□ 万籟より速く □ FASSCE-13 □
[ Back | Index | Next ]

手にしているモノが何よりの証拠だ。さんざ、二人の手を煩わせてきた物体の続きに違いない。
駿紀が、すぐに近付いてこないことに気付いたのか、畑中は必死の表情で方向転換する。が、扉の前には透弥が無表情に立ちはだかっている。
明らかに威圧感がある視線に、畑中は一歩後ずさる。
ひ、という声が喉の奥から漏れたように聞こえたのは、気のせいではないな、と思いつつ駿紀は背後に近付く。その間に、透弥も間を詰めて手袋をはめた手で器用に手の中のモノを取り上げる。
「何を!」
「はいはい、君の手にはこっちの方が似合うからさ」
透弥に食ってかかろうとした腕を軽くひねってから、前に揃えさせて手錠をかける。念の為と持って来た物が、しっかりと役立つのはありがたいやらありがたくないやら、だ。
「ここはアファルイオだぞ!」
荷物の出し入れを乗客が頼んだところで、手元まで運んでくるのは客車係だ。が、貨物係も一応は乗客を把握しているらしい。駿紀たちが警官だと知らなければ出来ない発言だ。
「確かに走行しているのはアファルイオだな」
プリラード警察の介入を拒んだ時のことを思い出しながら駿紀は頷く。
「スタッフ教育に漏れがあったのか、聞いてなかったのか知らないけど、シャヤント急行の車内はリスティアだ」
「リスティア警察は呆れたごまかしを言ったと訴えるぞ。そんなことあるか!」
いちいち叫び声をあげるのに、駿紀はうんざりしてくる。こちらは耳がいいのだから、この距離ならささやいても聞こえるのだ。余計うるさくなりそうだから、言わないが。
「各国で停車中に入国手続きがあったのは、車体はその国に入ってきているからなんだってさ。でもリスティアからって取り扱いだから、早かっただろ?国によっては、三十分以内に二十人以上の手続きなんて終わるのが奇跡だって聞いてるけど」
具体例を出され、どうも嘘ではないと認識はしたようで、畑中は唇をかみしめて、じっと駿紀をにらむ。
「そういうわけで、車内で何かあった場合、リスティア警視庁管轄になるんだよ」
と、一応、警察手帳を見せてやる。
正確に言えば、リスティア警視庁生活安全課鉄道警察隊の仕事になるのだろうが、目前に事件がある場合はその限りではないから、問題無いだろう。
そんなやり取りをしているうちに、透弥は畑中が持ち込んだモノの検分を終えたらしく、視線を上げる。
「爆弾だが、猶予の無い状態では無い」
視線での問いに応えて返してから、付け加える。
「ここは、長話には向かない」
「そうだな、両隣さんにご迷惑だし」
駿紀が手錠をかけた腕を上に持ち上げると、透弥が畑中の身体検査を始める。
「やめろ!」
「危険物持込と殺人未遂の現行犯だということを自覚した方がいい」
平坦な声で言い放ち、透弥はあっさりとマスターキーを見つけ出してから、靴先を踏みつける。
「いてっ!」
思わず声を上げるのに、容赦なく反対の足もだ。
「だから、いてぇってのに!」
「靴先には何も仕込んでない」
「了解、じゃ、移動するか」
完全に無視されて不満そうにむくれたまま、畑中は移動した先の貨物室の床に座り込む。
こちらに積み込まれている中に他に余計なモノが無いかを駿紀は確認する。
「一応、前も見てくるよ。総帥とトレインマネージャーにも言っといた方がいいしな」
畑中の手前、紗耶香のことを総帥と呼んだのだが、その単語での畑中の表情の変化を二人とも見逃さない。
透弥が小さく頷くのを見て、駿紀は後方の貨物室を後にする。
レストランでメートルデトルと打ち合わせしていた小松に、実行犯を捕らえたことと後方の貨物室を使いたい旨を伝えると、あっさりと了承が返ってくる。
鍵を開けた時点で、それなりの覚悟を決めていたのかもしれない。
バーサロン車にいた紗耶香も、ほんの微かに眉を寄せたのみだ。
腰を下ろすことなく通り過ぎる駿紀を凝視していたのは、アルマン公爵だ。
前の貨物室にも異常が無いことを確認し、後方へと戻る時にも、アペルダムの駅でこちらをうかがった時のように、鋭い視線を向けている。
が、駿紀はあえてソレを無視する。
