品のヒトツであるボルトが、いくらか緩んでいた。

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