□ 八千八声の客 □ shard-4 □
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あまりに透弥が動じていないからか、感情にまかせてとうとうやってしまったという自覚があるからか、池田は凶器と化した鏡の破片を握り締めたまま、がくがくと震えている。
うっかりと下手な手を出せば、また振り回す可能性が高い状況だから、気は抜けない。
が、人質がいなくなり、透弥が最初からコレを狙っていたとわかってしまえぱ、こちらのモノだ。
あの赤い液体は、いくら落ちても問題は無い。後で床掃除の手間が増えるくらいだ。
なんせ、アレは血のりなのだから。
透弥は捜査記録を確認して、池田真由美が興奮しやすい性質と知り、人質を最も手っ取り早く開放する手段を考えてきた。
ようするに、人質から自分へと意識を完全に向けさせてしまえばいい、と判断したのだ。
凶器の矛先が透弥になれば、自然と人質は解放される。そのつもりで、腕にわざわざ血のりを仕込んで来た上、立ち位置も計算しており、結果的に微動だにせず狙い通り、というわけだ。
では、更に早いところケリをつけてしまうのがいい。
駿紀は、ちら、と振り返って、津田に余計な口を開かないよう合図する。
透弥の方へ視線を戻した駿紀は、疑問一杯の顔つきだ。
「神宮司、ちょっと待て」
あまり機嫌良さそうではない透弥へと、駿紀はそのままの表情で首を傾げてみせる。
「阿部雄太は、なにやったんだ?痴情のもつれによる知能犯じゃないのか?」
透弥も、駿紀が何を言い出したのかは理解したらしい。表情を、思い切り不審なモノへと変化させる。
「何を言ってる、殺人だ」
「なんでコロシが勅使さんたちの担当?」
「そんなわけあるか、木崎班だろう?」
急に忙しなく交わされ始めた会話に、池田は別の意味で目を見開いている。全く自分を無視した成り行きに気勢もそがれたのか、立ちつくしたままだ。
それに構ってるヒマは無いとばかりに、唇を尖らせつつ駿紀は言葉を返す。
「ガイシャは?」
「山下二郎、複数回刺されての惨殺だ」
「ソレって、去年のいつ頃の話だ?」
「事件発生は三月九日」
打てば響くように返事が返る。
「他の容疑者は?」
「いや、捜査線上にホシとの繋がりが上がるまでに時間がかかってはいたが」
この際だ、ついでに情報収集も兼ねてしまえとばかりに問いを重ねる。
「ってことは、上がったのは阿部だけだったんだな?」
「ああ」
透弥が頷く。ここらでいいだろう。
「ソレ、ウチじゃない。中条さんとこか、戸田さんとこだ」
透弥と駿紀の視線を急に向けられて、津田は数回瞬きをする。が、どちらかというと突然自分の出番が来たことに驚いたのであって、最初に津田が言った言葉を無かったことにした展開だということは理解していたらしい。
「あの、中条さんのところに、行きたいと言われたんですが」
いくらか恐る恐る言われた言葉に、駿紀と透弥は一瞬も視線を合わさずに池田へと向き直る。
急に同時に向き直られて池田は、びくり、と大きく肩を揺らす。
「なぜ、こちらに?」
「中条刑事はこちらだ、と」
駿紀と透弥は、うんざりとした視線を見交わしてみせる。
津田がわざと誤ったのはわかっているが、そこは責めるところではない。
今、現実としてある確かな事実はコレだ。
「池田さん、階数をヒトツ、間違ってますよ」
更に大きく池田の目が見開かれる。
あまりに驚いたらしく、あれほど微動だにせず握り締めていた鏡が、手からすべり落ちる。床に落ちる前に、すばやく駿紀が持ち手を握って回収してしまう。
気勢を削がれた上に、人質も凶器も無くなってしまえばコチラのモノだ。
手元から刃物を奪われて、いくらか我に返った池田は、どこか呆れた表情の二人を交互に見やる。
「何言ってるんですか!そんなことあるわけないでしょう?だいたい、この人はここだって!」
津田を指差す。行儀が悪いと指摘したいところだが、今はそれはおいておくことにする。
「状況によっては、階数を間違うくらいはありえるでしょう」
「案内の前に、どこかは告げられているはずですが」
駿紀の言葉に、透弥がきっちりとトドメを付け加える。池田の眉が吊り上る。
「だったら、なんで事件のこと知ってるですか?!」
「結審まで行った件で、わざわざいらっしゃるというのは普通でもあまりないことです。どんな件であったのかを調べるのは当然と思いますが」
透弥が現れるまでの間が、どういう時間だったかを彼女も悟ったらしい。あの電話で、なんらかのカタチで連絡がいってしまったのだということも。
が、全てはもう起こってしまったことだ。
数回、首を横に振る。
「なんでもいいわ!私、刺したわ!人を刺しました!」
「刺したっけ?」
つめ寄る池田を無表情に見返す透弥へと、駿紀は首を傾げる。
「さて、少々興奮されてるようだし、何か勘違いされてるのでは?」
言いながら上着を脱ぐと、腕には何やら赤く染まったモノが巻きつけられている。中身が減ったせいか、ズリ落ち気味になっていて、それが生身ではないことが返って強調されている。
上手い具合に出来てるな、などと駿紀は妙なところに感心しつつも、池田への注意はおこたらない。
本当に刺したわけでは無い、とは理解したようだが、ここまできて引っ込みもつかないのだろう、池田は叫ぶように繰り返す。
「刺そうとしたって、犯罪よ!」
「被害届が出れば、ですが」
相変わらず平坦な声で、透弥が返す。
本当なら他にも充分に罪状は上げられるが、みすみす池田の望みを叶えてやる必要は無い。
ようするに池田にとって要求は、阿部を解放しろでも、藤井を逮捕しろでも、その他でも何でも良かったのだ。自分が罪を犯しさえしてしまえば、藤井の誘惑から逃れられる。阿部と同じように過ごすことが出来る、それだけだったのだ。
駿紀が、首を傾げる。
「神宮司、被害届、出すか?」
「スーツ代とクリーニング代くらいは、用意していただきたいところだが」
透弥が軽く肩をすくめるのを見て、刺されたことは犯罪としては扱わない気だとと悟った池田は、また津田を指差す。
「あなたはどうなのよ?!人質にされたのよ?!」
「ちょっと落ち着きを失くしていらっしゃる方は、多いですよね」
駿紀たちがどうしようとしてるのかを察した津田も、にこやかにうそぶく。
池田は、きっ、と眉を上げる。
「あなた方がどういうつもりかはわかりました。が、犯罪じゃないなら、ソレ返してください」
「返したらどうするんです?改めて中条さんのところに行く気ですか?」
口を開いた駿紀が、ぐっと厳しい表情になったのに、彼女は少しだけひるんだようだ。だったら、どうなんだという表情で見返すが、言葉は出てこない。
「先ほどの行為を犯罪として取り扱うかと、凶器となりうるモノをお返しするのとは話が違いますよ」
駿紀は、きっぱりと言い切ると、手にしていた刃物をより遠くへと置き、遠慮なくバッグを開いてテーブルへとさかさまにする。中身がバラバラと落ちてくるが、鏡の破片は落ちてこない。
いくらか不審に思ったところで、ポーチが落ちてくる。テーブルに到達すると同時に、カシャン、という音が響く。
「なるほど、最初からこうして凶器を作ろうと考えていたわけですか」
冷え切った声に、池田は唇を噛みしめる。
「実に迷惑だ。これ以上の面倒をかけ無い程度の気遣いはしていただきたいものです」
不機嫌に言ってのけ、池田の手が届かないところにポーチもやり、バッグの中身を無造作に戻していく。他に凶器に変じそうなモノは無さそうだ。
入れ忘れが無いかを確認して、ふたを閉め、池田へと向き直る。
「阿部雄太が池田さんの為だと人を殺した時、嬉しかったですか?」
まっすぐな問いに、池田は目を見開く。
「彼が親しくしていた人間がアナタ一人とは思えないんですが、そういった人たちもショックを受けたりはしなかったんですか?アナタだって同じことだ」
ここまで来てしまえば、もう堂々と腹立たしいのを表に出しても問題ない。そして、まだ諦めていないということより、これが駿紀にはイチバン腹立たしい。
「アナタ一人の感情整理の為にあんなことして、逮捕されたら満足なんですか?周囲がどう思うかは一切関係無しですか?」
「これしか、もう、方法が……」
「へえ、そうですか。では、他にどんな方法を考えたんです?そりゃ山ほどなんでしょう、ぜひ、お聞かせ下さい」
考えてなどいないだろう、と決めつけたが、池田に反論は無いらしい。
というより、返す言葉が見つからないようだ。
駿紀にしては辛らつな物言いが続いているが、透弥が口を挟む様子は無い。
少しだけ間を置いても、池田が口を開こうとしないので、駿紀はいくらか眉をつり上げる。
「これしか方法が無いとおっしゃいましたが、本当はこれ以外考えて無いんでしょう。最後にこんなバカらしい考えに行きつくんだとしても、最低限、本当にあらゆる可能性を考えて下さいよ」
「刑事さんは当事者じゃないから、そんなことを……」
「当事者ですよ、こうして巻き込まれてるじゃないですか。アナタの勝手が実に不愉快だ、こうする前に、もっと建設的なことは思いつかなかったんですか、くらいは言う資格はあります」
弱い語調になりつつも、まだ言い返そうとする池田の言葉を、ぴしゃりと封じる。
「アナタの勝手で誰かを傷つけていいだなんてワガママにもほどがあるし、自分が経験したはずの辛い思いを平気で人に味あわせることが出来るなんて、あきれてモノが言えなくなりそうです」
他人にこんなことを言われたことが無いのだろう、池田は目を見開いたまま、駿紀を見つめている。
「割った鏡で刺すという行為が、相手にどんなケガを負わせるか考えましたか?あんな刃渡りが長いもので刺したらどうなるのか、考えてみましたか?アナタは、自分が良ければ後はどうなろうと関係ないんだ」
そこまで言って、更に出そうになった言葉を飲み込む。今のでも、立場から言えば少々言い過ぎかもしれない。
腹が立っているのもあって、感情的になっているのは駿紀自身もわかっている。
「阿部雄太に犯罪を促したのは、本当に藤井氏だったのかと問いたくなりますね」
平坦な声で、あっさりと透弥が言ってしまう。
「あたしは、殺してなんて一言もッ!」
「彼も、もっと考えて選択する余地があったはずなのに、そうしなかった」
大きくは無いが、透弥の声はあっさりと池田の言葉を封じてしまう。
本当は、めった刺しの惨殺事件が起きるまでに何があったのかは、駿紀たちがあずかり知るところではない。それこそ、当事者たちしか知りえなことなのだから。
池田の短絡的な行動と、同等に扱うのも多分間違っている。けれど、彼女にはこのくらいで丁度いいらしい。
視線が落ちると同時に、かくり、と膝からくず折れる。
「ここで泣いても、誰もなぐさめてはくれませんよ」
駿紀が、先ほどまでとは違う静かな声で言う。淡淡と告げられた事実に、池田はのろのろと視線を上げる。
「色々と整理がつかないことがあるとは思います。でも、ここで何か言ってもしても、どうにもならないというのは、わかってらっしゃるでしょう」
そのままの姿勢で、たっぷりと一分は池田は黙り込んだままでいた。
まだまだ言い返したい言葉が渦巻いているのは、時折わななく唇でわかる。でも、それらの全てが、今までにあっさりと駿紀たちに論破された言葉となんら変わりないとわかったようだ。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「おっしゃる通りです。ご迷惑をおかけしました」
本気で思っているかどうかはともかく、ひとまずは深々と頭を下げる。
「……帰ります」
その語調にも姿にも視線にも、先ほどまでの危うさは無いと判断した駿紀は、一呼吸の間を置く。何も言わないので、このまま帰すことに透弥も異議は無いらしい。
手にしたままだったバッグを、差し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げると、割れた鏡の方には視線をやらないままにバッグを受け取る。
「津田さん、お送りしてあげてくれる?」
「ええ」
凶器が無いと確認されてしまえば、津田も警官だ。池田が確実に警視庁を後にするか確認するくらいは簡単な仕事の部類になる。
「行きましょう」
先ほどまでとは全く異なる強い口調だが、素直に頷いて池田は特別捜査課を後にする。
扉が閉まってからも、駿紀たちはそちらの方向を見たまま動かない。
ややして、確実に池田真由美がここから離れた、とわかったところで、駿紀が方向転換して透弥へと向き直る。
透弥は、面倒そうな顔つきで自分の腕に巻いてあった血のり入りの袋をはずし始めている。
「無茶するなぁ」
「なにがだ」
振り返りもせずに返されて、駿紀はいくらか唇をとがらせる。
「だから、人質いるのにあんなに興奮させたのがだよ」
「そう無理があったとは思えない」
あっさり言い切ると、後は無言になってしまう。これで話は終わりということらしい。
駿紀は、その態度にムッとする。
捜査記録をあたった透弥に勝算があったのはわかる。池田の性格も計算しただろうし、津田も訓練された身だ。
その程度、言わずもがなだと透弥は思っているのだろうが。
駿紀が池田に説教をくらわしてる間に、血のりのかなりな量がワイシャツの方へと吸収されたらしい。はっきりいって、袋を外した今の方が何倍かスプラッタな見てくれだ。
何だか、ますますイラッとする。自分でも、制御出来ない類のモノが頭をもたげてくる。
ムッとした口調のまま、ぼそりと言う。
「ソレ、どうすんだよ」

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