□ 八千八声の客 □ shard-3 □
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顔を上げた池田は、先ほどまでとはまるで印象が違う。
抑えきれない感情で頬を紅潮させ、目には強い意思が宿っている。
図星だな、と駿紀は確信する。
平坦な口調で皮肉を言ってのけた透弥も、全く動じずに彼女の視線を受けている。
どうやら、ここまで期してきた慎重さを全てひっくり返すつもりらしい。というより、すでにやってるけど、と駿紀はため息混じりに思う。
席をはずしていた透弥には、駿紀がどう対応していたかなんて、わかるわけは無い。が、一瞬のチャンスを逃さない観察力の持ち主が、この場の空気を読めないとは思えない。
なんとなくだが、あえて駿紀と視線を合わせないようにしているような気もする。
「阿部雄太があんな行動に出たのは、あなたを思うあまりだという事実に耐えられなくなりましたか?」
いくばくかの間の後、透弥は再び口を開く。
ますます池田の頬には赤みが増したので、これも事実だな、と駿紀は思う。
阿部雄太が正確にどんな犯罪をしでかしたのかは知らないが、透弥の口ぶりからいくと、恋愛関係の何かから犯罪に走ったようだ。
中条班が動いたくらいだから、凶悪な殺人ということだろう。どこらが、というのは別にして。
何にせよ、少なくとも恋愛に関しては、あまり賢くは無かったと言っていいだろう。そんなことをしても、最終的にイイことは無いのだから。
実際、こうして阿部の想い人のはずの池田は、こんなことをしでかしている。
池田が何も返さないと見て取って、透弥が、言う。
「残念ながら、起こってしまった事実を無かったことにする能力は、警察にはありません」
どこを探したって、そんなモノあるわけ無いだろ、思わず心でツッコんでしまってから、そういう問題ではないと駿紀は軽く首を振る。
先ほどまでの半ば責めているのとは、打って変わった静かな透弥の口調は、逆に池田を煽ったようだ。
「そんなことは、わかっています!」
いくらか声が高くなる。
透弥は、口調も表情も人質も刃物も感知してない冷静さで返す。
「では、なぜ、ここにいらっしゃったのですか?」
ぐ、と池田は唇を噛みしめる。先ほどまで、駿紀が何度訊いても返らなかった問いだ。
が、今度はすぐに口を開く。
「どうして、雄太だけが捕まるんですか?!どうして、一人で罪を負わなくてはならないんですか?!」
透弥は、言葉ではなく視線のみ返す。
直に視線を向けられた方はブリザードが吹き荒れそうな冷ややかさを味わっているに違いない。外れたところから見ている駿紀まで、冷え込みそうだ。
なんせ、透弥は思い通りに相手を煽ることが出来る。誰とでも打ち解けられるのが特技のはずの駿紀が、アレだけムカついたのだから間違いない。いや、そういうことじゃなくて、と慌てて自分にツッコむ。
なんだって、透弥は池田をこんなに刺激するような真似をするのだろう?事件に限らず、個人的な感情というのには縁遠いタイプだというのに、なにやら池田が気に入らないとしか思えない態度だ。
駿紀だとて、人の命を盾に取るような人間を好きになどなれないが、ココで表に出しはしない。
それに、事件解決後も何らかの不満を警察にぶつけてくる人は、他にもいる。たいていは受付で相応の対応をするけれど、時には通過して自分たちのところまで到達する者もある。
透弥とて、所轄も経験しているのだから、知らないわけはないはずなのに。
先ほどから余計なことばかりに思考がいく理由のヒトツは、透弥が相変わらずスキを作らないからだ。何とか、流れを変えようと池田へと視線を戻す。
池田は、透弥の視線を興奮気味に見つめ返している。
いや、見つめるというよりは睨んでいると言った方が正しい。会話を続けるうちに感じた、どことない危うさが瞳にはっきりと現れている。
マズいなぁ、と心でため息をついてしまう。
このままでいけば、最も危うくなるのは津田だ。命はともかく、少なくともケガを負うリスクはとてつもなく高くなっている。
それとも、池田はある程度まで怒ってしまえば、すっきりとしてしまうタイプだとでもいうのだろうか。
駿紀の伝えた情報を元に透弥はそれなりに調べてきたのには違いない。電話が切れてから、戻ってくるまでの間の意味は、それしかない。
となると、情報量の多い透弥に主導権がある、と言われてしまっても仕方無い部分はあるのは事実だ。
何一つ情報を持っていない駿紀が、不用意に口を挟むのもマズいか、と思い直す。
少なくとも、透弥とて津田にケガを負わせる気は無いはずだ。
そうでないなら、強引にでも透弥の袖を引いて、池田真由美をなだめにかかるところだが。今なら、まだ出来る。
この無言の均衡が破れる前なら。
でも、それは透弥の邪魔をすることになるかもしれない、と一瞬ためらう。
その間に、駿紀より先に、口を開いたのは池田だ。
「私には納得出来ません!どうして雄太だけが罪を負うんですか!」
「阿部雄太が、それだけのことをしたからです」
ぴしゃり、と取りつくしまの無い口調で透弥が返す。コロシなんだから当然と言えば当然の返答だな、と駿紀は視線を泳がせる。
これほどまでに透弥が攻撃的なのは、池田の問いは言い換えれば警察の捜査を疑っていることと同意だからだろうか。それならば、理解は出来る。
駿紀だとて、はっきりと証拠を提示した事件へ、そんな疑いをかけてこられたら面白くは無い。ただ、動かぬ証拠をつきつけられたとしても、納得出来ない肉親やその周囲が存在することも知っている。
感情をぶつけられて、感情を返すようでは、まで考えて唇をとがらせる。二人の視線がこちらを全く向いていないことをいいことに、思い切り。
駿紀が思わず感情にかられた、というならともかく、透弥がそんなことするわけが無い。
感情的などという単語とは最も縁遠い男だ。
事件が関わったなら、隅々まで計算しつくしてくる。こんな初歩的なことで感情を動かすなど、あり得ない。
とすれば、池田を煽っているのも計算づくだということだ。
駿紀は、小さく息を吐く。
危うい、と勘は告げるが、透弥が必要だと判断したのならば、傍観するしかないだろう。
ああ、くそ。
喉元まで出かかった言葉を、飲み込む。
この手の駆け引きは、まさに透弥の独壇場だ。
どうしても必要となれば、駿紀だってやらなくはないが、緊張という一本の糸を引き合うのは得意ではない。どちらかというと、のんびりまったりとした空気に引き込んでしまう方がやりやすい。
言い換えれば、張り詰めっぱなしというのは自分が耐え難い。
このまま、いつまで引くつもりなのやら、と透弥へと視線をやる。
相変わらず、こちらへは、ちら、とも視線をやる気配は無い。
きっぱりと阿部雄太が悪いと言い切り、言葉を失っている池田を見下ろしたまま無言だ。造作が整っているだけに、視線はひどく冷たく映るはずだ。
怒りの為に、むしろ池田の顔からは血の気が引いている。
「でも!雄太は!」
「証拠がありません」
全く、感情のこもらない声。
池田は、ぐい、と身を乗り出す。
刃物の角度が変わらなかったことに駿紀は内心ほっとする。津田も上手く動きについていけたようだ。
「雄太の言うことは信用出来ないって言うんですか?!藤井の言葉は信用したのに?!」
「どちらを信用したか、ではありません。証言を確定する事実の提示が無かった、それだけです」
感情的になっている相手にソレは通じないだろ、と駿紀は内心で嘆息する。
それはそうとして、少なくとも池田が今更ここに現れた理由は、駿紀にもわかってきた。
阿部雄太は、罪を犯したのはそそのかした人間がいたからだ、と証言した。が、名指された藤井という男は否認し、罪に問われたのは阿部だけだった。
それまでに阿部と池田は、恋仲になっていたのだろう。阿部が愚かなことをしたキッカケになってしまったこともあるし、待っているとかと約束したのに違いない。
罪を犯した代償は、恋人の前から姿を消すことだけとは限らない。頭でわかっていても、寂しいという感情を埋める存在が現れれば、揺れることだってあるだろう。
その相手が、恋人をそそのかしたかもしれない人間であることも。
彼女は、自分の感情を制御出来ずに、ここに来た。
頭痛のしてくるパターン、というヤツだ。
「雄太は、私を守ろうとして」
キタよ、と思わず駿紀ですら嘆息してしまう。
透弥からしてみても最もうんざりする類の相手だろう。無い証拠で自分の感情の整理をしろと要求されるのでは、たまらない。
「だから、あなたは他人に心を移してはならない、と誰かに言われたわけでは無いでしょう」
ストレートな言い方は、池田の心移りを肯定するのではなく、全ては自分自身の心の問題ときめつける。
池田は、言葉を失って唇を噛みしめる。
どうやら、透弥は徹底的に正攻法で行く気だ。
理不尽なのはアチラなのだし、それもヒトツの方法ではある。でも、らしく無い。
透弥なら、もっと効率良くかわすことくらい簡単だろうに。それこそ、いきなり脊髄反射フェミストな笑顔を向けてやれば、それだけで半ばうやむやになるだろし、スキも出来るかもしれない。それくらいの効果は透弥自身も理解している気もする。
わからねぇなぁ、と今度は内心で駿紀は唇を思い切りとがらせる。
こんな正攻法は、実に透弥らしく無いように思えるのだが。
いや、そうじゃない。
あくまで駿紀が知っている透弥が、だ。組んでからたった三ヶ月で、全てをわかったように決め付けるのは失礼というモノだろう。
ともかく、情報を得てきた透弥に主導権があるということになっているのは確かだ。全く視線を合わせようとしないのだから、少なくとも透弥は、そう思っているのだろう。
軽く息を吐いて、駿紀は少しだけ体を前にやる。
万が一の時に、津田を守らねばならない。
「自分の感情を動かさない為に、警察にどうにかしろというのは、お門違いにもほどがある」
思わず、駿紀まで肩を縮めてしまう。
いきなり、透弥は核心をついた。
池田は、少し離れた位置にいる駿紀にもわかるほどに肩をふるわせている。いくらかうつむいてしまったが、泣いているわけでは無い。
ともかく、感情が高ぶっているのは、刃物を握りしめている手の力の入りようからもわかる。
「そんなことは」
小さく声も震えている。
自分でもわかったのだろう、池田は大きく息を吸い、きっと視線を上げる。
「そんなことは、わかってます!でも、雄太を裏切るなんて、出来ません!しちゃ駄目なんです!」
それまでの動きからしたら、信じ難いスピードで池田は動く。
大きく踏み出した、と認識した時には、ギラッと光を反射させた刃物を勢い良く突き出す。
「!」
あまりに驚いて、すべきことを忘れそうになる。だが、これこそ、待っていたスキだ。
駿紀は勢い良く、津田の腕を引いて自分の背へと押しやる。
池田は大きく息をしながら、一歩下がる。手にしているモノから、赤い液体が、ぽたり、と落ちる。
一連の動きの間、一歩どころか微動だにしなかった透弥は不愉快そうに眉を寄せ、自分の左腕に指先をやる。
軽く払った指先から落ちたのは、やはり赤い液体だ。
この為に煽っていた、とやっと駿紀は気付く。記録からおおよその動機を察した透弥は、自分に向けて感情を高ぶらせれば、我を忘れて動くと踏んだのだ。
まさに透弥の狙い通りにはなったのだろうが。
途中から感じていた、危うい、という勘はこのことだったんだ、と舌打ちする。
透弥の方が情報量があるからなんて遠慮するんじゃなかった、こんなことになるとは。勘を無視すると、後悔することになるのは、駿紀自身がイチバン知っていることだったのに。
池田が握り締めたままの刃物についている赤い痕からして、透弥の傷は浅くはないはずだ。ともかく早く止血をしないと。
動こうとした瞬間、微かに透弥が眉を寄せる。
まだ、駿紀が介入するのを否定している。
どうして、と喉元まで出かかった言葉を、結局は駿紀は飲み込む。透弥に優先権があると一人決めして、引いたのは自分だ。
今更、と言われてしまえばそれまでだ。駿紀は、唇を噛みしめて視線を落とす。
ワイシャツの中を伝ってきたのだろう、透弥の下ろした手の甲に赤い筋が流れて、指先から落ちていく。
はたり、はたり、はたり、ととめどなく。
これは、止血しないとかなりマズい、ともう一度視線を上げる。
駿紀の気配に気付いたのだろう、ちら、と透弥の視線が向く。だまれ、と言いたいらしい。
文字通り開きかかった口を閉ざす。
いくらか目の方は、見開いてしまったが。
これだけの深手のはずなのに、透弥は顔色ヒトツ変えていない。痛覚が無いというのでも無い限り、あり得ない。
鉄面皮な方だろうが、さすがに痛覚が無いのでは神経が通っていなさ過ぎだ。人外になってしまう。
どういうことだ、と、もう一度視線を血らしきモノが落ちていく方へと下ろす。
あ、と思ったところで、透弥がおもむろに口を開く。
「やるにことかいて、恋人と近い罪を犯してみた、というわけですか?」
淡淡とした口調に、これでもかと池田は目を見開く。

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