□ 万籟より速く □ FASSCE-9 □
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細い路地を右へ左へと曲がって行くスピードは、なかなかに慣れたものだ。
「土地勘ありそうだな」
駿紀が嫌そうに呟く。こちらは初めての街なのだから、かなり不利になる。
「振り切られないしかない」
透弥の言うことはもっともだが、なかなかに入り組んだ地形だ。相手に気付かれぬよう何気なく、かつ見失わない速度というのは難しい。
「今んとこ、マズそうなとこには入ってきそうに無いのが救いだな」
言って、ちら、と周囲を見回す。
「ここらも地球時代の移築とかなのか、すっごいな」
石造りというのか、レンガ造りというのか、リスティアでは見かけない造りの建物ばかりだ。
「地球時代の様式を模倣している、というのが正確なところだろう。しかも、各時代のものをかなり忠実に再現しているようだ」
「へーえ、散歩じゃないのが残念だ」
透弥は、小さく肩をすくめる。
こうも道が複雑に入り組んでいるのでは、警察官という立場としてはありがたくないことこの上無い。
「とと」
巻かれては元も子も無いと、ついつい早足になっていたのを、駿紀は慌てて緩める。
前方の二人が、突然足を止めたのだ。
透弥も目を細める。
が、佐伯と大山はあたりを見回すばかりで、どこかに入っていくわけでもないし、かといって待ち合わせの相手を待っているようでも無い。
「目的地に着いたってわけじゃ、無さそうだけど」
二人は、すぐに動き出す様子も無い。
首をひねりつつ駿紀が透弥を見やると、地図を広げている。
「それって、ゴットバのか?」
「ここでフィサユのを広げても意味が無い」
いつの間にそんなものを、と訊いたところで返ってくるのは似たような答えだろう、と駿紀は割り切る。
「今は?」
「これがゴットバの駅、今はここだ」
どこをどう曲がったかと訊かれれば、駿紀もおおよそは答えられる。が、土地勘の無いここで、透弥のように言い切ることは出来ない。
今、地図を広げたのは確認の為であって、透弥の頭にはすでに必要な部分は入っているということだ。
「小さな店が多いみたいだけど」
周囲を見回しながら、駿紀は確認する。
「ああ、そのようだ」
視線を上げずに、透弥が返す。
相変わらず、佐伯と大山は見回すのを止めていない。その仕草をややしばし眺めていた駿紀は、小さく首を傾げる。
「なあ、神宮司」
「なんだ」
「アレ、迷ってるんじゃないか?」
地図から視線を上げた透弥は、駿紀と同じ方を見やる。ややの間の後、いくらか眉が寄る。
「そのようだな」
「ハズレ、か」
がっかりしたような、ほっとしたような、奇妙な気分で駿紀が呟くのと、さ迷っていた佐伯の視線が合うのとは同時だ。
「げ」
怪しい素振りでは無さそうだと思って、油断した、見つかった、と内心は焦るが、そんな様子を見せたらつけてきたと知らせるようなモノだ。駿紀は、人の良い笑みを浮かべる。
笑顔を返して、佐伯たちがこちらへとやって来る。
「良かった、言葉の通じる人に会えました」
仕事の時の完璧な接客とは違う、ほっとしたのが滲み出ている口調で佐伯が言うと、大山も苦笑気味に頷く。
「しかも、地図を持ってらっしゃるようで」
やはり、迷っている、で正解だったようだ。駿紀は笑みを浮かべたまま尋ね返す。
「迷われましたか?」
「ええ、そうなんです」
素直に頷いて、佐伯は首を傾げる。
「この近くに、こういう店があるはずなんですけど、見つからなくて」
差し出してきたのは、絵葉書だ。そこにある単語を指差してみせる。標準語で綴られた文章の中にヒトツだけ混じったボチェコシシア語であるらしい単語に、駿紀は瞬きをする。
「正確な発音がわからないので、訊くわけにもいかないんですよね」
佐伯も、苦笑を浮かべる。
なるほど、『Aqua』のほとんどの人間は共通語である標準語を話すことが出来るが、固有名詞は各国の発音に準じてしまう。そして、話すことが出来る人が文字が読めるとは限らない。おかげで文字だけの情報では尋ねることも出来なかったわけだ。
「ウ・ヴェイツェ」
いくらか機械的ではあったが、透弥の発音は明らかにリスティア語でも標準語でも無い。
「神宮司、ボチェコシシア語出来るのか?!」
思わず目を丸くしたのは、駿紀だけではない。期待を込められた顔を佐伯と大山にも向けられて、透弥は小さく肩をすくめる。
「残念ながら。発音記号を読むことは出来ますが」
と、地図を示す。
「おっしゃる店は地図に掲載されていますよ。通りを一本、間違えてらっしゃいます」
余計なことは説明しないが、透弥に言われるがままに地図を覗き込むと、ボチェコシシア語の綴りの後ろには何か不可思議な記号がある。そういえば辞書でみかけたことがあるから、これが発音記号だろう。
「ああ、そうだったのですね」
探していた名を見つけて、佐伯が苦笑する。
「全く気付いていませんでした。ホテルマン失格ですね」
「いやいや、全く知らない土地なんですから」
大山がにこやかにフォローする。それから、駿紀たちへと向き直る。
「お二人とも、お昼はどこで食べられるか決めていらっしゃいますか?」
「いえ、まだです」
これは、嘘ではない。事件性があるのなら、食事など気にしている場合ではないのだから。
「では、よろしければご一緒にいかがですか?ホテル勤務の頃に知り合った方がやっている店で、ボチェコシシア伝統の人形劇を見物しながら、郷土料理をいただけるんです。こちらの文化に興味がおありなら、満足されると思いますよ」
佐伯の言葉に、大山も頷く。
「庶民向けの郷土料理というのは、こういう機会でもなければ味わえませんしね」
そういうことだったのか、と駿紀は納得する。佐伯は異国の地の知り合いに会う為に、大山はその知人が供するという郷土料理を堪能したいが為に、抜け出したのだ。
駿紀と透弥は、どちらからともなく顔を見合わせる。
ひとまずは、メートルデトルとシェフの二人が容疑者から外れた、と判断して良さそうだ。ついでに、今から城へと向かった一行に合流したところで昼は食べそびれてしまうだろう。
笑みを返したのは、駿紀だ。
「ええ、町並みを見るまでは良かったんですが、昼までは考えきれていなかったんです」
それは地図を開いていた、ちょうどいい理由になる。
嬉しそうに佐伯が頷く。
「では、是非。リスティア公演に来たのをお世話させていただいたことがあるのですが、味がある素敵な舞台ですよ」
佐伯の言う通りにすることにして、二人に合わせて歩き出す。



怪しい人間を追ったはずが、すっかりボチェコシシアを堪能して戻った駿紀たちを迎えたのは、紗耶香だ。
「アルマン公爵は、余計な人間とは全く接触していないわ」
どこか皮肉に口の端を持ち上げる。
「ご丁寧に、通常の人間と話す時もこちらに声が届く範囲にいたわよ」
むしろその行為が、自分は怪しくはないのだと喧伝しているように映ったのだろう。彼女の瞳は、財閥総帥そのものとは少し違う色だ。
事件を知った時の、強い好奇心を宿したモノ。
皮肉な笑みを浮かべてさえ、形いい唇に細い指が一本立つ。
「要注意」
己は安心な存在だと知らしめようとする者の方が、時に危険。
駿紀たちも、それは充分に知っている。
頷き返すが、駿紀はそれに納得していないのを、わかっている。
刑事として動く時には、完全に証明されることが無い限り誰もが容疑者という鉄則を忘れることは無い。なのに、アルマン公爵を危険な存在と判断しきれない。
その様子に何かを返そうとした紗耶香は、表情をシャヤント急行を開通させた総帥のものへと変える。
「やあ、ご無沙汰してます」
今までの外交官たちには無い親しみを込めた挨拶をしてきた男は三十代後半から四十代はじめといったところで、ルシュテット系を思わせる背と彫りだ。
「ようこそシャヤント急行へ、お会い出来て嬉しいです。ヘル・ミューゼン」
一歩引いた位置で、駿紀は透弥を見やる。
「リマルト公国」
と、口元だけが動く。
どうやら、彼がリマルト公国外交担当のエリク・ミューゼンであるらしい。確か、リマルト公国は三つの公家が合同で治めている特殊な国家で、外交担当と言いながら立場は首脳に近いはずだ。
そんな記憶を搾り出している間に、ミューゼン氏は紗耶香の手を取って、その甲にキスを落とす。
「この素晴らしい汽車にお招きいただき、感謝に耐えません」
「こちらこそ、乗車していただけて光栄です」
卒なく返す紗耶香へと、ミューゼンは苦笑を返す。
「ダニエラを説得するのに、少々骨が折れましたがね」
この場にいなくても大丈夫そうなので、駿紀と透弥は乗車すべく歩き出す。
彼らへと声が届かないところまで来たところで、口を開いたのは透弥だ。
「ダニエラ・タウンゼント、軍事担当だ」
「ああ、あの人か」
リマルト公国の将軍を務める彼女は、なまじ男よりも恐ろしいとさえ言われる。紗耶香ほどではないが、かなり年若いはずだ。それに、世間への露出も多いから、駿紀にもすぐに思いあたる。
もしかしたら、紗耶香と個人的に親しい関係にあるのかもしれない。
となれば、かの国もまた、リスティアもしくは天宮財閥へとケンカを売る理由は無い。
今までの停車駅と変わらず、運転士たちが車両の点検をしているのを横目に客車へと辿りついたところで、ゴットバの警備担当を指揮すると紹介された指揮官が近付いてくる。
物々しい装備は、安定していると言いながら、まだこの国が不安定なのだと知らせている。
「ご苦労様です、汽車の方は、異常ありません」
リスティア総司令官直下と聞いているからか、対応は軍隊式だが、いちいち警官だと訂正するのも野暮というものだろう。
「ご苦労様です」
敬礼を返すと、彼は方向を転換する。
ゴットバからのゲストも揃ったところで、この地からも、もうすぐ出発だ。
トレインマネージャーの小松が、乗車を促す声を上げる。
自分たちの車室へと戻った駿紀は、動き出す車窓の景色を見つめつつ、軽く唇を尖らせる。
「さて、今度の空き室はどうなってるか」
「同じことを繰り返す趣味のバカか、次の手に出てくるか。どちらにせよ、アチラも邪魔が入っていることだけは気付いているはずだ」
「そうじゃないならありがたいけど、そこまでのバカは期待出来ないもんなあ」
面倒そうに振り返る駿紀に、透弥は軽く肩をすくめる。
今回も乗降があるのは二両目の方ばかりだから、結果がわかるのはホーキンズが客への説明を終えて掃除を開始する頃だ。
「しっかし、最近ウルサイ連中っていたっけ?」
どこの国であるにしろ、余計なことをしそうなのがいる組織は事前にチェックが入っていそうなものだが。
「総司令部に行動を読ませないほど大きなモノが動いているか、今回に合わせて動き出したバカがいるか」
透弥の冷静な口調が、何を言わんとしているのかは駿紀にも充分にわかる。
アルマン公爵の正体が見極められない以上、紗耶香のツテから情報が得られるまで、何の結論もつけられない。
公爵の正体の件は、透弥に尋ねたところで無駄だ。決定的な情報が得られるまでは、絶対に決め付けたりしないのはわかっている。
ようは、今、ここで議論したところで答えは得られない、ということだ。
駿紀は、また景色へと視線をやる。
地球時代の模倣だという美しい建築物は川を越えたあたりから減り始め、広がってくるのは見慣れてきた田園風景だ。
「きれいなもんだよな、ホント」
思わず言ってから振り返ると、透弥はバカにした様子はなく、視線を返してくる。駿紀は、そこでつぐもうかと思っていた言葉を、継いでみる。
「リスティアじゃ、こういう風景は見られないよ。ゴットバでのみたいなのもさ」
シャヤント急行のメートルデトル佐伯と、シェフの大山と共に行ったこじんまりとした食堂、ウ・ヴェイツェではとても暖かい歓待を受けた。
食堂の主人であり、人形劇団団長でもあるというイザーク・メンツェルは涙ぐんで佐伯を抱きしめた。
なんでも、アルシナドへ公演に赴いた時、慣れぬ土地で困惑する劇団を大いに支えてくれたのだという。恩義は一生忘れない、こうして訪ねて来てくれて、これほど嬉しいことはない、と標準語とボチェコシシア語をないまぜにしながら語った彼は、劇団を集めて、それは楽しい舞台を見せてくれた。
妻であるハナの心づくしの料理も、それは美味しかった。
「ああいう経験が近くなるならさ、こういう交通手段は大事だと、俺は思う」
「そうだな。良い側面ばかりとはいかんだろうが、世界が近くなるというのは、悪いことでは無いだろう」
透弥らしい冷静さのある言葉に、駿紀は思わず笑みを浮かべる。
「ロクでもない連中を抑えるのに、本当はもっと協力出来りゃいいんだろうけどな」
基本的に、各国の警察は駿紀たちに敬意を払ってくれるが、それはリスティア総司令官直下という肩書きがあるということも大きいだろう。中には、ルシェル警察クラヴリー警視のように些細な体面にこだわるような者も存在する。
世界が近くなるということの功罪は、確かに簡単に語れるものでも無いのだろう。
透弥は、何か返す代わりに扉の方へと視線をやる。
控えめなノックの音に、駿紀も真顔になる。
返事と共に扉を開けると、覗いたのは予想通り、二両目客車係のホーキンズだ。こちらに許可を得る前に、身を車室へと滑り込ませて、後手に扉を閉めてから口を開く。
「また、です」
今更驚くべきことでは無いように思われるのだが、なぜか、いくらか血の気が引いている。
「他に何か?」
透弥の冷静な声に背を押されたように、ホーキンズは小さくわななく唇を開く。
「発車して真っ先に、お客様にご案内をする前に、空き室を覗きました」
一度、唇を噛み締める。
「その時には、何も無かったんです」
必死の声に篭る意味は、はっきりとしている。
駿紀たちが、ほぼ確信していることが証明されたのだ。
空き車室に仕掛けをしていっているのは、シャヤント急行スタッフの誰かだ、と。
「わかりました、ありがとうございます」
しっかりと、まっすぐに見つめながら駿紀が頷き返す。
「ですが、誰にも言わないでいていただけますね?」
今や、最初に言われたその言葉の意味がはっきりとわかって、ホーキンズはいくらか怯えたような視線を上げる。
「貴方なら、出来ますね?」
視線を逸らさず、駿紀は繰り返す。
瞳の強さの意味を正確に取ったホーキンズは、大きく息を飲み込んでからしっかりと頷く。
「はい。『約』します」
そこまでの言質を取ってしまえば、彼に関しては問題ない。次は、空き室に置かれたモノの検証だ。
再び、ベッドに上にこれ見よがしに置かれていた、今までよりは一回り以上小さい小箱を手に車室へと戻ってくる。
「今回も、とっとと分解出来ればいいけど」
駿紀の言葉に返事をせず、透弥は不機嫌な表情で箱を見つめている。
「どうした?」
「信管と火薬を詰めるには小さすぎるし、重量がありすぎる」
言われてみれば、確かにそうだ。
「それに、なんか変なシミがある」
駿紀が指差したところへと、透弥は視線をやる。ややの間の後、箱を見つめたまま、いくらか低い声で言う。
「隆南、シェフから大きな鍋と油をもらってきてくれ」
「は?」
意味がわからず、瞬きする駿紀へと、透弥は厳しい視線を向ける。
「これはナトリウムの塊だ」

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