□ 万籟より速く □ FASSCE-10 □
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正直なところを言ってしまえば、駿紀には、透弥の口にしたナトリウムが何のコトかはわからなかった。が、要求してきたモノが急を要するのかどうかがわからないほど鈍くは無い。
返事の変わりに背を向けたのは、正しかったようだ。
所望通りに用意された鍋に、包みを入れて油を注ぎ込んだ透弥は、今までの爆弾処理には無かったほどの息をつく。
「どういうことだ?」
落ち着いた、と判断して質問すると、透弥はもう一度息をついてから、駿紀を見やる。
「ナトリウムは反応性が高いが、特に水は危険だ。触れれば爆発する」
「この塊全部が、そのナトリウムだってのか?」
「重量からいって、間違い無い。爆発すれば最低前後車両までこっぱ微塵だ。そこまでいかなくても、開けて手に触れれば、すぐに反応して水酸化ナトリウムになる」
「水酸化ナトリウム?」
「ようは、皮膚が溶ける」
「凶悪だな」
今までのが車室ヒトツを焦がす程度だったことを思えば、ずい分な違いだ。
駿紀は物騒な鍋を見つめながら問う。
「同一犯だと思うか?」
「隆南はどうなんだ?」
互いがこの口調で問う時の答えは決まっている。
「邪魔するなら考えがある、と言いたいわけだ」
「なりふりかまわなくなってきたのは間違い無い」
「ちくしょう」
思わず、駿紀は悪態を吐く。
早く相手を見極めなくては、次はもっととんでもないモノを持って来かねない。
「後、残ってんのは」
「コックの細川博、レストランスタッフの日高茂、客車係の早川将明、貨物係の畑中学」
「発車してから入り込んでるってことは、鍵持ってないと無理だ」
「合鍵を作る暇が無いという前提に立てば、だ」
言いたいことを察して透弥が先回りをするのに、駿紀も頷く。
「そこは一度確認が必要だよな。トレインマネージャー、いや、お嬢さんの方か」
小松は客への対応は素晴らしいと思うが、その他は微妙だ。
「で、コレ、どうするよ?客車係が見たら、怪しいとしか思わないぞ」
今までのモノは自分達の荷物にまぎれさせていたが、油の入った鍋はそういうわけにはいかない。
「しかも、次で降ろさなくては、危険極まりない」
「次はどこだ?」
「チェヨビィツェに21時49分予定だ」
駿紀は自分の懐中時計に視線を落として唇を尖らせる。
「八時間弱か。乗降は?」
「無い」
「ってことは、空き室のままか」
初めての事態だ。相手はどう出てくるだろうか。
「その前に、ディナーがあるが」
「げ」
駿紀は思わず声を上げる。夕食を挟むということは、ベッドメイキングがあるということだ。考えてみれば、それだけでは無い。
「んなこと言ったらアフタヌーンティーとかいうのもだよな」
困惑気味にキレイに磨きあげられた鍋を見つめる。
シェフの大山は、一切の疑問をさしはさむことなく、鍋と油を渡してくれた。やむを得ないとはいえ、こんな扱いにしてしまって申し訳無い、と駿紀は思う。
「ホーキンズに言って、空き室のシーツを一枚調達する。くるんでクロゼットにつっこむしかない」
「唯一、手が入らなそうなのはソコしか無いか」
「シェフには、財閥からルシュテット製の鍋でも買ってもらえばいい」
無表情のまま言ってのけた透弥を、駿紀はまじまじと見つめる。
「使い込んで馴染んだものなのは、一目瞭然だ。その程度は当然だろう。ルシュテットに、調理具で有名なメーカーがあるはずだ」
「なるほどな」
笑みを返して、駿紀はシーツを調達すべく客室を後にする。



「開通までの管理なら、海音寺ね」
食堂車で顔を合わせた紗耶香は、あっさりと言い切る。口調は財閥総帥らしいモノだが、表情はゴットバの感想でも聞いているようにでも見える笑顔だ。
「チェヨビツェで確認します」
頷き返してから、駿紀はほんの小さく首を傾げる。
返事は苦笑。
まだ、紗耶香のツテからの情報は入らない、ということだ。
すぐ、アファルイオ国王から声をかけられて、彼女はそちらの席へと腰を下ろす。
自分らはどうしようか、と駿紀が見回したところで、楓と視線が合う。目が合ったと気付いた楓は、控えめに笑みを浮かべて首を傾げてみせる。
彼女にゴットバでの土産話をしつつというのも悪くないだろう、と頷いてそちらへと近付いたと同時に、楓の隣に立った人物がいる。
「私もご一緒してよろしいですか?」
「もちろんです」
楓の返事に、アルマン公爵は笑みを大きくする。
「ありがとうございます。お三方とも、ゴットバでお姿が見えなかったので、どうなさったのかと思いましてね」
腰を下ろしながらの言葉に、駿紀は楓へと視線をやる。
いくらか恥ずかしそうになりながら楓は頷く。
「はい、ゴットバには有名なボビンレースという手作りのレースのお店があると伺っていたので、そちらに」
「楓さんお一人で?」
驚いた、という顔つきのアルマン公爵へと、楓は軽く首を横に振る。
「いえ、日高さんと細川さんとご一緒に。お二方も手作りの店というのにご興味があるとかで」
「ゴットバでは、ずっと一緒に?」
駿紀は、さり気なく問いを重ねる。
「はい、お昼もその近くでいただきましたから。目の前でレースを作ってるいるところを見学させていただいたので、時間が少なくなってしまって、お二方には申し訳なかったです」
と、言ったところへ日高がグラスを差し出す。
「いえ、ご一緒させていただいて、楽しかったですよ。おかげで、良い体験をさせていただきました」
前菜を並べていくのへと、楓も笑みを返す。
「そう言っていただけて、嬉しいです」
「良い買い物をされたようですね。お嬢さんの首元を飾っていたのも、そうでしょう?」
脊髄反射フェミニストの笑顔での透弥の言葉に、恥ずかしそうながらも彼女は頷く。
「とてもキレイだったので」
なるほど、今晩、紗耶香と楓の首元を飾っているチョーカーはボビンレースをアレンジしたものらしい。繊細な織り込みは、確かに綺麗だ。
「作ったんですか?凄いなあ」
「それに、良く似合っていらっしゃる」
アルマン公爵も、微笑んで付け加える。
隣へと視線が行っている隙に、駿紀は透弥を見やる。思わぬところから細川と日高の動きがわかった。海音寺への確認は必要だが、やはりこの二人も容疑者から外す方向で考えていいだろう。
ナトリウム塊などという物騒なモノを、フィサユ発車当時から用意していたとは思えない。不審な人間がホームで近寄れば、警備に当たっていた人間が気付くはずだ。
客車係の早川か、貨物係の畑中か。
あるいは、二人ともが、なのか。
今は、それ以上絞る術は無い。
アルマン公爵の視線が戻る前に、駿紀は楓へと笑みを向ける。
「器用なんですね」
「いえ、ほとんど何もしていないんですよ」
照れて頬を染めながら言ってから、小首を傾げる。
「隆南さんたちは、どちらにいらっしゃったんですか?」
「俺たちですか」
急に振られて、最初に出た理由は尾行の為とは言えずに駿紀が言葉を捜しているうちに、透弥がにこやかに口を開く。
「せっかくですから、地球時代を模倣したという建物の見物に出ました。各時代のモノが揃っていますからね」
途中で同じように出ていた大山たちと出会って人形劇団の店へ、とごく自然な流れで語る透弥に、やはりこの手の会話はまかせるに限る、と駿紀は食事に専念する。
視線は、時折アルマン公爵に注ぎながら、だが。
見る限り、郷土料理の特徴やら人形劇の舞台やストーリーなどに、素直に感心しているようだ。好奇心旺盛の性質らしく、随所で挟む質問はお義理ではなく、実際に興味があるかららしい。
が、こちらの車室での動きに耳をそばだてているのまでを、好奇心で片付けるのは乱暴過ぎる。妙に距離を置いてみたり、懐に入ってきてみたり、定まらないあたりも不可思議だ。
適当に駿紀も会話に加わりつつ、そんなことを考えているうちに、一通りの話は終わる。
食後のコーヒーも並んで、ちょうどいい、というところだ。
「実に、羨ましいご経験をされましたね」
しみじみと言った声は、心からのモノに聞こえる。不可思議だと思うのに、変だとも言い切れない要因はそこらへんにあるのだろうか。
目前の人間だけで判断しなくてはならない状況で、答えを出せということ自体が無理難題だ。
けれど、悪意を持つ人間がいることがわかっているのを、放っておくことも絶対に出来ない。
取り返しのつかないことになる前に、見つけ出さなくてはならない。
だから、目前でにこやかに笑うこの男が何者であるのかも、見定めなくてはならないのだ。
「バーに行きませんか?」
と、にこやかに誘うアルマン公爵へと、駿紀は笑みを返す。



チェヨビツェの次の停車駅、クルニア首都バドアラも夜中に無事通過した。
合間に得られた情報は、紗耶香に確認を頼んだ、シャヤント急行の鍵の件の回答だ。
安全性を考え、客室の鍵は全て当日朝に付け替えられた、と海音寺は言い切った。そして、マスターキーは当日にトレインマネージャーを始め、スタッフに配ったものだ、と。
配った以後に合鍵を作るのは、かなり難しいだろう。
昨晩、楓の話を聞いた時点で判断した通り、早川か畑中か、或いは二人か、そこまでは絞れたと見ていい。
「でも、そっからは絞れないけどなあ」
紗耶香の目的は、表向きは何事も起こっていない状態でシャヤント急行がアルシナドに到着することだ。
特定する為に尋問するのは、もっての他ということになる。
「いい加減、シャレにならなくなってきてるし」
もう、汽車はルシュテット国内に入っている。旅程は五日目、リスティアとの時差も二時間になった。
シャヤント急行の走行を妨害したいのなら、あと三日しかない、ということになる。
「実行犯が絞れただけでは、意味が無い」
透弥の言うことも、もっともだ。例え汽車の中で動く人間を排除出来たとしても、相手の正体が見えない限り、安心は出来ない。
場合によっては、返って外部からの襲撃を招きかねない、ということになる。
「ギリギリまで、粘るしかない、か。今のところは、法則厳守らしいな」
チェヨビツェでもバドアラでも、乗客の乗り降りは無かった。ようは、空いた車室は、ずっとそのままだったわけだ。
が、二駅とも、不穏な物体は置かれなかった。
「次は」
「ファレに11時48分、ジェロナが下車」
ちょうど、ランチの席についているころだ。下車だけではないのはわかっているので、駿紀は頷いて続きを待つ。
「乗車は、クリア外交官エミール・クチマ、ミニーレ外交官シモニ・ミクローシュ、ツェルン外交官リヒャルト・アスペルマイヤー。ラニア外交官が一人になるが、空き室は無い」
「そろそろ、情報入ってくれると助かるけど」
肩をすくめてから、駿紀は車窓へと視線をやり、思わず目を見開く。
「アレが、有名な湖か?」
「ああ、ヤーデ湖だ。ルシュテット二大湖と言われている」
本当に遠くに、うっすらと緑が見えるから湖だ、と認識は出来る。
「海みたいにでっかいんだなあ」
こんなに大きい湖は、リスティアには存在しない。こういう景色を目にすると、やはり実感してしまう。
「勅使さんの言うとおりだ」
「何がだ?」
「だからさ、仕事にしろ、こういう経験は得がたいって」
一瞬目を見開いてから、透弥は口の端を引き上げる。
「なんだよ、神宮司は違うのか?」
「いや」
立ち上がり、透弥も窓へと額を寄せる。
「警官という職にある限り、通常ならば、こんな経験は望んでも出来ない。そういう意味では、特別捜査課という存在にも意味があるということになる」
「素直にキレイだ、楽しいって言えばいいじゃないか」
駿紀が唇を尖らせると、透弥は肩をすくめる。
「素直に楽しいと言うには、ふさわしくない状況だと思うが」
「それもそうか」
苦笑しつつも、窓の外を見つめ続ける。
だんだん湖畔へと近付いていっているらしく、視界はさざめく水でいっぱいになっていく。
ファレへの到着も、もうすぐだ。



「うわ、アレか?」
ディナーの準備をしつつ車窓を眺めていた駿紀は、思わず声をあげてしまう。
「神宮司、やっぱりアレだ。凄いぞ」
まだ前方にしか見えない景色にはしゃぐのに、透弥は小さく肩をすくめてから窓へと近付く。
夜目に鮮やかな、光の橋が目に映る。
「ネーベ湖上の鉄橋を灯りで彩ったな」
「すごい数だよなぁ」
「水面に映っている分、華やかに見えるんだろう」
透弥の言葉に、駿紀は目を見開く。
「はー、何キロくらい続いてんだか」
「後で皇子たちに尋ねてみるといい」
振り返った駿紀は、透弥がうっすらと笑みを浮かべているのを見て、照れた顔になる。
「子供みたいだと思ってるだろ」
「これだけ素直に喜ぶ人間が身近にいるとわかれば、皇子たちもお嬢さんも喜ぶだろうと思っただけだ」
言われて、昼のことを思い出す。
ランチの席で、少し自分に時間を欲しいと申し出たヨーゼフ・ルートヴィヒ・ホーエンツォレルンは、紗耶香から了承を得て立ち上がると、にこり、と微笑んだ。
「ようこそルシュテットへ、お客人。心から歓迎させていただくのと同時に、この美しい国を存分に堪能していただけることを祈ります」
言い切った顔はルシュテット皇太子のモノだった。
「せっかくですから、ヤーデ湖にまつわる物語をひとつ、ご披露したい」
シェフが腕を振るったルシュテット風の料理が並んでいるのだが、駿紀は思わず手を止めてしまった。
「お口に合いませんか?」
いくらか不安そうな声の方を見やると、弟皇子であるカールと視線が合った。自国の味が苦手かと気にしてくれているらしい。
「いえ、皇太子のお話がおもしろくて」
笑顔で返すと、カールも笑みを浮かべた。
「兄は、こういった話にもとても詳しいんです。私も兄に聞いて知ったのですが、この話には悲劇の結末のものもあるのですよ」
昔話だから、伝わり方も様々なのだろう。ルシュテット皇太子は、めでたい場に相応しいものを選んだのだ。
人の良いだけではないところを存分に発揮してみせた皇子は、最後に悪戯っぽい笑顔で付け加えたのだ。
今夜は夜更かししたくなりますよ、と。
その答えが、目前に近付いてくる、灯りで彩られた鉄橋、というわけだ。
「あんなキレイなの見て、ひねたこと考えるヤツもいるのかな、やっぱ」
「ミニーレやツェルンのような隣国は、余計な手出しをするならそれなりの覚悟が必要、と読み取るかもしれない。戦争というものは金がかかる」
駿紀が大きく目を見開くのを無視して、透弥は続ける。
「お嬢さんなら、これだけの経済力があるのならばと、更なる経済的進出を考えるかもしれない。どちらにせよ、これはあくまで推測の一例に過ぎない」
鏡でタイの形を確認してから振り返ると、あからさまにほっとした顔の駿紀がいる。
「なんだよ、推測か。驚かせるなよ、戦争とか言って」
「言葉遊びが好きなのかと思っていたが」
悪びれず言ってのける透弥に、駿紀はからかわれたとわかって、口をへの字に曲げる。
「冗談なら、わかるように言えよ、他の人間にやったらシャレにならないぞ」
「少なくとも各国外交官たちは、ルシュテットの国力が、かなりのモノになっているということは自国に伝えるだろう」
肩をすくめてから、透弥は付け加える。
「アレをリスティアがやったところで、誰も驚かない」
「まぁな、お国柄ってのもあるんだろうけど。そう考えると、外交官ってのも因果な職業だなぁ」
「リデンまでは空き室は出ない。情報が入らん限りは、素直に楽しんでいてもいいだろう」
軽く声を上げて駿紀は笑う。
「ファレでも、結局何にも入らなかったもんなあ。かといって、心から素直ってわけにはいかないよな。やっぱ、警官も因果か」
ノックの音へと振り返り、扉を開けると、早川が笑みを大きくする。
「隆南さん、神宮司さん、夕食のお時間です」
こうして、笑顔で夕食を告げてくれる人間も疑ってかかるのだから。

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