畑中と繋がりがあるのなら、勝手に動き出してくれるはずだ。

貨物室に戻ると、透弥は客室より断然明るい光の下で黙々と爆弾を解体している。
畑中は、ふてくされた顔を駿紀へと向ける。
「俺捕まえて、爆弾もパーにしたんだから、もういいだろ」
「イイわけないだろ」
何を言ってるんだ、というのをにじませながら駿紀は返す。
スタッフの休憩用らしい椅子を引っ張ってきて、背を前にして座る。
「むしろ、コレカラだろ」
「もう、停車駅無いじゃないか」
「あるよ、アルシナドが」
きっぱりと返すと、畑中の肩がびくりと揺れる。
駿紀は、やっぱり、と心で呟く。
「開通号の見学者ん中に、お仲間まぎれてるだろ」
「だったらどうだって言うんだ」
開き直ったらしく、畑中はふてくされた顔で駿紀をにらみ返してくる。
「わかってて訊くなよ」
にこり、と人の良い笑みを向けてやる。
「じゃ、そっちだって俺が何て言うかわかってんだろ」
「素直に全部教えてくれるって?」
「んなわけあるか!誰が仲間売るような真似すんだよ!」
前半は予測通りで、後半には投げやりに拍手してしまう。
「わー、立派立派」
ますます険しい表情になる畑中を無視して、駿紀は透弥を見やる。
「無差別大量殺人未遂犯にも友情があるとさ。俺、ついていけない」
「そんな度し難いのに無理についてってやる必要は無い」
透弥は畑中の方を見向きもせずに言い切ると、立ち上がる。爆弾の処理は終わったらしい。
「考えずに放棄するなよ」
駿紀が軽く唇を尖らせると、不機嫌そうに眉を寄せる。
「学生時代に妙な思想にかぶれた上に、斜め上に構えて就職活動したら失敗した。その恨みを大量殺人という形で世間にぶつけている」
そこで、言葉を切る。
「これ以上はごめんだ」
別に駿紀も、本気で透弥に畑中の心境を解析しろと言いたかったわけではない。結果的に、必要なことをしゃべってくれればいいのだ。
「そうだよな、じゃ、これでオシマイだ」
とっとと扉へと向かう透弥と、椅子を片付けにかかった駿紀を睨むように見ていた畑中は、ぼそり、と言う。
「待て、ヒトツ訂正していけ」
「訂正?何を?」
「大量殺人だよ、誰が、いつそんなことしたよ?!」
「しようとした、だろ。未遂なんだから。どっちにしろ、大量殺人って単語は訂正もクソも事実じゃないか」
面倒極まりないという口調で駿紀が返してやると、畑中はまた怒りで頬を染める。
「だから、どこが!爆弾は全部、部屋の天井を焦がす程度だったろうが?!解体したんなら、それっくらいは見分けつくだろ?!」
「解体したから知っているんだが?二個目までと今回のモノは開けた人間が、場合によっては致死の可能性のある火傷を負わせる可能性が充分にあったし、三、四個目に至ってはこの列車を粉みじんにするだけでなく、近隣の住宅を巻き込むだけの威力があった。詳細は後の取調べの時にでも確認しろ」
透弥が不機嫌そのものの顔つきで、淡々と事実を述べる。
「自分が手にしたモノの威力も正確に見積もることが出来ないとは、お粗末至極だ」
「嘘だ、この列車が吹き飛ぶなんて、あるわけない。だって、それじゃ」
「それじゃ、お前も死ぬって?覚悟済みだと思ってたけど、違ったってわけか?」
呆れた、という顔つきで駿紀が被せてやる。畑中は、二人の顔つきから爆弾の威力について、嘘をつかれているわけではない、と理解したらしい。
す、と、その顔から血の気が引く。
「まさか、そんな」
あまり意味の無い単語が、口から漏れる。
「天井焦がすだの、人に火傷負わせるだのでも充分に犯罪だけどな」
「プリラード、ルシュテット、アファルイオ、他、巻き込まれた国家全てを不安定どころか戦争に巻き込みかねない。国家騒乱罪も加えられる」
「バカな、俺たちは戦争が無いようにしたくて」
必死の声で口を挟んできたところで、なんら事実が変わるわけではない。
「『Aqua』の人間全員殺せば、戦争は無くなるとでも?」
「そりゃ壮大だな。すげぇよ、それを本気で思いつけるあたりが」
バカらしくて付き合ってられないというのがありありとした二人の皮肉が、きちんと耳に入っているのかいないのか、畑中は口の中でブツブツと呟くばかりだ。
あと一押しというところだろう、と駿紀は踏む。
「本当の狙いは天宮財閥総帥というところだな。怪我でもすれば怯えて大人しくなる、とでも踏んだんだろ」
「直接のきっかけはシャヤント急行開通、高級寝台列車がもてはやされるのは長くはない、財閥の力を見せ付ける為に、国家予算を無駄に投入させている、などと誰ぞに吹き込まれたというところだろう」
透弥の言葉は、畑中の意識を元に戻すのに充分だったようだ。きっとした視線が上がる。
「そうだろうが!あと十数年もすれば、民間での航空機の行き来が始まるんだぞ!この列車よりずっと早いとなれば、これに金を払う金持ちなんぞいなくなる」
「航空機を利用出来るほどの所得が無い者向けにリニューアルすればいい。大陸横断とまではいかずとも、移動の安全を保証され、これだけスムーズに移動可能となればリーズナブルになることを望んでいる潜在的利用者は充分にある。それこそ、グレードの幅を広げれば収益は充分に見込める」
ぐ、と詰まったところに、透弥は更に言葉を重ねる。
「どうあがいたところで、航空機のコストと汽車のコストの差は現状では埋まりようが無い。ということは、貨物線としての価値はほぼ永遠に失われることは無い。その程度のこと、部外者でも十二分に考え付くことだ」
トドメまで、きっぱりと言い切る。
少なくとも、畑中が犯行に走るキッカケと根拠は、ほぼ潰したらしい。
「ま、今晩のところはここで大人しくしてろよ。それでもトイレくらいは行けるからさ。じゃ」
駿紀が肩をすくめて言う。透弥はもう口を開く気は無いらしく、無言のまま背を向ける。

アルマン公爵は、すでに自分の客室に戻ったようだ。入ってからは、出てきていないと早川から確認してから、自分たちの客室へと戻る。
「明日は九割九分、ゲロってくれそうだけど」
駿紀の歯の奥に何か詰まったような言い方に、透弥が振り返る。
「二人でカタがつきゃいいけど、紛れてる人数によっちゃマズいよな」
「事前にアルシナドの駅に連絡を入れる方法必要だ、と?」
「それこそ、無理難題だろ。二人でどう抑えるか考えた方が」
そこまで言って、ぱくりと口を閉じる。停車しないシャヤント急行から連絡を取るなどと言い出すのだから、透弥に何か考えがあるのだ。
「いや、何かあるんだな?」
「いくつか前提条件があるが、無いことは無い」
どんな、と駿紀が問う前に、透弥は軽く首を横に振る。
「あくまで、無いことは無い、というモノだ」
どうしても必要となるまでは言いたく無さそうなので、駿紀もそれ以上は尋ねない。
「ひとまず、爆弾の解体は以上終了だよな。神宮司、ありがとうな」
「隆南が礼を言うことじゃない」
透弥らしい返答だ、と駿紀は口元に笑みを浮かべる。
「そうか?でも、実際助かったよ。にしても、どこで覚えたんだ?志願兵役でそんなこと、俺はやらなかったけど」
「志願兵役中じゃない。最終学府に入ってからだ」
手早く寝る準備をしつつ、透弥はあっさりと返してくる。が、それは駿紀には充分に驚きだ。
「え?リスティア国立大って、んなことが普通に勉強出来るのか?」
「火薬の精製と効果的な誘爆は、研究対象として充分だから研究室はある。望めば、授業として選択は可能だ」
なるほど、研究している教授が存在すれば、当然、授業も存在するわけだ。だが、国家公務員を目指す者がわざわざ選択するようなモノには思えない。
「ってことは、神宮司は最初から警官になるつもりで、最終学府行ったのか?凄いなあ」
感心しきった表情の駿紀に、透弥は怪訝そうになり、いくらかの間の後、苦笑を浮かべる。
「そうじゃない。進学して一年半ほどしてから、警官を目指すことにしたんだ」
「で、それから、爆弾だのなんだのって授業受けたのか?」
「四年も経験を積まずにいるのに、相応の知識を得ていなかったら、キャリアの意味が無い」
たいていのキャリアは、そんなことは考えてないだろうと思う。本当に、透弥らしい、とも。
いつもは自分のことは全くといっていいほど話さない透弥が、珍しく少しは口をきく気でいるようなので、駿紀はいくらか首を傾げてみる。
「そういや、司法試験も通ってるんだろ?」
最初に特別捜査班が組まれる時に、木崎が嫌味な経歴だと言わんばかりに何か言っていた覚えがある。当時、自分もそう思ったのだが。
「ああ、検事を目指していたから」
経歴として残っている以上、誰もが尋ねることなのだろう、透弥は何の感慨も無さそうにあっさりと答える。
駿紀の目から見ても、透弥に検事は似合いそうだ。性格的なことを考えたら、警官よりは向いているかもしれない。
「なんで、検事じゃなくて警官になったんだ?」
それも、訊きなれた質問だろう。
「検事実習中に、警官の方が自分にはやりがいが」
半ば、機械的に答えかかった言葉が、途切れる。
「神宮司?」
呼ばれたのが聞こえているのかいないのか、透弥は何か考えるように、口元に軽く指をやる。少し遠くなった視線は、時折見るものだ。
すぐに、それはまっすぐな視線に戻って、駿紀を見やる。
「実習中に、自分が目指すべきモノは検事ではなく警官だとわかったからだ」
模範解答ではなく、透弥は本当のことを口にした。
目指すべき、と定義しているのが何か、までは踏み込み過ぎだ。透弥も、そこで話は終わりとばかりに肩をすくめる。
「で、隆南はどうなんだ」
「俺?」
「なんで警官になろうと思ったか、人に訊くだけか」
透弥から、そんなことを言われると思いもしなかった駿紀は、目を丸くする。が、すぐに笑みを浮かべる。
「ちっさい頃に迷子になって、助けてくれた警官がカッコよく見えてさ、親に「約束」したから」
駿紀が人に尋ねられた時、いつも答えることだ。数少ない亡き両親との約束を守りたいと思ったのに、嘘は無い。が、それだけでもない。
「でも、多分、本気で警官を目指そうと思ったのは親の事故の時だ」
視線で続きを促され、駿紀はベッドと反対側にもたれかかる。
「正面衝突してきた無免許のヤツさ、やったら頑丈なのに乗ってて、ほとんど怪我しなかったんだよ。親父たちが血まみれなの見てたのに、逃げたんだ」
通報して、救急車を呼んでくれたのはだいぶ後に来た後続車の運転手だった。その間に、両親は失血死していたのだ。無論、内臓等も無傷でなかったろうから、病院に行けたところで助かったかどうかはわからない。
それでも、という思いを消すことは、絶対に一生出来ない。
「担当だった警官が、そりゃ親身になってくれたんだよ。こんな卑劣なヤツは許さない、絶対に罪に問うって言ってくれて。そして、本当に逮捕してくれた」
親が帰ってくるわけではない。でも、犯人が野放しという状況より、どんなにか救われたか。
「俺も、少しでもそういうことが出来りゃいいと思ってさ」
上手い言葉は見つからないし、足りてもいないと思うけれど。
「そうか」
透弥は、静かに頷く。



翌朝の景色は、すでにリスティアだ。
朝食を終えて貨物室に顔を出してみると、昨晩の言葉が塩のごとく充分に染み渡ったらしく畑中はしおれきっていた。
むしろ、駿紀たちが現れるのを待っていたらしく、泣きそうな顔を上げる。
「しゃべるよ、全部しゃべるから。だから、止めてくれ。俺、人殺しなんかするのはまっぴらだ」
その言葉通りに、洗いざらい話し出す。
プラットホームの見学者としては三名が当選したこと、うちヒトツは、かなりゲストに近い箇所であること。アルシナドに残っているメンバーの名前と身体的特徴、最も中心的な人物は誰なのか。
思い出せる限りのことを、畑中は必死でしゃべり続ける。
それを一通りメモし、間違いがないかと付け加えることが無いかの確認を終えるところまで出来たのが、昼前。
昼食に顔を出さないわけにはいかないので、二人は食堂へと向かう。
また、皆とはいくらか離れた二人席を選んで、駿紀は首を捻る。
「こりゃ、やっぱり可能なら連絡した方がいいんじゃないか」
「最も先鋭的なのが紛れ込むとすると、万が一を考えざるを得ない」
透弥も、反対はしない。となると、だ。
「連絡方法って?」
「警笛だ」
一瞬、目を丸くした駿紀は、すぐに勢いよく頷く。
「ああ、そうか!アレなら音で伝えられる」
「だが、言葉は選ばなくてはならない」
顔を輝かせた駿紀とは対照的に、透弥は眉を寄せる。
「軍隊共通のモノでは、犯人にも中身が知れる」
「参謀部独特のとかは?」
透弥は、一年だが所属したことがあると言っていた。が、透弥は軽く指を振る。
「今回の警備に参謀部が来るわけ無いだろう」
「そりゃそうか。でも、その手の暗号になりうる信号だろ?」
透弥が言い出したからには、何か心当たりがあるはずと思うのだが。
「たった一人宛になら、無いことは無いが」
たった一人、というのは、駿紀にもすぐ思い当たる。
「勅使さんか」
休みが取れるはずだから、と笑っていた笑顔を思い出す。だが、一課の木崎班、二課の勅使班と並び称される検挙率の班を率いている身の上だ。予定通りに非番になっている保証はどこにも無い。
むしろ、それはある意味奇跡に近い可能性がある。
「でも、やるしかないだろう。入線して伝わってないことがわかったら、俺が走るよ。ちょっと目立つけど、お嬢さんになんとか誤魔化してもらう」
「わかった。だが、問題はもうヒトツある」
「もうヒトツ?」
「シャヤント急行が、走行しているということ」
あまりに当然のことを問題と言われて、駿紀は目を見開く。
「え?」
「音の伝わり方は、速度で異なる。よくよく計算して、正確に間合いが取れなければ、誤解を生む送信をしてしまう、ということだ」
そういうことか、と理解して、駿紀は首を傾げる。
「でも、そういう計算は神宮司得意だろ」
「計算だけでは意味が無い。アルシナドに向けて速度は次々に変わっていく。警笛を正確に鳴らすのが一人、速度に合わせて間合いを正確に取るのが一人、そして速度を確実に読み取るのが一人必要だ」
計算結果を照らし合わせて間合いを取るのは透弥しか出来ないだろう、同じく、警笛を鳴らすのも駿紀だ。となると、速度を読み取る人間が必要だ。
運転士たちは、走行に集中してもらわないと困る。
「んなこと出来るの、一人しか思いつかない」
「が、アルシナドで運転席から降りてくる、というわけにはいかないだろう」
「身支度だってあるだろうしな」
思わず、眉を寄せてしまう。
「あとさ、アルマン公爵もだろ」
そのまま放って置いていいものかどうか。自分たちが運転席の方へと移動するなら、尚更だ。含みがあるとすれば、最後に動かないとは限らない。
「お嬢さんに話してみるしかないな」
透弥の結論は、駿紀も賛成だ。

話を聞いた紗耶香は、ごくあっさりと言う。
「私にしか出来ないなら、私が行くわ」
にこり、と微笑む。
「運転席にいた理由は、後からどうにでも出来るでしょう」
「それは駄目です」
突如、挟まれた声に思わず三人とも、振り返る。
貸しきり状態のバーサロン車の隅で、じっと紗耶香の用件が終るのを待っていた楓が、頬を染めて立ち上がっている。
「はしたない真似をして申し訳ありません。ですが、到着セレモニーの演出上、運転席から降りてくるというわけにはいきません」
きっぱりと言い切るが、紗耶香は皮肉に口の端を持ち上げただけだ。
「打てる手を打つことの方が大事でしょう?それとも、他に出来る人間に思い当たりあるのかしら?」
「はい、私です。きっと、いえ、絶対にやります」
紗耶香は、ヒトツ、瞬きをする。それをどうとったのか、楓は必死の顔で言葉を継ぐ。
「どうか、お嬢様のようになれるよう務めて参りましたことが、身代わり以外でもお役に立つと知る機会を下さい」
「確かに、命を捨てるんじゃなくて、むしろ救う為だよな」
と、駿紀が頷く。
「お嬢さん並のことが出来るのなら、問題ない」
透弥も、言い切る。
紗耶香は、もうヒトツ、瞬きをしてから。
ゆっくりと笑み崩れていく。
「そうね、楓。貴女がいたわ。お願いしましょう」
それから、いくらか小さな声で付け加える。
「ありがとう」
楓も、頬を染める。
が、駿紀が目を細めて低く囁く。
「誰か立ち聞きしてる」
息を飲む楓に向かい、指を立てる。楓は、両手で口元を押さえる。
駿紀が二人を背にかばい、透弥がすばやく扉に寄る。胸元から銃を取り出しざま、その額へと押し付けながらトリガーを降ろす。
「動くな」
目を見開いて、ゆっくりと両腕を上げたのは、アルマン公爵、その人だ。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □