□ 万籟より速く □ FASSCE-6 □
[ Back | Index | Next ]

緩んだボルトの状況を見ていた透弥が、立ち上がる。
「どうだ?」
駿紀の問いに、軽く肩をすくめる。
「このままなら、トリヤに到着する前に貨物車は切り離される」
「かなり、ゆっくりにしか緩んでないように見えるけど?」
動き自体は、後ろから見ていた駿紀にも充分に見えている。
「一つ目が落ちれば、ガタが大きくなって二つ目からは累乗で速くなる」
なるほど、ソレを見極める為に、わざわざ時計を持ち出して睨めっこをしていたわけだ。
「地味に効く嫌がらせだな」
命を脅かされるわけではないが、外交官たちの荷物のほとんどは目前にある貨物車に積み込まれているはずだ。しかも、ボルト外れならば整備ミスとされても仕方ない。
あれだけ張り切っている運転士たちを見ていなかったら、駿紀たちも同じように判断したかもしれない。
「借りた道具に、当然、スパナはあるだろ?」
駿紀の言葉に、軽く透弥は眉を寄せる。
「完全に締め込むのは無理だ。しかも、少しでもブレれば、返って速度を速めかねない」
透弥の言うことはもっともだ。電車の揺れの中でボルトを動かせば、意図したのと反対に回る可能性は充分にある。
「列車を止めるのは無理だぞ」
誰が許しても、紗耶香が許すわけが無い。
ボルトを見つめつつ、考えるように顎に手をあてていた透弥は、いきなり駿紀の脇を通り抜けて歩き出す。
「おい?」
「そこにいろ」
「命令形で言うなって」
駿紀の言葉を聞いているのかいないのか、その後姿はすぐに自分たちの割り当てられた客車へと消えて行く。
「ったく」
呟いて、今いる客車と貨物車との連結部分へと視線を戻す。
停車中に細工されたといのが最もありうる可能性だ。となると、それをした人間はやはり乗客乗員の中にいる、と断定せざるをえない。
余計な人間が近付いていれば、さすがにルシェル警察だとて見落とすはずは無い。
誰が、を早く見極める必要がある。
それは、最初からわかっていることではあるが、改めて思う。
考えに沈んでいるうちに、透弥は何か目的を果たしてきたようだ。手になにやら持っている。
が、ソレをはっきりと目にした駿紀は、不審そのものの顔つきになる。
「なんだ、そりゃ」
「見ればわかるだろうが」
面倒そうに言い、透弥は手にしたソレを駿紀の目前に突き出す。
「いや、だから、ウォッカをどうする気だって訊いてる」
「ボルトに塗られたオイルを落とす」
きっぱりと言い切られて、駿紀は瞬きをする。
「締める時に噛まないよう、薄くオイルがさされている。ソレを落としてしまえば、緩まる速度は確実に遅くなる」
「なるほど、それでアルコール度数の高い酒か」
やっと理解して、駿紀は頷く。
「でも、ボルトの下の部分は落とせても隙間はどうする?」
「だから、一本融通してもらってきた。出来る限りは拭き取り、後は洗い流してみるしかない」
「了解」
言ったなり、駿紀は上着を脱ぎ捨てて腕をまくる。
「念のためにボルト全部やっといた方がいいよな」
相談する間もなく、自分がやると決めてかかってる駿紀に、透弥は微苦笑を浮かべつつもウォッカの栓をひねる。
駿紀は身体を沈めて、腕を伸ばす。
「ウォッカくれ」
「ああ」
濡れたハンカチを受け取ると、揺れに身体がブレないよう支えながら駿紀はボルトの油を拭き取っていく。
何度かのハンカチの往復の後、ボトルで直接洗い流し終えて顔を上げると、入れ替わるように透弥がもう一度覗き込む。応急処置の効果のほどを確認しておかなければ、片手落ちだ。
視線を上げた透弥は、駿紀の目線での問いに、頷き返す。
「トリヤまでは、問題無い」
「このままなら、だろ?」
細工をしたのが乗客乗員の誰かだ、ということに透弥が気付いていないわけがない。貨物車が切り離されない、と気付けば、また同じことをしにくる可能性はあるだろう。
「気付かれたとわかったとしても、細工し直す時間を考慮すればトリヤまでに貨物車が切り離されることは無い」
「直にボルト外そうとしても、そうそうは出来い、か。ひとまずは回避、と」
ヒトツ息を吐いた駿紀に、透弥は小さく肩をすくめてみせる。
「トリヤ到着までは、まだ七時間以上ある。走行妨害を狙っているバカが乗車している可能性がより高くなった以上、何度かは確認が必要だ」
言いながら、また濡れたハンカチを差し出されて、駿紀は唇を尖らせる。
「もう細工は終ったって」
「隆南の手だ、油がついているだろう」
言われて視線を手元に落としてみれば、確かにその通りだ。
「あ、悪ぃ」
大人しく受け取って、手についたのを拭き取る。
上着を羽織り直し、客車へと歩き出しながら駿紀は首を傾げる。
車両用のメンテナンス道具の中に、油を落とすモノくらいは入っていたかもしれない。それを借り受けてこなかった理由は簡単だ。
細工をされた可能性があると、それに気付いたと、誰かに知られるのは得策では無い。
「何て言って、ウォッカもらってきたんだ?」
「停車中に興味本位で車体を見ていた時に、うっかりと触って油をつけてしまった、と」
シェフだかレストランスタッフだかは知らないが、それを告げた透弥の手についていないことは見て取ったに違いない。ということは、興味が強すぎるのは駿紀ということになったわけだ。
「あー」
結果的に手に油はついたので、間違いではないのだろうが、なんとなく気の抜けた相槌になってしまう。
でも、透弥もハンカチを二枚も駄目にすることになったのだから、おあいこということにしとくか、などと言い聞かせつつ客室へと戻る。



客車と貨物車の連結部分が緩められていた以外の異変は、昼食までのところでは起こらなかった。
レストランに揃った顔は、昨晩と変わらない。
今日は駿紀たちの前に座っているのは紗耶香で、他とは少々離れて話がしやすい席が選ばれている。
「早速、というわけね」
表情はあくまでにこやかに、紗耶香は冷えた口調で確認する。
「Pの情報通りということになりますね」
駿紀が返すと、一瞬、皮肉な笑みをよぎらせる。
「この車内で何か起こるとすれば当然の情報でしかないわ。問題は、誰が、ということよ」
「何人か、という点も問題ですが」
透弥が静かに口を挟む。
「有名な推理小説並では無いことを祈るわ」
「少なくともルシュテットとアファルイオには、理由が無い」
冗談めかした口調だったのに、相変わらず透弥は平坦な声で返す。ちら、と上がった視線は、試すような色合いが無くも無い。
「違いますか?」
「当たりよ。アファルイオは北方民族の問題がうるさすぎて、他国にちょっかいを出す暇なんて無いの。むしろ、周辺とはしっかりと結んで彼らをけん制したいのが本音ね」
見てきたように彼女ははっきりと言う。外交官としてではなく、あくまで民間企業として入り込んでいる天宮財閥には、現地の民情が手に取るようにわかっているのだろう。
「ルシュテットも同様。最近では落ち着いてきたけれど、アファルイオとは反対側の国境線で小競り合いが多かった分の疲弊がまだ取りきれていないわ。相打ちに近くなるような状況は、絶対に避けたいことよ」
昨晩、透弥が見立てたことは、的を射ていたわけだ。
「ふうん、神宮司の言う通りだったな」
思わず駿紀が呟いたのに、どういう意味か、と紗耶香が目線で問う。が、透弥は面倒そうに駿紀を見やっただけだ。
仕方ないので駿紀が口を開く。
「いや、ルシュテットとアファルイオにとって、ここで首脳同士の親睦を深めて外交を安定させておくというのは、歓迎だってことです」
紗耶香は、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それだけ?」
駿紀は、一瞬言葉に詰まる。透弥の言ったのはそれだけでは無かったが、口にしていいものか迷ったのだ。
が、透弥が、あっさりと暴露してしまう。
「その状況を作り出す為に、お嬢さんは彼らを引っ張り出した」
にこり、と紗耶香が破顔する。当たり、ということらしい。
「昨晩は、そのことについて、二人に身に余る光栄なお言葉を溢れるほどに頂いたわ」
大変に感謝された、ということなのだろう。
「ルシュテット皇太子とアファルイオ国王はともかくとして、カール皇子と田親衛隊長が別組織と繋がっているという可能性は?」
その点も駿紀たちの間では所感の確認はとっているが、紗耶香がどう見ているかを聞いておいて損は無い。
「カール皇子は父よりも兄を慕っているわ。同属嫌悪と自分に無い長所への憧れとが相乗効果を生み出してる、と言えばわかりやすいかしら」
そういえば、ルシュテット皇王も武辺な人だと聞いた。
「アファルイオ親衛隊長は、王に命がけよ。もし今のような疑いが戯言であれ耳に入ったら、それだけで自決しかねないわね」
紗耶香がそこまで言うのだ。
「やはりルシュテットとアファルイオの四人は、今回の件に関しては完全に無関係。ファーストシッティングの中で、白黒つかないのは」
言いかかった駿紀の言葉は、そこで立ち消える。
視界の端に、ふ、と見たことのある視線が映ったように思ったのだ。
「隆南?」
「ああ、ごめん。白黒つかないのは一人だけだな」
どこか煮え切らない口調に、透弥は一瞬視線を寄越すが、何も言わずに食事へと戻る。
「外交官たちの方は、どうなんですか?」
「ラーナレン、ヴァリ、ラミ、シェランド、フィヨトートは相互互助のような関係を結んでいるから、足並みを乱すようなことをするのは考えにくいと思うけれど」
「でも、ラーナレンはシャヤント急行の路線を持っていますよね?」
駿紀が遠回しに何を言いたいのかを察して、紗耶香は肩をすくめる。
「それを言うなら、ミエナもね」
「別ルートの線路を破壊するのは直接的過ぎるにしろ、自国を通そうという目論見の為に貨物車を切り離すのは遠回し過ぎる」
透弥がきっぱりと言い切るのに、駿紀は首を傾げる。
「だとしたら、他は?今じゃなくて、これから乗車する国で緊張があるところは無いとは言わないだろ」
リスティア、もしくは四大国に対しては友好的でも、隣国とそうとは限らない。
「そうね、ヴォツエビナとボチェコシシアのような複雑な国もあるわ。どちらも多民族国家で、各民族間での折り合いが悪いだけでなく、互いの近い民族に肩入れしあっていて始末が悪いわね」
紗耶香は、笑みをいくらか大きくする。
「でも、顔を合わせないようにするくらいの配慮は持ち合わせてるわ」
乗り合わせる中ではアルカリアとルジュクセは国境線に関する問題を抱えているし、リーリアとウュハルトも仲がいいとは言いかねる、と彼女の口は淀み無い。
「でも、今のところ国としてリスティアにケンカを売りたい国は無いわね」
「ましてやルシュテット皇太子とアファルイオ国王が乗車しているとなれば?」
駿紀の問いに、にこり、と紗耶香は笑う。
ルシュテットとアファルイオの間を取り持ったのも事実なら、言葉は悪いが沿線からの襲撃をけん制する人質であることも事実だ。
「今のところ、プリラードが一気に『Aqua』の盟主を狙っているというので無い限り、国家的なモノでは無いということになる」
「となると、アホ考えてる連中をあたらないとならないけど」
各国警察や準ずる機関に照会することは出来るが、停車中に確実な情報が返ってくるかという点が、いかにも心もとない。
そんな駿紀の含みは、透弥にも紗耶香にも理解出来ている。
いくらか、ゆっくりとした口調で、紗耶香が口を開く。
「出所を問わない、と言うなら」
「余計な面倒を背負い込まないなら」
透弥が、あっさりと返す。刑事たちだって、人に大っぴらには言いかねる情報源を持っていることがままある。だが、その余波に他人を巻き込むことがあってはならないのが不文律だ。
「その手のバカは絶対に無いわ。了解、手を打ちましょう」
決然とした口調で紗耶香が言い切り、この話は今のところここまでだ。
後は、通過中のセースのことや、次に停車するトリヤを首都とするサラチダの見所や名物の話になる。



「トリヤまでは、無事到着したな」
駿紀の言葉に、透弥は視線を寄越しただけだ。
あれから、時折車内を見て回ったが異変は無く、プリラードの習慣だとかいうアフタヌーンティーなるお茶とお菓子などを車室に差し入れられたりして、妙に優雅に過ごすことになった。
得られた情報といえば、二両目の客車係であるジェフ・ホーキンズが眠れなかったのは、セースとサラチダの外務大臣がかわるがわるトイレに行っていたせいだった、ということくらいだ。
怪しげなことが無かったのは幸いだが、彼にとっては気の毒なことだった。
今、二人はトリヤのプラットホームに立っている。
外の空気を吸いに出たような顔つきで、外交官たちの乗降を見ている、というわけだ。アフタヌーンティーをのんびりと飲んでいるのか、他は誰も降りてきていない。
というより、遠目にとはいえ物々しく兵たちが立っているのを見て、出てくる気がしなくなっただけなのかもしれない。あからさまに警備している、という感がたっぷりだ。
駿紀たちにしても、あまりうろうろと歩き回ってはいけないような雰囲気があって、移動はしていない。おかげで、もう一人の運転士補助には顔をあわせることが出来ずじまいになりそうだ。
それはそうと、この位置に立っていると、トレインマネージャーの小松がにこやかに一人一人へと挨拶していくのが、はっきりと見える。
「アルカリア」
「外務大臣、ディミトリス・ミトロプーロス」
駿紀が小松の口の動きを読んで小さく告げると、透弥が低く返す。
「ヴォツェビナ」
「外務大臣、ダリオ・ゴトヴァツ」
透弥はすでに、乗客乗員名簿が頭に入っている。
ルジュクセはトゥンジャイ・ダヴァラ、ホラントはヤン・ホイヘンス、リスガルはマヌエル・デ・マメーデ、ルフィアはイリアン・マハリャノフ、と間をおかずに返してくる。
「国際色豊かだってのはわかったけど、さっぱりだ」
一発で暗記出来るような名前ではない、と駿紀は嘆息する。もっとも、後から声を聞けばどうにかなるだろうから、さほどは気にしていないが。
外交官たちが乗り込んだのを見届けて、トレインマネージャーの視線がこちらへと向く。
そろそろ、発車時刻と告げているらしい。駿紀たちも、車室へと戻る。
ほどなく列車が動き出すのを確認してから、視線を透弥へと戻す。
「今回は、後ろの客車総入れ替えだよな」
「最後尾のツインが空く」
「ああ」
透弥の少々物騒な言葉が効いたらしく、小松に尋ねたら詳細に返ってきたのだ。
「客室の鍵を持ってるのは」
「トレインマネージャー、客室係、貨物係、そして乗客。スタッフが持っているのはマスターキーだ」
了解、の意味で首を縦にふると、今のところはここまで、というように透弥は口をつぐむ。
「どうする?もう一度、車内見てくるか?」
「いや、まだ二両目が落ち着いていないだろう」
それもそうだ、と駿紀は頷く。今は、客室係が部屋の案内などをして回っているだろう。お茶なども持っていくとなると、廊下を使いたいに違いないし、何か変な動きがあれば気付くだろう。
進行方向とは反対になる側のソファに腰を落とし、駿紀は車窓へと目をやる。
「サラチダも、けっこう雰囲気違うんだな」
やはり、首都は各国で趣が違う。
「やっぱ、百聞は一見にしかずってのは本当だ」
「余裕だな」
透弥が肩をすくめるのに、駿紀は軽く唇を尖らせる。
「わかってるけどさ。それとこれとは、また別だろ」
「実際、見る余裕がある時はそれでいいだろう」
あっさりと頷いて、透弥も車窓へと視線をやる。
「そのうち、リスティアの人がいっぱいこっちへ旅行に来たりするようになるんだろうな」
「航空機が一般的になるまでは無理だろうが、いずれは」
どこかしこに原色が見え隠れする街を過ぎた頃、車室の扉が遠慮がちにノックされる。
「はい」
返事を返すと、恐る恐るといった様子で顔を出したのは、二両目の客車係、ジェフ・ホーキンズだ。
「くつろいでいらっしゃるところ、大変申し訳ございません。トレインマネージャーからの伝言で、最後尾の客室にいらっしゃってはいただけないかと」
二人は、どちらからともなく顔を見合わせる。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □